0205話:2017年09月09日

◇知情意の新大陸

丁度、9月となり、来年に向けてイベントもそうですけれども、新製品開発を含めてということで、それに伴う人事関連もそうですが、色々と検討が始まっています。もちろん、9月会計年度をもって、ひとつの実りということで、去年の10月から今までの決算で終えるということもあったりして、また始まりということにもなっています。様々な提供するものがあります。哲学やその国の思想、文明等の文化面を提供したり、具体的な装置としてのロゴストロンであったり、それに伴う各種のイベントも沢山あって、新しい発想だけでなく、縄文期から伝えられているものもありますが、広い範囲で提供するものがあります。

もちろん、それがひとつの知の新大陸というところに向けて広げていくということになります。知だけではなく、知情意ということで、芸術の世界もあったり、あるいは国の方向性とか、世界の倫理とかの方向に向かっていったり、進化していくものも伴っています。知情意は、古い哲学の分類から見ても人間の営みから見ても、様々なところから新大陸が広がっていて気付いたことを早めに人類の役に立てるようなものに変換する役割があるということですね。単なる物の製造、販売ということだけではなくて、人の哲学、文明論、芸術、音楽の提供というところまで、あらゆるところに場面が広がっていて、何をやってももちろん、それは新大陸ですから、一日歩いた範囲が自分の土地となるような、アメリカの新大陸と同じような、そういう自分の意識した世界が自分の新しいテリトリーになるというかね。そういう知情意の新大陸、それは新次元かもしれません。そういうところに、今や行こうとしています。たまたま日本文明、あるいは日本の技術や芸術が日本人は奥ゆかしいから世界にまだ知らせていないんですね。それを我々は出そうとしてます。

それは祓い、鎮魂、言霊というものは、それぞれ縄文期から行われてきたことであるし、今まで大量な実験を行っているというかね。個別にあったものを統合していこうとしています。知情意、科学、芸術、精神などを世界に向けてお出ししようとしています。既にその情報は大量にあるんですね。民族の実験を繰り返してきてあるということが大事なことですね。その上でこれからの全体像が世界に向けて明らかになってくると。もちろん、文明対文明がアジアの中においても交流があったというかね。縄文の頃は、太平洋に万年単位の中でも行ったというのは、今度のオーストラリアツアーのイダキ(ディジュリドゥー)の事例も、日本から伝わったということでした。アイヌ自体がイコール縄文ではなく、混合体であり、元々は富士山の周りにもいました。そのことろは、フチ(富士)アイヌと呼ばれていました。日本列島の中心にも浸透していたそうです。

ユーカリの伝承にもあるように、大量な神と人、人と人とのコミュニケーションが叙事詩として演じられているわけですが、元々は縄文人と北方民族との出会いなんですね。それは各地にあるわけですね。1万年という単位があれば、様々な民族が交流しているということですね。アボリジニーまでも広がっているということが今回の我々のツアーでは、そういうことの証明をやるわけですね。その楽器というものでの奏でる原始的な音楽と言いますか、富士とブルーマウンテンの大地との共鳴共振してこようということもありますけれども、そういう非常に万年単位で培ったものを今、現代において、どういう文化というか、文明ということの中で、それを切り開いていくかということが大事なところですね。それを含めて、我々がやろうとしていることの中に組み込まれているというかね。

こういう時間軸を脳内で未来に行ったり、未来から現代に戻ってくるとか、タイムマシーン的な脳の機能を使わないと間に合わない。思考が追いついていかないわけですね。そういうこともあって、動物で言えばチンパンジーと別れた700万年前に一体、原始人類の端緒が開かれたのかというところから発想をしなければ、今の進化の問題は追いつきません。進化学をテーマにして捉える捉え方が必要なんだということですね。要は、縄文とアボリジニーとか、縄文と白人種というか、いわゆる黒人種から白人種にいって、白人種から黄色人種に移行する話しはいつもしているわけですけれども、黄色人種と白人種の中間にあるような話しですね。黒人が16分の1で白子が出来て、白子が白人種を作る源になるのですけれども、その間にあるようなところが、縄文の種族だということが、幹細胞的なDNAを調べると分かってきています。少なくとも、古い原始的なものが交流をして、色々争いや統合が行われていくと。モンゴロイドの前のクロマニヨンとネアンデルタール人の頃からのそういう風なこともありますけれども、北京原人ということを言うと、30万年~40万年というような原人の頃の月日があるわけですけれども、そういう発想の世界に飛ばないといけない。今、本当に当面している日本だけではなくて、アジアの危機というものが前提となって起こっているんですね。戦前に大アジア主義と言う形、統合ということを考えた時期もありましたが、そういうものの交流ということですよね。

◇日本の文明の正体をずっと探し求めていた渡来人

秦の始皇帝の話とか、今回そういう徐福を浦島太郎の話と絡めたひとつの本を現在作っています。そういうアジアというものをひとつの2200年くらい前に、中国が統一王国になるくらいの話であります。当時、日本は蓬莱の国と言われていました。不老長寿など人類の問題を解決する秘訣があるということで、徐福が日本に来るということになりました。その系譜はずっと続いています。

日本が言霊の国という風に最初に言った人は、たぶん中国か百済を経由して来た。山上憶良は渡来人なわけですね。そういう人が初めて日本が言霊の幸はふ国と表明するわけですね。それは日本人ではないわけですね。日本語を学んだ中国人か、百済の人かですね。そういうことの歴史は、近代の中では、様々な亡命者や中国からの留学生がそういうことを培ってくれたというかね。日本の文明ということの正体は何かということを、ずっと探し求めていたと思うんですね。それで日本に亡命、帰化しても良いという人たちが沢山いらっしゃるわけですね。それがなかなか出来ないこともありますけれども。そういう中で私は15年ほど前に関わったお医者さんの李為民先生もそういう人でしたね。中国では一番の外科手術の使い手というかですね。日本人が一年間かかってモルモットの標本を作るのに、この人は2日で出来るという超名人がいました。

この人が東大の麻酔科の基礎に入って、花岡先生の研究室で学ぶのですけれども、その時、私は7年間くらいは毎週土曜日に日本文化を説いたんですね。それで、循環器系統では日本で一番になりましたから、日本に帰化してもらいたいと思ったのですが、やはり色々とあって中国に帰ることになりました。結局、中国の一番の医科大学でやっていることは、異文化交流の講座をやっているわけですね。日本文明というのは、その間は、沢山の錚々たる文化人が日本に学んでいるわけですね。その中で日本文明というものの正体が充分に分からないまま帰らなくてはいけなかったり、志半ばで日本で亡くなってしまうということもあって、非常にそういう残念という思いが残っていると思います。今、胡蘭成という人、昭和の時代、私達も影響を受けましたけれども、そういう人たちが学んでいた日本の文化というものと、彼らが気がついた世界を9巻くらいの全集があるのですけれども、そういうものを日本語に翻訳して出したいということもあって、これはKさんにも、いよいよその辺りをやってもらう為に、甲府に来て頂こうということもあるのですけれども、色々なものが異文化交流の中で出てきて、日本の役割というものが徐福の伝統だけではなくてあるんだということを、秦の時代は、世界の最高レベルの医学が発達したわけですが、その時に、日本に不老長寿の薬があるということで来たわけですね。そのことをはっきりと今もまた同じようなことが起こっているんだということを、その辺りの概念としても具体的な事例としても、そのことを出したいということですね。

我々が言霊と鎮魂と祓いということで、もう一度、統合した日本文明の形を提供できれば、より分かりやすくですね。当時は、日本語と言霊と鎮魂、祓いというものがみんなバラバラでした。各王国というものが、日本という大和王権、要するに君が集まって、大君を選ぶんですね。大君が統一王国になるわけですけれども、その中で、縄文由来の文明を密かに受け継いできた。それは神武天皇の時にも熊野の地の縄文から、新しい大和になる前提としての文明を、縄文から弥生に移し残していたと思うんですね。その伝承というものが非常に大事なところであって、そのところがしっかりとですね、日本もその時代で、縄文から弥生へ見事に伝承したように、あるいは、国譲りという形で出雲から大和王権に譲っていったような形が、戦ということではなくて、そういうことが行われているわけですね。その約束事が、この現代においても必要なのではないのかと。

◇天命というものを人智に落とし込む

125代という時代の天皇を擁した、この日本のなぜそういう大君というものがあるかというね。文明の集約体として全ての祓いと鎮魂と言霊というものが、天皇という形でそれを統べるというかね。スメラミコトとして出来上がってきた内容を今、知らなければいけない。世界に向けて、こういうことだったんだということをはっきりと知らしめるということが必要なのではないのかと。そのことの技(ワザ)が科学であり、芸術であり、哲学であります。そして、それ全体が日本文明である。世界に伝承したいけれども、密かに玉手箱の中にあるということだと思うんですね。

そのことを色々な形で機会均等というか、機械装置としてのコンピューターというものを用いたロゴストロンという形をとって、脳の安定、発信する装置を今の段階で伝えるということですね。それによって、人類の意識進化と言いますか、知情意の全般に渡って貢献できるということを実験的にお出し出来るということが、この時代における我々の役割ではないのかなと思っています。先程の大アジア主義ではないですが、アジアにまずは知って頂く。それは元々アジアの人たちの理解が非常に早いというかね。多民族国家として日本は、そういうものを受け入れてきた歴史でもあるんですね。

縄文の上に階層的にその人達が時間の差はあっても、暗黙の了解の上に培ってくれたアジアの人達ではないのかと。それはインド大陸も含むということもありますが、それが日本に知として、情緒として、芸術として集まってきているんだと。その萌芽というか芽があると、種があるんだと。それをこれから育てて花開くものにするということが、アジアというものの全体の中で、最初に可能になるわけですね。ユーラシアというわけですから、ヨーロッパもそういう意味では、今の人類文明の中で行き詰った中で、ここまで進化したわけですけれども、それが一神教文明の主導によって、全地を覆う時にあたり、足りないところがあると分かってきたわけですね。その辺りで、まずはアジアというものを単に貶めるというか、人種的に思想的に貶めるということではなくて、世界に必要なことがあれば、そこからとってもらおうという思いでもってやる必要があると思います。この時代だからこそ、消えようとしており、アジアの人たちが人類を思う中で、日本文明に触れることによって、そういう交流が起こるし広がりをもっているというかね。

日本文明というものが、単なる一民族の為の生き残る術ではなくて、人類が生き残る、あるいは人類と共に命あるものが生き残る道、それはもちろんアジアの仏教の中にも、道教の中にも様々なものの中にあるわけですけれども、そういうものがアジアの源泉である。それを全部さらけ出して、原始的なものではなくて、今の時代に必要なものとして可視化して、世界に提案し提示して、みんながより良い形で生きられる道を開けるようなことをしたい。そういうことで圀手會というものがありますけれども、単なるそれが国を癒やす人という意味ではなくて、人類を癒やすという広がりの中で、それが本来の博愛というかね。そういう表現があっても、それをどうしたら良いか分からないということで苦労しているわけですね。その辺りを今、我々が提案することが可能ではないのかと感じています。

圀手會も人類を癒やすという意識で始めることが出来るということで、世界に対して役に立つのではないのかということですね。ですから、我々が一番身を守るというとおかしいですが、守破離ではないですが、まずは守るということが大事なんですね。我々の本体は、攻撃を受けて歪むのではなくて、攻撃も逆吉にして自らを守りながら、更に強化して、今度は問題点を指摘しながら、こういう風に解決できるという癒やしの方法を提案しながら、客観視できるような戦略を立てないといけない。その為に、科学というもの、あるいは芸術というもので問われても充分に大丈夫というところで、それをやっていくということが大事なことだと思います。特に白川もそうですけれども、何をしたらいけないということはないわけですけれども、それはきっと、より良い法というか、絶対法というか、それはそんなにあるわけではないし、我々のDNAの中にあるし、そういう道を歩めるように人類は出来ていると思います。それが人類の自覚の中に出来てきた時に具体的な可能性を持ちます。人智を尽くして天命を待つではないですが、天命というものを人智に落とし込むという方法があるわけですね。そのトレーニングを今、我々はしているんですね。

◇経済ではなく本当の意味の政治

天命、ミッションとも言いますが、天津神というものが何なのかということを知るということが非常に大事なことです。その古い大祓にしろ、古事記にしろ、天からの導きである、物語、神話ですね。そういうものを現代で説けないといけないんですね。ですから、神話を持たないという選択肢もあるかもしれませんが、そういう神話になりうるような1つの思考というか学びというものが、まず前提として日本にある神話を基にして、問うてみるということが大事なことではないのかと。その為には、中今とか、天津神とか、多神教、時間論というものが現代の科学において、いささかも古くなく使うことが出来るようなものを、日本語と言霊と鎮魂と祓いの中に含まれているということですね。それをベースにして、思考する、新しい人類のストーリーが可能ではないのかということですね。新しい人類の神話、ストーリーを発達した科学や芸術を通じて表現してみるということが大切なことだと思っています。

我々は何かにすがるわけではないですが、今の状況では、国と国、国民と国という関係に制約されていますが、そういう中でより本来の国というものが、中国で言うと、漢字の中で国構えの中が玉であったものが、則天武后の時に、口の中が地域の域にしますね。日本ではそれが水戸光圀の和字になった時に、国の中に八方と書きますけれども、そういう風に国が広くなって変化していくわけですね。神武天皇の時にそういう発想「六合(りくごう:クニという意味)」を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)にせむ」が出てくるわけですけれどもね。そういう国の広がりを国之御柱という捉え方が、日本では定着しています。そういうところを国と考える。

我々は経済というところで、ある面では縛られているけれども、それが今の唯一の国というものが持っている単位であるから、それが資本主義を超える道というものを提示できれば、それが世界の解決に繋がる一歩ではないのかと思います。そういうものを具体的なテーマとして頂きながら、また解決する道を考えるというかですね。そういうことをやっている仲間だと思います。

今の段階で、いわゆる過去の国というものが今、世界の中にあるわけではないかもしれませんね。グローバリズムの中にあるかどうか分からなくなっているかもしれませんが、その中でも同じグローバリズムではないわけですね。それは人類というものの、共通の守るべきものをベースにしないといけない。そういうものの表明をみんなしようとしているのですけれども、なかなか出来ないところではないのかと。経済ではなくて、本当の意味の政治が行われているということが綺麗に説かれていないといけないということであると感じています。

そんなことも含めまして、これからも来年の用意が始まっていますけれども、ワープにおける新しいテーマのライフチェンジとか、その為の前世を知る機械というものも新しいロゴストロンという形で開発を進めています。あるいは、今のフトマニの里というものも、あるいは鎮魂道場もドンドン進んでいっていますけれども、この時代に人類の為に本当に役に立つことが出来るかどうかが問われる時の、いよいよ後半の9月からそういう用意を今させて頂いているのではないのかと感じています。10月から始まるまた新しい年次の道をこれからやっていくと、そして次に進むということになろうかと思います。シャインマスカットの輝きのように輝かしい来年の活躍を皆様にお願いしたいと思い、今日はお話しさせて頂きました。

ありがとうございました。