0161話:2017年07月10日

◇献饌

昨日は、月次祭お疲れ様でした。

毎日、お供えしていますよ、お水と洗米とお塩とお酒を。今度、毎月の月次祭の赤飯、なますの他に熟撰があって、白米のご飯を炊いて、梅干しと鰹節とを付けて献饌します。献饌が二重になっているということですよね。二重というのは、煮炊き調理をしたものと、自然のままのものというかですね。要するに、2つあるんですね。

神様というのは、遠津御祖神を含めた神様であるわけですね。朝、釜で炊いたご飯がありますね。昔は、かまどのご飯と言いますか、そういう調理の過程からの祭祀もあります。朝、先祖に炊けたご飯の蓋を取って、ご先祖様にまず、湯気をお供えするというか、差し上げるというか、そういう所作があるんですね。電気釜でも良いので開けたら最初にまず、ご先祖様にどうぞお召し上がりくださいと。要するに、基本的に、水や米をあげたり、命を繋ぐものということで一番大切なものを差し上げる。

お三方は、要するに、水を中心に置いて、洗米を、そしてお塩があって、お酒があってですね。この献饌が酒を象徴しているだけではなくてですね、酒が作られる過程ということだけではないのですけれども、作られる原理みたいなものを、それによって伝えているというかですね。

◇「繋ぐ役」が生命体にしている

例えば、それがお酒の神様だったら、大山咋神(オオヤマグイノカミ)様だったら、その働きでお酒が出来るということですね。松尾大社ですね、大山咋神様が祀られているのは。そこは全国のお酒の神様の中心なので、みんな行くわけですね。

お酒は端的に言うと、お米とお水ということですね。もちろん、お塩もあるのでしょうけれども、麹があって。繋げるというのは、何で繋げるのかと言いますと、日本にある麹菌とかですね、繋げる役があるんですね、ものを。それが八神殿の極意でもあるんですね。繋ぐ役なんですね。

繋ぐということは、物と物、極端に言えば、細胞と細胞を繋いでいるのは、糖鎖で繋いでいるんですよ。糖鎖という細胞間コミュニケーション物質が、細胞間は10オングストローム位ですから、1億分の1cmくらいの狭い所に、細胞は接触しないようにしている。人間の細胞は、くっついているように見えるのですが、みんなバラバラなんです。多糖体の海に浮いているんですね。多糖体の海というのは、要するに、糖鎖ということですね。糖鎖が細胞間のコミュニケーションをして、ぶつからないようにしています。だから、動的作用反作用ではないですが、動きの中で、この全体にぶつからないようにしていることがあるんですね。

細胞と細胞がぶつかったら死んでしまいます。くっついたら死んでしまいます。10オングストロームという間の中でもって、電磁モーターのように浮きながら、調整しながら、一つの細胞の動きを作っているわけですね。全てには、そういう繋ぎということがあるんですね。生命体もそうだしね。その働きそのものが、生命体にしていると言っても良いんですね。バラバラなものというもの、それは宇宙全体もそうですね。バラバラなものが繋がるということは、八神殿に祀ってある5つの結びですね。神皇産霊、高皇産霊、玉留産霊、生産霊、足産霊ですね。この結び、この神の概念は世界にないわけです。

日本では合金を作ったりする時に、やはりそれが働くわけですね。Aという金属と、Bという金属が結び合うということですね。もちろん、中の原子と原子は結んでいない、一緒になっていないのですが、いわゆるミネラルというか、物質が一緒になる時は、Cという触媒になるものが必ずあるわけでしょ、それによって繋がるというかですね。そういう化学がすごい得意ですね。そういう応用化学ですね。化学分野は、日本はいくつもノーベル賞があるというのは、そういうお酒の酵母菌もそうかもしれませんけれども、日本の風土が生命にそういうことを教えているのかもしれませんけれども。

◇統合するという概念

どうも物質と繋がるということの概念が出来ているというか、それで世界に沢山の研究、発見が出来るのではないのかということを感じています。その結ぶ働きが、実はあまり長く言いませんけれども、布斗麻邇、布留部というかですね。鎮霊ということは、その段階で結ぶ働きという意味ですけれども、布斗麻邇と布留部というのは、ある面では振動というか、全ては共鳴と共振と同調によって、それが起こるわけですね。霊は結びの元のようなものですね。そのさらに元の布斗麻邇というものは、布斗麻邇というのは一種のイデア、気というようなものですね。さらに魂と物の存在というものを結ぶ働きを言っているんですね。布斗麻邇、布留部が一緒になって、それが精神と肉体、物質と精神を繋いでいる。それが3千年、人類が求めていて最初にそうではないかということを概念として出ているわけですね

魂の研究も、霊の研究も、イデアということもギリシャ哲学にありますからね。たぶん気がついてはいたのですが、それを統合する方法が分からなかったと思うんですね。今の時代は、それを統合するという表現方法が、あるいは概念方法が、日本の一番の古いものの中にあると。もちろん、言語もそうなんですね。言語も、布斗麻邇、布留部、鎮霊、鎮魂というかですね。繋ぎのメッシュが細かいということは、繋ぐということのエネルギーの内容を言っているのが、日本の古代哲学ということになる。だから、言語も全て繋げているんですね。繋げているのが、父韻と母音、子音を作るという三位一体で繋げるというかですね。これは有性生殖では、我々が生命体になりますけれども、言語もそうだということですね。言語も有性生殖と同じように、父韻と母音と子音ということで出来ているということで、非常にポイントとなる。

◇言語を作り出す時の罪を祓う

大祓というのは、全て古代の罪と思うかもしれませんけれども、その一番元にある、言語の正しい音が出ない、正しい言葉にならない、正しい文章にならないということが罪なんですね。言語で言うと、誤りになるんですね。言語が出てくる時の、発声する時の罪なんですね。正しい50音で、ということがあるわけですね。それは元に作る音の中身の、その間違いを、罪と、国津罪、天津罪ということですね。この両方とも、そういうもので分解するということが、言霊の小笠原先生からの、拡大解釈していますが中身ということですね。

要するに、言語を作り出す時の罪を、天津罪、国津罪と言っているんですね。階層ですからね。ただ単に、宗教や国文学でもそうですけれども、一つの意味で考えた時に、そんな意味だけでは、今やっている意味がないんですね。世界が、あるいは時代の中では、犯した罪があるわけかもしれませんけれども、そういう過去を祓うということですね。未来も祓いますが、過去を祓うという意味では、もちろん役に立つのですけれども、それだけではない。階層の中で祓いが行われている。それということは、言語そのものに対する間違いというか、それも全て解消するということを学びでは毎日しているということですね。

概念にあるようなもの、まだ音になっていないものまでも音になった時に、その問題が現れるということもありますけれども。我々が普段、言語というものを使っている問題点を解消するということが、その言葉なんですね。天津罪、国津罪というものは。だから、父と母と子、父韻が母音と子音の並びを間違いないようにするということが、端的に一番きつい言葉で言うと、そういうことを注意するということを表現しているだけなんですね。色々、全部解決するんですよ。

音になって、具体的に全てが記憶もそうですが、人間の構造というものは、全て言葉によって、全ての経典では言葉が命と言っています。それしかない。インドの経典も、ユダヤ教も、新約聖書も、仏教も、究極的に学んでいくと、言葉がどうして出てきたかということを言ってるだけなんですね。まさに、それを精緻に伝えたのは古事記ですね。50音を神の名前に隠してあったということを言っているわけですから。何故、それを追求しないのかという非常に不思議なことになっていますけれども。

言語の作りのところの誤り、間違いを正すということで、全部できているんですよ、天津罪、国津罪というのは、そういう解釈ですね。それは我々がここでやっていくことの意味ですね。そういう器の教えですね。言葉も器の教えですから、神が乗ってくる器ですね。そういう乗りものですね。それを綺麗な乗りものにして使うかということを国津罪の中にあるんですね。そういう言葉があります。ある面では、一番最先端の技なんですね。それを科学として追求していく、自己に確認していくということをこれからも続けてやっていくということの宣言ですね。

みんな誤解するといけないから、一番古いものであろうが、どんな言葉でも、最小単位に分解できますが、言語の最小単位ですね。あるいは、意識の最小単位ということを言っているわけですね。そういうものが明確になってきて、そしてその使い方を誤らないように、高度化するということが、言霊、鎮魂、祓いということをやる意味であるということを知って頂きたいというかね。その世界を掴むということ、それを表現するということが、大事なことではないかということが、時代の中ではミッションとしてあるのではないのかということがありまして、そのことをやろうとしています。

昨日もまた8月の発表に向けて、新しい事業を考えました。祭りをするごとに、色々な良いものが天から降ってきて、非常に面白いことがありまして、またお知らせしたいと思います。

ありがとうございました。