0222話:2017年09月27日

◇大きな振れ幅

このところ、会社がやることが多くなったりしているというか。70歳になって、つらつら思うに、自分の性分と言いますか、極端なんですね。極から極に飛ぶ癖があるから、私が営む会社というのは、ベンチャーから企業ではないですが、そういう飛び方は前もしてきたし、出来ると思っているというか。そういうことは別に意外なことではなくて、私自身の命運というか、そういうものが極端なんですね。その大きな振れ幅の中で色々な人生があるんですね。だから一見、波乱万丈になるのですが。

それは時空間でとってみると、点のような1次元、それから平面の2次元、空間の3次元、時間も入れた4次元、そして5次元というようなことですね。あるいは、最近は9次元、10次元、11次元というように、そんなことを一生懸命、何となく言っているということは、次元も1から極端に広がるというのですかね、そういう飛び方ですね。それがタイムマシーンの発想になったり、あるいは自分自身がそういう生き方をしないと、これは満足できないというかね。極端についていけないということがあっても、今の時代はそれをしてしまうというかね。ある面では、創造が空とか無とかから行われるというかですね。

それと同じように、今のネット社会では、極端に言えば、無というか、限りなく無いに近いところから有るというか、そういうことが可能になる時代なんですね。それが一種、空中都市ではないですが、そういうものがネット上に国とか、都市とかが浮いているようなイメージですね。

それが具体的な形になる時に、非常にエネルギー量が少なくても、概念や創造、社会で思い描いたものが実現していくということが起こる時代なんですね。そういうものを事例でもって、皆さんは見ていると思うんですね。そのように極端な動きが起きてくるというかね。売買で収入とかが広がっているように見えますが、それは現実の世界での言ってみれば、数学的に言えば、倍数なんてものではなくて、幾何級数的というか、そういう数でネット社会は広がることがまだまだ可能なわけですね。そういう世界に今、用意を整えて、その動きに合わせて出ていこうとしているんですね。

◇祓い・鎮魂は時空間を超える技法であり支配から逃れる技

圀手會で、国ということを考えるとかね。言ってみれば、国という字も空間の広がりがあります。最初は個人というか、玉ですね。王の魂というところから、だんだん中国では、則天武后の地域の域、國というように広がっていくんですね。それで、日本に来たら水戸光圀という人は八方の圀という字を使いますけれども。あるいは神武天皇のように、あまねく国というものが天下というか、地球という意味合いまで広がっていくわけですね。そういう広がりをもっていくというかね。

国というものは空間の広がりが3000年くらい広がってきましたけれども、時間というものも同時に広がっているということが、時間軸と空間軸が広がっていくということなんですね。時間軸の広がりというのは、瞬間と永遠というか、そういう概念ですね。それは乗り越えるのは機械としてはタイムマシーンでという概念で、Tさんは最近、一生懸命言ってくださっていますけれども。そういう時間という概念を超えていくということが可能になる時代ですね。支配というものは時間と空間で支配するんですね。人が、あるいは自然が、と言ってもいいですけれども、そういう時間と空間から自由であるということを身につけないといけないというかですね。

ですから、祓いとか、鎮魂とかは、自分で時間や空間を超える技法ですね。それは心の技法だけではなくて、具体的な物質的な技法でもあるということを我々は知らないといけないですね。そのことをやって支配から逃れると言ったらおかしいですけれども。

人間というのは、全て神の子供であるわけですね。我々はそれで「天之御中主の御末の御子なり」と鎮魂の時、言うわけですけれどもね。最初に出てきた神様の末の子供である、つまり神の子ということなんですね。神の子ということは、神のように、創造も囚われる者になることはないと言うかね。それを神と同じようにするということが大祓の中にある言葉ですね。もちろん、神が主語になって語られていますが、人間ということを超えていくところは、神か、あるいは無か、どうしてもはっきりしないように書かれているわけですね。

そこに自由な位置でも立てるようにそういう祓いの言葉が出来ているというかね。それを通じて、神の子である無限とか、瞬間と永遠とか、宇宙と宇宙の外側にいる自分とか、そういう風に広がっていくことが出来る、自由になる道を行くことが出来るんだということですね。そういうことがベースにあって、ここのお祓いも鎮魂も言霊もやって頂くということをまずは、それを毎日の日課にしているということですね。

それは自分自身が自分自身で生きるのですが、誰の支配も受けないと言うか、それでいて、みんなで共に仕事も出来るというかね。そういうところを実現する為にやっているのであって、誰かの言うことを聞く為にやっているのではないんですね。ですから、何かこれして欲しいと言われた時に、それをすぐにやるというかですね、やるのはいいのですが、自分自身がそれをやるという一旦、一人称に書き換えて、自分自身が自己に命令するということをしないと、誰かに命令されたから動いたということになると思うんですね。ですから、その辺りをしっかりとわきまえて仕事をすると良い。そういう操作で、自分がイキイキと生きるということになるというかですね。そういうことが大事なことではないのかなということを感じました。

これから宜しくお願いいたします。ありがとうございました。