0237話:2017年10月17日

◇同じ自分はいない。自分の変化を自分でもみていく

人によって3日ぶりですね。男子三日会わざれば刮目して見よ、女性もそうですけれども、目を開いて変わりをしっかりと確認しなさいという諺があるくらい、人が良い方に変わる、豹変するということですが・・・。ということなので、皆さんは変わっていると思いますけれどもですね(笑)。

同じ自分はいないというか、いるように自分で決めて同じ自分と決めてやっているということが人間の命のあり様です。毎日の変化を、自分でも見ていくというのが非常に大事なことかなと。変わらないと思っている自分を頼りにして、日常を組み立てているということになると思うんですけれども、ところが、そうでもないということの意味ですね。

話はまた変わりますけれども、決算が終わるということは、会社なんかでは、また新しい年というかね。イスラム教でもラマダーンの月とかですね、正月も一年の内にどこかにあるという感じで、ぐるぐる周り歩いて変化しています。

◇準備の種を蒔く

同じ西洋歴での正月、太陽暦というようなものではない・・・。日本でも150年くらい前に太陰暦から太陽暦に変わったんですね。ローマはカエサルの頃、シーザーの頃、クレオパトラの言うことを聞いて、太陰暦から太陽暦に変わったということですね。2000年以上、暦の違いがあるということではありますけれども。

今は企業ということで、会社が9月決算、6月とか決算月という、それぞれバラバラにやっているわけですけれども。ヨーロッパでは9月が多いですね。学校も9月に始まったり・・・。季節との絡みから見れば、秋でも収穫が終わった後、種とか貯めておいて春に蒔くという形ですね。

我々は情報というか、そういう情報の種を蒔くというかね。あるいは、それに基づいた機械や所作にしてお伝えするということであるから、時間からみると早いと言ったら早い行為だと思うんですね。それを今から用意するということですね。普通は、冬の時期はゆっくりと休んで体を休めておいて、湯治というのかね、温泉なんかに行って休めるということを農閑期にしたりして、春から種を蒔いて、そして苗代を作って、それをまた田植えをしてというかね。
今年はSさんに京都の綾部で御田植の式と取り入れの式をやって頂きました。自然の運行の中での、そこにある情報を皆さんにお知らせするということをしたわけですけれども。言ってみれば、既に企業として、いよいよ10月から始まるということになるのですけれども。

新しい年度で、前の年から引き継いでいるものや用意しているものもありますけれども、やはり新しい年度で企画を立て、あるいはボリュームを付けて世の中に出すということをやるわけですね、企業としてはですね。だから、その準備と言いますか、そういうものも一方では必要なわけですね。その準備の種を持って、種を蒔くというところをやっぱりしないと、実りは訪れないんですね。

ですから、これから情報としては、例えば12月から用意して、1月からワープのように大変なことがまた、500人規模と言っていますから事業をしないといけないわけですね。その人達の為に言霊、あるいは生き方を含めたものをお出しするというかね。その用意がすでに始まっているんですね。先週にほとんど骨格は出来上がって、後はそれにしっかりとした構成というのか、半年間の内容を、今度は精緻に企画しないといけないし、プレゼンも11月にはしないといけないということにもなるわけですけれども。

そういう、既に来年のこと、いわゆる新しい半期、あるいは、上四半期と4つに分けたりして言いますけれども、用意を整えるとそれから両方ですね、種を蒔く人ということがありますけれどもね。とにかく、種を蒔かないと実りはないわけですね。雑草が生えるだけですね。ここの畑を見ての通り、何もしなかったら、すごい勢いで雑草だけが生えますね。足の太ももくらいまで来てしまいますね。その中に稗とか粟とかがあれば良いくらいの話ですね。ですが、雑草は雑草ですね。我々が種を蒔く為には、草を刈って、実りのある種を蒔くということが、我々が実のある情報を皆さんにお出しするということは、そういうことですね。

ですから、何でこんな話をしたかというと、種を蒔かないと実りは得られないということですね。その種というものは何かと言うと、実を結ぶ確かな情報です。情報とは、具体的にはネットの中で言葉で書かれるわけですけれども、その書きっぷりというのですかね。

◇絶対論理

この2日間、色々と動いてみて分かったのは、我々は絶対論理と言いますか、論理性のないものは言うには値しないということで、私も少なくとも筋だけは論理を通さないといけないから、思考過程を辿ることが実に難しいというかね。全然、最初に言っていることと、最後に結論で結ぶ内容が異なってきたりしてしまうこともあります(笑)。一筆書きでもって言うわけですね。そういう変なところがどうしても出てきてしまうんですね。

それは数学とか、物理学とか、両方合わせたというのか、理学的な、いわゆる論理を中心に追う、コンピューターソフトでも、そういう作り方もありますけれども、そういうソフトウェアが最初の頃は多くありましたけれども。論理性を取るということは、非常に大事なことで、みんなが納得するには大事なことなのですけれども。それが一筆書きで書かれていると、どこが丸め込まれるというか、理解の為の文の視点、起点というか、どういう構文か分からなくなるということが起こるのですけれども。ですから、話をする時に論理を正統化する為に偏る事例とか出てきやすいというかね。

絶対論理を言う時に、悪く言うと、都合よく並べるというところは、まだ自然科学、人文科学、社会科学という科学全体が統合されていないので、まだ分けて考えないといけないところもあるわけですね。科学という面で、全体で説明知として作る場合は、非常にややこしいことになるんですね。まだ完成されていないものを使う為に論理を合わせてないといけないことがありまして、大変なところはあるのですけれども。それはそれとして、今年というか、今期はひとつ考えて頂きたいことを気が付きました。

◇水のごとく・・・

昨日、あるライターの方とIさんと3人で話をしていて分かったことは、我々は水ということを研究していますが、その方が書かれたものを100ページくらい読ませて頂いたのですが、ロゴストロンのことを書いてくださっているのですけれども、水のような文章というかですね。珍しく非常に、ロゴストロンのことも白川のことも、そんなに知っている方ではないのですけれども、そういう方が書かれた文章は水のような文章でした。非常に不思議な気持ちでした。自分たちのこと、あるいはIさんが言われたことを書いているわけですけれども、その文体とか、文章を書く時の価値中立的なスタンス、態度がにじみ出ているようでした。

それはロゴストロンのことを言っているのだけれども、非常に客観性のあるもので、トロトロとした水ではなくて、サラサラとして、本当にナチュラルミネラルウォーターのような文章が書かれていて、私の主観かもしれませんがすっと入っていく感じがました。そういう意味ではすごいことだなと思いました。自らの客観視を、人が話したり、記述した場合、強く訴えるものがあるのではないのかなと感じたんですね。その時に人称というのか、1人称で語るのか、2人称で語るのか、あるいは、複合1人称とか、3人称で語るのかというようなことが文法的には出て来るのですけれども。

我々は今、色々なシステムの構文は、1人称、過去完了形という形で書いたりするとか色々とありますけれども。その書き方もこれから変わっていくのではないのかなということを、そういう文体、あるいは人称、過去形・現在形・未来形とか含め、色々と書き方が出てくるし、どれが一番効果があるのかという実験をしながらいよいよ・・・。

◇布斗麻邇という種が芽を出し、イソノミヤという社会が出来る

なんと言っても、言葉として表現するということは、その源にある言霊というものを大きく創造という形に展開していくということですね。イマジネーションではなくて、クリエイションというのかね。そのように創造という形で展開していくということですね。創造ということで展開していくということが非常に大事なことになろうかと思いますので、そういう観点で、言霊も鎮魂も白川の教えも見るということですね。その展開方法が、中今というところ、あるいは中今からどのように展開していくかということの精緻な把握というのか、その結果が、物事がより良いものが生み出され、満たされていくというかね。

布斗麻邇という種が芽を出して、成長していくということの中で、一番ストレートに元気良く成長できるということの、まず我々が蒔く種というものが、丁度、布斗麻邇ということであって、その出来上がった制作物によって、イソノミヤという社会が出来るんだということですね。その全体の把握をしながら、1つ1つの今やっていることがどういう風に繋がっているのかをつらつら考えながらですね、もちろん、やっている時は集中していますから、そんなことも考えないのでしょうけれども。

そういうものというのか、時間も空間も次元もそういうものであって、それをどのようにハンドリングというのか、あるいは我々がそれを畳む、包む、結ぶというような、そういう非常に古神道で当たり前にやっている行為が宇宙的な行為に繋がっているということで、我々に託されていることがあるというのかね。そういうものが科学になりうるというかね。

そういうことをベースにして、これから色々な考えを巡らすということを特に10月、11月というのは、そういう意味では色々とありましょうけれども、1年間の全体設計と事業企画が精緻に行われていくということですね。これは、色々な事業を用意して、そのところをもう一度、確認して、そしてそれが上手く運ぶように、みんなでもってやって頂ければ非常に有り難いなと今日は感じました。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。