0262話:2017年11月14日

◇願いをかなえるお清めCDブック

Oさんの書かれた本が届きました。

●Oさん

前から会議でもお話ししておりますサンマーク出版より「願いをかなえるお清めCDブック」ができ、今日の朝、研究所に届きました。

今回、この本はサンマーク出版では珍しく初版が1万2千部なんですね。普通は、2千部、3千部からやるのですけれども、力を入れて頂いています。皆様のご協力もありまして、サンマーク出版にて、サキ読みということをやっていたのですけれども、1400くらいを超えていて、現時点でサンマーク出版の歴代で5番くらいに来ているようです。これからまだ伸びるだろうとのことでした。昨日、東京でサンマーク出版の編集者の方と販促の方々と打ち合わせしてきました。これからキャンペーンも行いまして、意欲的に皆様にご協力いただきまして、嬉しく思っています。

今回、ポイントはCDが前作の祓詞も良かったのですけれども、Yさんも頑張ってくださいまして、この間の会議でもお話しましたように、私も結構なロゴストロンヘビーユーザーなのですけれども、その自分を運転中に眠らせてしまうほどの祓いの力があるのではないのかなということがあります。これ自体CDの力があります。

今回、初めてこの本で、意志の出し方、五魂とは何かという、これまであまり触れていないことに触れています。今まで学びに馴染んでいる方々にとっても新しい情報になっていると思います。11月20日に正式に販売することになります。そのようなキャンペーンがありまして、Amazonでも、ランキング全体で200番目くらいになっているそうです。そのくらいご協力いただいています。

しっかりとこの本が広がって、ロゴストロンの普及に繋がるようにお祈りしております。よろしければまた皆様、見て頂ければと思っています。ありがとうございました。

◇結びのエネルギーとは?

【七沢代表】

ありがとうございました。既に用意していた材料が、どんどん出てきています。今日の感じでは、我々が企画したり、年度替わりで、今まで温めてきたものがそれぞれの形で見えるようになってきたと言うのかね。きっと色んな結びが起こって、それが1つの形を成すと言うかですね。結びというエネルギーは見えないけれども、1つの結ばれたところが、物や事でありますけれども、結ばれることによって、ハッキリとした形となってくるということだと思うのですけれども。

結びのエネルギーというのは、もちろん、解くエネルギー、止める為のエネルギーになりうるわけですけれども。

◇一方に向かって広がっていくのが創造

そういう見えないけれども、宇宙というものが広がっていく時に、花火の玉が、全体に向かって割れるように、光が目に見えるようになるということだと思うのですけれども。それが命ということにも繋がるんですね。でもこれは、私の勝手な感じですけれども、創造ということは、一方に向かって広がっていくように感じるというのかね。ベクトルが1つの方向をもっているように、見ていると言うかね。そういうところで、時空間を見ているということで、人間というのは、1つの夢想すると言うかね、全体に渡って、命というものが広がっていくと言うかね。

ある時に、ある人の寿命を延ばす操作が出来るのではないかということで、命のほとばしりを拡げる技と言うのかね。亡くなった時にもう一度、生に戻すような、これは十種の神宝の中にも、死返玉(まかるかへしのたま)という技もあるのですけれども。命のほとばしりと言うのか、いわゆる俗に言う寿命を長くするということもあるのですけれども。

丁度、そういう命というものを全方向に向かって放射するエネルギーと方向性とベクトルを決めて拡げるということをすると、確かに命は伸びるんですね。そういうこともあると言うのか。命というものはそういう広がりと言うかですね。それが瞬間瞬間に、明滅と言うか、呼吸をするように、宇宙の中で自分自身が広がっていると言うのかね。そういうことが判るようになると言うのかね。

◇十種の神寶

十種の神寶というものが、様々な剣とか、鏡とか、比礼(ひれ)ということで表現されていますけれども、そういうものの一種の、仏教で言うとお釈迦様の六大神通力かもしれませんが、そういうものは普通、我々は人生の中で、そんなに使うことではないんですよね。よく奈良先生が、それは一生に一度使うか、使わないくらいなんだよということをよく言われていました。

私も親父が死んだ時に、死返玉を使おうと思って、道具類を調べてみたら井戸がなかったんですね(笑)。それがなくて出来なかった。それでもたまたま姪っ子が、嘆き悲しんで泣いていたから、それを何とかしようかなと思ったのですけれども。僕は本人が充分に、お別れも言ってきたということが分かっていたので、戻そうということは考えていなかったのですけれども。あまりにも嘆いていたので、ついつい使ってみようかなと、不心得な心をおこしてしまったのですけれども。

十種の神寶というものは、そんなに自分の一生の中で。それは国家の為、公の為に役割がある場合ですね。天皇とか、昔で言うと、宮中で働いている百官の方々には必要なことがあったので、白川家は、陰陽師に下請けを頼んだり使っていたりすることもありますけれども。その最たるものが大祓というものですね。大祓は、十種神寶に匹敵するような、そういうことを含んだ内容で、それを祓いをあげることで可能にするということですね。それが第4種という形であるということですね。ですから、その祓いをあげることで、非常に困難なことを乗り切るという間違うと呪文のようになっていると言うかね。非常に集約されているんですね。

晦(つごもり)と大晦日(おおつごもり)ですね。6月と12月の最後の日に宮中に仕えている、朝廷に仕えている人たちの為に、外側での、部族長とか、全国一宮で仕えている、それが八咫烏の場合もありましょうけれども、そういう人たちに祓いをするというのが、白川の役割でもありました。

公にある場合に、祓いをあげるということが中心でした。我々もそういう意味で、今の人類の存続、意識進化というところに役に立つような大祓をあげさせて頂くということを前提として、祓いの詞があげられると言うかね。

◇お清め三科

ですから、その辺りは、なかなか現代社会ではそういうことを分かって頂くのは難しいから、今回のお清め本ということで、本来はそういうことを、いわゆるリベラルアーツ、自由七科の上を十科としたら、お清め三科ということで、三科というのは3つあるとか、お清めに加わるという意味の参加とか、讃美する讃歌とか、色々な意味があります。そういう中で聞いて頂いて、少しでも、大祓に興味を持って頂ければ良いかなと思います。そういう本当に人類の為に清めてみたいという人が、一人でも出てくれば、非常にそれは良いのではないのかと。もちろん、それを個人として感じられるということも非常に大事なことではあります。そういう1つのお清めというものが、これから広がるというかですね。

◇羽化登仙 清める先に達成する内容がある

月次祭の時もお話ししたのですけれども、そういう平安清明というのか、本当に単純な言葉で、平らけく、安らけく、清らけく、明らけくというような単純な形容詞ではあるのですけれども、それで言い尽くされているなと。それは個人としての生き方も、あるいは社会としての生き方も、それに全て含まれているということを非常に感じるのですけれども。

そんな清めているとですね、神官の中には潔癖症になる人もいます。神道というのは、徹底的に清めるということで、よく手を洗うとかですね。それが、日本人が健康である理由でもあるのですが。何で清めるということを、今のゴミ屋敷なんかいっぱいありますからね、家の書類もゴミ屋敷に近いかもしませんが(笑)。それが他人事ではないのですけれども。単なる清めるということだけが、目的ではないということですね。ですから、清めて達成する内容ということは、四字熟語で言うと、羽化登仙(うかとうせん)、つまり、青虫が野菜の中で暮らしていて、それが全ての宇宙と思っていたものが、それが仙人のように高みに昇っていくということになると思います。

要するに、幼虫が蛹(さなぎ)になり、蛹が成虫になって飛んでいくと言うかね。蝶でも、台湾から富士山に来て、また戻っていくという蝶もいるわけですけれども。そういう、まさに富士山に登るというのは、徐福の時の人間の生き様、そこに行くんだという世界で一番美しい山に登って、そこからまた天に昇ると言うかね。

アサギマダラという蝶がいますが、それが飛んでくるわけですね。それが富士山に飛んでくるということがあります。そういう我々が登仙と言うか、体のまま登るというのは、道教が一番研究されていて体のまま富士山から天に昇る、龍になって昇るというのが1つの理想というかね。

村山古道の、村山修験の最初の人は富士から昇っていったと言うかね。
その姿が、お寺と村山浅間神社に行くと、ありありと見えるようです。その昇っていく時に、尸解仙(しかいせん)ということで、道教で、体が見えたまま天に昇っていき、それが見る人が見ると龍になったりして昇る様に見える。

これを、祓いを通じてそういうことをやると。中村新子先生のお父さんにあたる宮内忠正先生は、お祓いをあげながら亡くなっていったという方でありました。42歳くらいで亡くなられたそうです。お祓いをあげながら昇っていくと言うのかね。

◇魂とは何か、霊とは何か。ということを知らないといけない

そういう、エネルギーの問題というのは五魂で解けたかなと思うのですけれども。それは2700年くらいの前のギリシャの時代に、霊魂を哲学的に研究し、もちろん、古代文明には、みんな霊魂観はあるのですけれども。エジプトにも、日本の五魂と全く同じような魂(たま)というものがありますから、エジプトの方が近いかもしれませんけれども、そういう研究に入ったということで言えば、ギリシャの時代も、霊と魂の研究に入るわけですけれども。

それがヘブライズム、ヘレニズムではないですけれども、ギリシャだけではなくて、ヘブライズムというユダヤ、キリスト教の考え方を融合して、そういう魂というものを研究していく歴史が2500年以上続いたわけですね。きっとそういう、人間が共に暮らして社会を作っていく時の、1つの合わせる、プロトコルと言うか、その上で魂というものをいかに響き合わせるかと言うかですね。

それには、魂とは何か、霊とは何かということを知らないといけないと言うかですね。そのことはまさに第6種鎮魂ということで、我々はそれを知っている、あるいは白川でもって、既に出来上がっているものを、現代の科学で、しっかりと受け止めないといけない時が来ていると言うかですね。


◇「たまげる」ような言い草を

フライングしない程度で、半歩くらい先のところで、昨日もいらっしゃった方と3時間くらいお話をしてみて感じたことは、そういう魂の内容をもう一度、解くと言うかね。魂(たま)を解くで、「たまげる」と言うのですけれども(笑)。「たまげる」ような言い草をしないといけない時がきたのかなと感じています。

重力場という言い方ですることも、来年の機械装置の中でも、提供できるような開発が可能になってきています。また、その1つ先の、更に細かい光を超える粒子を想定するような仮説としても、粒子やエネルギー、あるいは概念というものまで、綺麗に階段を付けていくということが我々の役割なんだなと。

前倒しで言うと、名前がないから、一応、タキオンと言っていますけれども。そういう研究を20年以上やっていますけれども。いよいよ出さなければいけないと言うかね。概念として、ハンドリングしていないといけないかなということがありまして、色々と考えるところがあり、時代で前倒しにドンドンなっていると言うかね。ですから、そういうことが必要な時代になっているんだということも言えると思うんですね。その辺りも含めて、どんどん概念実験というのか、思考実験から概念実験のようなもの、あるいは、直感実験のようなものをひとつの階段と言うか、バリアフリーになるような、作りになるように、これからの説明知にしていくことが必要なのではないのかなと。

◇力を入れる、入れないという両建ての形ではなく動かす

昨日、いらっしゃった方々は相当な知性とか、社会的な活動をされている方々ですけれども、やはり更にその先を、定点観測のように見てもらっている人もいますから、同時にロゴストロンで出来るものの範囲も既にやって頂いたりしているから、事業化というものを、可能なことはいくつもあるということが分かるのですけれども。更に「たまげる」ような、別に驚かすのではないのですけれども、そういう感覚の中で、提案できるものを我々が持たないと、この時代ですので、目立つことが良いことか分かりませんけれどもね。

だから、力ということを言うと、力をも入れずしてというのが、紀貫之の古今和歌集の中にある言葉です。鬼神を動かすと言うかですね。言ってみれば、魔ですね。魔を、力を入れなくて変えていくということですね。力を入れるとか、入れないという両建ての形ではなくて、動かすと言うのかね。端から端まで、宇宙全体を時空間というようなエネルギーだけではなくて、動かすような動かし方の技法というものを、そろそろ持たないといけないのかなと。

お祓いも、分離唱では意志だけあれば声は小さくても良いというような、過去を祓うという意味の祓いになるところもありますが、力を入れてやる祓いと、力を入れずしてやる祓いの両方をいつでも出来るような、しかし、自分自身の祓いがあがるような、そういう、あるいは全方向に祓いが飛んで行くような祓いを、もちろん皆さん若いですから、命がほとばしって、あらゆる方向に飛んでいくということがありますけれども、ベクトルで、自在に祓いの方向性を調節しながら、色々な祓いを会得して頂けると、これから自分の意識を使う場合でも、非常に役立つのではないのかなと感じました。

ありがとうございました。