0182話:2017年08月10日

Sさん、お客様から質問があったのですが、1つご質問よろしいでしょうか?

「私がずっと罪悪感があり、元々決まっていたアカシックレコードと願望が違う場合、願いを叶えることは神の計画を乱すことにならないのでしょうか?他人に迷惑をかけることにならないのか、そこの辺りは、七沢研究所ではどのようにお考えでしょうか」というお問い合わせがありました。

最近、気づきがあって、色々と現実化を自分で出来るようになりました、という方です。今迄の経験の中で、見えない世界のことをアドバイスくれる方がいて、その人は間違いないなという方がいて、その方はアメリカに住んでいらっしゃっているらしいのですが、アメリカに住むのはどうなのかと聞いたら、アメリカに住むということは有りえない、というアドバイスをくれたそうです。自分は今、アメリカに住んでいるので、そのアカシックレコードの計画を狂わせているのではないのか、と思っているようです。どのような感じでお答えすれば宜しいでしょうか。

 

【七沢代表】

◇主観の範囲

いわゆる見えないものが見えたり、感じたりするというものの範囲というのは、主観の範囲なんですね。主観ということは、哲学的な言い方や社会的表現方法であるけれども・・・。その主観の範囲というのは、人によって広いとか、狭いとか、それぞれあるわけですね。まずは自分の主観を、敷衍(ふえん)と言って、押し広げて、その結果起こることを杞憂と言うんですよね。落ちない天が落ちてくるというような・・・。地球の上の天は、なかなか落ちないですね(笑)。よく予言というのは、そういうものが多いですね。今、予定するわけですね。

自己の主観的なものは、1つの狭い範囲が起こってくることですね。自分自身に起こったり、感じている範囲で、そのことを広げているんですよ。アメリカとか、地球とか広げていく。それを科学的にやるということは物理学であったり、それも個人の科学者の主観にもよりますが、そういうものを一種の霊能力、主観的な能力と言っているんですね。それが、はじめは自分の意識の範囲の中で起こったことなのですけれども、広げた他者との中でも起こる。そして、信仰とか、妄想になっていくわけですね。そうすると、今度は自分もそう思い込むということが起こるわけですね。だから、その方には、その辺の主観範囲のことを言って、この範囲の中で考えたら、こうですよね、そうかもしれませんと、あなたがそう思うのならば、そういうことも起こるのかもしれませんと、そこは私には分からないと言って、そして、もう少し意識を広げてもらう。

1つ避けているのは、その人がアカシックレコードという、あるかないか分からないような記録というかね。今の時代は、コンピューターも記録と演算から始まったのですが、人間に記録という、記憶が広がって捉えることが出来るから、そういう風にしやすいわけですね。

霊能というものには客観性がないから、必ず曖昧さが残るわけです。だから、我々は科学を前提にやると言っているからね。その辺りが主観で起こってくることをどういう風に理解、納得して頂くかというのは難しいところであります。だから、それはこの範囲の中でと言って説明してあげれば良いのではないでしょうか。個々の事例では、延々と続いて話にならないですね。アメリカに行くとか、行かないとかですね。それはアガスティアの葉と同じで、何千年前にあなたは予言されていた、葉っぱの裏に書いてあるということになるんですよ。

◇歴史や学問をしっかりと見据えて捉える

歴史というものの捉え方というものは、昨日からOさんと色々と新しい歴史の物語、例えば、龍宮乙姫などの民話と詩と、徐福が浦島太郎だったらどうなるか、という歴史物語にしたら、民話にしたらこうなる、自分の主観で捉えて、今、言霊ということで捉えたらどうなる、というように、何の物語の筋によるかで違ってくる。それを今日、また1つ付け足すことを気が付きました。要するに、H君を見たら分かったのは、秦氏なんですね。秦というのは、しん、ですね。その末裔の人たちが探しに来た。そういう一族もあるということを、ユーラシア的な見方で見れば、歴史的な物語が書き換えられるなと(笑)。妄想かもしれませんが(笑)

歴史的な話が、現代の話になるように繋げられるようなことも分かったのですが、そういう風に人文の中での古典は、科学ということになると、やはり歴史学なんですね。あるいは、そういうものから発展した宗教を学ぶ、宗教学というのは、非常に客観をもった学問として出てくるのですけれども。だから、それは心理学という範囲のところや丁度、間にあります。カウンセリングとか、役割としてはね、そういう学問をしっかりと見据えて捉えるということが普段、担当者は持っていないと惑わされてしまうわけです。我々は霊能というものを使わない、客観視しているつもりなのに霊能を使っているのではないか、霊能を無視しているのではないのかと思われているかもしれません。その辺も全然問題なく今の時代で、ようやく解決するような時になって来ました。

20世紀に発見された階層性ということの理解が基本にあって、21世紀があるわけです。それはやはり階層性でもって理解するということを、数学的にも、物理学の中でも、あるいはコンピューターソフトの中でも、前提にして動いているということ、それは今の神示や宗教や言語や人文科学、あるいはその先の社会科学の中で、全体を俯瞰しているということを我々がした上での、研究やビジネスであるということが、なかなか受け入れがたい人が沢山いると思います。しかし、それはしょうがないです、新しい時代の前提だから。

◇未然法の祓いで、明日のことは明日の自身が思い煩えばいい

みんなも時間の使い方もあると思いますが、時間の使い方も、20世紀までの予定社会に全部組み込まれていると、今度は不自由になるわけですね。例えば、11日の年祭というものがあるわけですが、その用意でずっとある面では、上手くいくように、という祈りや発信はしているわけですが、それは瞬間瞬間に、そのことが点の連続のようなものとして、意識の中では、本当は脳の中では行われているのですが、そういうものが連続して11日というものに向かっているような、脳内の紛らわしい自分自身の思い込みでやっていることもあるんですね。

それを一旦、例えば、明日であるけれども、もう出来たと、過去形にして、自分自身は、明日は明日でその時に考えれば良いとして、後は、心のストレスや、あるいは、先に未然法の祓いで終わっているわけだから、その時が来た時には、その時で上手くいくということで今、明日に向かってということで、そういうことが、要するに、カルマ、因縁とか、必ずそうなるというか、先程の話ではないですが、杞憂に終わることを自分の中で考えたりするということですね。

それは、はいこれで終わり、明日は明日の風が吹く、ではないですが、明日のことは明日の自身が思い煩えばいい、という切り替えがあって、また明日を迎えるというかですね。そういう脳の自由性を持って生きるということが、非常に大事なところになるのではないのかと思います。

ありがとうございました。