0230話:2017年10月10日

土曜日に行った子供向けお祓い会の感想を述べてください。

 

●Tさん

◇子供向けお祓い会の感想

今、隔月で3月はひな祭り、5月は端午の節句、7月は七夕、9月は中秋の名月ということで、今年は10月8日だったので、それに合わせて10月7日に祭祀とワークショップを行いました。メンバーはほぼ定着してきたのですが、みんなで集まってやっています。お月様の話をしたり、Mさんが枝豆を持ってきてくれたので、それをむしるという遊びを入れながらしていました。また、紙芝居もしたりしました。その後は、賢治先生に話しをして頂きました。

毎回、同じことを淡々と繰り返していく中で、螺旋を描くように、確実に子どもたちが進化していくということを参加者の皆様が感じていまして、辞めていく人もいなくて、増える人もいないのですけれども、ずっと同じメンバーでやっています。普通の講座とは違う、日常に繋がる感じの中で意識進化していくということがありまして、ともかく大切にしていきたいなと思っています。とにかく淡々とやっていきます。

11月はロゴフェスと重ねてやることになりまして、ロゴフェスの中でやります。全然、力を入れないイベントなのですけれども、この力が入らない感じが大きな流れになっていくのかなと思っています。

 

【七沢代表】

日曜日の和の健康法則セミナーのご報告をお願いいたします。

 

●Sさん

◇和の健康法則セミナーご報告

和の健康法則セミナーを石原克己先生、久子先生、特別に賢治先生もいらっしゃって頂きまして、それを紹介するIさんも来てくださいました。あと、私も登壇させて頂きました。ロゴストロンの活用方法を石原克己先生からお話し頂きました。体験の時間も30分ほどありました。皆さんがNigiを購入してみたのだけれども、どう使ったら良いか分からなかったところ、活用方法が見つかりましたとか、そういったお声も頂きました。

和の健康法則ということで、東洋、西洋を統合する和の健康ということで、本当に皆さんの啓蒙になっているなと思いました。これは個人的なことなのですけれども、私が最近、健康付いていまして、色々なところで健康のお話をさせて頂くので、非常に自分自身がどんどん健康になっていくと。39年目になりますが、ずっと朝型にならなかったのが、この1ヶ月は5時半から6時に目覚ましなしで起きられるようになって、かつ、賢治先生が仰っていた「たたみ、つつみ、むすび」ということが自分の体にすごく響きまして、本当に体の解析度が上がってきていて、私が講座の中でお話しした「有為の奥山を越える」つまり、体と意志を一気通貫に流していくということが気血の巡りを作っていく、その気血は水ということで別天水に繋げさせて頂きました。今月も私は健康の話しをさせて頂くので、どんどん自分の体で実験をして、この祓いと鎮魂、言霊が最高の健康法という賢治先生のお言葉をこの身をもって、皆さんに問い続けていきたいと思っています。

 

【七沢代表】

◇祓い、鎮魂、言霊の、ある問題点

休みの間、皆さん色々とありがとうございました。

端的に言うと、祓いと鎮魂、言霊というのは、どうしても健康も良いのですけれども、能力が付いてしまうという問題というかね。それを自分だけの個有の能力であると考えてしまう、そういう能力が出て来るということでもあるし、そういう能力を引き寄せるということでもあるわけですけれども。必ずこれをやると言ってみれば、超能力みたいなものが出て来るんですね。そうすると、慢心するというかね。未来が分かるということを言う人がこれをやると出て来るのですけれども、それは生半可にやっていると、毎日、自己反省というか、省みていないと、自分に能力があるように思っていくというかね。その最初の兆候というのが、未来が分かるとかね。それがいわゆるスピリチュアリズムというか、超能力のはしりで起こるんですね。それは誰でも、他のトレーニングでもそのようなことが起こります。白川でもそういうことが起こることを、最初に注意を受けるわけですね、即、修行を中止するということでね。

今は色々な能力を発揮しないとこの社会を生きていけないところもあるから、そういう能力も含めて必要ではないのかなという議論はあります。音は降ってこないといけないし、色も形もですね。芸術というのは元々、そういうことがあるわけですね。それは自分が力があるという錯覚を起こすと、それはとんでもないことになっていくんですね。それは知的能力でもそうですね。知的能力、情的能力、意的能力というようなこともみんな能力なんですね。

言霊の様に、必ず自分がやり遂げようという言葉で出来てしまうということも、一種の超能力と言っても良いようなものとなるわけですね。そういうものが出た時に、みんな既にいっぱい出ていると思いますけれども、祓いと鎮魂と言霊というものがどうしても必要というかね。どれか1つということでも、それを自分が1番だと思うのも良いのですけれども、次に自分が救世主であると思い込む次の段階があるわけですね。

健康もそうですね、次の段階になると自分は不二身の健康体で、すごいという風なことになっていくんですね。それも一種の能力なんですね。白川で言うと、そういうことは八万何千の眷族(けんぞく)を連れているということを言うのですけれどもね。健康になるという働きがあるわけですね。それは例えば、よく言うように毛穴の1つ1つが開いたり結んだりしていないと健康になれないのですけれども、それが自在に出来てくるというかね。それも白川では眷族と言っているんですね。

自分と一緒に動いて働いている、自分の部下のようなものというか、そういうものが沢山あるということですね。それも掛け算で、今風に言うと、細胞の1つ1つが自分自身の精神というのか、魂が乗る、それを運ぶ眷族と言っても良いわけですね。

◇慢心は、必ずそれ以上向上しなくなってしまう

だから、そういう働きが自分自身の働きと思ってしまうと、そこに慢心が出るということですね。慢心は、必ずそれ以上向上しなくなってしまうんですね。それ以上の力が出なくなるというかね。特に、そういうこの間のノーベル賞をもらったカズオ・イシグロさんの白熱教室というので、学生たちと話しているのを見たのですが、やはり素晴らしいですね。自己自身の反省するということを絶えずやっているということが分かりました。

文学でも、音楽でも、芸術でもみんな同じことで、あるいは、技術でも、知的能力でもそういうものを発揮すると、自分は神の如き存在という風に思い込んでしまう。ところが、それは外からより脳が反応しやすい脳になるということだけであって、直感はそれこそ、この間のSさんの話のように、年を取れば直感の脳細胞の座である海馬がどんどん増えていくんだという話もあるわけですね。それは統合とか、そういう時に必要な能力で、社会が必要としているからになるからですね。だから、聖書でも、老人が夢を見たりで、そうなることで未来を知らせてくれたり、あるいは、超能力というものが色々と書いてあるんですね。

ところが、そういうものが自分の固有の能力であるということになってしまって、それで色々と災いが起こるとか、それ以上、進化しなくなるわけですね。そうならないように、祓い、鎮魂、言霊をやると、それに追随した悟りとか、色々な必要な能力が付いてくるわけですね。その時に、そういうものも一度、元に返すというのか、神の働きであるとか、自分の眷族の働きであるとか、それを素の自分自身のところに戻すということをするということですね。祓い、鎮魂を毎回毎回するというかね。

高濱先生は夜寝る時に、全部祓って、お返しして休むということをやっておられました。非常にそういうところが大切なのではないのかなということを特に感じます。特にすごいなと思う超能力は、眷族や霊のそういう働きであることが多いわけですね。それが出てくることが、霊能者の最初の兆候であり、トラウマの様にずっと残るというかね。それが自分の能力ということで、それを喧伝すると、非常にはしたないと白川では捉えることがあります。

そんなことを今日、感じたのでお話させて頂きました。

ありがとうございました。