0263話:2017年11月15日

◇お祓いをどうあげたらよいのか

ご質問はありますか?

●Tさん

毎日、お祓いをあげていると毎回違うので、散漫な時もあったり、すごく清々しい時もあって、普段の自分の状態が現れているように思います。質問なのですが、よく口祝詞という言い方をしますが、祓詞を唱える時の心持ちと言いますか、どうしたら集中するのか、集中しないのか、どこに意識をもっていったら良いのか、なるべく何も考えずにあげるということをしようかなとは思っていますが、何かその辺のアドバイスがございましたら、教えて頂きたいと思います。

【七沢代表】

今日の皆さんの感想と質問のテーマを一つあげるとすると、お祓いをどうあげたらよいか、ということになると思います。

白川の実践は、ご修行とお祓いということになっていて、お祓いはご修行であり、ご修行はお祓いということになっています。両方同時に使っているわけです。どちらかと言うと、日本語は音声言語と言うのか、もちろん、意味があったり、漢字で頭に浮かんできたりという文字言語を用意することが多くなっているわけですけれども、お祓いというのは、音声的なものと言うかね。しかも、言語の寿命は一万年と言われていますけれども、その一万年をジャンプして繋がっている言語が日本語で、もともと音声が中心の言語だったんですね。

◇自然と一番交流をしやすい言語が日本語

ご修行も何を修行するのかと言うと、もちろん、動物とも会話をするわけですけれども、自然との会話、それは五行(木火土金水)と言っても良いんですね。木火土金水と風を媒介にして、共鳴、共振、同調することが起こるわけですね。お祓いをあげるということは1つ1つの例えば、今日だったら、もちろん、水火土とか、特に個別な存在と共鳴するということもありますけれども。要するに、五行と言うか、全体ですね、それがひとつの「あいうえお」が五行になっていますから、1つ1つの自然の五行、木火土金水と「あいうえお」の五母音とそれに五魂とが共鳴するということですね。自然と共鳴をはかっているわけですね。

日本人が自然という翻訳語を使うようになったのは、ネイチャーと言って、400年くらい前に入ってきた対立概念ですね。神と自然、自然と人というように、西洋では分離していくわけですね。日本では天然という天が然るべき姿をとっていると言う「美しき天然」の歌ではありませんですけれども。

五行の響きと共鳴、共振するんですね。それが結局、いわゆる6〜13ヘルツとか、今、Oさんが研究されていることやSIZIMAもそうですけれども、そういうものをベースにして倍音倍音ということにしているわけですけれども。要するに、日本語が一番自然と交流をしやすい言語というかね。

◇自然に戻る方法がお祓い

今、環境との共生とよく言われていますが、人間にとって都合の良い環境ではなく、自然と生きとし生けるものと共鳴するということが、他の生命存在というのは、ほとんどは自然に帰っていくということが当たり前になっていますが、人間は自意識を持ったことによって、自我を確立はしたけれども、意識が散漫と言うか、バラバラなったと言うかね。思考もそうですね。一日でも思考はバラバラにしているわけですね。だからこそ、お祓いとか、鎮魂が必要ということですね。自然に戻る方法というのが祓いなんですね。ですから、自然に帰る時に日本語を使って祓いをやることが少なくとも地上のそういう重力エネルギーを利用する時に役に立つと言うか。自然のその中に入り込む時、同調し易いんですね。重力に入り込みながら、旋転、旋回をしているわけですね。それが今度は知に全部入り込まないで、反重力のように、地上に浮いても構わないぞ、と言うかね。

実はその修行が、そういうことの前提の修行なんですね。だから、たぶん現代の科学の中でもそういう言葉が、地上の五行と調整をしてくれる役割ですね。それで空中を自在に動かせるということに繋がっていくわけですね。言葉は元々浮いて伝わっているわけです。元々、重力が低いわけですね。そのアナロジー(類比)を使って、今度は言葉によって、反重力になっていって、その動きが出来るようになっているんですね。

お祓いをあげていくということは、自然とどこまで共振、共鳴、同調していけるかと同時に、生きとし生けるものの中に入れるから、環境も良くなっていく。それはこの“おみち”しか多分、世界にはないだろうと思います。人間と自然が対立している概念ではなくて、人間が地から生まれて、そして、また地に帰り、然るべき魂(たま)が天に帰るという方法は他にどうも見当たりません。世界では色々な瞑想が流行していますが、鎮魂以上の瞑想法は多分無いだろうと思うんですね。

言葉で自然と共振、共鳴、同調をしていくことが可能になる道は、日本語の一万五千年の悠久な歴史の中で培った言葉こそが、それが出来るということですね。

◇自在に五行を迎える

楽器なんかでも、ディジュリドゥというのは、五行の響きと木火土金水、あいうえおが出る楽器なんですね。ひとつの響きというのは、あいうえおはずっとあーとか、いーというのはずっと言ってられる。それに近い音が、瞑想の時のマントラにも世界的にはなっています。

そういう響きの中に入ろうという方法ですよね。あーとか、うーの中間のAUという音など、ずっと長く響かせるのがマントラでありますけれども。そういう音を発し続けることをやっていく内に、自然の中に入り込むという方法論なんですね。

今のような速さではなくても、初めのうちはゆっくりやるのでしたら、ゆっくりとやって、自分でだんだん慣れてきたらスピードを変えると言うのかね。母音を伸ばすことを、ハッキリと自覚していくということを最近あまりやっていないから忘れてしまったかもしれませんが、今度、遅くすると五行の中に入りやすくなるということですね。

速いと口祝詞になりやすくなってしまうし、ゆっくりだとエクスタシー、法悦状態になってしまうと言うかね。法悦は一概に悪い状態ということではないんですね。自然と五行の神を迎えるということで、気持ちの良いものでもあるんですね。

だから、粗密ではないのですけれども、速くしたり遅くしたりしても良いと思うんですね。こういうもので良いとか、悪いとか、ということはないんですね。ゆっくりですと、自然の五行と一致しやすいということがあるかもしれません。それもまた修行なんですね。五行を迎えるのが修行。人がまた国津神ということを迎える時には速くても良いし、自在なんですね。時代によっても音の速さは変わっているのですけれども。我々は修行によって、速くても遅くても良いということですね。白川は、これについても何の規則もないんですね。そういう良さがあります。

だから、速くするということが、進化ということにもなるし、自然と一体となるということには、母音を長くして上げるということも悪いことではありません。今、自然と離れた存在になっているから、ゆっくりでも良いかなと今日、感じました。これからは自在に緩急ではないですが、ゆっくりのと速いのと両方を自在にやっていくと分かるところがあるかもしれません。

◇手当について

さて、もう一つの、人間の手当てというのは強くやれば痛みで大脳皮質まで自律神経の反射が起こるのですけれどもですね。触るか触らないかは別として、皮膚表面は全部五行でシューマンウェーブですから、平均7.8ヘルツの振動が皮膚表面に起こっていて、それに合わせていくということ・・・。気功というのは、基本的には7.8ヘルツに近いような周波数に合わせているだけなんですね。それによって、生体の振動が低かったり高かったりするものを正常にするのが手当てなんですね。手当てというのは表面のうっ滞とか、炎症が取れると、体の中も治っていくんですね。中の不都合が表面に出てくるんですね。皮膚表面にある菌は、腸の中と裏表で、全部同じ数だけあるんですね。表裏一体なんですね。

中の問題を表面で処理するというのが一種のヒーリングですね。脳でその周波数を出すということもありますけれどもね。それは周波数と言うか、粒子は自在に出来るということです。

お祓いは、言葉のヒーリングなんですね。それによって、自分自身の全表面と中を同時に整えていくということですね。地球の周波数の7.8ヘルツに整えているということをやっているわけです。大雑把ですが、またゆっくりお伝えしたいと思います。

ありがとうございました。