0256話:2017年11月09日

【スタッフ向けお祓い会での話し 前半】

◇七種入門は遠津御祖神が中心

 

七種というのは、作法的には天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神です。もちろん、天津神、国津神とやりますけれども、初めからその神様はよく分からないですね。神様を迎えると言ってますが、分かりくいですね。

まずは遠津御祖神がポイントになります。産霊幸倍神は生まれた時から厄介になっている神様ということです。生まれた場所、時間に神がいるということですね。時空間に産まれてきますから・・・。産道を通っていく時に、少しは歪むのかもしれませんが。要するに、生まれた時間の中に神がいるということです。

七種入門というのは、遠津御祖神が中心となります。遠津御祖神は自分のことで生きている遠津御祖神ということになるんですね。自分が先祖の一番先頭に立っているということです。お兄さんがいたり、おじいさんが生きているということはもちろんありますが・・・。

後手で柏手を打っているということは、自分に打っているということです。

四種の拍手では足してプラスになるように打つときに後手や斜め後ろで手を打つことがありますが、普通はほとんど後手では打たないです。ほとんど前で打ちます。

 

◇柏手について

 

また、柏手は強い音の拍手と小さく弱い打ち方の忍び手、それに打たない柏手と言ったらおかしいですが、その3種類あります。神社でも忍び手で柏手を打つということはほとんどなくて、鹿島神宮くらいですね。神葬祭(神道の形式によって行われる葬儀のこと)以外、みんな今はそんなことをやらないでしょうけれども。

もちろん、後手で打つということは白川以外の作法には全くありません。遠津御祖神は〇〇家遠津御祖神ということで、そういう意味で後手で打つということで自分が生きた先祖ということで打ちます。七種というのは、基本的に遠津御祖神の拍手と言ってもよいです。

この段階では、天津神は分かりません、国津神は分かりません、ただ、形式として作法として打っているだけですね。なので、七種というのは自分自身であり、先祖に対して打ちます。

 

◇榊について

 

天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神と言ってですね・・・。客観視するときは、榊に迎えたり、あるいは空中に意識したりして、そこで自分とまた1つになるという捉え方で榊があります。白川神道は神器や御霊箱の前に榊があって、榊に迎えて自分に迎えるというやり方なんですね。

木の中で一番強い木と言われているのが榊です。一年に4回芽が出ると言われています。生み出すという力が強いということで榊となっています。あとは常緑樹ですね。樫の木でも良いのですが、そういう強い木のものを依代(よりしろ)にすると。しかも榊は木偏に神ですね。天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神とやっていって、榊の形をとることとなります。榊に神を迎えた上に更に自分と神が1つになるというのかね。

そういう意味がありまして、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神と意念しながらやります。

 

◇産霊幸倍神

 

産霊幸倍神というのは、産まれた瞬間の時空間の働きを表します。それを神の働きと見立てた神の名としているわけです。産まれた瞬間に自分の命が始まります。時空間の働きを産霊幸倍神という風に言います。要するに、生み出して、大地に生んでくださった命が生み出した時間に共鳴して力強く生きられるように同調してくださるというかね。そういう神として産霊幸倍神があります。お父さん、お母さんに感謝するということがありますけれどもね。お母さん、お父さんを産んでくださった産霊幸倍神と言って、柏手を打ってやるわけです。

 

◇十種・九種・八種について

 

それが七種です。入門ですから、遠津御祖神は自分自身でもあるわけだから、入門ですということを言っているんですね。

十種で息をいただくというふうに言いますけれども。あとは九種、八種というのは神を迎えるということですね。

降神(天地と意図を上下で拍手する)と昇神(上下させないで同位置で拍手する)の拍手ですね。(以下、URLより動画でご覧いただけます。 https://shirakawagakkan.jp/tsushin/hakushusahou/ )

今の神社では降神しないで昇神ばかりですね。同位置で打つ二拍手ですからね。

白川では神社の神主さんたちがやることは当たり前でしょということで、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神が入門の神拝作法ということになっています。当たり前のことを言わないようにですね。

九種、八種というのは全く伝授の対象外でした。今はそういうわけにもいきませんからお伝えいたしました。

 

◇六種について

 

六種は、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂とやって、2拍手して息を吹きかけて、その時に念じる神様を念じます。そして、意念して、お願いして、六種の拍手となります。

七種が遠津御祖神を迎える拍手とすると、六種は五行(いづら)の行、木火土金水ですね。地球というのはほとんど木火土金水が全てですね。隕石で落ちてくるものは四十何億年前の惑星の核になったものが散らばっていますけれども。もちろん、金でも金色の金は地球からできたかもしれません。プラチナは宇宙からやってきたという説もあります。火の玉が、水の玉と一緒に来たという水は宇宙から来たという説もあります。そういうことなどで、それが木火土金水の五行となりました。

「識」を加えて、六大となったり、風が入ったり、空がはいったりということもあります。

私は9行で、半母音を含めた母音ということで、半母音が4個で母音が5個ということで9行でナインエレメンツということで捉えています。

普通は五行ということですね。白川が伝えてきたのは五行ですね。六種というのは五行の行ということで、そういう柏手になっています。五魂が、五行であり、あいうえおということですね。荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂の五魂です。

五行というものにそれぞれ神がいるわけですね。火は火之迦具土神、土は埴安彦神、水は弥都波能売神、木は久久能智神、金は金山姫神というように。五行というものと一体となったということですね。それが神様の名前だと色んな名前があります。

ということは人は水の働き自身になるということですね。人間は70%以上が水で脳は92%が水と言われています。水によって、生きているということで最初に水、そして土、それで水と土が混ざって泥ということですね。

最初に五行と一体となるということを体感するという意味で、行があります。その体感が得られた時に六種鎮魂の作法をお教えするということだったんですね。本来であれば、行ができて体感があって初めて各所作である六種ということになります。システム学習というものを取り入れていますから、最初に教えても大丈夫というかですね。

今の時代ですから、先に教えても全然問題なくそういう世界を体感できると思います。
ですから今では知識として先にお話しするということをやっています。

 

◇白川というのは全ての修行の最後にする修行

 

白川というのは全ての修行の最後にする修行と言われています。祝殿講習のご修行というものをやっていますので、ご参加されると良いと思います。

ですから、最初に水、土というものと、1つになったという体験をしたら、六種ということになりますが、最初にお伝えしますと、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂ということですね。

まずは地球の五行を鎮める技、所作なんですね。地球の五行の神を迎えて、五行が鎮まっていただくということが鎮魂ですね。自分と地球の五行が共振、共鳴、同調するという意味の循環するということですね。荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂の五魂、五行と自分が循環することを魂(たま)と言っているんですね。

それは最初の魂であろうが、太陽の玉であろうが、それが全て黄金比で平面に並んでいるわけですね。平面に並んだ玉が動きながら、太陽系を構成しているわけですね。まずは惑星としての地球の全てと1つとなって、その先にある惑星と1つになるわざですね。

体感的に五行というものが、確かにあるということを実感するというのが人類の最初の悟りのところだと思います。それが無ければ何の悟りもいくらやっても無駄なんですね。五大明王というのは五行の働きを迎えて来年の正月には8日目からここで、胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅、五大明王を全部飾り、出現していただくというかね。これは密教ですけれどもね。それも五大=五行ということになっています。荒魂、和魂ということは、地球の五行と1つになったということですね。

要するに、2次平面でやる技が鎮魂のところですね。2次平面から3次元、4次元にしていくのが、数学的に言うと、鎮魂の技です。自分の中にある始まり、地球というものが始まった最初の五行をひとつ1つを確認して、その力をしかるべき働きをするようにというのが鎮魂なんですね。それは物にも、人にもできる。地球全体にやっているわざですから。

五魂が五大と一緒になっているものが分かれていくということが死ぬということですね。

それが分かれて帰っていく。1つの魂が主導して足から抜けたら大地に向かってしまって天に昇りにくいということですね。それが49日供養して、魂の分離ということで一旦、分かれていくわけですね。そして、再び結合して魂の働きが再統合されて天に昇っていくというかね。人間が修行して天に昇っていくということの中身が精魂に代表されるというかね。精魂を中心に天に昇っていくんだということですね。和魂と一緒に天に昇っていく。

この六種では、一旦、五魂をバラバラにしたり再統合したりということを我々は普段やっているわけですね。荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂ということで・・・。だから五魂が足から出るということはないんですね。普通、ほとんどの世の中の人は足から出ていく場合が多いですね。五魂というものを整えて、分けて、大地として、存在として、全てのものに五魂の働きを付与して、本来の働きをしてもらうというのが、六種鎮魂というものの外に向かっての技ですね。

それを我々は修行の中で土、水と一体となっていくと修行としては分かったということになるんですね。