0267話:2017年11月21日

◇電子神殿という概念を広げる

●Sさん

この間、お話がありました電子神殿のお話をもう少し詳しくお聞きしたいです。

【七沢代表】

元々、ネット上に知識政庁を作りたいというのがあって、その延長線上で、白川のやっている、みんなにいつでもどこでもお参り出来たり、神の概念が得られるような電子神殿という具体的な言葉で言いました。そういう言葉をあげておいて、そこでその概念が広がっていくという方法をとっているわけですね。それを時間の軸を逆にしたりして、振っているわけですね。ただ祓うというのは、取るという意味だけではないですね。いっぱいにするという意味もあります。時間でも空間でも広げたり、いっぱいにするという意味があります。概念をいっぱいにしていくと具体的な事実になっていくと。それが一種の意識進化の為の方法ということですね。

映像もそうですね。まず、頭の中で創作して、コンテンツにして、1秒間に24コマの映像になります。そこに至る為に、だんだん道具や装置だったら、ノイマン型コンピューターから昨日、量子コンピューターが日本で高速計算に成功したということがありました。量子コンピューターの先には、更に概念がいっぱいあって、もっと早く出来るコンピューターはあるのでしょうけれども。まだまだこれから進化していくと思います。

道具もそうですね。もう道具になったということは、過去ですね。それが未来にも行く道具と言うかね。それはタイムスリップやテレポーテーションするという概念があるから、必ず出来るということが前提ですからね。だから、電子なんて古い言葉を使わなくても、神殿が古いから丁度合っているのかなと思いますが(笑)。そういうものもだんだん進化させると言うかね。

◇まずは母音(=自然)と一体になることを目指す

これは結局、人類が数という言語、または「あいうえお」という母音の言語を発見した。それは要するに、ホモ・サピエンスの前の、そういう700万年か、200万年か、100万年か、かかったと思うのですけれども、それは1つの木の上で手を使って暮らしていた。手向(たむ)けるという上代語もそうですね。

一番古い言語としてあるのは、手を一番大事な道具として考えていたんですね。言葉の前はね。だから、手に関する言葉が色々とあるのだと思うのですけれども。そういう言語というものが、母音がイコール自然であるということに結びついていって、客観視され、発見されていくと言うかね。

今、自然からどんどん人間が離れていっていますね。それは一神教世界でNatureという言語を使った瞬間に決まってしまったようなものですね。言葉と自然という関係が、人間が思い通りにする外界、すなわち自然というところにいってしまったということが最大の誤りになっているんですね。自然と一体とならないとしょうがないから、母音をしっかりと学ぶということ、自然とひとつになるということをまずは目指さないといけない。そこに一番の正確な宇宙を掴むということの始まりがあります。だから、言霊や白川では最初に自然というもの、木火土金水を神と見立てて、それを迎える、それとひとつになるという体感をして頂くということが、最初の仏教的に言うと悟りというものになると思います。その辺りを自分が出来たか、出来ないか、と言うかですね、頭では言えるんですね。

◇言語をコミュニケーションとして使い、手段の道具として使った一つの進化

僕が若い頃、大学対抗戦ではないですけれども、議論、ディベートするということをやっていました。やはり、神道の専門であろうと思われて、相手が最初はそういうことを問うてくるわけですね。宗教らしきものをやっている神道というのは、自然というものと向かい合うのだろうということで済まされてしまうと言うかね。次に体感とか、確信に至るようなものが、なかなか無いということですね。そういうことが出来るのが、人類という存在になったのは、ほんの少し前の時代かもしれませんけれどもね。その中でもネアンデルタール人は、情緒のところが非常に進化していたのだと思います。

そういう言葉も使っていたはずです。言語をコミュニケーションにすると同時に、今度は道具にしてコミュニケーション手段にする為に、そういうものも進化をさせると言うか、その両方を請け負ったというのかね。それが結局、自然という言語ですね。数と働きというのかね。それとひとつになることを目指した所が進化だと思います。

それをやっているということで、それが一番綺麗に出来るのが、言霊と白川、鎮魂であると、ようやく言える時が来たと言うのかね。まだまだ道具としても始まりですね。

◇「概念」が先にある

量子コンピューターも数の概念を使っているのですけれども、始まりのようなもので、時空間を超えた世界を往来する時には、そういう速さのエンジンというのか、概念だけではなくて、そういう働きをする機械になっていなければいけないということになるんですね。そういうものはこれからまだまだ進むというかね。まず、グラビトンと言うのか、重力子に合うようなコンピューターが出来てくるのでしょうね。その先には、今度は時間が光よりも10億倍とか20億倍とかのタキオンですね。

ですから、全宇宙を何秒かで行ってしまうような、意識した瞬間に138億年を超えるような機械になっていくのが、テレポーテーションとタイムスリップをする機械装置になるのでしょうから。そういうものを目指しているのですけれども、とりあえずは、飛ぶ速さの違う言霊という言い方をしたりしています。言霊という範囲でも、相当速いのですけれどもね。きっとグラビトンくらいの速さだと思うんですね。その先にあるのは、まだ概念がないから、そういう言葉を作ってやっていくと言うかですね。

◇神殿という概念

だから、神殿ということはそういう意味ですね。神の社(やしろ)、人間も神の社なのですけれども、神の社というものを作ると言うかね。「草も木も人も なおさら真砂子まで 神の社と 知る人ぞ神」という高濱清七郎先生の和歌があります。そのように神殿ということは、神の社なのですけれども、神も色々とあるということですね。遠津御祖神があり、五行の自然の神様がいて、国津神がいて、天津神がいてと言うかですね。それは丁度、周波数が違うように、速さも違って、時空間の広がりもそのようにですね。そういうもの、あるいは、天にあるもの、地にあるものというような、そういう捉え方で、自由になっていくと言うかですね。だから、天人ですね。天女が地に降りて人と関わり、今度は地からまた海に帰っていくというイメージを作られたから、それは人魚が乙姫になっていくというようなイマジネーションを広げて、天と地と海を行き来すると言うのかね。それが日本の神話と西洋の神々の統合の世界であるんですね。自在であると言うかね。そういうような神々を迎える神殿というのは、一人ひとりが神殿なのだけれども、そういうものを客観的に機械装置として立てて、それを知るということが出来ると、非常に楽しいことになると思います。

パラノイアにならない程度の想像力と分裂にならない程度の認識力を働かせて、ギリギリになるかもしれませんが、そういうものを前提にして、科学しながら、機械や作品を作りながら、そういうものをみんなに知ってもらうことですね。表現方法は数で表現したり、道具で表現したり、言葉で表現したりということで構わないということであるわけですね。そんなことをこれからもやっていこうということです。

昨日、量子コンピューターが日本で出来たということは、非常によかったなというように思っています。

今日はこんなところで。ありがとうございました。