0160話:2017年07月09日

【文月月次祭文 その2】

◇原点回帰

ある面では、白川というか、神道も含めた、一種の口はばったく言えば、宗教改革ということでもありますし、文芸復興、ルネッサンスという言い方もありますけれども、そういう改革を目指してやってきたわけではないのですが、結果的にはそういう風になってきているところがあるのではないかと思いますけれども。それはやはり原点に回帰するというか、戻ってくるというか、戻る原点があるから、我々は戻るのですけれども、それが一番古い神話であり、大祓い祝詞というか、日本文学と言ったら何ですが、万葉集と並んで、一番古い一つの文学でもあるというかですね。神という概念のことであれば、それこそ宗教というところに戻るということがあるから、非常にありがたいことだなと思うんですね。

戻って、過去とまた同じ内容でも良いのですが、今回も大祓を6月30日にやった時に、元に戻るという意味で、大祓の前文に書かれているような「伴の男(とものお)」というところを、もう一度、検証するということで、それが125代前の1つの天皇のことですね。第1代である神武天皇の世界に戻るというような、今ちょうど、熊野ツアーでもって、その辺の事情を解明したものを110人で勉強してますけれども。それが守った形というんですかね。守る人たちに祓いをかけるという意味での、ヤタガラスという存在、あるいは伴の男、それが後に、大伴氏や佐伯氏が天皇を守ってきたという歴史の故事にちなんだ大祓の前文ですね。

◇六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらへ) 前文

「集侍(うごな)はれる親王(みこたち)・諸王(おほきみたち)・諸臣(まへつぎみたち)・百(もも)の官人等(つかさびとたち)、諸(もろもろ)聞(き)しめせ」と宣(のたま)る。

「天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)へまつる、領巾挂(ひれか)くる伴(とも)の男(を) 手襁挂(たすきか)くる伴(とも)の男(を) 靫負(ゆぎお)ふ伴(とも)の男(を) 剱佩(たちは)く伴(とも)の男(を)、伴(とも)の男(を)の八十(やそ)伴(とも)の男(を)を始(はじ)めて、官官(つかさづかさ)に仕(つか)へまつる人等(ひとども)の過(あやま)ち犯(をか)しけむ雑雑(くさぐさ)の罪(つみ)を、今年(ことし)の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おほはらへ)に、祓(はら)へたまひ清(きよ)めたまふ事(こと)を、諸(もろもろ)聞(き)しめせ」と宣(の)る。

(日本古典文學大系1 古事記 祝詞 倉野憲司 武田祐吉 校注 岩波書店刊行)

手襁挂くる伴の男(たすきかくるとものお)とかですね、四伴の男という、要するに、日本の国を守る人たちの為に、66人、88人、部族長の人たちを守る為の祓いでもあるということをやっていくわけですね。それが実は、満州や、高麗や、日本の熊野というか、三点一直線で繋がっているということも色々見えてきましたしですね、そのことの稜線というか、線を振動させると、東アジアが平和になるということも、だいぶ見えてきたのですが・・・。

要するにそのような、元に戻るというか、原点に回帰するという、改革するということは、ある面では元に戻るということを通じて、様々な気づきがあるわけですね。しかしそれは、同じような支配とかにならないと言うかですね。必ず薄まっていくんですね。薄まるけれども拡がるというか、それが改革というか、あるいは一つの復興というか、そこに繋がっているんだと思います。

自由、平等、博愛が、広がりながら実現していくというか。それは自由、平等、博愛が、フランス革命で言えば友愛のような、要するに仲間だけに対する思い、愛というところから広がっていくということですね。広がっているということは、キリスト教でもまさに博愛という精神でというわけですね。広がりがあるわけですね。それはだから、戻るところが、原点のイエスの言葉の聖書に戻るのか、戻り方があるということです。必ず、支配の関係は薄まるけれども、広がりが出てくるということが、改革の一つの目玉のところだと思います。

◇宇宙創造の始まりを絶えずやることが復興

そのようなことを考えますと、今、我々が原点に帰りながら必ず行くということを、端的にしていることは、宇宙創造の始まりを絶えずやることが、白川、あるいは古事記の理解というか、原点回帰というか、復興ということだと思うんですね。中今という瞬時に理解したりするということが、白川が持っている非常にダイナミックな技法の部分というか。そのようなものからみると、宇宙創造というものがどのような概念で、あるいは、それが意識の中で行われていくかということだと思うんですね。その広がりが、民族から人類、あるいは宇宙もですね、地球から太陽系、太陽系から銀河系、銀河系から大星雲というか、それで大宇宙というところに階層性があって、そのことが20世紀に、その気づきを学問的にさせて頂いたということだと思うんですね。それが今、様々な複雑系とか、システム科学として出てきていると思うんですね。

特に白川の階層の中で、霊と言っている世界は、結合エネルギーということであるのですが、要するに、精神(=魂)であり、見えない存在として、魂と物質を繋げ、それからイデアというか、霊(=イデア)というものが、どのように2つを結びつけていくかということが、非常に大事なところだと思うんですね。そのような関係の中で、階層がわかると、非常に理解の仕方というか、宇宙の理解の仕方が広がってくるのではと思います。

我々は、宇宙を137億光年という幅で、時空間で見ていますが、どうもそのような、一番大きいものと小さいもの、プランク長が瞬時に・・・小さいものは小さいもの、大きいものは大きいもので繋がって、ですから、宇宙全体が一つに広がっていくのと、それがまた循環して一つの宇宙という「たま」になると言うかですね。そのような両面を、人間が脳の中で、あるいは実感としてやっている。そこに法則が当然あるのでしょうが、それが数というもので理解することをしていると思うんですね。

道元さんも、言葉は数だということを言っておりますし、多分間違いないところだろうと思うんですね。数を持っているのが、日本のひふみ、要するに50音とひふみ。数と言葉が同時にある存在という、綺麗に揃っている言語というのは、日本語だけだと思うんですね。その日本語が多分、数で、というところで見た時に、今の数字が137というのが、どうにもわからない数らしいんですね。微細構造定数という言い方もあるのですが・・・この137という数は、宇宙が生まれてくる時の数であり、宇宙が存続した時間でもある、というものになっているんだろうと思うんですよ。これから137億年を過ぎればどうなるのかと言うことになりますが、1億光年というのは大変な時間ですから、その頃は人間が違うところに行っているだろうから大丈夫だと思いますが・・・・。

私が思うには、日本語は平均137ヘルツで振動しているというかですね。その137という数は、一体なんなのかというと、これは僕は、多分、揺らぎ、1/fのゆらぎの「f」の数のところなのではと思います。すなわちそれは、宇宙の創造の時にあった数で創られた後、今は137分の1の、揺らぎの数値が残って、宇宙創造がおこって以来、その振動がずっと続いている。

今日は要するに、パラノイア、妄想だと思って頂き、ご勘弁願いたいところがありますが・・・。宇宙というのは、ある面では離散というか、もうバラバラに広がっていく。限りなく広がっていく宇宙、ということは、まさに分裂ですね。分裂とそれが循環といいますか、統合といいますか、白川はどちらかと言うと今、統合のところを強調しているわけですね。

それは精魂ということが全く伝わっていなかったから、一生懸命、統合ですと言って、そちらの方向を知らせようと走っておりますが、実は両方ですよね。両方が我々にとって必要な、それが宇宙というか、広がっていくのと同時に、循環してくるという両方でもって宇宙が成り立っているわけですね。それが離散から循環に転換する時は、強烈な、要するに、メビウスの転換をするわけですが、その時に、急速な速度の変化、すなわち加速度が起こるんだ、と思うんですよ。それを今、時代意識進化の中で捉えることを行っているから、一気に変わる時なのであって、それは・・・僕はパラダイムがどうなるかわかりませんが、枠組みというもの、枠のところを超えるというか、それをフラクタルとか、色々な用語で言っていますよね。5次元とか、要するに、とにかく大きく変わる時が今なんだということになるわけですね。

その時には既存の概念とか、思考とか、そのようなものも高速に学習して、変化を掴むというか、それは幾何級数的であり、加速度がついているから分かり難いところが多々出てくると思うんですね。ですけれども、変化が激しいから、時代というものもそうだし、今のアナログからデジタル、デジタルから人工知能という、人間が考えている知能が、一気に限界を超えようとするということが起こってくるというかですね。

それは特に、若い人が将棋の藤井四段ではありませんが、そのような戦いですね。機械を前提にした戦いが起こっているというか、その上で、加速度がついているというか。その時にあたっての我々の対応の仕方が、相当の変化に対応するという、情緒も、あるいは具体的な変化に対応しなければいけないので、瞬時にシフトしなければいけないことが多々出てくると思うんですね。そのあたりが「妙」という世界というか、今までの戻るというところから言うと、ルネッサンスも、宗教改革も、それにあたるようなものを日本から、今、問うているわけですね。

世界文明という、大きな一局が集中して、小さな異質文明が、最後に東アジアのところに閉じ込められているようなことがあろうかと思うんですね。あるいは、列島の中に本当に閉じ込められて、日本文明がどのぐらい役に立つのかということが、全然見えない状態になっている時に、にわかに日本文明の核にある部分が、天皇とか、言霊とか、鎮魂と言っても、チンプンカンプンで、皆様から言われることは、何もよくわからないのではないのかと。ましてや外国の人には・・・確かに山梨学院大学でも、2年間色々、外国人に教えさせて頂いたんですが、確かに、理解しづらいなということがわかったんですが。

今の時代の中で、ネオジャパニスクなんて言っているものが、どこまで役に立つのかということを、計算してやるようなことではないのではと。もうこうなったら破れかぶれというか、開き直って、言いたいことをどんどん言いまくっていくというか・・・その最初が今日の日かもしれませんね(笑)。

皆さんの脳が混乱しないようなところでいかなければと思っておりますが、これからのところでは、様々な転換点に立って、色々なことが起こりますので、その点はパッと掴むという意味合いで、必要な時があるのではないかと思います。僕が思うのは、白鳥先生の禅の世界では、特にそのようなものを持っていますから、皆さんで、これからも是非、山荘に一緒に座って頂きたいと思っております。早速、Kさんが参加してくださるということで、白鳥先生、今後も宜しくお願いいたします。

本日はありがとうございました。