0214話:2017年09月19日

この三連休は、稲刈り祭や京都のロゴフェス、Oプライベートセミナーと色々と皆さんに手伝って頂きました。それぞれ成果があったのではないのかと思います。今日はいよいよオセオニア鎮魂ツアーの出発日です。Oさん、昨日のプライベートセミナーの感想と、オセオニアツアーの成功宣言を一言お願いいたします。

 

●Oさん

おはようございます。

昨日はプライベートセミナーの最終回を終えまして、全6回の最終回でした。最初は七沢先生に来て頂きまして、大きな流れをお話いただき、最後の締めくくりということもありまして、意志力の発現ということをテーマにお話いたしました。やはり最後、感想をお伺いしていましたら、それぞれこのセミナーにおいて、自己研鑽を積まれ成果が得られたようでして、祓いが全く変わったという方が結構いらっしゃいました。やっぱりそもそも参加するということで、決意ということがあったと思うのですが、そういったものに対して情報提供できて良かったです。スタッフの皆さんも毎回テキパキとやって頂き、スムースに運んでいったように思います。この場をお借りして、御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。

今日からオーストラリア、ニュージランドに約一週間行ってまいります。オーストラリアの大地とニュージランドの鎮魂ということをテーマにしています。オーストラリアでは、アボリジニーの聖地であるソングラインというレイラインがあるのですが、そこを歩きながらディジュリドゥを吹いて、大地の鎮魂、そして、我々もお祓いをあげるということになっています。

ニュージーランドはクライストチャーチという町で、教会で雅楽を演奏します。これは日本の雅楽のトップクラスの西原先生ご夫妻を招いて、篳篥、笛の演奏、Nさんを招いて鎮魂の音楽、お祓いをあげまして、ニュージランドの地震で亡くなった方への鎮魂ということと、マオリ族ということもありますが、しっかりと鎮魂をしたいと思います。これは南北半球の統合という目的も兼ねていますので、しっかりと南北半球を統合して、地球の人類の意識進化の大きな飛躍に繋げたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

 

【七沢代表】

◇旅行の神様は猿田彦の神様

気をつけて行ってきてくださいね。今日、旅行の神様はなんだろうな、と思いながら、フッと11代の崇神天皇の頃ですかね、倭姫(やまとひめ)という皇女というか、天皇の第4皇女の方が同床共殿(どうしょうきょうでん)というかですね。元々は、天照大御神はご先祖ですから、同床共殿と言って、同じ住んでいるところにお祀りしていたんですね。どうも政治上の問題だと思うのですが、我々も母屋と祝殿と両方でやっていたのですが、今度は祝殿ということで、より規模というか、そういうこともありますし、それから白川家の遠津御祖神をちゃんとお祀りしようということで、分けるということを考えたんですね。
それを和光同塵(わこうどうじん)と言うのですけれどもね。同床共殿と言ってお祀りしていたものから、今度は分けるということをするわけですけれども。

その時に、26年位かけて都から色々と探しあぐね、最後に度会の里に辿り着わけですけれども、26年間、天照大御神を仮の宮を転々としていくわけですね。そういうご苦労があったようです。それは、まさに苦難の旅だった。その間に色んな天照大御神にこの場所が一番良いかどうかをお聞きしながら移っていったのです。ここで旅に出る時に、どの神様が助けてくださったのかなと考えたら、猿田彦の神様というのがいらっしゃるのですが、天界というか、高天の原から降りてきて、道を開いてくださるということですよね。後になると、道というものがありますから、道を直くするとか、そういう意味の色々な神様が出て来るんですけれども。丁度、天下るという時の神様というのが猿田彦ではないのかなと。

今日は、何でもっと早く言ってくれなかったのかと思うかもしれませんが、Oさんに猿田彦の神様にお願いしたら良いということを伝えようと思ったのです。皆さんにも伝えておこうと急遽なりました(笑)。

◇猿田彦の神様の話

それで猿田彦の神様の話をするのですけれども、それが丁度、後々には境界さえ神様になるんですね。結界というか、その町に災いが起きないようにするという意味での結界というかね。仏教だと、ネパールの場合は、カトマンズという都の四方八方に摩利支天(まりしてん)の仏様が祀ってあるというようなことが調査した時、分かりました。そういう神様というかね。馬頭観音という、仏様もいますけれども、日本の場合には、猿田彦の神様の丸石がありますけれども、丸い石神というのか、石の神様ということで、それが祀ってありますけれどもね。それが猿田彦の神の変型ですね。猿田彦の神様が祀ってあって、村の疫病とか災いが起こらないようにということに後々になるんですね。下ってくる時に、そういう守るという意味もありますけれども、下る人たちを守っていくという意味の参勤交代の時に、そういう仕草がありますけれども、そういうのと同じように守って頂く神様が須佐之男尊であるということですね。

そういう最初に、須佐之男も、これは高天の原から追放されるような形で降りてくるから、そういう人がついていなかったのでしょうけれども、その代わり降りた後、最初の試練と言いますか、八岐の大蛇(やたのおろち)との対決がありますが、そういう中で天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を大蛇の尻尾から得たり、あるいは後々のお父さん、お母さんというか、国津神としての手名椎神、足名椎神という神様が助けるわけですね。その後、その8番目の子供の奇稲田姫と、一緒になって地上でのいよいよ旅になるわけですけれども、そういうことが行われるというかね。

◇手で作ったものは、一つの始まり

最初のそういう地における過程とか、創り出すということですね。それは要するに、手と足となるという意味もあると思うんですね。今の一神教の中では、特に旧約聖書の中では、人間の手で作ったものは神の国に相応しくないなんていう言葉もありますけれども、そうすると矛盾するわけですよね。手で作ったものは、ひとつの始まりというかですね。日本というのは、手で作りあげた技術というもので、今も昔も一番になるというかですね。その辺が非常に違うところだと思います。話が色々と変わってしまいますけれども、圀手會ということで、今、そのことを政治も含めた社会というものをより良くするにも、やはり人の手ですね。

人の手というのは、脳の働きということですね。それぞれの密教の印があるように、手の働きで作りあげるというかね。形も色も、書も音も言葉も作り上げるというかですね。手話も手の言葉になりますけれども。今またそれがある面では、手を使うことによって、人類が資本主義というものを作り上げたということがありますけれども。一方では、手の技術というものは、コンピューターも含めて、軽薄短小ではないのでけれども、機械にして、人間の手の代わりになるということをしているわけですね。そういうことがもちろん、旅は足で歩くわけですけれども、足名椎神、手名椎神ということで、二足歩行で立って、手を使うことになって、足を使って生きるということが象徴的に出てくるのではないのかと。


新しい国というところに行く時に、その時には須佐之男尊、手名椎、足名椎という神、猿田彦神も含めて、それらの神々と一緒に行ってもらうというか、そういう精神というか、気持ちでいると安全に旅が出来るのではないのかなと思います。老婆心ながら、そんなことを思っていました。

今日もまたよろしくお願いいたします。ありがとうございました。