0268話:2017年11月22日

◇玉串奉奠(たまぐしほうてん)

Oさん、Iさん、Sさんが出雲からお帰りになりました。ご報告をお願いいたします。

●Oさん

今回、日曜日と月曜日に出雲へ圀手會の70名くらいの方と行ってきました。非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。出雲という名前が、出る雲と書きますけれども、最初から雲だらけでした。なんでこんなに雲が多いんだというくらい雲と風がすごかったです。おまけに雨も降ってきました。

出雲大社にお参りに行って、玉串奉奠(たまぐしほうてん)の時に、空がパカっと割れて、太陽の光が降り注いできました。その後またそれが閉じてしまって、その後、夕日が沈む時の神事をするつもりで、アンパイアも持っていったのですが、雨と雹(ひょう)まで降って、祭事どころではなかったのですが、我々が着いたらそれが止みまして、海岸の水平線まで雲がかかっている状態でしたが、突然、雲がフワーっと上に上がりまして、その後、太陽が沈む瞬間のベストショットが撮れて、祭祀も出来ました。

お祓いの力と言いますか、祓いをやった時にこのようなことが起きました。私も今回、出雲ツアーに行ってきまして、今回、危機的な状況かなと思ったのですけれども、内心は大丈夫だろうという思いがありました。参加者の皆様の思いもありまして、また祝殿でもお祈り頂いたというお力を頂きました。機会があれば、ぜひ出雲に行って頂き、大国主大神と繋がって頂たいと思います。ありがとうございました。

◇白川を受け継ぎ、後世に残す

●Iさん

私が改めて思ったのは、世界鎮魂化というところに向けての白川の第6種鎮魂の凄さです。明日は新嘗祭ですが、白川の持っている第6種鎮魂をはじめとする鎮魂というのは、自修鎮魂を交えると五魂を統合するという意味と死者を弔うというレクイエムという意味と、天地自然を鎮魂するという意味と、神々を鎮魂するというような、非常に幅の広いことがあるのですけれども、実際、社殿とか、周囲の大自然の中で鎮魂させて頂くと、第6種鎮魂的なものが非常に多かったわけですけれども、今お話があったように、天候が変わっていくんですね。

それは2週間前の飛騨高山鎮魂ツアーでも感じました。そこは水無神社(みなしじんじゃ)という水を勘定する神ですので、鎮魂するほど、雨がどんどんひどくなっていきました。みんなで、ずぶ濡れになりながらやりました。今回は本当にポイントで、降水確率90%ということはあったのですけれども、Nさんが事前に16万字におよぶ言霊を発信してくれたということもあるのですけれども、結局、降水確率90%だったのですけれども、傘を全く使わなかったです。出雲一宮の熊野大社に着き、こちらが鎮魂に入ると晴れ始めて、翌日の出雲大社の時も、私とOさんが本殿の前に立って榊を持って正立した瞬間に、日がスポットで差してきたりとかですね。

最後の神事もひどい雨で、無理ということだったのですが、ワイナリーの場所を借りていて、そこで正式な作法をやろうということで、祝詞も斉藤宮司から頂戴していましたので、それをやり始めると後ろから夕日が強烈に差してきて、私も稲佐の浜に行っていいということなんだなと感じるところがありまして、ダッシュしてバスターミナルに行くと、もの凄い雲が渦巻いているのですけれども、稲佐の浜の方角は、雲が割れて真紅の光が差しているんですね。バスから降りて日の入りの時間ギリギリで砂浜に行くと綺麗に日が差していました。そこでみんなでまた夕日に向かってやりました。そうすると、凄いきらめくんですね。天地と感応するという感じでした。

昔の人たちが天地に百神の名前を付けて、発音するという意味が心底分かりました。出雲に行った時に宮司さんから1時間くらい親切にガイドしてくれました。本当に色々なことをよく知っていらっしゃいました。継承で本当に苦労されてきたんだなと。

4年前に60年ぶりの遷都を行いましたが、檜皮葺(ひわだぶき)が普通は90cmなのですがそれが120cmで、その葺き方が全く分からなくて、文献には全く残っていなくて、調べたのですが、分からなくて60年前にやった人を探したそうです。かろうじて覚えている人がいらっしゃいました。それでかろうじて復元できたそうです。

今度は60年後に向けて、そういうことがないように後世に向けて詳細な記録をとって残したということで、みんな苦労して伝統を残しているということが分かりました。それだけやっている出雲でも国体机の存在すら宮司さんが全くご存知でありませんでした。そういう貴重なものを私たち白川は受け継がせて頂いているのだなと。私たちはそれを学ばせて頂いていて、それを後世に向けて残していかないといけないなと改めて認識しました。ありがとうございました。

◇意志を共有できる場

●Sさん

圀手會ということでメリハリが非常に効いている、緩急、締めるところは締めて、緩むところは緩めると・・・。神事は4回ありましたが、その時は真面目に、宴会とか二次会、三次会は、とことんふざけて欲しいというリクエストがありましたので、メリハリの中でやりました。そこから意志を共有できる場があったということで、圀手という公を楽しむ場があり、公を楽しむ皆さんが80名弱集まられて、本当に共振・共鳴・協奏することで、これから起点ですね、もちろん、結びの神である大黒様でもありますけれども、一人ひとりが大黒柱で立つというような鎮魂を出雲大社で出来ましたし、それをもってこれが始まりなんだなと実感をさせて頂く圀手會出雲鎮魂ツアーだったと感じています。ありがとうございます。

◇出雲はインドから来た

【七沢代表】

出雲は非常に出る雲と書きますけれども、雲というのは雲母(うんも)というように石が出るということでもあるんですね。ゼオライトもセリサイトもみんなNASAの空中写真で発見するのですけれども、一番良い石が出る所という意味もあるんですね。一方で、出雲は伊勢は東の日の出るのを見る宮に対して、出雲は日の沈むところを見る宮ですね。綺麗な夕日を見る宮ということですね。今回、稲佐の浜の夕日が見られたのは、最高の美しい出雲を見るということで言えば、夕日の宮ということですね。それが見えたというのは非常に良かったなと思います。

我々は甲府にいて、どのツアーでもそこから甲府を見ると言うか、今の我々の仕事、ミッションを見てみるという観方をして、少なくとも客観視するということで、みんなに行って頂いて、そこから声を頂いているわけですけれども。特に今回、私が感じたのは、出雲というものの出自が実はほとんど分かっていないのですけれども、たぶんインドから来たのではないのかと言うかですね。月氏と言うかですね、天竺(インド亜大陸)から来たのではないかということです。もちろん、そんなことはどこにも書いていないです。

490代の冨家の方が伝えたものでも、氷河をかき分けて日本列島に入ってきたということが言い伝えがないんですね。4000年以上前にどこから来たのかということはないのですけれども、私の感じではインドから来たのではないのかと。

今、我々が古神道ということをやっていますけれども、日本古神道というものは新石器、旧石器と伝えられて来ていますけれども、旧石器の時のユーラシア、オセオニアもそうだと思うのですけれども、どこもほとんど同じ祭祀をしているんですね。その名残が縄文の遺跡の中にあるんですね。環状列石とか、ストーンサークル、ストーンヘンジとか残っていると思うのですけれども、どうもその元は古神道と言うかですね。

人間がユーラシアでもって哲学とか、宗教というものが出来てくると、日本でもなかなか神のことは言わなくなったり、中国でも怪力乱神を語らずということになったりですね・・・これは現代の宗教学でも原始信仰というようなものであったなどと、いい加減なことを学問でも言っています。知る者は語らずということだったと思うのですね。

だから、言っていなかったと言うかですね。たぶん朝鮮には朝鮮神道があるし、中国には中国神道があるし、今回の出雲ツアーで分かることは西を礼拝すると言うか、先祖を礼拝するということも含めて、出雲がインドであったのではないのかなと。だから、インド神道と言うかですね、そういうものがあったのではないのかなと、こんなことがハッキリと意識の中に昇ってきたということは、これからの日本古神道は旧石器の頃の意志を中心とした文明、出雲を中心とした文明があった、しかも先祖の方角も西方浄土とは言いませんけれども、西の方を向いて礼拝するということがあって、多分、これが今の世界の救済の方向性と言うかですね、朝鮮が平和になり、中国が環境を改善して、経済的にも世界に貢献するようになるということ、そしてまた最終的にはこれからインドが一番人口が多くなると思いますけれども、そのインドの救済ということがあると言うかですね。これがユーラシアの一番の人数からいっても、哲学や思想からいっても最終的に解決しないといけないテーマだと思います。

私も少なくともインドのアジア・アフリカ言語文化研究所で、東京外国語大学の奈良先生と研究所の学びがあるわけですけれども。そういうものがこれからの世界救済の大事なところです。その辺のところは古神道によって解決がつく問題があると言うかね。仏教、あるいは一神教というのは学問としてみると、バラモン教、ヒンズー教の前の段階で解決しないといけない神の問題ということになろうかと思います。そのところを来年のリインカーネーションと言うかですね、リベラルアーツと転生自由七科いうことでやらせて頂くということですね。輪廻転生しないでも、今世で満足できて逝って頂くという生き方を出来るということが、一番の世界が平和になる為の道だということを今回の出雲ツアーから学んだと言うかですね。

◇本当の意味での王政復古とは何か?

というところで来年はまた更に出雲が受け渡すということが先程言った御国体机もそうですけれども、大和王権と言いますか、天皇の123代・・・退位の日付も今、決めようということで安倍首相が天皇陛下にお話をされたということでありますけれども。いよいよ時を迎えて、何を学んで引き継いで来たかということを明らかにしないといけないというところがあって、それはまさに白川が150年間ですね、この150年間の試みというのがありますけれども、もう一度、本当の意味で王政復古とは何か、何を日本民族は受け継いできたのかということを明確にしないといけないというところがあるんですね。

そのところを伝えることがひとつのミッションとしてあります。出雲ツアーも圀手會をベースにして、日本の国を考えるという人たちの集まりが、いよいよ盛んに働いて頂くということですね。

一番大事なものを縄文から弥生、あるいは天皇制という形の一番古い古神道の中に残っているものを今一度、神を語らず、知る者は語らずではなくて、神を堂々と語るということが世界の平和に繋がっていくのではないのかと非常に感じるわけですね。その辺りを我々も神というのも色々な神様があって、体験も様々でありますけれども、そういう発言をしながら、更に残されたものを更に引き継いで頂くと。それは皇太子様でもあるし、日本の国民でもあるし、ユーラシアの人たちに今まで3000年間神を語れなかったところ、今回は神を自然のシステム、科学ということをベースにして語るということをいよいよするということになるのですけれども、その辺りを共にやって頂きたいと。お祓いの中で、神を高らかと口にのせているわけですね。そのことが本当の神とは何かということをみんなでもってハッキリと言えるように、それを堂々と言えるようになるということが修行の眼目として大事なことかなと。

この狭い32畳の中での祓いと神を言うのではなく、138億年の宇宙に向かって、神という存在をありありと顕現して頂くと。それが自己中ではないけれども、それを解決する道、客観視であり、宇宙全体に響くような神という存在を高らかとラッパを鳴らしていくと。それが我々の役割ではないのかなと思います。そんなことを今日は感じました。

ありがとうございました。