0243話:2017年10月25日

これからは、質問や感想を用意して頂いて、ご質問等もお聞きしようと思います。皆様、何かございますか?どうぞ。

◇体を整える大切さ

Iさん

私は昨日の晩、肩と肩甲骨周りの柔軟をやったんですね。いつも首の周りとか、肩の肩甲骨の辺りが凄く凝っているのですが、今日は凄く軽かったです。今日、お祓いをしている時、本当に神様と相対しているような気分で、祝詞を唱えることが出来ました。やはり体を整えるということも、もの凄く大切だなと思いました。自分のあげている祝詞と皆さんのあげている祝詞が、今までよりもより入ってくるような感じで、とても心地よかったです。ありがとうございました。

 

◇自然・神様と折り合いをつける

Kさん

今、天変地異などの祓いのファイルを作ろうということがあるのですけれども、天候とか、地震とか、ある面、必然で起こっているのであって、天候をいじるような構文を発してはいけないということを以前に伺ったことがありました。その兼ね合いはどんな感じなのか、伺いたいと思いました。

 

【七沢代表】

よく奈良毅先生が言われていたのは、地震は今は震度5くらいでも耐えられますけれども、震度4くらいで済みますようにという祈りをされているということでした。豊臣秀吉の時代に大地震が何回かあって、祈念の為、大仏を作って、途中で結局2回くらい作って、それも剥がされ、それを引き継いで秀頼が作って、それも地震で壊れてとなかなか完成しなかったということがあります。

今の時代で耐えられるようなものまでは、なので震度4くらいまでは起こっても、それ以上になると耐えられないところも色々とありますからね、そういう限度みたいなものがあると思います。お願いする限度と言ったらおかしいですけれども、耐えられるところは耐えて、それ以上は勘弁して欲しいというような(笑)、それくらいの折り合いを付けるしかないのかなと。

今は人工的に考えるから、地震も人工地震とか、気象も誰か変えているのではないかとか、同じところに台風を起こしているのではないのかとか、被害妄想となると、伊勢湾台風と同じようなルートで今度、3回目が来るとか、色々ともうすでに考える人もいるようですけれども、それは既にブロックしてあるのですけれどもね。そのように人間が起こそうとするものに関しては、ブロックした方が良いのではないかと思いますけれども。確かに、自然で起こるものは出来るならば回避して頂ければというような思いですかね。そういう表現で、自然、神様と折り合いを付けると言うのか。

 

◇宗教の問題点は救済行為

だから、それは神の意志とか、そういう話になると、また今度は非常に人間の情動が入ってくるということですね。恐怖という感情を使って、脅したり、すかしたり、そこから逃れられるということを提案したり、本当は宗教と同じような救済行為となりますので、自発的な宣言として、それをどう書いたら良いかということですよね。

一方で、欲望を限りなく拡げる装置にもなりかねないですけれども、欲望があるということを前提として考えると、欲望を限れば解決する問題ですので、大したことはないかもしれませんけれども、やっぱりそういう方法で救済しますよ、ということを言うと、違反と言うか、犯罪行為と言うかね。

だから、宗教が誤りに陥りやすいところはそこにあって、どうしてもこの苦しみから救われますよというところが出てくるから、宗教は問題が起こるわけですね。そこがなければ宗教は良いのですけれども、そこが構造的になっているのでそれはしません、ということを宣言してやっています。

 

◇未来・過去を超えて今に一番良い状態を持ってくる

その意味ということは、やっていることが中今を前提として、中今の哲学ですね。一番良いところを今ここに持ってくるということが可能な方法と言うかね。

もちろん、それが未来にあっても、未来から中今のところに持ってくると言うかね。「未来からのツール展」にロゴストロンを出したことがあるのですけれども、ほとんどこれはロゴストロンの為に付けてもらった名前ですね(笑)。その時にロゴストロン100の試作機が出来たんですね。今から、6年前の2月26日に初めて出来て発表したのですけれども、そういうこともあって、未来からのツール展というものでしたが、未来というものを今に持ってくると言うかね。

あるいは過去の良い時も持ってくるわけですね。日本でしたら、縄文の良い文化を優しく過ごしていた時代が有るわけですから。ほとんどの場合は、未来にそういうものを描けないから、過去にそういうものを描くとイソノミアという理想の平等な社会があったということで、そこに帰ろうではないのかということで・・・。日本で言うと、伊勢の内宮のイソノミヤ(磯宮)と。ギリシャではイソノミアと。もちろん、宗教でも元に帰ろう、聖書に帰ろうということで、宗教改革とか、初代キリスト境界エグレシアと言うかですね。新約聖書使徒行伝の頃の理想社会と言うのかね。初代教会の頃に帰ろうという運動もありますけれども。芸術だとそれがルネサンスとか、ギリシャの時代に帰ろうとかね、音楽もそうですね、そういう原点に帰ろうということがあるわけですけれども。

過去に理想のものがあり、そこに帰る為の方法が改革になるということがよくあるわけですね。明治でも、王政復古ということで、過去の一番良いところに戻ろうということが起こるのですけれども、そういう風に時間を超えて、未来、過去を超えて、今に一番良い状態を持ってくるということが1つの方法ですよね。

 

◇中今の哲学、過去未来の法

それが恐怖と不安から、瞬間に中今に至って消えていくわけですね。ですから、終の棲家(ついのすみか)構想というのも、そうだと思うんですね。最後に無くなる時に大祓があると良いね、ということで、そういう場、社会というものを作りましょうということを、我々は「終の棲家構想」と呼んでいるのですけれども。それもそういう状態にするということですよね。

お祓いをあげながら、Iさんが言われたように、お祓いをあげて、ある面では中今の中で一番良い状態に体が戻ってくるということが、お祓いと同時に起こります。もちろん、お祓いも時間の経過を使っているのですけれども、そこに至るということは、3つの祓いもそうだし、ゼロポイントと言いますか、一番良い状態のところに戻って、それは神を迎えた状態でもって、その内容が実行出来る祓いの詞ということになるんですね。

ですから、終の棲家というのは、そういうことで自分の人生の最後の時に、お祓いをあげながら召されるということが一番の良い状態と言うことですね。それは若き日の一番自分が充実した、人生の中で一番輝いた時の姿に、その死ぬ瞬間を迎えると言うかね。ということは、死ぬ瞬間も一番良い状態で死んでいくという感覚を共に持ちながら行くという・・・。

その哲学を中今の哲学ということになります。それは、いつでもそこに戻れるという一種の精神のテレポーテーションということと、時間というものを自在に過去も、未来も、過去未来の法とか、色々な言葉で言っていますが、未来も今に、過去も今に持っていければですね・・・ですから、武術では間庭念流というのがありますけれども、「過去未来の法」と言ってそれがあるわけですけれども。それは出来る名人が出るということは、時空間をタイムスリップするということであるわけですね。

 

◇次元を畳む、包む、結ぶ

そういう今の時代にまだそれが科学になっていませんけれども、要するに、テレポーテーションとタイムマシーンの概念を持っているということ、その機能をハッキリと出して頂いて、それが具体的に装置化すれば、実用が可能になるというかね。そうすると人類の一番の苦難から逃れられると言うかね。

それもまた神道の中にある畳むとか、包むとか、結ぶというような、伊勢の斎宮に教えていた作法もありますけれども、それは次元を畳む、包む、結ぶということですよね。その結果、次元を一つ一つ瞬時に超えていくと言うかね。それは我々が今直面している3次元の中での1つのエネルギー場と言うのか、そういうものもやっていますけれども、磁場とか、電場とかということでやっていますけれども、そういうものの広がり方なんかが、1つの次元の中で間違えやすいところがあるんですね。

それは使う時にはエネルギーの指向性ということがあったりして、バイオリンのストラディバリウスの音が相当広いところへの指向性を持っていて、遠くで聞いていても、ここで弾いているかのように伝えるという音色の一種の指向性が起こるのですけれども。そういうエネルギーのベクトルでもって捉えると間違いやすいですね、方向とかそういうことになるのですけれども。

 

◇古神道改革

ですから、宇宙が生まれる時でも、そういうものを初めから大宇宙があって、その中で色々とやるという考えもありますけれども、無から有を生じるということが、3次元の我々の宇宙でありますけれども、それに至る時の、創造の時は1つの次元を作るわけですけれども、また次元の違う次元を作っていくとなった時に初めて直面するわけですね。創造というものを人間が捉えたら良いかということをですね。

数学で言うと11次元とか、物理学では25次元とか、次元を想定していますけれども、そういう次元を計算式で作るということをしているわけですけれども、ある面では、そういうものがあると見ても良いわけですね。概念であるということは、ある面では具体的に起こるということになるのですけれども、次元というものの起こり方が、そこに人間がついていけるのかどうかということですね、思考とかそういうことだけではなくてね。

そのところもやはりテレポーテーションとタイムマシーンの機能を持っているという概念を使わないと、そのところは分からないんですね。1次元、2次元、3次元、4次元というのは分からないわけですね。もちろん、太陽系の中にヒントはあるわけですね。

一種の点以外は2次平面で、アルゴリズムと言うのか、1つの広がりと言うのか、それは丁度、宇宙に広がっていく時の黄金比で広がっていくわけですね。それは太陽から水金地火木土天海冥ということで広がっていくわけですね。それが見事な数理性になって起こっているということで、我々は宇宙次元コンピューターみたいなものの一角であると、3次元におけるそういうものではないかということで、ひとつの論を進めているのですけれども。

そういう1次元、2次元、3次元というものが、1つの宇宙として出来上がっていくときの雛形は太陽系の中にあると思うのですけれども。更に大宇宙というものが広がっていく時に、どのように広がるかということが非常に面白いと言ったらなんですけれども。

人類が次元というものを、自在にハンドリング出来るようになると、神の創造のところに戻っていくということが可能になるということがあり得るのではないのかと。そういうことを機械にしながら、昨日の話ではないですけれども、自分自身を省みるということをしながら、企業としてもそうだし、中今というところに戻るということですね。そういうことを言葉でもやる方法が、白川と鎮魂と言霊であると。そういうことが一種のルネサンスではないですけれども、1つの古神道改革のところですね。そういう科学でやる場合でも、改革の源に戻ってみるという見方が既にそういう・・・。

それは何故かと言うと、神というものを迎える方法が縄文の頃からあったが故に、そういうものを今一度、今の時代に、中今のこの時代に持ってきて考え、実践し、感じてみるということをすると、自分自身の居場所と言うのか、健康で自然とも調和しながら神を迎え、神の創造というところに自分自身の歓心のところに持ってくると、色々な仕事でも、そういう構文でも書きやすくなるのではないのかなということを今日のお話から感じたことです。

ありがとうございました。