0261話:2017年11月13日

◇遠津御祖神と一体となるプロセスを体感した

Tさん、ご報告お願いいたします。

●Tさん

皆様、ご心配をおかけいたしました。昨晩、帰ってまいりました。丁度、火曜日の夜中、明け方に父から電話がありました。母は6月から入院して、3週間前から覚悟はしていました。11時半くらいに容態が急変したそうで、間に合わないので京都の近くに住んでいる者だけ呼んでくれということでしたので、私の方には電話がありませんでした。そして、息を引き取ってから父から連絡がありました。

それで全体会議もお休みさせて頂きました。1つお伝えしたいのは、白川のおみちをやっているということは本当にすごいことということです。お父さん、お母さんは誰にでもいて、そこから私たちは命を受け継いでいるわけです。白川の学びをやっていて、遠津御祖神と一体となるということを体感として掴んでいるというのは、本当にかけがえのないことだと思いました。今回、命を受け継ぐということと伝えていくという意味、そして、その有り難さを感じました。

それは、おみちをやっていたお陰で体感できました。恐らくおみちをやっていなかったら、そこの感覚が薄かったと思います。亡くなった直後に母が来たことを感じたり、それが遠津御祖神と一体となるプロセスというのも体感できたりとか、色々なものがありました。死ということは分からないんですよ。おみちというのがそれを一番理解できる技だということを体感できました。

こういうことは誰にでもあって、自分自身の死というのにも必ずありますので、ご修行を通してそこは一番大切なことですので、さらに学んでいきたいということで志を新たにしました。これからもよろしくお願いいたします。

◇白川の役割と歴史

【七沢代表】

ありがとうございます。昨日の月次祭もそうですし、その後の直会でも、ほとんどあにまる座、今度、白川座という雰囲気でありました。皆さんで話をして、談論風発して、5時近くまで話しをしていました。要するに、白川というのは、神と君と言うか、天皇と神様を直近の時代の中では、天照大御神と天皇を結ぶ仕事ですね。もともと中臣(なかつおみ)ということで、中臣氏がまさにそうですけれども、白川家はそれを引き継いだ歴史がある家です。白川というのは「臣(おみ)」の役割です。神と天皇の中取り持ちをする役ということになるんですね。これが国の仕事としては神祇官というものになるのですけれども。

まずその仕事というのは神と天皇を繋ぐ役目でありますから、150年位、明治の王政復古でヨーロッパの一神教との関係で、その仕事を宗教にしちゃうわけですね。元々は祭政一致だったわけですね。それを結局、憲法を作って、離すことにしたんですね。その間に宗教を作りました。それが今の一神教に似せた神社神道ということになるのですけれども。その代わり他の宗教も認めるということになるんですね。元々はお寺とか神社しかなかったのですけれども。ですから戦国時代にキリスト教が入ってきた時はそれを禁止したんですね。そういう歴史があります。

仕事として見ると、社会的には君と民を結ぶ仕事ということで、大祓とかそういうものも白川から神社等に学んで頂こうということになりました。それは斉藤さんも神社でやっておられて、今もそのことをやって頂いています。そういう神官の方々がそういう繋ぎの役をされていたんですね。

白川の教え、そして吉田も同じですけれどもね。白川の方が古いところから残っているのですけれども。そういう神官がそういう仕事をするわけですね。今度は学びということになると、宗教と丁度、明治に出たのが科学でもあるわけですね。両方を入れたわけですからね。逆に日本も2つを入れて民と君ということで、立憲君主制で国を司ってきました。今、この70年間で今度はそれがバラバラになってしまうわけですね。科学と宗教というものが対立軸のようになってきたのが、体よく結ぼうという動きが道徳からも、宗教からもありましたが・・・。何とかの科学とかですね・・・。言ったらいけませんけれども(笑)それがまた科学をしないわけですね。

◇宗教と科学の両方を結ぶ

科学と言っている宗教が本当の科学をしないから、今時、非常に胡散臭く見られるわけです。我々は経済活動も主軸としてさせて頂いておりますね、株式会社ですね。一方では、株式会社というのは法人が違うわけでしょ。宗教は宗教法人。その中間みたいなもので、財団とか社団法人というものが必要で作られるわけですけれども。要するに、宗教は科学をしない。科学の人たちは宗教をしないということが多いわけですね。

その間が繋がらないから社会というものはバラバラになるわけですけれども。挙句の果てに、欧米のようにリベラルアーツと言わないといけなくなります。ハーバード大学でもそういうものを勉強しないといけない。よく考えたら、本来は神学にいく為の前提となる学問ということですね。それを曖昧にして芸術としてやっているのがせいぜいなところです。

今、我々は宗教とは言わない、宗教法人でもないです。一番古い宗教と言えば宗教と呼ばれます。宗教学で意見が分かれるわけですね。古神道は神道なのか、神道ではないのか、どっちでも良いようなところがあります。要するに、我々は宗教と科学の両方を結ぶしかないんですね。そういう役回りはどうしてもあるわけです。だから、両方を結ぶ技というのがあるわけですね。

その中間帯の産霊(むすび)のところは、体、情、魂、霊、神ではないですが、結合エネルギーは見えないわけだから、なかなかそれを科学としてというか、もちろん、神道でも一番古い神道なのに、全然理解されない状況に今なっています。そういう非常に難しい場面にあることはあるんですね。

宗教の方も理解しないといけないし、科学も理解しないといけないというところがあって、その間を行ったり来たりすると交互ということになってしまうので駄目なのですが、その辺をうまく皆が納得できるような形で振る舞うというかね。

ヒンズー教なんかは、その道を剃刀の刃の道を渡る技というように言っています。そういう言葉があり、そのくらい難しいということです。中道と言うか、道を守るということから見たら、保守という政治的な言葉もありますけれども、どこにも保守なんていません(笑)。我々が一生懸命守っているわけです。保守ですよ、本当の保守。中道ですね。中道ということを言う宗教団体もありましたけれども、もう言わないですね。そういう難しさがあるということ、バランスが難しいですけれども、そこに人がいないと結ぶことが出来ない。

◇”結び手の役”

今度、“結び手”という言葉をつけて頂きましたが、結び手というのは、手であると同時に結ぶ人という意味でもあるわけでしょ。結び手がいないと出来ないと言うかね。これがどうしても役割として我々持っているわけですから、宗教と科学、人と自然、人と動物、人と神というものを繋ぐというコミュニケーションプラットフォームを作る役ということですね。繋ぐというのは心のベルトがかかるということですね。そういう意味の心が通い合う為に働くということが大事なところですね。

今、動物のところをTさんとFさんにやって頂いています。これは前からそういうことを研究していたわけですから、更に高度化して頂くことは非常に大事なところです。これは命というものもそうですね。それは自然というものと結ぶと言うかね。その結びの技が我々の学びであり、仕事であり、生き方ということになると。そんなことを考えますと、非常に難しいけれども、やりがいがあるし、後にこの方法が世界に役立つということが判ることになると思うんですね。

難しいことは難しいですね、会社法人の七沢研究所は資本主義を超えた事業活動、経済活動をしていかないといけないですから。一方では、宗教が出来ないところもすると言うと口幅ったいですが、やらないといけない。そして、結び手の役もしないといけない。だから、色んな事業計画や事業企画でやりますけれども、必要だからやっているわけです。好きだからやっているということではありません(笑)。

それぞれの生き方の中に面白さはありますから、それを楽しみながらやるしかないかなと思っています。それを苦しいと思うといけません。辛いことはしないことです。皆さんいつでも脱藩して頂いても結構でございます(笑)。

そういうことはあると思いますので、そこのところは納得して頂いて、共に行って頂きたいということでございます。今日はまたよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。