0206話:2017年09月09日

◇1000種類もの雪の色を見分ける力

連日でお疲れだと思いますけれども、今日も宜しくお願いいたします。

圀手會の扇子には、手にまつわる神様が十神が書かれてあります。幣手主、掟手主というのがありますけれども、要するに、和紙の白いというか、白いと言っても、それこそエスキモーには1000種類もの雪の白を見分ける力があると言いますけれども、まさかと思ったのですが、祝殿の屋根の色は青ですけれども、外側から見るとね、全ての自然にマッチする青を2万色の中から井坂教授が選んだ青なんですよね。今度、シゲシゲと見て頂くと良いと思いますが・・・。

この祝殿の内側の壁の白も、相当たくさんの白から選ばれたものです。和紙の白さは、そのままよく使うんですけれどもね。昔は漂白剤なんか無いと思いますが、白というと木綿ですね。木綿の白というものは、神様の名前がついているんですね。特に着る時に、修行する時、神代と審神者で白川は修行するわけですけれども、男性にしろ、女性にしろ、神の宮になる人はどんな神様か、それこそ何百神とありますから、色がついていないということが大事なことですね。要するに、私心がない状態で神つかえする、何かの決まった色ということではなくて、木綿にして、白衣と衣も白いわけですね。そういう木綿の白さということで、白幣手の神、天日鷲神(あめのひわしのかみ)ということで、衣に神真の名前がついているわけですね。また、天棚機姫神(あめのたなおりひめのかみ)が神衣を織る時、麻を細くして織の和衣(やわらかころも)の神です。それは青幣手の神(長白羽神:ながしろはのかみ)と言うんですね。緑というもの上代語にはないんですね。緑というものは、グリーンというものが入ってきてから、緑という言葉が出来たんですけれども。1000年以上前は無いんですね。全て青という色になるんですね。青というのは、また色の講釈をしていると、いっぱい本当にたくさん出て来るのですけれども、これは井坂先生に一度講演してもらいたいと思いますね。2万色なんて言っていますから、エスキモーに白の1000色・・・。まぁ、だから人間というのは、脳が用・不用の法則ではないのですけれども、進化論的に言うと、必要とするとどこまでも進化するわけです。要するに、エスキモーもどんな雪なのか、雪が溶けていく瞬間なのかとか、それを細かく見てメッシュが細かいんですね。それで気候まで判断していたんだと思います。必要だからそういう判断をしたんではないかと思います。生きる為ですね。

白川で言うと、まさにそういう機織りも、天照大御神は忌みの機屋でもって、着物を織るというのが大事な神事ですね。皇后が今もされますけれども、そういう神事になるんですけれども、それも先程の様に、また機を織るという神様もいるわけですね。全て縄文の頃の人たちもそうだったように、自分自身よりも優れたものは全て神と呼んだわけですね。我々が出来ないわけですね。我々が木綿になるわけにはいかないですね。それは狐やたぬきではないので、化けるわけにもいきませんね(笑)。木綿というのは、人間よりも優れているということですね。

そう考えると、人間というのは本当に何もないと言ったらおかしいですけれども、外界の働きの中から見たら、本当に大したことが出来ないということが、きっとそこのところが人間が神になるというか、存在と一体となるというか、木綿の白幣手の神と1つになるというか、着ることでそういうことが出来るという風なことが、それは一種のフェティシズム(呪物崇拝)とか、アニミズムとか、古代の人たちのモノ信仰ということも考えられないこともないですが、そういうことではなくて、人が大切に出来るものというかね。だから、慢心しないという精神が出てくるというかね。

白川では、その上に神を迎えるということで、慢心したら本来の古神道の教えが守れないということを知っていたから、慢心しないということを学ぶということになったんだと思います。

◇手に関連する色々な神様

手の関連で色々な神様がいらっしゃいます。一般的に、手翳(かざし)ということもありますが、Hさん(和整体学院代表)が手から情報を放射するということをやりますけれども、こういう手翳しというのはいっぱいあるのですけれども、白川では修行の中で審神者が神代に向かって、問題があった時には手翳しをするということがあるんですね。だから、手翳しだけの宗教がありますけれどもね。結構、戦前、戦後に出来た宗教でありますけれども。

あるいは、整体の世界でもあるのですけれども、そういうものは元々は、白川から出てきた治療法ですね。手の平のここと、ここの2ヶ所から、特に体の中の周波数を放射する周波数が出るところがあります。だから、指先ではないのですけれども、この手のところから出やすいというかね。女性の場合には、お腹、会陰(えいん)の上のところから出るわけですけれども、それで治療をするということになるんですね。だから、自分自身にやってもいいし、手を当てると良くなるということもあるのですけれども、そういう白川のご修行の中にあるものは、沢山の医療やそういうものにも広がっているということが言えるのではないのかなと思います。丁度、手のことを色々と考えて、手の神様はいっぱいあるということで、今、白川の神辞典を作ろうとしていますが、その中にもズラーッと並ぶのではないのかなと、30以上あると。この扇子も圀手會の十神を書きましたけれども、本当はいっぱいあるというかですね。そういうことをお伝えしておこうと思って、今日はお話させて頂きました。

ありがとうございました。