0195話:2017年08月28日

◇世界にもう一度問うてみる

私たちはどちらかと言うと、一つのテーマでしつこく研究をしていきます。その成果がいよいよ、あちこちでもって出てくるという時に来たのかなと非常に感じています。我々は続けるというか、持続するということを色々なところでやっていますが、多分それが、歴史からすれば2500年とかですね。そういう25年の何倍か知りませんが、そういう世界と言いますかね、それがきっと今回の浦島太郎の話も出るわけですけれども、きっとそういうことと繋がると言いますかね。ある面では、人類の為にと言うか、言霊を残し、神というものを残した、そういう日本の天皇家の知恵というか、そういうもので出来上がってきた、日本に残してくれた内容だと思います。いよいよそれを明確にしていこうというか、我々の意識にのぼらせて、世界にもう一度問うてみるということをしようとしているわけですけれども、最先端の技術というか、科学というか、そういうものをもって解明しないといけないということがあって、その歴史の中で科学の始まりの時代の、秦の時代の最高の科学というと化学と本草学と言いますかね、薬ということになりますけれどもね、そういうものを、きっと日本から良いものを取り込もうとしたというのは、そういう本草学の部分は取り込もうとしたんですね。

だけれども、言霊のところは取り込まなかったということは、多分あると思います。人間の為に役に立つということと、それが見えないからと言って、それが出来ないことではないわけですね。主に超能力というものは見えないわけですね。結果は見えたり見えなかったり、感じたりする部分がありますが、我々は基本的には幽祭で、見えない世界を研究しているところがあって、そのところが論理的にも、あるいは科学の上でも確かに見えないものが見えるように思考され、表現されて、それが科学になるというところに丁度、行こうとしている、移行しているわけですね(笑)。

◇地道なこともちゃんと出来なければいけない

そういう時に、丁度、学びをみんなでもってやると言うかですね。その態度というものは、結局は装置で言いますと、コンピューターはバグがあったら正しい作動が出来ないわけですね。完璧なものにするという時には、1本1本草を抜くようなことを農業の基本として、私も言葉では学んだのですが、親父がお前は農業には適さないと言われたので、全部機械で刈ってしまいなさい、出来っこないからやめなさい、ということを言われました(笑)。その理由が草取りを見ていて駄目だということでした。

1本1本抜くということは、コンピューターのバグを取るということに繋がる、そういうソフトウェアに繋がるポイントになる、それがまた大事な役割になるんですけれども、そういう地道なことも、ちゃんと出来なければいけないということもありまして・・・。機械、装置に置き換えるということは、ある面では、大雑把なように見えますが、その中では、精緻にリバーシブルと言うか、裏から表から、どちらから行っても辿り着くようになっているという整合性がないといけないわけですね。そういうエンジニアリングの中で、それが実現できないといけないことで、結構、大変なことでありますね。それをするということは前提ですが、そのことをする時の人の態度というか、スタンスというか、それがやっぱり25年の間、地道に研究をするというか、そういう中で分かったことが非常に大事なこととして、それを大切にするということの、我々が少なくとも、そういうものを求めているということを知って頂いて、それをやらせてくださいと言った時に、許可がおりると思うんですね。誰にもというわけにはいかないと思いますが・・・。そういうことは、結局は、前にも言いましたが、真面目な1つの対応であるというか、真面目に生きてきたという結論が祓いの中にありますね。

◇真面目さ、真摯さ、真実さ

その境地というのが、天照大御神の荒魂と和魂ということに分けられていますが、それが八十禍津日神、大禍津日というのは、天照大御神における荒魂であるし、大直日、神直日というのは、天照大御神の和魂というかですね、そういう魂というものは、もちろん荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂という五魂になっていますが、そういうものの動きというものは、本当にどこにも誤りのないと言いますか、精緻な、真面目さというか、真摯さというか、真実さというか、そういうものが魂というものの中に息づいているというかですね。それを近代では、哲学と言うか、意識の世界では精神という言い方をします。その精神というものは、本来は精魂に精というところにもあるように、古代、上代から言われてきたことは、精緻で、真面目なことの統合なんですね。そこがポイントになるのではないかなと、少なくとも日本人というのは、真面目にやりすぎて、少し行き過ぎた部分がありますが、それは1つの生き方の結果のあり様というものだと思うんですね。真面目な対応ということの事例はいくらでもあるわけですね。

昨日、日本昔話を孫と一緒に見ていたのですが、結局そういうことが真面目に生きるということが、大切なことであるということを、昔話はほとんど言っていることでありました。自分の都合の良いことをやるということでなかったんですね。その辺りは、資本主義がいかに人を誑かすと言ったら失礼ですが、そういうことが駄目な行為ということがだんだん分かってきて、結局それを知ることが、資本主義ということの大きな転換点になるというかですね。もちろん、そういうことも知っているが、自分自身はそういう行為はしないということがポイントになるのではないかなと。「蛇のごとく聡くあれ」ということが、聖書の中にありますけれども、そういう世界というのは、そのまま実践してしまうと、非常に人を惑わすということに繋がります。そういうことではなくていくということを、民族がずっと初めから終わりまでと言うのか、あるいは縄文期の長い時間の中で生きてきたところは、まさにそういうことがあるのではないかなと。真面目さというか、真摯さというか、真実さというか・・・。真実に向かっていくという方法論で全てを実現していくということが、少なくとも、それが東洋に広がっていった大事な生き方があったのではないのか、ということを思うんですね。その辺りのところをもう一度、問われるわけですね。ですから、アフリカに様々な投資をするけれども、どこか違いがあるということは、そういう単なる自分たちの名前の為とか、他に援助したら、ものを色々と買ってくれるというかですね。

自分たちの利権を取る為にそういうことをするのではなく、あくまでもアフリカの人たちの一番良い暮らしが出来るような、あるいは、より良い生活が出来るような方向に向かって援助しようという意識は、日本の援助というのは、そういうものに必ずなると思います。まわり道になりますが、最後には分かって頂くというような形で、援助を出来れば良いのではないかと思います。そういうことを含めて、我々は今、精神的な悩みや、様々な解決していかないといけない問題に対して、どういう形で、このロゴストロンと、白川、言霊、鎮魂の3つが役に立つのかということを明確にしていくということが、大切ではないかなと非常に感じています。

これから益々、みんなが求めて下さっているし、これからも求めに応じて、それが役に立つということを前提とした生き方の中で、そのことを丁寧に大切にやっていくことと言うかですね。皆様方は、当たり前に思っているかもしれません。その辺りが、日本が、おみちが役に立つ内容ではないのかと特に感じまして、そのことを今日は話させて頂きました。

ありがとうございました。