0264話:2017年11月16日

<お祓い後の感想を聞いてからのお話>

◇階層の上り下りを自在に。その階層の範囲の中で生きることをすればいい

人の働きというのは個人の体も働いているわけですけれども。もちろん、それが同時に遠津御祖神、先祖が繋がっているわけですね。命の始まりから繋がっているわけですけれども。そういう繋がりを◯◯家遠津御祖神と言っていますけれども。それが民族になったり、人類になったりと広がっていくわけですけれども。我々の1つの身でも、それこそ日本国の先祖が関わっているわけですね。要するに、階層があるんですね。丁度、個人、夫婦、子供がいて、家庭があり、家庭が社会になっていくわけですけれども。その時、Rさんの一生懸命やっている、苦しいということはよく分かるのですけれども、一生懸命やっているということが自分たちの為にもならないといけないんですね。

それは、集合が違うのですが、公に生きるというのはエネルギーがいるんですね。その時に自分の力が足りないと感じることもあります。色々と大変なこともあるのですけれども、その辺りを苦しまないでやると言ったらおかしいですけれども、苦しむことによっても、得るものがいっぱいありますけれども。

やはりその階層の上がり下がりをらくらく、と言ったらおかしいですけれども・・・。ですから、個人に帰ったり、あるいは公の仕事をしたりというところをする主体ですね。その主体である自己というものがその時、その時でもって、自在に昇ったり降りたりすることが出来るようにするということが大切ですね。

時には自分のことを考える、ある時には家庭のことを考えたり、社会のことを考える、世界のことを考えるというように、考えるだけではないですが、そのことに意識を向けるということは少なくとも役に立っているということですね。

その上がり下がりしている主体から自分自身を見つめていきながらと言うかですね。そのところの悩みとか考えているところがどういう次元かを確認すればそれはそれで良いわけですね。それぞれその階層の範囲の中で生きることをすればいいのですから。

◇一日の苦労は一日で足れり

また降りてきて眠る時は、自分自身が今日は上がり下がりしてやったことを色々と思い浮かべると思いますが、その時に元の自分自身に戻って休むという・・・。「一日の苦労は一日で足れり」ということで、今日も一日良かった、有難うございます、と言って明日のことは明日になったら考えるということで、しっかりと休むということをして、朝起きたらまた、することを考える、自然にそういうフェーズに入れる。それでまた上がり下がりをするというかね。ずっと公の意識で生きるということだと辛いものがあるんですね。

その辺りを今までの人類の営みの中で言うと、公の為だけに生きるということが、ほとんど不可能ということであったわけですけれども、我々が仲間としての行為として捉えると、皆さんが出来るだけ公に生きるということを実現していけるように協力することが大事なところです。自分の健康も大事だし、みんなの健康を気遣うことも大切だしということです。みんなの経済的な安定も大事だし、一人ひとりの心の安定も大事だしという。そういうことを実現しやすいような思いをどこかに持ちながら、上がり下がりをすると言うかね。

基本のところが1つあると思いますけれども。まずその時に、上がり下がりをすることは全然、構わないことなんですね。自分の立場に立った時に、最後はそれが苦労であったものを十分にやったという、満足するところで次の朝を迎えていくと言うかね。明日、何をやらないといけないと色々とあると思いますけれども、それは明日、自身が思い煩うという聖書にあるように、そういう境地で生きるということだと思うんですね。だから、その辺りが公ということは、今までみんなたぶん指導的な立場の人たちというのは、みんなそのことを悩んだと思います。その辺りを共に、公ということにいって、また個人にも戻ると言うかね。

◇個と公の階層は別。階層の苦労はその階層に置いてくる。

その時に、階層の苦労はその階層に置いてくる。また、自分に戻るという、それをそのまま公の苦労、あるいはみんなの為と思っていることが、個人に一気に降りてきたら、それはとても苦しく、辛いことになるんですね。降りてくるということは自然な動きで、その時には公のことは公に置いて降りてくるということが一日の苦労は一日で足れりではないですが、メッシュを細かく見て捉えるということが自分に全ての苦しみというようなものを持ってきてしまうと一旦、寝る前に、ということは、あるいは自分の位置に降りてきた時に苦しくなるということですね。その辺はそれで良いんだということですね。公の苦労というのは公に置いておけばいい。

だから、その辺りをそれをそのまま自分のところに持ってくると自分が潰れてしまいます。それは仏教で言うと菩薩行ということですね。キリスト教など他の宗教で言うと、奉仕行、ボランティアということですね。ボランティアの気持ちで全てをやろうとすると、そういう場面が宗教的にあったり、今時に言うと、NPOとか法人格でやる仕事もありますが・・・。

誰かの為にということだけで自分自身の身をそこに置いておくと、非常に苦しいことになって、結局はまた菩薩行の修行の先もしないと、悟れないということ、また更に一生懸命、自分の境地を達成しようとして、まだ自分がみんなの為に生きられないという嘆きの心が起こるわけですね。

それは個人というものと、そういうみんなの為にという公の世界は階層が違うので、人類の3000年の歴史でみんな大苦労をして、誰も悟れないというくらい大変な目にあっています。白隠さんでも結核になったり、胸を病んで自分自身を治さなくていけなくなったりしているわけですね。その時に一生懸命やっているのになんで・・・とか、色々な辛い情緒が出てくるわけですね。その情緒でいっぱいになってしまう。俺はこんなにやっているのにどうして出来ないのか、とか。それは個人が全て公でやろうとすると全ての身を捧げても無理な話です。

◇それぞれの階層で処理をする。そこに絶望はいらない。

イエスは、自分の全てを投げ捨てて、あるいは供養の為に、トラに自分を喰ってもらうという仏教の境地もありますけれども、そのくらいやってもまだ足りないということが起こるんですね。それは階層性の中で考えないと、とてもやっていられない。

階層性というのは、いつも言うのですけれども、20世紀になってから人類が気がついたのですけれども、気がついてもなかなか言えなかったということですね。それは今まで長いこと、何千年にもわたって、人の為、世の為に尽くした人たちに申し訳ないという気持ちもあったのでしょうけれども。

それはこれからの公とか、みんなの為に役立とうという人たちにとって、そのことをハッキリと知った方が気楽にと言ったらおかしいですけれども、今世の中で充分にやっていけるんだという気持ちになりながら、この世を生きていくということが出来ると言うかね。もちろん、慢心するわけではありません。

艱難辛苦が全て個人に帰ってきたら、絶望しかありません。それは行動する範囲は一人ひとりが違いますけれども、それはそんなに一方では、宇宙に帰るという意味では、神のような、神を迎えていくということをやるわけですけれども。

そういう能力というものはみなさんがそれぞれの分野で持っているから、高速で能力を開発しながら、それはやらないといけないことでもあります。足るを知るではないですけれども、一日の苦労は一日で足れりという気持ちを一方で持っていないとできない相談ですね。今世でもって、そういう境地にたどり着くと言うかね。その境地にずっと止まっているということは、無理なんだということですね。

今まで日本の国ではそういう境地に居て頂く方は、天皇陛下御一人という形で何千年もやってきました。そういう気持ちでやって頂く方にはご苦労様人ですけれども、我々みんながそういう気持ちに四六時中なるというのは、なかなか大変ですから、それで戻ってくるわけですけれども。

戻ってきても絶望しなくても良いんだということですね。時間が少しでも自分の思った時間でいられれば十分ではないのかなと思っています。ですから、その辺りは現在の恩恵だし、そのような気持ちで暮らすということが大切なのではないのかなと思います。

◇自らの依頼心をしっかりと確認すると、感謝の想いで伝えられる

そういう気持ちの人たちがいっぱいいるところで、みんな頼んでしまうということもありますけれども、それは依頼心と言うかですね、そういう気持ちに全てなってしまっても今度は問題が起こるわけですね。そういう気持ちがあれば確認しながら、これは依頼心だなと、でも依頼しなければいけない時もあるわけですね。

そのことを分かっていればむやみに相手から依頼されたということが押し付けられたと捉えられるということはないんですね。それは忙しいのに、申し訳ないねと、お願いしますという境地の中で出てくるんですね。そうすると、相手はむやみに依頼してきたのではないのだなということが分かるということですよね。そういう依頼心をしっかりと確認しながら、依頼するということがあれば大丈夫だと思います。

きっと我々はそういう人間関係論の基礎的なプロトコル、方法論を案外無視しているところが多いと言うかですね。人が良いと言ったら失礼ですけれども、非常に優しい気持ちの方が多いと思うので、その辺りを共にするという思いがベースにないと、思いが通じなくなるということがあると思いますけれども。

そんなことがありまして、そういう階層性の中で公に昇ったり、また私に戻ったり、家庭の問題に戻ったりするということを、その時その時の中で考えるわけですけれども・・・。また、範囲はその範囲だという階層の分け方が理解出来るとだいぶ生きるということが楽になるのではないのかなと思いました。

ありがとうございました。