0236話:2017年10月16日

【久子先生】

本日は私の本務をお話します。私は当年とって数え年64歳となり、医療人生一筋でここまで来ました。

◇七年間の「口伝」が「はふりめく」に

高濱先生は昭和57年4月から甲府へ来てくださり、朝、お祓いをご一緒にあげて、そしてご修行を付けて下さり、先生からお言葉を頂き、私は診療に行くということをずっとしていました。主人は、お祓いとご修行の後、一日中先生とお話しをしていました。その生活が7年間続きました。その中で主人は、先生とお話しする中で、ほとんどメモを取りませんでした。

先生は耳で聞きなさい、書かないで、ということで全て心の中に留めたんですね。私も火の修行、水の修行、木の修行をした時に、書いておけばよかったかなと思いましたが、自分の御魂にずっと納めていて、水の修行の時は、弥都波能売神様ということで、耳で聞いて、心で覚えていて、字を何も書かないで口伝でずっときました。

今、同じことが「はふりめく」で始まっています。まさにこれをお伝えするのは、私が口伝で受けたものは、私の心だけに残っていて、広めるというとまた口伝なんですね。ですから、私の今日の話を口伝として聞いてくださいね。

◇おみちと社会とは表裏一体

高濱先生はいつも私に「このおみちと社会というのは表裏一体なんですよ」とお話しくださいました。この祝殿で話すこと、祝殿で自分が口にしたこと、気付いたこと、それは今の自分が生きている社会と祝殿の空間は表裏一体だと感じます。

高濱先生はいつも京都からいらっしゃる時に、中村新子先生が書いた手帳がありまして、それをパッと見たそうです。それを見た手帳のページが、私と主人のご修行の中に現れることが良くあったと仰っていました。「ふと思うは神心」というように、何か自分が気付いたことは、それはきっと今現実の自分の中に現たりまた、将来現れるということなんですね。

私は数え年64歳で、人生医療一筋まっしぐらということを言いました。その前は小島肉店の娘まっしぐらでした(笑)。小島肉店という環境は色々な人がいらっしゃって、大勢の中で私は育ちました。今の娘のKの子供たちと同じなんですけれども。私は数学が大好きだったのですが、宴会で歌ったりと、ガヤガヤしていても勉強に集中でき、その横でしっかり勉強していました。そういうところで生活していたので、そういうザワザワした所にいても、自分の心が静まるところがあったのかなと思います。

私は小学校に上がってから学校に行く前に神様、仏様のお水を替えて手を合わせて「行ってきます」というのがすごい好きでした。私は高校生の時、「里巫女になりたい」とお母さんに言ったことがあります。「私は大学には行かないで、山に籠もって巫女になる」とお母さんに言ったら、それは困ったという風に思ったらしいです。

神奈川歯科大学は建学100年の学校です。女性歯科医師と男性歯科医師があった時代に、女性歯科医師の養成所として日本女子医専という女性の先生が卒業した学校がありました。それが前身となり後に、神奈川歯科大学となりました。母のいとこの叔母が歯科医師をしてまして、神奈川歯科大学の創学時に関わった方と結婚しました。女性も手に職を付けることは大事ということで、母の言うとおりに神奈川歯科大学に行きました。

私は東南に行くと良いと言われまして、それで甲府から横浜に行った方は結構出世しています。横浜市中区に太田町相生町とあるのですが、それが甲州商人というか、甲州の方々が行って、相生町太田町と付けたそうです。横浜公園のすぐ近くにあるんですよね。旺文社の社長である赤尾好夫さんは石和町出身、サンリオの社長さん、東京タワーを作った内藤多仲さん、宝塚を作られた小林一三さんも山梨県出身です。

◇中心軸を持ちながら、生きる

また私の本務に戻りますが、私の本務というのは、中心軸を持ちながら、生きるということです。私の中心軸は何かと言いますと、私は27歳からおみちを習いました。その前の写真を見ましたら、顔がボケていました。今の顔は、少し明るいんです。お祓いをあげるということは澄むんですね。お祓いをあげて、鎮魂して言霊を学ぶと、心が澄んでいきます。それが中心軸を持つということです。

今、64歳になる私を「先生、前より若くなったね」と言ってくださった方がいらっしゃいました。それは何でかというと、この50人の皆様と共に毎朝、お祓いをあげさせて頂く、それは私の原点として、高濱先生と7年間朝やったお祓いを 主人と二人でやった、その後30年間があり、平成28年から50人、100人でお祓いをあげるという機会があったんです。それで27歳の私になれるんです。

私は師ではないんです。同行二人でという言葉の通り、皆様と一緒に道を行っているだけなんです。白川のおみちの中では、大きな川の流れに流されていくひとつの石ころの私かもしれませんが、皆様と一緒にいます。ここの土地は七沢研究所の登記となっていますが、七沢研究所のものではない、皆様のものです。高濱先生は、宇宙が始まって以来のひとつの歴史の中で、私達の生きているのは本当に一瞬であり僅かです、その中に自分の土地だと言うのではなくて、全て宇宙のものということを仰っていました。小さなところで自分をイキイキ輝かせるのは、おみちであったりするんです。

一昨日に東京からの帰りで、甲府駅に着いたのは夜12時頃でした。そこでスタッフで現在、東京の会社に出向しているTさんに会いました。皆さん疲れているようでしたが、Tさんはイキイキとしていました。

どうして彼はそんなに目立ったかと言うと、彼にはニギがあったり、お祓いをあげた経験があるんですよね。だから、彼が行く会社は彼が行くことによって、またよい波紋が起きて、上手くいくんだと思います。皆さんがそれぞれ本務を持って、中心軸が定まっていると、どこでもぶれないということです。それを本日、言いたかったんです。

◇乗り越えられないことはない、大丈夫

皆さんはそれぞれ専門があると思います。私は今、山梨県歯科衛生専門学校の校長をして、国際歯科学士会の財務主事をして、日本歯科医療管理学会の会計担当理事をして、医療秘書学院の運営委員をして、山梨美容専門学校の評価委員をして、山梨県医療会議の委員になって、山梨の健康推進の1人なんですね。まだまだ役職があるのですが(笑)。そんな時、私は会計業務なんて出来ないと思いましたが、出来ないことをチャレンジするのが大事です。頼まれたら「私で良ければ喜んで」とお受けするんです。何があっても大丈夫。

私はコロンビア大学の発表の時、USBを忘れてしまいました。そんな時に、私はまず新しいUSBを買ってきて、会場のコロンビア大学で現地の知り合いの先生にアクセスして頂き、日本にいるKにデータを送ってもらい、データをそのUSBに入れることが出来ました。そして、次の日、無事に発表できました。何とか乗り越えることが出来ました。乗り越えられないことはない、大丈夫というかね。ニューヨークではハリケーンに遭ったりしました。色々なことがあるんですけれど「大丈夫!今ここにいるんです」。

皆さんも頼まれたら、「私できないよ」ということではなくて、よく考えて、私も出来ないことは口腔外科の先生に任せたり、皆さんに任せたりします。自分がここだけしか出来ないということではないんですよ。

Yさんというお食事を作ってくださる方がいるのですが、朝7時頃いらっしゃって、庭を掃除したり、手入れしたり毎日のルーティンでやってくださっています。もし自分から「このキャパシティの中でしか私は出来ないということではなくて、何か託された時に頑張ろう」と思います。ロゴフェスも私も参加して私も楽しもうというかね。みんながそう思うと、それが輪が出来て、ロゴフェスがもっとパワフルなものになります。その時、その時を楽しむというかね。

◇明るく、楽しく、元気に、前向きに

「明るく、楽しく、元気に、前向きに」とまず書いてください。主人は「平安清明」といつもいつも言います。私も「明るく、楽しく、元気に、前向きに」ということでいつも言います。有名な会計事務所の方のお話を聞いて、「明るく、楽しく、元気に、前向きに」ということをいつも言って、皆さんにも言っているそうです。

皆さん「明るく、楽しく、元気に、前向きに」と言い合いましょうよ。ここにいる方々は「明るく、楽しく、元気に、前向きに」生きると大事ですね。本当に元気になるから。みんなが輝くということは、ここが輝く。私がぶれないことは何かと言うと「明るく、楽しく、元気に、前向きに」で、多少疲れても寝て元気を取り戻して、朝日に当たるんです。明日は、明るい日と書きます。そして笑えば良いんです。

鏡の法則があります。あなたが悲しい顔をしているということは、私が悲しい顔をしているんですね。私が笑えば、向こうも笑うんですね。自分自ら「明るく、楽しく、元気に、前向きに」笑顔を発する。笑顔は絶対に素晴らしいです。

今年はあと2ヶ月足らずとなりますが、1年間よく毎朝お祓いをあげたなと思っています。これはルーティンとして、自分のブレない本務として、まっすぐ立つというかね。榊も真っ直ぐ立つと気持ち良いですね。それが横になっていたら、気持ち悪いですね。高濱先生が榊を立てる時、曲がった榊を真っ直ぐに立てる方法があるんですね。それが大事ですね。自分をしっかり立てて、何があってもブレないということですね。快でもない、不快でもないという憶という状態、ゼロポイントフィールドとなる。ゼロ磁場なんです。

私は64歳なんですけれども、皆さんと共に100歳まででも「みんなで頑張ってお祓いをあげたよね」と宣言したいと思います。

今日も一日よろしくお願いいたします。ありがとうございました。