0162話:2017年07月11日

Oさん、熊野の一番印象の深い所を話してください。

 

●Oさん

◇玉置神社

皆さん、おはようございます。この間の7、8、9日と、熊野に行って参りました。Mさんも一緒に行ってきましたけれども、一番印象のあった場所は、玉置神社だと思います。玉置神社は本殿まで行くのに、誰でも行けないと言われている場所ですが、今回は110名全員で行くことが出来まして、そこに辿り着くことが出来ました。一番メインとなるのが本殿の上に山があり、山を登りますと、玉石社という神社というか、玉石の御神体がありまして、そこが一番メインになっているんですね。

非常に面白いのは、この玉石というのが地球を表していて、その上にいくつか石が置いてあって、その石が、太陽と月を表していて、それ以外に星を表す石が点在して置いてあります。それがどうも太陽系の惑星になっているようですね。玉置神社というのは、昔からというか、マニアックな表現ですけれども、真名壺とか、モーゼの宝が隠れていると言われているそうです。

実は、その宝というのが、山の上に配置された石、惑星でありまして、それが言霊なんだなと理解できました。その宝というのは、言霊ということで山頂にあったんですね。

Bさんという方は、玉置神社の宮司の家系なんですけれども、Bさんなりに知っていることがありまして、今まで色んな人間が、お金や権力を使って玉石の近くを、財宝があるのではないかということで掘ろうとしたらしいのですが、それをやった人が、みんな発狂したり、死んだりしたそうです。

宝というのは、目に見える場所にちゃんとあるということなんですね。西洋的な考えだと、どこかに隠してあるという考えなんですが、ちゃんと目の前に、そういう形であるということが日本の大事なやり方なんだということを仰っていました。

実にその通りと思いました。全員の感想を聞いたわけではありませんが、ほとんどの方が重いエネルギーを感じていたり、それは妖怪かもしれませんが・・・。あるいは、自分が抱えている悩みがあったということなんですけれども、その玉石のところに行きましたら、皆さんそれが抜けましたという方が非常に多かったです。玉置山という形で、言霊が山の上の方に石としてあったという、惑星としてですね。それが印象深かったです。

その旅行もお陰様で、スムースに何の事故も遅延もなく全員終えることが出来ました。熊野の良いところは多数ありましたが、今回は言霊という意味ではそうでしたし、それ以外のテーマですね、熊野に御神徳を頂くのではなく、こちらが与えに行く、という宣言と八咫烏の実体や今後の展開などですね。皆さん興味深く聞いて頂けたと思います。天気も非常に良く、良かったと思います。

 

●Mさん

◇最小単位という力

私の方から最後のOさんのセミナーのまとめの補足をさせて頂きます。

やはり玉石社は、立派な社ではなく、石だけで、花の窟神社というところも、もう一つの重要スポットで、磐座だけで全く社がないところでありました。

結局、一音一音と五十音ということで、他には色々な社がありますけれども、最小単位になると、妖怪が取り付く島もないと言いますか、一音一音が、分解されている状態だということで、妖怪退治ということがテーマでありましたが、妖怪も固まった言葉なんですけれども、それを一音一音に分解していくということのお祓いの大切さを実感しました。

言霊とかの本当に最小単位という力を改めて実感させて頂きました。ありがとうございます。

【七沢代表】

◇魂(たま)と魂(たましい)

ありがとうございました。

先ほどありましたが、日本の古い神社は、器の教えというか、器教ということなんですけれども、器の教えなので、物はあるのですけれども、不変のもの、石とかで作り、必ずそういうものが置かれているわけですね。器になっているというかですね。それがずっと物語るというかね。

今、お話があったように、玉置というのはマニアックというか、日本の熊野は一番古い、神武天皇、その前の縄文以来からあるわけですけれども。熊野の元みたいなもの、元は玉置と音無ということで、それが元熊野を形作るということで出来ているのでしょうけれども、それが125代の天皇を守る形になったのです。

ところで、鎮魂というのは、魂(たま)にして、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という五魂を中府に鎮めるわけですね。自分自身の魂(たま)と言うんですかね、見えないものを自覚できるようにそこに置いて客観視していくというかね。

この頃は、第6種鎮魂を伝授する時に、魂(たま)を一つ一つ前に置いていくという話をさせて頂いていますけれども、荒魂という魂(たま)を、自分自身に備わっていると自覚させると同時に、魂(たま)を自身の前に置くという意識を持つ。五行、五音(アイウエオ)と惑星との関係で言語が出来ているように、魂(たま)は、まず五魂だからですね、五魂一つ一つが動作みたいなものですね。

玉置(たまき)というのは、玉の「気」でもあるし、玉を「置く」でもあるように、そういう形が当ててあるように、一個一個、五魂を置いていくんですね。縦に揃えて置く、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂とやりますけれどもね、そこに置くということですね。それで客観視するというかですね。たま「しい」は、駄目なんですね。たましいは、魂(たま)らしいだから、nearですね、近いけれども、魂(たま)ではない。だから、たましいというのは駄目なんですね。悪い言葉なんですね。整っていないという意味なんですね。ですから、五魂を整えて一つ一つ確認するということですね。宣言もそうですね。

要するに、「◯◯神様ご照覧あれ」ではないですけれども、神の前に自分自身の清まり、整った魂(たま)を堂々とお見せするというかね。見えないものをお見せするわけなので、それが正しいかどうかは、審神者とか、色々と審判方法はありますけれどもね。そのたましいではないということの確認をするということですね。それが神道の作法では、玉串を捧げると言いますけれども。それは榊に紙垂を貼って、一回転させて、捧げるわけですけれども、それも神の前に、自分自身の魂を串刺しと言うのではなくて、神の前で、自分自身のありのままの魂(たま)をどうぞ御覧くださいということですね。

それが大君に対して二心有りません、何もないですよ、という表現が万葉集の和歌の中にもあります。そういう玉串が、魂(たま)の串とか、極めて異例なことであるということもありましょうけれども。玉を自分自身に1つにして捧げるという作法に残っているわけですね。玉を置くという自分自身、鎮魂をしていくということですね。それに自在にタマが飛んでいって働くことも出来るし、戻ってくることも出来ると。

◇自分の自覚に置く。魂(たま)を置く

本来、運魂(うんこん)という巡る魂(たま)というようになっていますね。人間の意識としては、意識体として宇宙に広がっていき、自覚し、また戻ってくると。それを途中でもって、止まってしまうと、何かに興味を持って憑依し、止まってしまうと戻ってこれなくなるというかですね。

インドの4000年の歴史のヨーガを、20代の初めに習っていた時に、みんな帰れなくなって、死んでしまう人が出るわけですね。飛んでいくわけですよ。高速で、魂(たましい)が飛んでいって、離れて切れてしまうと戻ってこれなくなり、死んでしまうんですね。

シカイセンというのは、魂(たましい)と肉体が死ぬ時に、生きたまま上がっていくのは道教ですけれども、いわゆるヨーガなんかでは、そういう風に言います。日本では、中国から伝わったものもそうですが、運魂という捉え方ですよね。飛んでいくけれども、また巡る、戻ってくるということがあります。そういうものを操作する方法というのが、修験道の元にある陰陽道なんかに残っていますね。安倍晴明がやる呪術というのは、一種の魂(たま)を「たましい」にして、制御するという方法ですね。白川はそれに下請けさせていたということがあります。自分たちのそういうことが、綺麗なことではないから、ということで、下請けしていたという事実もあります。

元々は、そういう魂(たましい)の色々な動き方というかね。要するに、霊というか、そういうものに丁度、野鳥を取る時のトリモチみたいに貼り付いてしまって、そこから逃れられなくなって、そこに自分の魂(たましい)が飛んでいって、戻ってこれなくなるということになる。それを戻す方法というか、それが精魂でもあるし、霊と言っている結合エネルギーの、だから、魂(たま)の循環ですよね。それを自在に出来るようにするということが、自分のまず自覚に置くということから始めるということですね。それが魂(たま)を置くというかね。

◇六種ー「たましい」を「たま」に戻す方法

玉置神社の話が、だいぶ牽強付会になってしまいましたね(笑)。要するに、そういうものが古代の日本の中に残っていたと。魂(たましい)の制御方法が無ければ、何の意味もないということになるわけですね。そういうことがあったということを、今日は、折角、熊野の妖怪退治のことがありましたので、お話させて頂きました。

鎮魂は、妖怪に憑依されたり、とり憑かれた場合の逃れる方法、作法が第6種であり、自己に「たましい」を「たま」に戻す方法であると申しておきます。玉置は、私の母親の直系でもあるのですね。それは世界の最後に、玉置の鐘をつくという役割が、公家武家になっても伝えられていたと聞かされていますけれども。そういう非常に深い関係があって、Oさんと玉置の血筋が一緒になったということで、元熊野をはっきりと検証するということになって、Oさんの兄弟と、それから玉置の、3日間110名で行かれて役割をして頂いたということを非常に感謝しています。

そのことも今度は、我々のお祓いの中で、あるいは第6種の中に置いてやっていこうということでございます。

今日もまたよろしくお願いいたします。ありがとうございました。