0174話:2017年07月28日

Oさん、鈴を鳴らしてみてどうですか?

 

●Oさん

今日から交替で御鈴係をやらせて頂くことになりました。ボーカロイドのようなパターンでやらせて頂いて、やってみると難しいと思うこともあって、試行錯誤して、皆さんがお祓いをやりやすいようにやっていけたらと思います。

【七沢代表】

宮中の賢所の内々陣で鈴を鳴らしておりますけれども、一番大事な仕事の1つですね。その内々陣の内掌典様が、16の鈴を鳴らして、天照大御神をお迎えされております。伊勢神宮に流れる川は、五十鈴川と言います。川は、流れの音が出ているというか、鈴のように音が鳴っていると捉えたかもしれません。川、すなわち水の神様、ミズハノメの神が周波数の音色を作るわけですね。その動きを、最初に水が落ちた時に波紋が生じるわけですが、そういう波紋を一種の現象として、波、同心円状に広がる様子を、ミズハノメという表現で呼んでいます。

日本語は擬音から音を作るのですが、言霊学の最初のウ、ア、ワではないですが、最初の宇宙創造の音色のようなものが先にあって、母音、父韻で五十音ということで、五十鈴ということになるわけですね。それを実際の水と金の音で、五行の音にして、もちろん木があったり、鈴についている紐も五行になって、それになぞらえて作ってあります。そういう音の元みたいなものがあります。

◇一つひとつを自己自身で掴んでいく、証明していく

音というものは、我々の音波は一秒間に333mとか、338mとか、空気や気圧で、伝播する速さが違いますが、その中身は全然分かっていないんですね。そういう中で我々はお祓いをあげているわけですが、お祓いそのものの声が、どう伝わっているのか、宇宙全体にいくのか、内宇宙に響き渡っているのかが、どのような経緯で振動しているのか、分からないことが沢山あるんですね。もちろん、体感でいかなければいけないのですが、そういうものが自分のどういう意識でやっているかということで、意識と結果で証明するしかないんですね。細かく存在を分けたり想像して、自己自身の中で証明していくということは、なかなか出来ていないんですね。自分でこうすると言って、一日一日の中で証明していかないといけないんですね。それが客観的であれば拡がりになっていくと思います。

一つひとつを自己自身で掴んでいくというか、証明していくということを精緻にやっていくということが大事なんですね。どういう形でお祓いを捉えていくかということは大事ですが、自分の中で、先程、私の捉え方を言うと、外宇宙を内宇宙と同じような存在として、ある面では、内観するということになりますが、それをみんなと一緒に祓いをあげていく中で、自己自身の宇宙というものと、小宇宙と大宇宙が、共鳴、共振、同調していくということになります。人体の中にそういう機能を持っているということですね。そういうことを掴む、あるいは比較できるものを持っているという捉え方をしていくわけですね。

◇時空間を捕捉する

その時に、内観した宇宙の出来事と、外側にある137億年という宇宙が、どうして繋がるのかということが1つのポイントになります。一種の妄想かもしれませんが、どういう風に論理的、あるいは自己の中でどう掴むかということは、それぞれが納得できる悟りのような世界があると思うんですね。小宇宙と大宇宙というもの、よく言うのはミクロコスモス、マクロコスモスという捉え方もありますが、相似形であり、その接点というのは、中今というか時空間を超えて捉えるということになります。時空間を人間が捕捉することを意識の中でやるということは、一番難しいわけですね。

禅の曹洞宗の道元さんの世界もそうですけれども、時間というものを掴むということ、時間というものを消すということを意識の中でやるという、大胆なことをやって、とにかく悟るということを中心にしてやるわけですけれどもね、中々、簡単にはいかないわけです。この時代においても、どうしたら一番深い悟り、あるいは、宇宙というものの時空間を超えて、存在、あるいは生きるということを掴んでいくかということは一番の課題なわけですね。そういうものをどういう風に捉えるかということをしないと意味がないんですね。それをこの時代にみんなでやろうということを決意しているわけですね。

結局、物事を1つ1つ細かく見るという見方も、あるいは全体でどういう風に見るという見方も、要するに、ミクロコスモス、マクロコスモスという超絶した問題を、どういう風に繋げるかということが一番大事なところになるんですね。それを細かい宇宙と、巨大な宇宙の玉とが、どのように繋がるかということが、一番言ってみれば難しい悟りですが、そのところが霊と言って、結合するエネルギー場があるということで、古神道の白川に残った中身、それが八神殿です。そのところが中々、世界に今まで階層性を備えた中で出てこなかったということですね。今、少なくとも数学で、我々がその世界で掴もうということで、次元とか、フラクタルとか、数学が科学の中で、一番論理的、科学的なものですが、数の学びというものが、我々はそれを一二三と呼んでいるのですが、それで掴みなさいということですね。

その暗号みたいなものでもあります。数学という学びで、今の小宇宙と大宇宙というものが、小さいものが小さいもの同士で、大きいものは大きいもの同士で、大きいものも小さいものもまた繋がり、一つの玉になるということが理解できないと一致しないんですね。

◇離散と循環のど真ん中、フレキシビリティでいく

この時代に、そういう分裂と離散するものと、ひとつの妄想でありながら、統合するという人間の進化の段階で掴んだ能力を使って、そのどちらかだったら問題が起こるので、その両方を使って進化するとういことが、多分これからやらないといけないことですね。今まで極端な二項対立の部分であったけれども、今や脳の働きの中での離散と循環という世界の中で、悟りということを掴まないといけないという難しいところもあります。

我々が今、進化していく過程で、そういうことを学べるということがひとつの証明にもなっていると言うかですね。ですから、そのことが少しでも進むということが、非常に進化をするというか、ある種の人類の意識進化というところの最前線に立って、それをやるということは・・・、もの凄い有能な人たちは、どちらかに傾いていると思うんですね。妄想と、あるいは極端に分裂というかね。傾いた知性で行っていることを、ど真ん中で行くということですね。それは非常に道が狭いから、剃刀の刃のような道を行くということになるのですが、均衡が崩れたら切れてしまい、対立しているとどちらかに落ちてしまうということですね。

そのような難しい意識の中で、それを、その道を行くというところに、昔だったらなるのですが、今はそれを非常にやりやすくなっているというように思います。今は、フレキシビリティー(flexibility:柔軟性、適応性、自在性)というか、融通無碍というものが必要なんだ。単なる議論の為の知、知識というものだけではなくて、自分がどちらにも、思考の立ち位置を移しながら、しかし自分自身のやるべきことをやっていくという意識に戻って出来るかどうかということが、融通無碍な気持ちということに繋がると思うんですね。

悟りを得られないということは、どちらかの意識でずっとやっていくということですね。自分がそこから離れなれない、接着面が強すぎて離れられなくなると苦しくなるわけですね。

◇結ぶエネルギー、離すエネルギー

ですから、結合するエネルギーというのは即座に離れるというか、結合を解く働きを同時に持つことでもあります。そうすると自分自身の心の一番の意識進化のところに、自分自身の情緒に貼り付いているということ、あるいは自分が貼り付きにいっているということを憑依と呼ぶことになります。それが情緒というところで貼り付いていくと不自由になっていきます。

人間の体に関わる寒暑苦楽、感情に関わる愛憎好悪というような階層の違いがあっても、入り組んで7感情、あるいは19分類、あるいはその複合したの感情語は8000もあるわけですからね。その身体や感情の言葉で自分自身が縛られるということが出てくるわけですね。その問題を解く鍵は、結ぶエネルギー、また離すエネルギーということを分からないといけない。例えば、化学としては触媒のようなもので、全然違う物質を結びつけ合金にしますが、一方では、常温核融合とか、核そのものを変えて物質を自由に飛び出るような、そこの意識までの物質でも、そういうことを言っているわけですから、そういう発想は、感情や意識、意志というものまで、そういうものを自由自在にしていくということが大事なところです。そういうことを含めて、メッシュを細かくして理解していかなければならないことは多々あります。

少なくとも私が言うような、皆さん方の知性の中で結びついたり、スルーしたりするのですが、私はここでこういう話をしたということは、白川の「はふりめく」を見て頂いている方々にも、少なくとも同時に、Y君が毎日、発信してくれていますが、何百人かが共有の意識にしてくれているわけですね。これは事実として消えることのないものになります。そういうことの意識の実験でもあります。

ネットの時代の出方というか、そういう一種の重力を超えたひとつの言霊というか、言霊子というか、そういうものの飛び交う場ですね。それはまた、新しい宇宙をみんなで作っていくということにもなります。進化というものは、後で分かるんですね。今の段階では分からないかもしれませんが、そういうことが少しでも分かっていくようになる為にも、ネットのそういう利用方法を充分に使って、一つひとつ拡げていくというかですね、それはまた公ということにも繋がる世界ではないのかなと感じました。まだ、インフラとして、ネットの世界をどこまで自由自在に使えて、そしてそれを役に立てられるかということが、これからの非常に大事なところだと思います。少なくとも大きな力になると良いのではないのかなと思います。

ありがとうございました。