0169話:2017年07月21日

何かご質問はありますか。

 

●Wさん

お祓いの時にどういうことを考えながらあげればいいのかなという疑問があります。自分を祓うという意識でやるのか、世の中を祓う意識でやるのか、何かありますか?

【七沢代表】

◇声は客観視の最たるもの

最初に祓うという動機は、自分で積極的に願うことがあるから祓うということですよね。

 

●Wさん

はい、そうですね。

【七沢代表】

その内容はそれで良いと思います。

後は、お祓いというものは、何回あげても、真新しく感じるものなんですよね。何千回、何万回唱えても、新鮮なものなんですよね。毎回、必ず何か掴めるはずなのですけれども。ただ、漫然とやったら、江戸時代から言われているのは口祝詞だといけませんよと注意されています。

例えば、自分の声もそうだし、人の声も、外から聞こえてくるわけですね。自分の声は、脳の中にも響かせていますが、外から耳にも聞こえてきますね。だから、声は自己客観視の最たるものなんですね。言葉から自己を知ることが出来る、その声に自分で共振してみるというか。また、一緒にあげていると、みんなと自分の中で共にやろうという協調、共鳴という現象が起こるわけです。そういう意識でやっていると、だんだん感じて解ってくるというか。

祓いの初めに動機があるから、今日はどういう風に出来たか確認するのは良いのですが、それは自分自身の中にあるということですね。また、いくらやっても限りないくらい掴める何かがあるというのは、単なる意味が深いとか、神を迎える為のものとか、信仰的なことだけではなくて、言葉というものの最小単位を確認していくわけですね。

一音一音、丁寧にあげていくと解ってくるのだけれども、最小単位ということも自覚できるし、一音一音が先天的にどういうことかということを掴むことが出来るようになるということですね。自分が感じる音なんだけれども、外からのものとして、何を掴むかということは、言語というものの最小単位を自覚するというか、その一つ一つが天津神であり、その連続体が国津神なんだと、単語・文章というものはですね。あるいは、あげている言葉というのは、最後になると大祓なんかは、神様に「御いさみ給ひて聞食せと申す」と言うわけですね。一種の神様に聞いて頂く思いまでお願いしているようなですね、その神様は一体何かというと、その神様をどう迎えるかというかね。

◇自然神は、天然と等量、等価。自然というものを見たら全ては神

今週はテーマとして、そういうことをお話していますが、迎えるという、なかなかそういうことは書いてないんですね。

I am that I am.我(神)は有りて有る者である、ということですね。モーセのエホバの神から受けた十戒の言葉です。旧約聖書の初めに、神の霊が地を覆っていたというか、その霊とは何かということが分かるようになっているのですけれども。あるいは、イザヤ書など、旧約聖書の中にはアメンドウの花の中に神を見るとか、竜巻の中に神を見るとか、書いてあるんですね。そういうものを解析するということが、白川の役割の中にはあるわけですね。だから、ヘブライと日本は繋がっているのではないかということや、大祓の中身ですね、全て同じではないかという説もあります。

私見によると、一番のポイントは神ですね。一神教もそうだし、多神教にしろ、そういうものに至る手前に、魂(たま)があるわけですね。要するに、シャーマニズムやアニミズムという原始の信仰も組み込まれているのですけれども、そういうものを前提として、一種の鎮霊もそうですね。そういうものをしっかりと結ぶことが出来るというものが、霊という結合エネルギーの世界だということもあるのですけれども、それを神の霊と呼んでもよいのかもしれませんけれどもね。だから、神の1つの姿を取っていると言ってもいいのですけれどもね。

もちろん、神というのは見えるわけではないですね。自然神というものは、天然と等量、等価ですから、見えると言っても良いわけだから、自然というものを見たら全ては神だという自覚があっても当たり前のことなんですね。僕が子供の頃は、この地域をグルグル周って遊んでいても、全てに神が見えたというかね。そんなことは誰にも教えてもらっていなかったのだけれども、見えるものは全て神である。星がそれこそいくらあろうが関係ないんですね。1万でも、1万でも、何十億でも構わないです。全てが神なんです。

そういう自然がある時は、当たり前に体験できるから、そういう世界もあるのだけれども、一神というところの神とか、より見えない存在としての神ということも掴む道に挑戦するというかですね。そういう観点から見ると、いつまでも祓いとか、大祓とか、新しいですね。

◇言語を解明しないと、解決しない

それは言語というものの最小単位が、神だと言ってもいいのですけれども、そうしないと、最終的には人間の言語を使った文明というのは、成立しないんですね。だから、必ず言語を使う文明というのは、言語を解明しないと解決しないということになります。いよいよそういうことの始まりなんですね。言霊という全てを繋ぐ働きが存在するという、その解明が今、始まったということですね。

そういうことを考えますと、我々が毎日、一二三や、とほかみへみためは短く、大祓は長いですが、そういう祓いの詞を通じて、一つ一つあげていく内に、大量の神情報に触れ、掴むことが可能になるということをやっているわけですね。大祓を毎日やっているというのは洗脳でもなければ、自分の思い込みでもなく、最小単位の古代から伝わった中身で、要するに、神というか、言語というものの正体を掴んで、それが新しい文明になっていくという、昔ながらのことをやっているというところが大事なところです。原理的なことで言うと、大量にあるから、毎日、祈願すること、あるいはそれが出来ているかどうかということは、大量にデータがあるということになります。その時に、自分のこういうことを実現したいということについて、それを祓ってみればいいんですね。それは、塊みたいなものだから、それを綺麗にバラバラにして、そしてそれが良いかどうかを祓いの中で問うてみるということも出来るということですね。

単純に自分の願いが通じるということではなくて、4つの祓詞で、全部バラバラにして、こういうところで自分の今の思いが出たというところまで来ると、非常に分かりやすくなるのではないかなということを感じました。

話が逸れてしまったかもしれません。ありがとうございました。