0168話:2017年07月20日

Wさん、昨日の話を少ししてください。

 

●Wさん

ぶどう畑の前のオーナーさんとお話しして、我々がこれから川を作って、田んぼなどを作るという話があります。

川を作る時に、実は水路がカドのところまで来ているので、元オーナーさんが、水路関連組合の元会長ということで、荒川の水が3つに分かれていて、一つは社宅のそばを流れているそうで、その真ん中のところも繋っているので、そこから川の水を流すことが出来るそうです。

今日、その詳しい話をしていきます。金山先生の話では、真菰などと、日本のハーブと言われる、山椒、柚子、グミ、桑などを水源の周りに植えていって、真菰茶や、ござとか、色々なものを作られるということなので、そういうものを利用しながら、里山をイメージしていくということをお話いたしました。

【七沢代表】

◇豊葦原の瑞穂国

水源と、葦とか真菰の類、珪藻というか、「豊葦原の瑞穂国」というのは、豊葦原と瑞穂が重なってということですね。昨日、分かったのは、日本の国というのは、葦の原っぱだったというわけですが、それは縄文時代から形造られていたのですね。その葦の栄養によって豊かだったのですね。葦はいっぱい生えていて、強いのですが、それは枯れて栄養になるわけですね。それが栄養になって、土が作られて、その上に稲穂が実ってくるというかですね。その両方を繋げると、「豊葦原の瑞穂国」ということですね。それを現代において実験するわけなんですよね。

要するに、たまたま井戸水だと冷たいということだったのですが、江戸時代からの荒川からの水を取ってきて、それが里吉というところに入ってきていたんですね。そこに稲の苗を育てる苗代があって、そこでよく遊んだ記憶があります。縄文から弥生になる時の再現なんですね。今ここでやろうとしていることはですね。江戸時代もそうだったけれどもその再現なんですね。

水というのは、川が流れる時に温まるということですね。沼地で更に温められて、それが稲穂に一番良い生育状況になるわけですね。Mさんのところもそうですが、井戸水だと確かに綺麗なお米になるのですが、栄養の高いお米になるには、井戸水を温めないといけないんですね。なので、真菰のところで温めて、水田に持っていくということを考えて頂いたわけですね。

要するに、たまたまそのことがあったので良く分かったということですね。豊葦原瑞穂国ということをね。実は、その受け渡しは、一番栄養のある場所に、今度は稲が入ってくる、出来るという構造になっていたということですね。

元々、ここは水源だったので、たぶん水田を作る場合には、粘土で30cmくらいのところで、水が漏れないように周りは粘土の壁を作っているんですね。そこに泥が入っているわけですね。そういう構造になっているので、水田を作るのは非常に簡単なことですね。そういうことが初めてだと大変なのですが、これから水路を作るところからやって頂くということですね。

よく考えてみると、江戸時代の里吉全体の水利権の地図があるんですね、文化財みたいなものですけれども、父親がよく拡げていました。それはやはり水が入ってくる流れが書いてある。今回、それはオーナーの依信さんが取り仕切っているわけですね。代々、そういう風に伝わってきて、水を引くことが出来るということが出来るということが分かりました。

色々と金山先生が、日本でも農業の専門家、大家ですけれども、その方が、あらゆる日本のハーブから色々と選択を考えてくださいました。鎮魂道場というようなものが欲しいなということがあるので、その辺を上手くすり合わせをして、これから「ふとまにの里」を作っていきたいと思っています。

「ふとまにの里」というものを、商標登録していなかったので、Y君に言って、登録申請しましたけれどもね。だんだん進みましたので、宜しくお願いいたします。

ありがとうございました。