0187話:2017年08月11日

【五周年祭直会 その3】

私も歌を作っていたのですが、ある時、奈良先生がダッカに行ってしまって、作った歌を部屋の柱に貼っていたら、Nさんが来て、これは流行歌だなと言って、それ以来、歌を作るのをやめました(笑)。今回は50年ぶりというか、初めての作品ということをお聞きして、ビックリしました。素晴らしい歌で、それを今度はNさんに見せて、これを作曲してくれないか、ということを言ったら、次の日に主旋律を持って来られて弾いてくれました。

その時に、二上山、二上山と聞こえてきて、キーボードから日本語が聞こえてきたんですね。私は不思議な感動が湧いて、それで是非お願いしますと言いました。それで今日、バイオリンのHさんと、ビオラのNさんと、4オクターブの持ち主でもあるMさんとの素晴らしい演奏になったわけです。本当はMさんのお姉さんが歌手であるのですが、出来れば大津皇子と大伯皇女の、お姉さんと弟の関係を歌って頂ければいいなということだったのですが、今日はお姉さんがお仕事で高知にいて来れなかったのですが、今日は一人二役でやって頂いたということでした。何から何まで新しいものでした。古い日本の歴史の1コマですが、Mさんが一度、みんなでリハーサルをした時に、鎮魂は何ですか、と単刀直入に聞かれ、絶句してしまい、しばらく考えて、その時、あぁそうか、という気付きがありました。

◇人類の平和に繋がる道

鎮魂というものは、鎮めるというレクイエムとか、最高に命を発揮するという説明知を持ってきたのですが、やはりもう一つは、魂を上昇させることというかですね、それも鎮魂ということだと。魂が上っていくというかですね。その姿がありありと今日は歌の中に現れているのかなと。

その大津皇子と大伯皇女の二人が、二上山の雄岳、雌岳になっていくというのが、私の感じたことなのですけれども、そのことと同じように、鎮魂によって人が神と一体になるんですよね。二上山(ふた「かみ」やま)ですね。まさにそのままの言葉ですが、神になっていく過程が、鎮魂でもあるということを今回は学ばせて頂きました。身が固くなるほど緊張し、身がひき締まるほど清く美しくというかですね。自分の魂が一緒に精神の高みに上がっていく、そこに引っ張られて入るような感動が、この歌の中にあるのではないのかと思いました。

日本語の温かいということが愛になり、愛が慈愛、慈悲や、神の無償の愛になっていくという階層知で、情緒というものの階層性が、はっきりと理解することが出来るのではないのかということを感じました。素晴らしい一生忘れられないような、凄く嬉しい思いが湧き上がってまいります。皆様とこれからもこのようなオリジナルというか、一番古いことが一番新しいことで、今そのことを掴めるという詩や、歌や、形などの芸術として掴んでいくということが、そこがきっと精神の王道というか、中道というのか、ど真ん中ということですね。

人類に人間としての温かさの上り詰めた創造者の愛が、再び意識の中に戻ってくれば、それが人類の平和に繋がる道なのではないのかということを今日は特に感じました。五周年ということで、皆様と共にこのひと時を味わえたことが本当に良かったと思っています。

今日はありがとうございました。