0242話:2017年10月24日

◇最小単位の世界

Iさん、何かご報告はありますか?

 

Iさん

おはようございます。一週間ぶりで、本当は昨日来る予定でしたが、台風で来ることが出来ませんでした。週末は鎮魂ライブとか、名古屋での研鑽会ですとか、先週はノンローカルブレインという形でお話をさせて頂きました。ここのところ、沖縄の事例をお話しすることが多いです。

その1つは、大規模な工場とか、ホテルとか、きちんと結果を出しているところで、ロゴストロン技術が使われて、そのトップの方が自分自身の口で素晴らしいと言ってくださっています。今は最小単位なんだなということですね。

お金儲けと理念というところ、意識というところと、事業結果を繋げていく、全部を繋げていくということで、最小単位の世界なんだなと。それを完璧な形で達成してきているのがロゴストロン技術です。初期のロゴストロンLのご購入者の方々に、「意識の最小単位技術」という本を一緒に送っていました。あの本が出来た頃は、私もその意味がよく分かっていなかったなと。理解と納得が急激に自分の中で進んできた感覚があります。その辺をお話しすることが必要だと感じています。

どうしても企業は、強烈な欲望と言うか、強烈な願望を書くということがありますが、だけれど神戸のある経営者の方は、ある時に公にパッと転換していくということがあったそうです。今、ノンローカルブレインでテーマにしている資本主義を制し、超えるということだと思います。公にいかないと、最小単位に行き着けないんだなということですね。公にいくことで、自分の利益が欲しいという、うっ滞が塊としてあるのが分かってくるので、祓いの効果も、大祓の効果もよりハッキリと分かってきます。

それを高速で出しているロゴストロンは、最終的には大型本体機をどんどんやっていくのが一番だということを、多くの人に納得して頂ける時期に入ってきたように感じます。

ありがとうございました。

 

◇一番最初に出た神様が最小単位

【七沢代表】

ここは一種の最小単位の研究所でもあります。そういう不思議な研究なのですけれども。我々は言葉の最小単位を言霊ということで、その言霊も父韻と母音と子音ということで、そういう最小単位に分けていくわけですね。

その元が布斗麻邇と言うか、白川では1種ということですね。1種が布斗麻邇、2種が布留部、それで鎮霊、鎮魂という・・・。そういう名前が付いているということですね。もちろん、第7種入門ということは、遠津御祖神の自覚の境地が代表的なことなのですけれども。 

そういう言葉の最小単位というところ、今は物質の最小単位ということをだんだん研究していって、この800年くらいの努力で原子と言うか、元々は、ギリシャのモナードと言いますが、そういう何千年か前にギリシャ哲学の時代に、そういうをイメージしたものがあるわけですけれども。それを800年間かかって、原子、粒子、素粒子というところまで、どんどん最小単位を追求して分かってきたということですね。

その中で、今度は意識というものの最小単位があるのではないのかなということで、我々が意識の最小単位ということを技術としてですね、技術ということはそれを科学として研究しようという一種の表明ですね、それでやっているわけです。

神様はある面では、宇宙と言いますか、あるいは最小単位から出現されてきたもの。ですから、一番最初に出たものと言うかですね、一番最初に出た神様が最小単位なのかもしれませんけれども、一神教だと大きい神様が宇宙創造するようなイメージですけれども、古神道は、ある面では一番小さな神様の単位、あるいは振動数が一番低いのが天之御中主神ということです。

宇宙に働くような巨大な塊と言うのか、あるいは働きというものではない、本当に密やかにと言うか、だから一旦出てきたけれども、また元に帰ってしまうんですね、別天津神という最初の五神は。そういう微細なものと言うかね。

エネルギーで言えば、サトルエネルギー、微細なエネルギーということで、学会もあるくらいですね。そういうことが僅かだけれども、最小単位で構成されるわけですから、そういうものが言ってみれば、最小単位が充満していると言うかね。充満しているということは、宇宙全体に広がっているのだけれども、またそれは一番小さなもので出来ていると言うかね。その摩訶不思議なものが、天之御中主神という最小単位の神様と言っても良いかなと思います。

白川では、そういう働きというものに対して、1つの名前を付けて言うわけですね。布斗麻邇と言った時には、全ての宇宙の働きが出てくる単位があって、それが最小単位ということも一音ということであったものが父韻と母音と子音ということに、だんだん気がついてくると言うかね。

 

◇時代時代の最小単位がある

最小単位はその時代その時代の最小単位があるわけだから、一音で表現できた時代では、ロゴストロンのデザインのように、そういう出現してくる時の一個一個の粒子の動きは、ああいう風なヒッグス粒子が飛び出すようなものになるわけですね。ヒッグス粒子というのは、最小単位の素粒子と言うのかね。そういうものの代表的な一番小さいと言われている存在が17あるということで、だいたい決まってきたのですけれども。

言葉もそうですけれども、さらに分けられるということが出てくるということですね。その時に、父韻と母音という分け方をするようになったと言うかね。最小単位も解明が進んでくると、大まかに直感でもって感じていたものから、更に微細な加工も出来るように分かれてくると言いますか、見つめることが出来るような、そういうことが1つの科学の発達と言うかですね。我々が意識進化と言っているところの意識の最小単位ということを言わないと、意識というものを解明できないと言うかね。

仏教では、それを五行、五大と。五行になるものも、それは易の八卦からだんだん進化してはいるのですけれども・・・。宇宙自然の五大と言うかね。それは、風というものを入れるのか、識というものをその上に入れるというのかということで、仏教では六大という捉え方もありますけれども。白川では風というものは、息ということで、五行とはまた別にあるわけですね。若干、他の五行、五大、六大とは違っているわけですね。地水火風空というのは、仏教では識というものを入れていくわけですけれども。若干違いがあるわけですね。色も世界中の宗教を五行の色と対応して見るとですね、それも世界の宗教は色々と違いますね。古代日本人はグリーンと言う色が無かったので、青だったんですね。そういう風に若干の違いがあろうかと思いますけれども。要するに、自然というものの働きも全て神ですけれども、人間の意識という四魂も1つの働きとして生まれてくるということになるんですね。

 

◇五行、五大、風というものの先にあるものが識

ですから、我々が意識するということが、その最小単位ということですから、生まれてくる順番から言うと、五行、五大、風というものの先にあるものが識ということですね。それを意識というものの最小単位をですね、「識」に更に「意」を付けるということですね。それを、意識の最小単位と言って、それを解明しようということになります。自然の中で意識の進化ということによって起こる不都合と言うか、悲劇というのが人間である証しでもあるかもしれませんね。

動物は意念というところまでいくのですけれども、それは意識の発達段階ではあるのですが、そのところが進化の過程の中で言葉というものの振動というものを理解できるようになるということが、人類の進化学というものを取り入れて、人類を見た時にはそういうことを考えないといけないし、起こることだと思うのですけれども。

多分、意識の源のところが言語意識ということになるわけですね。言語がなければ意識も生まれることが出来ないと言うかですね。それは1つの客観視の道具でもあるわけですね。客観視の道具として使うわけですけれども、自分というものの意識と言うか、意志というものが次第に宇宙というものを見つめる目というか、そういう意識になるわけですね。それによって巨大な宇宙というものを認識したり、神というものを認識することが可能になってくるということだと思うんですね。

その意識のところを一音一音分解して、それを機械にしていくということが、ロゴストロンという技術になるんですね。そういう意味の、客観視する人間の技を外に発するもの、人間同士であればアナログですけれども、機械と人間の関係の中で、それを行うということが出来るようになったと言うかですね。そういうことで、更に意識を客観的にそれを更に詳細にと言うか、見ることが可能になっていくということだと思うんですね。

もちろん、識というものは宇宙を我々が意識することが、今の物理学も自分が意識したらそこで存在が始まる、物事が始まるということが物理学でも言い出しています。我々が意識して、識を使うと言うのかね。それは宇宙に全部広がって拡散したら駄目で、それが循環して戻ってきて確認するということが神を確認するということであったり、宇宙の働きを確認したり、自己自身が働きと共にするというようなところで起こる認識ということになると思うんですね。ですから、行ったり来たりするという、意識の具体的な最小単位というものが言葉によって理解するのですけれども、更にその行為としての識を獲得すると言うのか、見つめる最小単位というものが存在していると思います。

その辺りの使い方と言うのか、最小単位をどのように扱うかというところが意志と言うのか、意識の中の方向性、すなわち指向性を持った存在を認めるという意識によって、それはそのことが発せられる意志と言うのか、そのことを理解する為の意志というものがあってはじめて構成される、事態が起こってくるわけですね。そういうことは一種の言霊ということになるのですけれども。

 

◇内容を技術として捉えて提供していく

言霊が実現するんだということでやっているので、ただ意識の最小単位を発見しただけでもしょうがないわけですね。それがどのように具体的に実現できるかということですね。意識の最小単位を使って、いかに物事を実現するのかということを、順番を知・情・意という形で、人間の中の古くからの哲学で理解することをですね、信仰もそうですね、学んで実際に役立てると言うかですね。そういうことが人類の中で、ある種システマティックに、あるいは科学的にと言うか、再現性のあるものとして開発していく研究、あるいはそれを具体的に社会に適用していくということの社会科学として研究するということに繋がっていくということですね。

いよいよその辺りを客観視できるような、そういう手立てということを次々と色々なところで実効性のある、実現性のあるところをやっていくということが工夫だと思うんですね。それが技術の向上ということに繋がっていくのですけれどもね。そういう技術というレベルに落とし込んで、それを実現するということになるわけですね。ですから、技術というものが単なる機械装置というものではなくて、そういう我々が意識というものを人類に知らしめた頃の伝統と言うのか、それがどうだったのかということを確認しながら、その内容を技術として捉えて提供していくということを今、やっていると思うのですけれども。

その辺りが非常にユニークでもあるし、楽しいし、意気に感じるということだと思うんですね。どんな場所やどんな場面であっても、必ずそういう工夫が楽しいことであって、決して苦しいことではないんだということですね。その辺りが知識としても、情緒的にも自分のひとつの意志としても、それをハッキリと古い哲学の言い方ですけれども、知・情・意というもので見つめていくと生きがいになっていくのではないのかな、ということがあるのかと思いましたので、お話させて頂きました。

ありがとうございました。