0251話:2017年11月07日

◇客観的な時間と主観的な時間

何か質問はありますか?

Hさん

毎朝、お祓いをあげているのですけれども、その度に時間の感覚が毎回、違っています。すごく早く感じる時と、すごく長く感じる時とあります。長く感じる時でも大丈夫かなとか、すごい時間経ってしまっているように感じていることがあります。そういうことがあっても大丈夫でしょうか。

 

【七沢代表】

時間も色々とあると思います。だんだん年をとってくると早くなるとか、子供の頃はゆっくり感じるとか、体の感じる時間もですが、脳が感じることがありますね。何かに集中している時は短く感じる時があったり、逆に集中が散漫になっている時は時間がなかなか過ぎないとかね。そういう時間というのが、十万年先の時間でも正確と言われる時計というのもありますけれども。

いわゆる哲学的に言うと、客観と主観、時間というものは客観的な時間があるのか、それとも主観的な時間というのもあるのかというような哲学的議論、時間というものは全て主観的なものというように・・・。ということは自分で考えたものが時間だと言ってもいいし、客観だと、全ては人間の考えとは関係なくあるという機械的な捉え方もあるわけです。それは主観も客観も含めて1つの時空間というか、時間というのは後から人間の営みと関わりがあるのですけれども。

◇時間にあまりとらわれないインド・日本

時間というものをいわゆる考える中では、タイムトラベルするのではないかということだから、瞬間が起こるのではないのかと。あるいは限りなく時間というものが、客観時間というものが光の速さで起こっているわけですからね。ですから、光を越えた速さ、時間というものが考えてはいけないという物理学にぶち当たります。でも、人間は時間を越えるというタイムトラベルの哲学と言いますか、一方でそういうものを持っているわけです。

神道というのは、どういう時間軸かと言いますと、インドとか日本のある時間というのは、時間にあんまりとらわれていないと言いますか、インドの代表的なマイトレーヤ、弥勒菩薩は56億何年万カルパで降臨するとかですね。インドのヴェータでは3000万年くらいで神も人になって、また人から神に戻るまで3000万年という途方もない時間が要ったりします。あまり歴史時間に興味がないというかね。神話はあるけれども、歴史に興味がないと言いますかね。

日本もそうですね。そういう人間の歴史である時間の輪廻にあまり興味がないと言いますかね。神道は、神になる時間も非常に短いというか、そういうところがあります。そういうものを今の時代の中で乗り越えるときの発想法というのがタイムトラベルと言いますかね。

◇思考と概念がようやく向かい合う時が来た

時間軸と普通は空間軸の1ベクトル、すなわち1方向で時空間というのは、できているということになっています。アインシュタインで言うと、時間はないということでもあるわけですから、概念的によく分からないというか、要するに相対性理論と特殊相対性理論でも、概念だと思うんですがね。概念ができて、それに縛られることもあれば、その概念を越える概念を作れば、その概念は越えると言いますかね。

物理学を混ぜたものを哲学的に話すと、時間もエネルギー論を前提に考えますと主観になるのですけれども、主観になるということは要するに一番短くすれば、その時間も越えていけるものがあるという結論になるのですけれども。時間を越えていくという結論ということは、それはたぶん哲学で言うと、新概念ということになるんですね。

話しが概念論と言うか、意味のあるかどうか分からないような議論になる恐れもありますが、要はそういう概念も思考実験ということで、思考というものと概念がようやく向かい合う時が来たとも云えるわけです。考えるということでもって、その概念が正しいかどうかということを考えられるようになったと言ったらおかしいですけれども。

実験としてはそれが正しいということにもなりうるということが、最近のものでは起こるというかですね。様々なものが起こってくるというかですね。

◇情緒も数学であり、数学も情緒である

我々は情緒という、1つの例えば、時間のかかる脳の働きと言うのですかね、思考はもっと時間がかかるわけですけれども。だんだん時間の短い直感とかそういうところに至る時に、情緒というものを使うという人も多分、今日、ふっと思ったことは岡潔という数学者がいるのですが、この方は七次元方程式というものを考えた方です。

要するに、数学のひらめきのようなものは色としたら紫のような色で光るというか、明滅するようなものが瞬間に数式に現れるというような言い方をして、それはしかもほとんど情緒に近いということを言っていたこともありますけれども、もう50年も前の話ですけれども・・・。情緒も数学であり、あるいは数学も情緒であるということで見ると、情緒というものは感情から見れば時間が短いんですね。

脳にきっかけになるトリガーの言葉自体があって、それが情動になって、そして、それが消えていく、何回か自分で再生するということで、記憶に残って人間の感情というものが非常に左右されるというかね。特に日本人は、感情に左右されやすいといいますかね。緊張しやすいということは、ある面では、そういう情緒に左右されているということの結果だと思います。論理的に考えたらおかしいということが、感情ではなかなか納得できなくて時間がかかるわけですね。

数学で計算する、例えば、コンピューターで計算するということから見れば人間の考える持っているもっと高度なコンピューターも持っているはずですね。それは2045年に人工知能が人間を超える時は、そのくらいかかるかもしれませんけれども。人間の脳が既にそういう機能を持っているにも関わらず、情動というもので非常に時間をかけて、バイアスがかけられているというかね。そのことが人類の時間を、輪廻転生しないといけないような、時間をかけているということに変えなければならないけれども。

情動で時間がかかるところを縮めようというのが来年のライフ・チェンジ転生自由七科ということになるんですね。そのことの全体像を神というものと悪魔、人間の自由というものを対比して、人間がそれぞれの4つの神魔人獣で持ってくる情動というものが、どこまで回心を短く出来るかということを今、企画しているわけですね。たぶんそういう分かりにくく解決できなかったところが、煩悩ということに繋がっていると思うんですね。

◇各次元のメビウスの統合は、主客の合一

時間というものが主観的、客観的に自分の中で捉えることが始まる、あるいは起こる感覚としてできるということは最初の兆候でもあります。それは1つの悟りであり、脳の使い方の1つの始まりでもあります。もちろん既に、そういう脳を使っているのですけれども、時間に関する使い方が始まってくるというかね。それは情動や直感やあるいは、宇宙というものをどう感じるかということをいよいよ自分の脳の中で起こっている結果だと思うんですね。

そのこと自体は非常に良いことと言ったらおかしいですが、それが主観的なこととして終わってしまわないで、どこまでそれが主客の合一というか、主客の両方を使ってその概念をとることができると非常に新しい境地が開けるというかね。我々、まさに空間の広がりという意味と時間というものの経過の両方をどういう風に感じるかということを概念として掴む、あるいは、そこの概念から時空間というものが具体的にできてきて、それが元に帰ってくるというかですね。

それは3次元で言うと、メビウスであったりするわけですけれども。各次元のメビウスを重ね合わせて更にそれを包み込んで結んでしまうということが概念としてできれば、それは新しい1つの時空間の運び方、使い方になるというかですね。そういうことを論理としてもできるようになると良いと。それがまた人間の中で思考を早くするという意味でロゴストロンというものはそういうものを電磁波というか、まず、そういう速さで脳内と共振、共鳴、同調させるということを実験しながらやっていくわけですね。当然、ロゴストロンを浴びながら、時間というものがどう自分の中で変わったかということを見ると、たぶん変わっていくんですね。そういうことも起こるというか・・・。

◇煩悩が変わる。カルマではなく新しい命を充実させる

もちろん、人間の煩悩というものがこの時間というものを作っているとすれば、煩悩というものが変わっていくというか、煩悩でなくなってくるということをやっていくようなことが今、起こっています。それは今、この時代の中の転換期に人類の意識、今、我々が意識進化と言っているのは当然、そういう問題の時間意識の変化、進化は起こっていくということに繋がります。そういうことがあるので、非常に大事なところになっているのではないのかと思います。

我々、ごく普通な人間がそういうことをこの時代の中で先駆けて始めているということはある面では、非常に良いことであるし、あるいはこれは新しい時代が起こるということの兆候でもあります。そういう意味での煩悩、あるいはカルマ、あるいは転生しなければいけない人間が現世でこれを確実に時間軸を縮めて、そして、その中で解決して、新しい命というものを充実させるというかね、そういうことができる。それは我々、神というものを立ててやるということは非常にそこに至る道を非常に直(なお)くするということがあるというかですね。

◇メッシュが細かい多神教が、1万5千もの日本文明に

多神教であって良かったなと思うところは、神に至る時に、また別の神にお願いしたりとメッシュが細かいわけですね。神という創造神(造化三神とは言いますが)というものは言わないけれども、名前のない神を考えなければいけないけれども、そういう世界の神の世界に入る時は、概念と人間の命というものと本来の出現された神と一致する世界があるのですけれども、それを丁寧に導いて下さる神様がいらっしゃるということですね・・・。

そのことが日本の文明というか、1万5千年も続いた文明というものを持っていたことであるし、そこを行ける道があるということをどうしても世界に知らせたいなと。余計なおせっかいかもしれませんが、知っている人は勝手に天国でもどこでも行って、黙っていれば良いというのもありますけれども(笑)今の時代は、そのことを出せと言っているような気がして、みんなで共にそこのところをやっていくと良いのではないのかと。

時間の神様というのは、この前も言いましたが、「時置師神(ときおかしのかみ)」、つまり時の置くようなことが出来るということは、時置師神と一体となれば、人間が時を置く、すなわち主観でもあり、客観でもある場面に出会えるということが、今の結論かもしれません。

今日はこんなところでお許しください。ありがとうございます。