0179話:2017年08月05日

◇我々は膨大な数の先祖と繋がっている

今週はいよいよ五周年祭があります。色々と心の中も外も、幽祭、顕祭ということになりますが、両方整えていくということで用意が始まっています。年に1回、始まりの日を年祭とします。そして月に1回の、年祭が11日だったら、月の11日の近くを月次祭として、祭祀を行います。

我々は何が一番強いか、強いかというとおかしいですが、何が大きな力、エネルギーなのかということを考えた時に、まず見えないけれども、我々は膨大な先祖を持っていて、それぞれみんな繋がっているわけです。この世に生を受けた方は、何百億人では足りないと思いますが、それくらい大量にいるわけですね。そういう、みんな関わり、ネットワークになっていて、それが今、我々の体の中の1つ1つの細胞の中に刻まれているわけですね。それはDNAとして、先祖と繋がっているということになるんですね。

暑くないですか。急なもの言いでごめんなさいね(笑)。O君が、パタパタされていたので、共鳴していました。はふりめくで話させてもらっていますと、最近は皆様を見ていると、瞬間にコミュニケーションが起こります。すぐその方に言いたくなって、抑えるのが大変です(笑)。

11月から共にお祓いしたり、話させてもらっているので、コミュニケーションが瞬間に、直に起こるようになってきています。S君とは、年祭のことも一気にパッと呼応してですね。そういうコミュニケーションのプラットフォームを作るんですけれども、要するに、それはトータルで、みんな一人ひとりを神として見立てて、コミュニケーションが行われるんですね。ただそれが、階層性になっているから分かりづらいんですよ。似て非なる霊物というものも、みんな自分の援軍として取り入れているから、その数なんかは場合によっては何百というくらいあります。自分を守る、あるいは助けを求めて援軍を呼んでいるんですね。そういうものも神に似たものとして、すなわち妖怪を受け入れていくことになります。

◇遠津御祖神と繋がっている。自分自身が神である。

まずは、遠津御祖神という神がいて、その次に今度は自然というものが神なんですね。土も神、水も神ですから、別天水なんて言う名前を付けていたり、水中主もそうですけれどもね。若干、引いてはいるわけですがね。神様だから、天津神の世界ですから、自然というものの木火土金水も、それぞれ神であって、その神を迎えるということになります。これは、自然神という言い方もしますけれどもね。その神と一体となった印が、鎮魂となるわけですね。自分の五魂と自然の働きが繋がるということをするわけですね。今度は要するに、繋がるということです。遠津御祖神は自分自身と繋がっているわけですね。自己自身が神と言ってもいいと思います。その先に今度は、木火土金水という五行、自然の働き、あるいは大宇宙という働きというものを神と見立てて、それを迎えるというか・・・。

考えてみて下さい。太陽だけではなく、月だけでなく、太陽系惑星のエネルギー全ての周波数を受けているわけでしょ。一体でもあるわけだけれども、そういうものも含めた内容ですね。そういう存在も神であると。昔は月も太陽も星も神ということで、そういう存在と一体でやろうということになるわけですね。

◇国津神

我々が国津神と言っている神は、どちらかと言うと、現世の中、来世、過去世もそうですが、生きていくということの中で、それがよりよく生きるという働きをしてくださるという存在を国津神と言ったわけですね。なので、国津神も大元にあるような神様です。天津神が地に追いやられて、下られた神は、須佐之男命ですね。天の天津神の100番目の神様が地の神様になってくださるわけです。出雲の元になるスセリ姫のお父さん、お母さんというのは、テナヅチ、アシナヅチですね。

これから圀手會というのをやりますが、圀手會の大事な神様はテナヅチの神ということになりますね。それは国を癒やすということになりますけれども、最初の地に降りた神様は、手の神様のところに降りたわけですね。手と足という神様ですね。そういうもので出てくるわけです。ですから、それを政治の世界にすると、国常立神様の働きをお願いするわけですね。今で云うと、総理大臣の働きみたいなものですね。ですから、我々も会社でやったり、一般社団法人でやったり、色々な法人格でやっていますが、そういうものの働きをより良くするという方法というものが、神の名としてあるということは、国津神の中にあるんですね。

◇一音一音を掴んでいくという時に天津神を迎えていくことができる

なので、Sさんが一つ一つの神様をお呼びして、そしてその神様の力をお借りするということを祭祀としてやるわけですね。それはそういう働きと一体となって、自分がやるということが1つの生き方ですね。皆さんがお祓いをしていくということでは、祓詞、すなわち祝詞ということだったけれども、そういう問題だったら、アメノコヤネの命の管轄というですね、祝詞まで神様があるんですね。

今の時代に、この働きは何の神様でしょうということで考えれば、その働きにそれぞれ神名が付き、失礼なことかもしれませんが、人間が神様の名前をお聞きして、その名を呼ぶんです。ここの商品というのは、全て神様に近いような名前であるわけですね。例えば、計量カップは「みはかり」と言うけれども、あれはアメノミハカリ、クニノミハカリではないですが、みはかりも神から出た言葉なんですね。それは測るということそのものではないですが、そういうものを測るという働きというものを間違いのないようにするというかですね。

天津神というのは、100神なんですね。毎日の中で古事記から出たということで、一音一音も神であるという使い方もあるということで、それを使わせて頂いているということですね。そのように一音一音というものを掴んでいくという時に、天津神を迎えていくことが出来るというかね。天津神を迎えるということは、1つ1つの言葉を、自分自身に迎えると言ってもいいんですね。そういう順番というか、もちろん天津神の中には、それぞれの神話的な働きもありますから、そういうことも迎えるという意味では迎えられます。例えば、天の岩戸が閉じてしまった場合は、アメノウズメノミコトとか、アメノタジカラオの神とか、八百万の神と言ったりしますが、そういう神様の働きによって岩戸が開かれるというかですね。

そういう神話がありますから、また神と現実の世界と一体となるわけですね。我々も祓いは、天津神の世界での祓いをしようと、それを国津神に使わせて頂くと。大祓もそうですね。ニニギノミコトの三大神勅という天照大御神との約束を、地上にもたらすという意味も大祓の一部ですね。

◇順番がある

そういう風に、天津神と国津神とが、我々はいわゆる、先祖の神としての遠津御祖神を迎えた上で、自然と一体となって、次に国津神となり、そして国津神がまた天津神を迎えるという階層性になっています。後は、その働きを交互に使わせて頂くわけですね。天津神を国津神の世界で働いてもらい、国津神は天津神を迎えるという相互的な世界をやっているわけですね。その辺が大事なところになりますけれども、少なくとも神を迎えるということが、一番素晴らしい、人間としての価値となるわけですね。一番イキイキするし、その中から芸術が出てくるわけですね。ですから、人間で言う、それぞれの能力とか、あるいは得意とかもあったりしますけれども、そういうことで差別することは何もないですが、自分が勝手にそういうものを作り出すわけですね。幻影と言ったら幻影ですけれども。

そういう意味の、全ての神の働きの前にはみんな平等ですね。どういう風に迎えるかということの内容ですね。それは自分自身の体の健康もそうだし、情緒もそうだし、あるいは自分の感情が全てだと思うから、道を間違うわけですね。自分の感情、言葉、論理が正しいと思うから、それを人に押し付けるわけですね。そのことによって起こってくることが、争いということになるんですね。ですから、そういうものを一旦、解決しないと、次に迎えられないということになっているわけですね。階層というもの、神を迎えるということは順番があるんだということですね。そのことをしっかりと掴まないと、自分の感情で、人間関係を自分の論理でやると大きな間違いを犯してしまうということがあります。

今回、年祭に向けて暑い中で、皆様方が協力してやらないといけないことがあると思います。沢山の仕事が振られてくると思いますが、その辺りをどうかご容赦のほど、宜しくお願い申し上げます。

ありがとうございました。