0234話:2017年10月15日

【神無月月次祭】

◇統合の時代・・・同時に考えていく

今は時代が統合ということで、人類の知的な叡智というものが科学として、それも自然科学、人文科学、社会科学としてありますが、そういう科学と、鎮魂と言霊とそれから白川の祓いというものとの融合というのか、あるいは照らし合わせるというのか、出会うところ出会うところでそういうことがいよいよ起こっています。同時に考えないといけないというのかですね。

ですから一方で、装置としてのロゴストロンを出したり、はたまた白川の神祇辞典、神辞典というか、そういうものの修行の内容を公表しないといけないし、また、言霊の世界というものも表さないといけないということで、毎日毎日がある面では、そういうものと向かい合って、どうそれを実現するのか、世界に知らしめるのかということが、毎日の日課になっているというか。その営為が神示であり、またその工夫であり、言語化したり、あるいは機械装置化していくということをやらせて頂いているのですけれども。

◇時間というものは精神的な所産

そういう意味では、毎日様変わりしますけれども、「男子三日会わざれば刮目して見よ」というような、3日経ったら龍宮城のように300年になってしまうというようなこともいよいよですね。

今は一年が100年位の感じでしょうけれども、もっと進むと意識のレベルで進化していくと、それは幾何級数的に広がっていくということが・・・。ですから、浦島太郎の3日が300年、1日が100年というようなことになってくるのかもしれませんけれどもね。

1日が1年という意味では、朝が正月で、夜が大晦日という、金光教の川手文治郎という人がそういうことを言っているんですね。そういう言葉でそのまま生きるということをやってみたこともあります。そういう時間軸というものを自在に伸ばしたり、広げたりすることが概念的には脳内で可能なことは分かるのですけれども。ですから、時間というものが精神的な所産というのか、精神で作っているものということが容易に理解できる世界ではあると思うのですけれども。

一方では、それが客観という時間が有ると思っているだけかもしれませんけれども。その辺は非常に、時間というものも、ある面では主観的なものになるのかもしれません。

◇光の時間を超えていく一音の時間・・・脳はその超える機能を持っている

そういう中で我々は今、少なくとも今の科学の世界で起こっていることの計測、あるいは計算値、ひいては方程式ということで捉えると、今、ロゴストロンでは1万分の1秒くらいの単位で1音を出しています。少なくとも、そういうものが起こっているのではないのかということを仮説として、それでそういう発信の手がかりにしているわけですね。それは7500分の1秒と、12500分の1秒の平均値で、1万分の1秒と言っているのですけれども。

どうも75というもの、あるいは100、あるいは125という進化の構造係数があって、そういう数理的なものを借用すると、どうも人間の言葉というものも一種の言霊の50音、あるいは75声、それで言霊100神ということで広がっていく・・・。我々の話している日本語は、もちろん濁音も入っていますから、75声というような言い方をしますけれども。もちろん、その中では半濁音のようなものも含めて86音くらいになるんですね。そういう言葉というものの捉え方からすると、音の速さも関係してきますが音もそうですけれども、倍音とか色々な捉え方がありますけれども、速度というのか、現代の宇宙創造の進み方というものと、どういう風に絡め合って自覚理解できるのかというのが、非常に大事なところになると思うのですけれども。

そういう観点で言うと、1万分の1秒の速さで起こる変化が、そのすでにあるシナプスが100億、あるいは1000億という単位で掛け算して足していくと、1音の時間というものが、いわゆる光の時間を超えていくということになるわけですね。そういう光を超える機能を脳自体がすでに持っているんだということで捉えることも可能になってきた時代ということになると思うんですね。そういうものを言霊という言い方で、我々は呼べるのではないのかというかですね。そういう速さですね。

◇今の科学の光ではない“光”の速さ

速さというのは、いわゆる光の速さを超えたものであるという風な捉え方を我々が脳で出来るし、そういうことが可能になるのではないのかと。光というのも、そういう言霊というような、霊というものが「カル」というのですかね、「カル」というのは、その場所から蹴って飛んでいくという意味が上代語ではあるわけですね。霊(ひ)、蹴る(かる)ということは、ある面では、光るという光と違って、言霊という霊(ひ)と読みますけれども、それが創造が始まる創発というのかね。

憧れるというのも、足を蹴るということなんですね。それでフワフワしている状態を憧れると言ったり、上代語ではします。光も霊(ひ)が蹴る、で動いていくというようなね。そういう速さが言霊の速さというのでしょうかね。それは当然、光なんだけれども、今の科学で言う光ではないというのかね。そういう意味合いの・・・。それが特に言葉になるものの最初のまばたきのような瞬間に起こる、脳内の出来事というのかね。それが言霊と脳が繋がる瞬間ではないのかなと。そういうものを掴むということが、言霊を掴むということの最初の取っ掛かりではないのかなと思うのですけれども。

◇ディドゥリドゥの最初は一番周波数の低い「ウ」で始まる

ディドゥリドゥをIさんとSさんと皆さんでオーストラリア鎮魂ツアーに行って分かった成果の1つは、ディドゥリドゥの最初は「ウ」で始まるということがわかったというのかね。一番周波数の低いものが「ウ」であるわけですね。この言葉としてもですね。それで吹き方も「ウ」で吹くと、よく吹けるようになるそうです。

そういうものが縄文からアボリジニー、あるいは今の時代にもう一度、我々の言霊の研究にディドゥリドゥというか、イダキというものが・・・。このイダキという言葉が向こうの言葉です。ディドゥリドゥというのは西洋人が音を擬音にして作った言葉ということらしいです。ほとんど65%以上は、アボリジニーはディドゥリドゥをイダキと言っているそうです。後の35%はマゴと言うそうです。

非常に日本語の“抱く”ように使い、その楽器の音色が孫(真の子)のように大切だという風な意味だと思うのですけれども。そのようなところから出てきたものとして捉えて、日本の縄文が伝わったということで・・・。

◇ダイナミックな地球的な展開

昨日のK君の話も、彼がバリに行き、気づいたことですが、日本にはバリから数日で、速い場合は簡単な船でも着いてしまうというか。遠き島より流れ寄るヤシの実一つではないですが、そのような世界があるということで。

逆に、日本からオーストラリアに行くのも、ある面では何回か経由をするのでしょうが、快速でオセアニアまで行けたというか。恐怖心もありましょうから、色々とあると思いますが、そのような縄文の文明は、ある面では太平洋から、あるいは日本海、日本海は凍っていた時代もありましょうから、もっと南の方に氷河期が来てしまった為に、そのようなことが起こったかもしれませんがね。

非常にダイナミックな地球的な展開が、今はそれこそロケットのような速さでアメリカと日本を結ぶかということまで構想されていますが、かつては船でそのようなことが起こっていたのではないのかと。

◇「火凝霊(かごたま)」という「たま」

さて、命というものを守るということもありましょうが、一方では、命を受け渡すということは、文明であり、我々が命に匹敵するものと言えば、そこから出てきた言霊であり、神と人との物語であり、そしてそれを大きく変えるというか。それは次元を作っていくというか。そのようなことが人間の意識の中で、それが行われる。あるいは宇宙創造ということの捉え方を、人間がしたのではないのかということがあると思います。

そのような次元が出来ていく姿を、一つの神、あるいは説明知として出来ているのが、日本の中にある。これは「火凝霊(かごたま)」という伏見稲荷に伝承されていたとされる図像ですね。まるちょんとか、十字とか、簡単な図形がありますが、その全体の図を「火凝霊(かごたま)」と言って伝承されてきた。「ひ」というか。言葉が凝った「たま」になるというか。

「たましい」では駄目なんですね。「たま」が「しい」ではダメなんです。「たま」になるところが、どうも立体ということになりましょうけれども。

それの前の段階で、1次元、2次元、3次元、あるいは4次元という次元を作っていくということを、「たま」と表して図形にしていたというか。我々もその恩恵に預かっているわけですが・・・八方なんていうこともありますが、方位も東西南北だけではなくて、八方位になったり、国というのも水戸光圀の圀になったりするわけですが、それの中身は「たま」を作る為に、実現していくというか、それが「ことたま」というか。言葉で言うと「事、言」の「たま」であると。

人間はもちろんそれは、五魂と表現しますが、多分それも25とか、50とか、75とか、数に言葉でもなりますが、そのもとの人間の働きを最初に「たま」としたのではないかと思います。まさに「火凝霊(かごたま)」というに相応しいですね。エネルギーが一つの「たま」になっていくということが、一つのたまもの(玉物)になっていくということの段階というか。

要するに、創造原理というか、宇宙創造がどのように・・・神様がクリエーターというか、一者の神様が作ったとすれば、簡単になるわけですが、その創造の過程で沢山の神様の名前がつけられている。宇宙創造の一つひとつの働きに対して、名前が付いたものが古神道の神々ということになるわけですね。

その神々の働きを「たま」として捉えるということも、一方では必要というかね。その働きの範囲というものが「たま」なんだということですね。それは宇宙には、神の創造の軌跡が充満しているという捉え方をしていくとわかりやすいかと思います。

◇白川の神祇辞典、神辞典

一つひとつの「たま」に付いた名前ですね、働きの名前を神と言っているわけですから、今、白川の神祇辞典、あるいは神辞典というのは、そのようなことの精緻な働きを、神社に祀られていたものの数からして、この間、Kさんと一緒に調べたら一万以上、そのような名前があるんですね。もちろんその中で、白川が主に使う神々や、その働きは神祇官でありましたから決まっているわけですが、そのようなものをさらに精緻に見ていくと、マツリゴトというもの、あるいは政治というもの、あるいは宇宙創造というものが精緻にその働きの名前として配置されてあるということが判明するわけであります。

そのあたりをしっかりと事典として、物語を含めた説明知を入れて作っていくことが、我々のミッションとしてあるということを感じておりまして、このあたりの調査の為にすぐに、Kさんは国会図書館に通わなければならないことになっています。

甲府に来てくださいと言ったり、東京に行ってくださいなんて言って、翻弄させておりますが、申し訳ないと思って、今日は一緒にお茶を飲みましたけれども・・・。大変なことをお願いしてしまっています。しょうがないですね、アカデミズムに詳しい人はそのようなことをやらされる羽目になってしまいすね。宜しくお願いしたいと思っております。

私も七年は毎日、国会図書館と神田神保町の古本屋さんにに通っていた時代もありましたが、なるべく早めにすべての本を集めるということ、それが(株)白川学館大学出版部の役割であると思っております。