0265話:2017年11月17日

◇第5種の柏手

ご質問はありますか?

●Mさん

以前、賢治先生が第5種の拍手をもっとゆっくりやった方が良いというお話がありましたが、お祓いの前にやる拍手と後にやる拍手は同じスピードで良いのでしょうか?

【七沢代表】

はい、それで大丈夫ですよ。

どうしても第5種の時の拍手は、繰り返していると速くなってしまいますね。手を離してやるとゆっくりできます。近くでやると拍手を叩いているみたいに早くなってしまいます。もう少し離してゆっくりとやってみてください。お祓いも速い方が良いとか思って、拍手も速い方が良いのかなと思っているのかもしれません。

◇ゆっくりのお祓いは大地と共鳴しやすい

この前も言ったように、お祓いもゆっくりにすれば、大地と共鳴しやすいということもあります。大地と言うか、五行、あいうえお、6ヘルツから13ヘルツくらいですから、その倍、倍、倍となっていくようになっていっても相当ゆっくりな、「あいうえお」を伸ばす方がより五行と一致しやすいということを言っているんですね。だから、必ずしも速い方が良いわけではないと。

初めは遠津御祖神の修行があって、五行の修行があるわけだから。五行の修行の時には、まさにゆっくりな方が分かりやすいと言うかね。そのままずっとゆっくりになってしまうと、また普通の言葉のように速くなるんですね。国津神、天津神というようにだんだんね・・・。そういうことは色々な祓いを、一番合ったのがあれば本当は良いのですけれども、最初から速いと心が落ち着かないところもあるかもしれません。時々変えた方が良いのかもしれません。

◇とらわれることが因縁

今日で、丁度、はふりめくが一年経ちました。続けるということもそうですけれども、言っていることはバラバラなことを言っているのだけれども、そういう階層と言うのか、遠津御祖神のことをやらなければいけない時、あるいは五行、あるいは国津神と色々と中身はバラバラだけれども、階層を上がり下がりをしながらという昨日の話しではないですけれども、やっているわけですね。

そういう中で、過去を覗いたり、未来を覗いたりすることのお話をするというかね。例えば、今、お祓いをしたということは、もう既に過去になってしまうということですね。今のお祓いも過去なんですね。話している時は過去のことを言っているわけですね。その内容も感想とか、感情とか、直感とか、気づきには、色々とかね。速さには色々ありますけれども。

過去を覗くということの中に、近い過去とか遠い過去とかですね、そういうことが色々とあるわけですね。自分が遠津御祖神になるということは既に過去ですね。自分自身の中に今と未来も同時に入っているのだけれども、そういう遠津御祖神を中心に祓いをあげるということだってあるわけですね。そういう自分の先祖のことを思いながらあげているというものですね、それにとらわれてはいけないのですけれども、とらわれることが因縁ということになるんですね。

近い過去の因縁と昔の因縁と大きく分けると2つになります。その因縁の繰り返しということになるんですね。過去の遠津御祖神の因縁と、近い過去、自分自身に起こっていること、途中の5代前とか、だいたい遺伝子のどの時代の何代前の遺伝子が現代の我々に影響するかというのは当然、そういう法則があると思うんですね。そういうものをこれからドンドン解明されてくると思うんですね、DNAの研究の中でね。

◇輪廻転生の一つの正体

体遺伝子にもあるけれども、精神遺伝子にも因縁と呼べるものがあると。昔はそういうものを2つくらいに分けて、因縁というような仏教的な用語を使えば、上部因縁と近い過去の因縁である下部因縁とあります。五行で言うと、心意伝承、心の感情が伝わっていくということですね。精神遺伝子という中にも組み込まれて入っていますが、実は感情というような情緒系というものが遺伝すると言うかですね。それは主に先祖が亡くなる時の苦しみの場合が多いというかね。それは亡くなる時に転移していく。それがいわゆる輪廻転生というもののひとつの正体ですね。

もちろんそれも分けて考えないといけないということですね。体のDNAの体遺伝子の因縁、情緒の転移、精神の伝承というようなですね・・・。神様を伝承するのは白川家とか、各氏神様というものがあって、そういう伝承ということはありますけれども。その要するに階層性の分け方が分からないからみんな悩むんですね。それで転生しないといけないとなる。だから死ぬ直前に解決を図ろうということで、キリスト教だと、その時の苦しみを聖油という儀式の中にと言うか、最後に油を全身に塗って安らかに眠って頂くということがカソリックの中に終油もありますけれども。そういうことが体の苦しみだけではなくて、感情の苦しみというのか、例えば、病気の症状による苦しみと、自分の子供を置いていくということが辛いとか、何も出来なかったというような悔恨のような思いというものが伝わっていくんですね。それが亡くなって瞬時に伝わっていくものがあるんですね。
自分の体の病なのか、気の病なのか、精神の病なのかが分からない。それの1つ1つを分けて分かるということをしながら、そういうものを見つめてと言うかね。

◇瞬間に起こっている生と死。その限界を超えていく

たぶん解決をする時は、限界と言うか、あるいは境目ということで生きるというものを通過儀礼にしながら学んでいくという方法もありますけれども。やはり個人個人の心というものを見てみると、毎回毎回限界と言うかですね、2兆個も細胞がリモデリングしていくわけですから、体だけではなくて、感情も精神も同時に変わっていくということですね。その時にそういう限界が来るのですが、生と死という限界を超えていくわけですけれども。そのことが本当は瞬間瞬間に起こっているんですね。

こういう生き方で良いということを、ある面では諦観ということもありますけれども、それでいいやと思うとそれで終わりということになります。その辺のことを超えていこうということになると、また変わってくるというかですね。限界を超えてくるということもよく言うのですけれども、それも本当は瞬間瞬間は点のような存在で、命というものは明滅というような、死とは個別の小さな細胞の死と、それから全体の死とあるけれども、考えてみると、意識の最小単位というものが絶えず組み変わっていくと言うかですね。その時にどう自分自身を・・・。

だから、白川で慢心するということが一番の大きな問題点だということですけれども。慢心するということは、そこから自分は出ないよ、心がある面では十分に満杯になっているから、あるいはある感情で一杯になっているから、それ以上いかないわけですね。

辛いということにも、それに全部取り巻かれたら慢心なんですね。だから、自分は病だから辛いからみんな面倒を見ろというような慢心したものになるんですね。そうすると、それ以上、治りようがないと言うかね。それと同じように、そういうところを超えないと限界というものが毎回毎回あるのですけれども、命というものを限界があるものと捉えないで、毎回毎回超えていくということを自分の生き方にしておかないと、すぐに慢心してしまって「もう、いいや」ということになるんですね。

ですから、特に白川というのは最後の修行と言われる所以は、そこまで至るまでのところの中で解決しないといけない修行もあったということですね。それも含めて同時に白川で鎮魂で、言霊でもって超えていこうということになるわけですね。その辺りを確認しておかないと、何か他にもあるかもしれないということで見ていくということは良いかもしれませんけれども、そういう中で我々の仕事や白川、鎮魂というものを見ると、相当まだまだやることがあるように思います。

◇生きることをより良くできるデジタル化

科学の分かっているところ、あるいは、それは思考や概念で、あるいは想像を含めたものの中に、この3つでこれを超えていくということが沢山あるわけですね。グラビトン、重力子とか、タキオンとかね。

我々はそういう研究も終わっているのだけれども、社会に出す時に科学的ではないと言われることを恐れてと言うか、誤解されるのを恐れて今までは言っていないだけであって、相当、先の未来を覗いて現在に少しでも役に立つようにということでやっているわけです。その辺りは未来からのツール展ではないですけれども、今、我々が唯一主催しているつもりで、今まで展覧会のようにやっていましたけれども、未来からツール展を独自開催しているようなものがロゴフェスというイベントですね。

過去、現在、未来というものを自在にする作法みたいなもので色々とやっているところがあるから、色々な法人も作り方も相当、不可思議な方法を使ったりしました。未来を過去にして、今やってしまうというかね。だから、大学出版局というのが先にあってですね・・・。

昨日、だいたい学部が2つ、3つくらい出来てですね、東京に事務所を作ることを今やっていたり、今度は図書館が出来て、次に学部が出来て、最後に大学が出来るということですね。概念の遊びみたいなものいいにも聞こえますけれども、それも1つの未来を覗いてやるということが思考や想像するということで、これが妄想になるといけませんが、精神の病にならない程度の中で、そういう作法を取り入れると言うかね。

それが今、Sさんが作ってくださっているような映像というのは多分にそうですね。そういう現実の1つの撮影であるけれども、それが未来形であったり、みなさんも同時に未来形の仕事をしながらやっているわけですね。それが概念というものを映像で表現しているということが今の時代は20世紀、21世紀盛んになったわけですけれどもね。それが動画という形でやっているわけですけれどもね。言霊をデジタルにどんどん変換できるものは変換しながら利用価値を高めていくということをしているわけですね。

そのところで、昨日も電子神殿を作りたいという話をしました。今日もまた言おうと思うのですが、宗教というのは全て神殿ですね。ギリシャの時代からパルテノン神殿とかですね。イスラム教だったら、カーバ神殿とかね。カソリックだったら、バチカンの聖堂とかですね。伊勢神宮もそうだし、明治神宮もそういうものもありますけれども。

そういうものを電子神殿に出来ないのかということを、ずっとこの時代の中で考えていて、瞬間に電子としての認識が出来るようなものとして、何度もやっているのですけれども、なかなか出来なくて、そろそろそういうプロジェクトもやりたいなということで、取り組まないといけないと言うかね。今度はやりたい人が手を上げて頂き、参加して頂きたいと思っているのですけれども。

そうすれば、病で臥せっていても、寝ていながらというのは、アコースティックベッドは寝ながらお祓いをあげてもらっているということになっているわけですけれども、そういうことと同じようなことがいつでも出来るようなものが、そろそろ良いのではないかなと言うかね。もちろん、お恐れながらと言いますか、僕は勝手なことばかりやっているから、白川の先祖や言霊の先生たちに、こんなことは良いのでしょうか、ということを聞きながらやらせて頂いているのですけれども。

しかし、この時代で進めなければいけないことはどんどん進めていくということで、2045年を待たずして人工知能をフルに利用した思考、あるいは概念化、生きるということをより良く出来るデジタル化というものを最大限に進めておく必要があるのではないかなということで、その辺りもこれからの視野、テーマに入ってくると思いますので、またよろしくお願いしたいと思います。

ありがとうございました。