0244話:2017年10月26日

◇今回のロゴフェスのテーマは、なぜ「竜宮乙姫」?

昨日に続き、今日も感想か質問を頂きたいと思います。

 

Sさん

おはようございます。来月のロゴフェスでは「龍宮乙姫」がテーマとなっていますが、初歩的な質問で申し訳ないのですが、なぜそれがテーマになっているのかを知りたいです。

【七沢代表】

先週一週間で、検討をし直して、何をしようとしているのか、よく分からないところがあったので、担当者がどのように考えたら良いのか、投げているところではあります。投げる前までのところを話させて頂きますね。その後は、また担当者の方に聞いて頂ければと思います。

要するに、ロゴフェスというものと、たまたま龍宮乙姫というものと、テーマにすると言うか、ロゴフェスの為に、龍宮乙姫の話を繋げたと言うか、たまたま本も出て、その本の内容を含めて、その時勢、時に合っているということで一緒に、秋の祭りということで、それは白川の祭祀でもあるし、またロゴフェスで本当のものを掴んで欲しいという意味もあって、「真釣り 祀り 秋祭り」というテーマにしています。龍宮乙姫がテーマというのは、たまたま本が出たということもあるのですけれども、分かりやすいという意味はあるのですけれども。

私が小笠原先生から龍宮の御札をもらったということもあるのですけれど。不思議な存在と言うのか、神様なのか、民話上のかぐや姫みたいなものが、だんだん人格から物語格となり、概念が出来て、神のような存在にまでなったと言うのかね。代わりになるような神様も民話の中にあるわけですね。

◇子供達に物語を語り継ぎ残す為のストーリー

例えば、かぐや姫というのは、大祓で瓊々杵命というところもありますけれども、その時に国津神の世界に降りてきた時に、国津神、大山津見神、木花咲耶姫と磐長姫という2人の娘を妃にするということでお渡しするのですけれども。たまたまお姉さんの磐長姫が元へ帰されてしまうということがあるのですけれども。その磐長姫が木花咲耶姫のお姉さんなのですけれども、かぐや姫はこれも民話であるわけだから、磐長姫の神様とかぐや姫を結びつけて、かぐや姫に神格のようなものを与えて神社に祀るということがあるわけですけれども。

龍宮乙姫も不思議な存在というのかね。要するに、浦島太郎の、風土記にあった話が、民話になっているのですけれども、それが何で神のような能力を発揮していくのだろうかというのは、多分に一番の宝を差し上げるというような意味で、それが言霊というものが宝で、それを浦島に渡すということですね。渡しても決して開けてはいけないというのはですね・・・。

多分、今回のフェスタのコンセプトは何かということを聞きたいと思うのですけれどもね。まさにロゴストロン、あるいはロゴスの翻訳は言霊ですけれども、それを渡すということの一種の象徴ですね。言霊という宝を持っているものが箱の中に入れてお渡しすると言うのか。よく民話には騙し騙される話が無きにしもあらずですけれども、それもひとつの物語の方便のようなものとして神話の中にあるのですけれども。

多分、子供達に物語を語り継ぎ残すという意味があって、少し面白おかしくというのかね。そうやって神話とか、民話は出来ているのではないのかと考えているわけです。だから、非常に分かりやすいような婚姻とか、いじめたとか、いじめられたとか、わざわざテーマとして、難しい哲学で語るわけではなく、分かりやすい形で残していって、後の世のある時にどういう意味だったのかを考えてもらえることが起こると思うのですけれどもね。

ディテール(細部)の中には、納得出来ないないような筋や言葉もあるのですけれども、それも意味があるのですけれども、そういうものを含めての1つのストーリーの大切さということですね。物語りでは、ストーリーが大事だから、70年前、80年前の小笠原先生の解釈だけではなくて、現代で、もし違った所、あるいは新たに発見されたことがあれば、それはどこかということを含めて、今回は龍宮乙姫の本が書かれたわけですけれども、今回の本の出版の経緯も、そういう不思議な存在にはなっているというのかね。

元々、風土記に物語としてあったわけですけれども、それが子ども達に伝えやすいようにして作られたものが、今回の龍宮乙姫の民話であり、それを今という時代に知ってもらいたい。それがその本を作った理由です。現代でどういう意味かと単なる種明かしをしても面白くないわけです。

 

◇理想的な世界を実現する言霊

丁度、ロゴストロンをみんなに知ってもらう為の一種の祀りの形をとって、そのところが面白味と言うのか、民話の中の楽しい話をするということ、あるいは、もちろん本当のこと、言霊を掴んで欲しいというのは山々ですけれども、言霊を掴んだらどういう風になるのかということをですね・・・。

龍宮というのは、海の底にある架空のイメージの中にあるのですけれども、一方では、全ての罪とか穢れを海の底の底で速秋津姫から気吹戸主、速佐須良姫という、さすらい失い給ひてん・・・。そういう底にあるものが、ひとつの龍宮城という財宝から、食料から全て整った地下シェルターの天国版みたいなものが海の底の底にあるという風なイメージですけれども。もちろん、今の科学で言うと、海洋深層水と言うのか、深ければ深いほど綺麗な水となって、それが4000mくらいのところを数千年かかって、北極から南極のところに流れて、あるいは南極から両方が出てくるのが、クリスマス島の沖合で、そういう海から逆に一番の宝、塩が出てくるということもありますけれども。

そういう龍宮乙姫という、海の底の天国が、具体的に天にある天国と同じように豊かな幸をもたらすという意味になっているわけですね。それを船頭さんのように送り迎えしているのが亀。これはアガルタ(シャンバラ)地底都市のような話にも繋がりますけれども、今でもそういうことを信じている方がいらっしゃいますね。ヒマラヤの下にそういうところがあるとかね。

一種の民話の中で乙姫様というのが、現代風に言えば、富もエネルギーも食料もある暮らしがあるということですね。しかも、時間というものを超越して存在しているというね。言ってみれば、人間の理想的な部分というのは、我々も含めてそういうものですね。そういう世界を実現すると言うか、それが言霊ということであるわけですね。龍宮乙姫の玉手箱は、色々な説があるんですね。

 

◇言霊は無限に出現する

100番目の神様である須佐之男尊が、それを持って地に下ってきたのではないのかとかね。須佐之男尊は、高天原から追放されるわけですけれども、そういう一番きっと、天照大御神はお姉さんにあたるわけですけれども、海を治めよということが皇祖神の託宣としてですね、須佐之男が治めている、今も治めていると捉えているのですけれども、役割が住んで高天原に帰ったという話もあります。

そうしますと、齎されたもの、これは剣を八咫の大蛇から引き出すということが出雲神話にありますけれども、それに象徴されるのは、剣も言霊の意味なのですけれども。その言霊と一緒に持って帰ってきたのではないのかなと。一方、地上にもあるよということを教えたということでありますけれども、それを持って、持ってくるということはやはり天照大御神が弟が地に下る時に渡した玉手箱であったというのかね。

神話には書いてはいないのですけれども、付け加えると、そういうものを持ってきて、それを使って、それを教えて、その箱を持って、高天原に昇ったのではないのかと思うのですけれども。海を司るという意味の場所の一番底にも残してあったと言うかね。それは色々な物語を作れますけれども。そのものをまた地上で浦島という人にお渡しするということでの、それは言霊というものは減らないわけですね。屁理屈をこねる為に言霊を使うこともありますが、減ることはないですね。ですから、無限に出現するというのが、創造の原理でありますけれども。そういうものを齎すと言うのか、そういう意味の役割を龍宮乙姫のお話がその中にあるのではないのかなと思うのですけれども。あの本には書いていないのですけれども。要するに、地上に財と知恵と時間をハンドリング出来るような方法を、玉手箱として渡して頂いたと言うのかね。

 

◇知識や製品をお渡しして、楽しくその効果を使っていただく

だったら、それを今、ロゴストロンというものを出す時に、祭りというような形は一番伝えやすいからですね。色々な知識や製品やそれをお渡しして、楽しくそれの効能を使って頂こうというのが、元々の趣旨でフェスタ、祭りということになるんですね。丁度、秋の祭りということになるんですね。

春のフェスタの予祝のテーマから、今度は実際に成果物をお渡しするということもそうですけれども、それを司ると言ったらおかしいですけれども、それがたまたま龍宮乙姫という存在が、富とエネルギーと現代風に言うと食料と知恵というものをお渡しするということで、口はばったいからそんなことを言わなくても、そういうものをテーマとしてお祭りをする時の一番分かりやすい存在と言うのかね。

だから、圀手會で本を予約された方には龍宮乙姫の御札をお渡ししたのですけれども。そういう趣旨が、若干違っているところもあるのですけれども、御札の恩恵にどうぞ皆さんあずかってくださいという意味のですね、財というのかね。

◇言葉が作り出すものが一番価値のあること

よくS先生が言われるのは、インドの宗教に関わっておられた時に、どうしても財というものは疎かに出来ないものだよ、ということを常々伝えて頂いているわけですけれども。理想社会が出来れば、お金を均等に出そうということをお金を持っている人でそういうことを考える人もいらっしゃいますが、財というものを貨幣価値という形だけではなくて、良いことの価値、信用の価値、良い言葉の価値ということになってくる時に、初めて世界が変わってくるというのかね。

それはまさに言霊が一番の価値になる時が来ると思いますけれども。それが創造というものの価値に繋がるようなことが言霊であるし、布斗麻邇ということを標榜して、そういう社会を作りたいね、それの理想形がイソノミヤと言っています。そういうものの価値をベースにして、社会が出来れば一番良いことではあるんですけれども。

その財という観念というものが長い間、人類の間に残っているわけですね。貨幣というのか、金というのか、そういう現物に、未だに金のどうのこうのとか、物にして捉えるようですけれども、そうではなくて、最終的には言葉が作り出すものが一番価値のあることが当然の帰結になると思うのですけれども。それを分かるまでが、ひとつのリレーしていっているものが、ひとつの財というものでもあります。

大蔵省が財務省になったように、蔵に入れておいたものを財にということをしていますけれども、財もまた言霊に変わる時が来ると思うのですけれども。そういうものがとりあえずは、財をもたらすという意味での龍宮乙姫という表題となっていると思います。そんなことで、そういう概念で作られた存在、目に見える存在ですけれども、そういうものでより具体的に財というものの姿を一回出してみるというのかね。

そうすると玉手箱の中身が段階で分かってくるのではないのかなという意味で、この表題にしました。それを面白可笑しくというのか、祭りにするというのかね。真実の中の真実を掴むということと、それが神という存在での祀りになり、楽しい縁日のような祭りというのかね、子供の頃に一番欲しいものが昔はあったわけですね。それと同じように、出来るだけ皆さんに差し上げるという意味での、その差し上げるということを表現するということが、取ってつけたようですけれども、龍宮乙姫という題ですね。それを広げてやったら良いのかなと。それをイメージにして音や形にしたら楽しく出来るのではないのかなということです。

 

Sさん

よく分かりました。ありがとうございました。

 

【七沢代表】

ありがとうございました。