0183話:2017年08月11日

【白川学館祝殿五周年祭文】

本当に早いものでございまして、祝殿は五周年を迎えました。さらに第二祝殿ということで、去年から始まり、ちょうど五周年に出来ました。今日は第二祝殿も満杯で、沢山の皆様方と一緒に祭祀が出来ました。こうしてお祓いが出来ることは素晴らしいことだと思います。

◇修行が出来る場

思いますれば、ちょうど高濱先生がここ甲府に、はじめて白川を伝えてくださった日を思い出すんですが・・・。その時は先生が宙を浮いて、天之御中主神を始め、五神をお迎えすることをされていて、本当にビックリしました。その後、空中浮揚世界大会の常連だった椙村先生と一緒に、10年ぐらい修行をさせて頂いたのですが、浮き上がるのを抑えてご修行をしていたこともありました。

高濱先生と、鶴岡八幡宮で初めて会わせて頂いて、その後、こちらに来て頂くことになったのですが、やはり当時、修行が出来る場所があるかどうかということが、白川においては大事なことだったと思うんですね。本来、祝殿というものは、掘建て小屋のような存在というか、この地表面とご修行する床面が平行になっていないといけません。土と繋がり、その上でご修行をするわけですね。多分、すぐに取り壊してもいいようなものなのでしょうが、だんだん雨が降ってしまっては困りますから、祝殿も若干床面を上げるようにしたんですね。実は、私がご修行を始めてから、先生は京都の城陽市に四畳半の修行場、神殿をお作りになって、そこでも修行をさせて頂きました。修行を受けたのは私だけでした。

そのような場所が京都にあったわけですね。その頃、甲府にもそのような修行の場を作りたいということで、そのモデルが実は兌館なんですね。これは戦前に、下鴨神社のすぐ近くに道場がありまして、それがどのような間取りだったかを先生にお聞きしていました。それを建てようと思ったんですね。最初はこのガレージの中に見えないように修行場を作ろうとしました。

戦前、新宿に白川家の祝部殿があったのですが、それは蔵で覆って、その中に祝修行の場があったんですね。そのような経緯で、ここ祝殿は、大正天皇以来、100年経った時に、いわゆる大正天皇が践祚、大嘗祭をされてから100年目で、これが出来ました。「祝(はふり)の行」をしていないと、日本が大変なことになる、という一種の預言というか、そのようなものが巷間に伝わっていたんですが、先生にお聞きしたら、そんなことはないと言っておりました。しかし、不都合な文言があるということは、それにちゃんと対応するということで、このような場所で祝部殿の修行を始めるということであったわけですね。もちろん昭和でも、先生も戦前もやっておられたわけですがね。高濱先生の「甲府で守りなさい」という遺言がありまして、この祝殿でということに繋がるわけですね。

白川の神々を祀りましたし、全国一ノ宮の神々を祀るのが、当然の白川の役割であると同時に、天皇の役割になるわけですね。もちろん宮中三殿というものがありますから、少なくとも「祝の行」を、いつでも出来る体制になっていないといけないということでありますね。

◇伝えるとうことの難しさ

天皇陛下が退位ということを言われておりますが、伝えるということの難しさは非常に感じております。やはり、ノンローカルブレインという、非局在脳の講座も、我々は関わっておりますが、どうも遠隔的なもので伝えるということは、今までの学びの中で、確実にそのような技が開発してあるというかですね。その上で伝えるべきものは伝える、ということです。

150年前までは、御所の中でそのような技が天皇家の身近な場所で行われていたというか、白川家がありましたので、出来ていたわけでございますし、仏教でいうと、宮中の真言院というものもありましたけれども、非常に身近にお仕えする、お伝えすることが可能であったわけですね。この時代に我々が、もちろん一つの手段として、非局在的なところで知識、あるいは学びが出来るということは、すでにネット社会というものが一気に進んで可能であるということも、ハッキリとわかってきたわけですね。

我々もそのような意味のコンピュータ社会、あるいはネット社会というか、いわゆる網の文明というか、我々はこの30年ぐらい、その開発に関わってきてですね、ですから、網の文明の中で、高濱先生の家族関係者も非常に大きな投資をして頂いて、我々の今もあるということは、そのような意味の感謝であります。この場をお借りして感謝申し上げます。

一種、このような日本の民族に遣わされた使命というのは、すなわち日本語であったり、鎮魂であったり、天皇ということであったり、言霊ということでありますから、当然、白川がそのようなものを守ってきたし、これからも守ることでありますから、色々の試みの中で御所でお祓いをあげたこともございます。九条家の、御所にある、昔の茶室を使って祭祀をして、あげさせて頂きました。御所というところに、今やこだわることではないのですが、もし必要であれば、京都にお返しすべきものは、京都にお返しすることも、やぶさかではありません。

◇「カフフ」神の第一の都

この「カフフ」というか、この甲府は、ちょうど開府500年になるのですが、我々がこの言霊と、おみちとをですね、甲府で始める時に、近江八幡の宮司の横井時常さんにお話した時、「カフフ」という、神の第一の都だと仰っていました。それが甲府という意味ですよ、と。どうぞ甲府で頑張ってくださいと言われました。

甲府で先生が7年間、京都から通って頂いて、ここで守りなさいという遺言でありまして、ですから、祝殿というものを第1、第2で作ってまいりましたが、まぁ、皆さん想像される通り、第3祝殿を作っちゃおうというか。井坂先生はもう頭の中に、この第1祝殿を作る時に、次というか、見えていたようですが、多分、これからも沢山の皆様方にお力添えをお願いすることになろうとは思います。イスラエルの第3神殿というわけではありませんが、第3祝殿という大層なことになります。その時は皆様方、どうか宜しくお願いしたいと思います。

今、門人は400名を超えて、このおみちを聞かれた方は、白川学館をはじめてから800名を超えましたが、甲府で聞かれた方を含めますと、ゆうに1000人を超えております。つくづく、このおみち、あるいは言霊、あるいは鎮魂というものが、公家と宮中というか、日本の民族の一番安全な場所というか、そこで守られてきたというか、今それが統合されて提供できるような形になってきたんだということをつくづく思います。その統合された一つの真理として、さらに学びやすくなることが大切なことですね。言霊も、鎮魂も、白川の祓いも、どれ一つとっても、一生かかってやるようなものというか、たまたま私の代では、皆様方のご協力によりまして、あるいは科学の進歩の後押しもありまして、本当に中身がシステム的に、あるいは科学として理論的に学べるような形になってきたということは、時代の恩恵なのではないかと思います。

◇幾何級数的な科学の進化、発達

まぁ、私の代でも、待つべき時間は何十年とありましたが、この時代、幾何級数的というか、一気に時代が開くというか、科学というものの進化、発達によって、どう学んだらいいか、短期・大量・超高速・高品質という工業的生産のもの作りの基本なんですが、そのような意味合いから、我々はソフトウェアを作るなんてことをやってきたこともありまして、そこに短期・大量・超高速・高品質であることも大事ですが、さらに高品位にするというか。テレビもそのような時代もありましたが、その先のまた品格というか、そのようなものを前提とした社会、工業化社会から、もちろん農業、商業ありますが、さらに知識社会、知識をまた、うまく人類の進化に使う情報化社会という発達段階があろうかと思います。それによって、コンピュータも進化するわけですね。

最初は機械の中に手順を取り入れるサイバネティクスであったものが、さらに工業化の段階で、コンピュータが記録と演算ですが、特にコンピュータの働きですが、計算するということが全てのところで役に立つということがあって、計算事務機になっていくということが、コンピュータの一つの代名詞、呼び方であったわけですね。そのようなものから、いつのまにか知識というものを扱う事務機になり、そして今の時代は、それがITというか、人工知能というところにまで来て、人間の知能を超えるという限界が、2045年には来るんだという。機械の記録、演算というコンピュータが人間にとって代わるような知能の形成をするというようになってしまったんですね。そのような中で、急激な、そのような70年、戦後ですね。

IBMが大砲の弾道計算を戦前にしていて、どのような角度があれば、大砲がより飛んでいくのか、ということの計算をする機械が最初のコンピュータだったんですね。それがいよいよ人工知能というところにまできております。