0204話:2017年09月08日

◇「手」にまつわるもの

朝、圀手會の扇子が届きました。とほかみではないですが、十神書いてあります。ついに、国の手の神様も入りました。国を守る為に、天地人の慰めということを昨日言いましたが、そういう意味では、非常に天と地と具体的な人の働きと分かれているわけですけれども。元々、手に関わる言葉は沢山あるというかね。

私達は毎日、手振りをしているわけですね。榊の格好を手でするわけですけれども、圀手會のマークのところが両手を合わせた五角形になっていますね。そのように、手振りと記号と文字とほとんど一体となったようなものが出来ました。それは密教でも、仏様の印が全て違うということを言いましたね。大日如来の印とか、全て違うんですね。菩薩も含めて500以上あります。

白川の印は少ないんですね。高御産巣日神、神産巣日神というか、一般的には人が葬儀の時には、手を高御産巣日神、神産巣日神とやって自らの身を守るというかね。親指を隠すというのは、言霊で母音を言わないと日本語は言葉にならないわけですね、丁度、母音を隠すと思考に移れないという意味があるのではないのかと思うのですけれども、手振りは、白川では第3種では60数回も叩きますけれども、一の宮の神を迎えるとか、手振りで出来ているんですね。

第6種の拍手も、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂というように、手振りなんですね。まさに手を振るというところから、布を振るところの比礼(ひれ)の神宝に発展いたします。さらに、天皇の健康の為に、天皇の御衣を揺するのもありますが、それは元々、比礼を振る、布ですね、布を振るというところから来ているんですけれども、そのように手を振るということが元のところですね。手話なんかも、手で全ての言語を伝えますね。表情も加わって伝えることもありますが、手にまつわるものというのは、日本語でいっぱいあるわけです。この間も、祓いをする前に神様ですね、祭事に繋げてくれる神様がいます。それも手の神の1つで、手置帆負神(たおきほひのかみ)ですね。色々と八方手を尽くすではないですが、手が色々と、コミュニケーションもそうですし、握るというかね、握手もそうですけれども、約束までそれが広がっているわけですけれども、まさに白川は手振りなんですね。御手振りという言い方をしますけれども、それでもって、神拝作法というものを手で表現するというかね、そういうことがあるということをひとつ知って頂きたいことです。

◇三階層から五階層へ

もう一つ、今日感じたのは、心気体というかですね。心と気と体というかですね、そういうもので宇宙情報系ではないですが、幽子情報系、顕在的な情報と見えない情報の分け方をすると、気というのはそういう世界ですね。気は情報であり、ギリシャ哲学で言うところのイデア、そういう精神と言ってもよいと思います。心というのが、魂とか、精神というものになっている。だから、今、丁度、間違えやすいように、気の中に精神が入ったり、心の中に精神が入ったりと区別がし難いわけです。それは階層が三階層でいくのか、五階層でいくのか、ということですね。心気体と三階層でいく場合に話しが混戦してしまうのですね。

取り敢えず、その心気体の三角形が1つのアインシュタインの先の、1つのニューパラダイムというのですかね、法則がE=mc2だけではないというかね、エネルギーと物質だけの関係ではなくて、そういう見えない情報というか、気というものが存在していて、それが心気体、そういう分け方になるのかなと。それは現代における三階層でもって分ける時の捉え方ですね。それを五階層で捉えると、神という存在と、それは気の中に、神気ではないですが、神の気、あるいは神霊という言い方を分けないと解らない。神と霊と気が一緒くたに入っているわけですね。だから、五階層というのはなかなか分かりづらいわけですね。そういうものが初めて心気体という三階層の省略式であったものを、五階層にしていくというのが新しい時代の捉え方というかね。そういうものは密教というか、秘密の教えとして伝わってきました。密教も本当は五階層なんですけれども、それはなかなか見えないようになっています。秘密の教えというようなことになっています。

白川も神、霊、魂、情、体、社会的役割としてのカミ、キミ、オミ、タミ、イミという五階層のところも、秘密の教えというかね。五魂も秘密の教えになっていたから、なかなか心というものが、心コロコロというように、転がって掴みどころがないものだったんですね。そういう状態になっていた心を五魂というところで、しっかりと見つめるという方法が出来たということですね。それが実は精神になるんだということですね。これも明治以降になって、西洋哲学が入ってきて、精魂(くわしみたま)の精という上代語で、何千年も使ってきた言葉を西洋哲学の説明知としてようやく知られることが出来たんですね。

そういう風になかなか見えないですが、その3つの世界が実は5つであるということがだいぶ見えてきました。丁度、階層にある更に繋げていくようなものは色々とあるわけですね。物質としての生命をどこまでも細胞レベル、あるいは分子のレベルで、あるいは原始のレベルで捉える時に、生命の最小単位は何かということを考えた時に、ソマチットみたいな生命物質というところまで概念として出てきたり、そういうものが観測されたということが言われているように、細胞レベルで小さいものから大きいものまで、それを繋ぐものは何なのか、それは生命体なのか、単なる物質なのか、色々なことが出るわけですね。だんだん細かくなってきて、一見、階層がないように見えるのだけれども、もちろん一気通貫で、命というものの流れがあるわけですね。一方では、全体の中では分かりづらくなって来ているわけですね。

そういう中で、細胞も幹細胞とか、そういう概念で4つくらいの幹細胞があるということで、そこから人間の生命の営みを解釈するようなものまで出てくるわけですね。そういうものも最先端で研究されているけれどもね。あとはSTAP細胞はあるということも言われますけれども、そういう際のところに繋げていくところに来ているというかね。三階層なり、五階層なり、あるんだということを知らないと、その中に埋没して分からなくなってしまうということがあると思うんですね。
我々は特に神という見えない存在だけれども、そこをどこまで迫るかということが大事なところだと思っています。

◇どの神でも迎えられるようにメッシュを細かくする

神というものを情緒の中で掴むとすると、どこまで行くのかとか、知として行くとどこまで行くのかとか、そういう宇宙の創造意志というものが1つの創造される意志というところまで、人間の知情意とどこまで繋がるのかということが大事なところになるんですね。一番難しいことは神の位置というか、神というものを知る為に、掴めばこれほど楽しいことはないと思います。仏教で言うと、自由自在になるということが、甲野君と若い時に、彼が武道を始める時に、大自在ということを掲げてやっていたことがありますけれども、仏教で言うと大自在天ということになりますけれども、神道の神は魔法のような全てのことを司る神という言い方は、最初に出てこられた天之御中主大神を最上にしていますが、1回出てきたけれども、また元に戻ってしまったという神話ですからね。その神様というものの沢山の働きを身に受けるということで、今必要な限定的なわけですね。万能な神という言い方は、ほとんどしないわけですね、太陽系の中の太陽は天照大御神ということになっていますけれども、少なくともそういうどんなに大きな宇宙がなろうが、小さかろうが、働きというところに大事な言い方があると思います。ですから、どの神でも迎えられるようにメッシュを細かくして、その時その時の働きが出来るようなことが多神教というか、沢山の神様がいることの利便性の内容というかね。

だから、国の神様を国手主神(くにてぬしのかみ)ということで、名付けさせて頂いたんですね。働きとして言霊でいうと、そういう働きが起こるということですね。そういう世界で、もっと自在な世界なんですね。神様を人間が名付けることが出来るということで、幅の広い世界があるということですね。その働きと自分が1つになると、その働きが出来るようになるというところが、神道の非常に大事な部分ですね。もちろん、勝手に名付けるわけにもいませんので、これでよろしいでしょうか、ということをお伺いする必要があるわけです。

少なくともそれを通じて、我々が神というものを掴んでいくというかですね。その世界を掴む為に、遠津御祖神から徐々に自然の神様、言霊の神様というようにその働きを身に受ける、迎えて、その働きを共にするということが、この楽しみというかですね、非常に意気に感じるところではないのか、ということをお伝えしたいと思い、今日はお話しさせて頂きました。

どうもありがとうございました。