0166話:2017年07月18日

◇一音一音があるということの素晴らしさ

今日を感じたことは、毎日、お祓いをあげるのですが、4つの祓いで、祓いに始まり、祓いに終わると白川では言うのですが、一つ一つの祓いが最小単位から出来上がっているということですね。天津罪、国津罪にしろ、そういうものを祓うということですね。基本的に、はじめの「とほかみえみため」から、それぞれの役割と意味はあるのですけれども、要するに、それを最小単位でもって行うということですね。

これは「abc」というアルファベットでなくて良かったなというか、最初から「アイウエオ」の五母音と「TKMHR(L)NYSW」というマトリックス、音図に組み立てられているというかですね。それが音の表としては、いつ出来たのかは定かではありませんけれども、一音一音があるということの素晴らしさというかね。

結局、人間が最終型では、50数という仕組みが、生命の仕組みとしてあるのは当然で、全てのものはその数とピッタリ合うようになっているから、言霊はそれが見事に50のマトリックスの中に、一音一音が入っているということが素晴らしいわけですね。その一音一音が、正確に音としてあって、「や◯ゆ◯よ」の、「◯◯」もあったのではないかということで、古事記から想像して「yi」を付けたり、「ye」を付けたりですね、そういうことをして50音を一つの姿にですね。もっと前は、もっと種類があったという説もありますけれどもね、万葉仮名とかね。

要は、そこまで綺麗に整備されて伝わってきたということですね。しかもそれは1000年とか、2000年とか、長い時間の中で、言語が精緻にマトリックスで出来ているということは奇跡なんですね。我々は、その中の一音一音の最小単位を正確に発音するということを心がけることを言っているわけですね。丁寧に一音一音を確認しながら、お祓いをあげることが大事なことになるんですね。そういうことがありまして、毎日毎日の祓いが最小単位であり、記憶や思考するということの最小単位になるわけですね。

◇後世に伝える

そういうところを、私が若い時には研究する余地もなかったのですね。私がついた先生というのは、世界で最高峰の言語学者でした。弟子の中で一番言語が出来なかったのが私ですが(笑)、言語が出来なかったので宗教学をやろうと思ったのですが、宗教学はもっとたくさん言語が必要だったということがありました(笑)。そういう言語学者について、その時には言霊を研究することが出来なかった時代でした。

それは丁度、GHQが禁止した、そういうことを言うことも出来なかったということがありました。そこを後世に伝える、言霊ということを伝えるということを、誰かがしなければ出来なかったです。今のような公開の仕方は、著作権に引っかかって50年ありますね。それはディズニーが考えたのですが、どんどん長くなっています。それを超えるには、どうするのかということですね。

僕が全部引き継いだということは間違いのないことですけれども、それを出すということでですね、全て出版しているわけです。それも戦前のものや、戦後のものもありますけれどもね、そういうものは、また勉強していかなければいけないのですけれども、今の時代の中で、太陽系の言語、あるいは銀河系ということで、そういう広がりを作るということは、一音一音が薄まってしまうということでもあります。太陽系の言語だから、50音でもっていくと思うのですが、それは銀河系ということを視野に入れた捉え方をしています。

◇最小単位に戻っていく

疎と密ということを繰り返しながら拡がっていくという方法で、意識を拡げるということと、最小単位ということが上手く釣り合いのとれるような方法で、思考しているわけですね。そういう中で、記憶とか、様々なシステムというものを作り上げていくということですね。その相似形のものが、今の科学の中では数学を取り入れて、フラクタルという言い方をするわけですね。それが瞬時にまた拡がっていくのですが、五十音あるいは、五行であり、十行でありということですね。もちろん、物質の拡がりというのは、ものが作られた神話の世界ですね。伊邪那岐、伊邪那美、16、17で拡がっていくというかね。

様々な数理というのが色々とあるわけですね。数と言葉というものの両方でもって、一つのマトリックスというものを形成して、そしてそれを最小単位として表明する。今の時代では当たり前なのだけれども、その一つ一つを自己自身に迎えて、しっかりと音というものが正確に打ち出されるというか、その脳内機能もそういうものとして出来ないといけないというかね。それを合わせる為に、デジタルという機械、装置を使うわけですね。そういうことがあってやっているわけですね。

なので、最初の整合性が綺麗に整っていないといけない。それを確認するということが、一二三であり、4つの祓いということになるわけですね。また言葉になって、文章になっていくというかね。そのまた更に単語ですね、一語足す一語で二語、一語足す一語足す一語で三語、一語足す一語足す一語足す一語で四語ということで、すぐに3000くらいの単語が作れて、それが文章になっていくわけですね。その単語がまた文章になっていくというかですね。その最小単位というものが、酒折宮で始まった旋頭歌や、リズムを繰り返すようになると、俳句とか、和歌とか、長歌とかになるわけですね。長歌は、能澤さんが作って、8月11日に皆さんにお披露目します。大津皇子と大伯皇女の鎮魂の世界ということをやります。それを作曲をしています。歌って頂く方は、4オクターブを出せる方だそうです。その人一人が、弟と姉さんの掛け合いをやるんですね。そういう長歌ですね。ですから、最小単位と形成の仕方が、日本語の中にはあるということですね。その細かい色々な気付きや伝承の内容については、小笠原先生の著作の中にあるわけですね。

簡単に言ってしまうと、そういう文章になるということは、リズムがあって、歌の言葉が、和歌になって伝承されるということですね。和歌を歌うということは、みんなの共通ですね。身分ということで差別がなく、誰でもが万葉の頃から歌っていたということですね。そういうものが当たり前になっていたという歴史ですね。

最小単位がだんだんと広がっていって文章になり、散文になり、源氏物語のような小説、文学作品になっていったんですね。それが明治になって、外国文学が入ってきて、それを前提にして、聖書翻訳で、最高の文学の元になる、現代に使える単語を研ぎ澄ませて、旧約聖書、新約聖書の作品になるわけですね。日本語になったものを学ぶということですね。それは西洋の音楽もそうだったけれども、そういうことがあるわけですね。大きな長い歴史で、言葉というものが変わってきたということですね。更に、我々が5千年とか、1万年とか、1千年とか、幅の伝わったものを、一つの歴史として、中今の表現として言ってしまうので、非常に詮無いところもありますけれども、そういう歴史の中で辿った道ですね。それが、基本はやっぱり最小単位なんですね。

今、我々がソフトウェア、システムとして作るということをやっているわけですね。それが機械の中に入って効果があがるということをやるわけですから、絶えず最小単位から見た捉え方というかね。これは909という最初にコードを使って、機械、装置の中に入れた時の音の数が30なんですね。30しか作れなかったので、30で、機械で発信したんですね。30音しか出来なかった。それで最初の機械が出来たわけですね。

今は限りなく入るわけですけれども、そしてまた戻って、最小単位を考えると、父韻と子音と母音ということになりますけれども、更に一音という子音という音を発音する時は、それしかやっていないわけですけれども、そういうものを正確にあげる、そういうことを発音の中で考えた方が良いかなと。

最後に、一二三という言葉もありますけれども、意味論的に漢字を当てはめて理解するということでも良いのですけれども、一音一音を自分の脳内、身体に響かせるということが、お祓いの基本であるということでありますから、そういう祓いの仕方をして頂くということですね。最小単位に戻っていくというかね。

それで、一日がみんなと何語話すか分かりませんが、沢山の文章を話すわけですね。その時の自分の無音で読む音が、非常に精緻になっていくという意識で、読まれると良いのではないかということを感じましたので、お話させて頂きました。

今日も一日よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。