0269話:2017年11月23日

【新嘗祭 前半】

◇出雲族4000年の歴史

新嘗祭ということですが、本来一番大事なお祭りということでもあるんですね。宮中なんかでもそうですが、皇極天皇の頃からのはじまりということは言われていますが、暫くなくて、江戸時代の東山天皇の頃に復活したお祭りなんですけれども。

この間、圀手會で出雲に行かれてきましたが、奇跡的なことがあったようですが、出雲から伝承を受けたものは、実は沢山あるわけですね。祭祀もそうですが、私も元々の上官出雲臣だった冨家の489代の財當雄氏から伝承を受けた方と一緒に山で修行をしたこともあります。489代というと4000年ぐらいの歴史なんですね。氷山と言うか、氷の間を分けて日本に入ってきたと言われておりまして・・・もちろん4000年前と言うと、縄文の晩期の頃ではありますが、もちろん縄文から出雲が引き継いだものもありますが、また出雲から大和王権と言うか、弥生とも言いますが、引き継いだそのような祭祀というものが伝わっているわけですね。ですから、出雲から大和王権に伝わったものは、よく言うのですが、御国体机というのは出雲から伝わったものでもあるのですがね。他にも沢山あります。新嘗祭の原型のようなものも・・・それぞれの古い神社には、特徴的な祭祀というものは、例えば春日大社の祭祀とか、途中から始まっても色々なものが残っている場合があるのですがね。出雲の場合、新嘗祭にあたるものは、前の日の夜の鎮魂祭というものですね、今で言うと。

鎮魂祭と古式の新嘗祭が一緒になっていたということで伝わっているのですが・・・それが白川になってくると第6種鎮魂から、祭祀が第10種から第3種、第2種、第1種と天皇陛下の祭祀の作法まで、神拝の第10種として伝わっているわけですけれども。そこからみると、白川には統合された祭祀というか、厳選されたものが伝わっていて、非常にお得というのも変ですが、短期間で全てのことを学ぶのに効果的に伝わっているわけですね。

出雲の縄文から引き継いだ、あるいはスサノオが帰還すると言うか、神やらいにあって地に降りるのですが、また天に上るまでの間に、世界というものを体験するのですが、地も一周して、結局戻っていくのだろうと思うんですがね。

部分的に言えば、日本かスサノオの神がユーラシアに渡ったとか、あるいはユーラシアから日本に戻ってきたんだ、といった具合に片側の部分は、色々な神話とかで伝わっているのですが、どうもそのような交流ではないのですが、行って還ってくるというようなところの道中の一方が、出雲族の4000年の歴史の中にあるのではないのかと思います。ですから、出雲族が一体どこから来たのかわからないと言っておりますが、元は日本かもしれませんが、一旦、インド大陸に行ってから戻ってきたのではないのかと。ですから、インド大陸の知恵というか、それが一杯詰まっていて、それが縄文ともう一度出会って残されたものではないかと思います。

出雲の祝詞を聞いたこともあるのですが、非常に低い音というか、ちょうど、言葉が地を這うような祝詞というか、それが4000年前から伝わっているんだと。それはひとつのアイヌのユーカラではないですが、伝承というようなものが、言葉としてあったものの、聖音と言うんですかね、神に対する聖なる言葉というものを発音する内容が、残っていたのではないのかと思います。

◇日瑠売石・祝水・ロゴスファーム

ちょうど皆さんが出雲に行かれて、稲佐の浜で夕日が現れて・・・今日は、今まで曇っていて、ぱっと晴れましたが・・・一番、太陽の特徴的色彩は五色に彩られておりますが、日の出と夕日と、そして一番上に上った時の色と3つに大きく分けられると思うんですが。

伊勢が、日の出の宮の内宮があるとすると、出雲は夕日の宮と言うか。西の夕日を拝する宮になっているわけですね。そして白川は一番高いところに上った時の・・・我田引水みたいなところがありますが(笑)、一番光が指してきて、そして晴れてきてということ、そのような物語にしちゃって・・・夕日と朝日は、一つは同じ意味ですね。夕日が沈んでしまうと、あとは朝日なんですね。後は、上に上っている太陽と言うか、オオヒルメムチと言うか、天照大御神の別名と言うか、になるわけですね。

今回も、ミネラルを抽出して、人間に必要なほとんどのミネラル、しかもクエン酸で抽出しまして、今日、献饌されていますが、それが出来て、いよいよ今月から皆様方の健康の為に提供出来るようになりました。それは大分で産出された石なのですが、石の名前が付いていないので、私が付けさせて頂いて「日瑠売石(ヒルメイシ)」と。オオヒルメムチの道なので、「日瑠売石(ヒルメイシ)」と、その石は変成岩ですが、その石から取りましたミネラルとフルボ酸とクエン酸で抽出して、保存料が入らない安全なものを作りました。そして、全ての健康の為の7割5分ぐらいは、カバー出来るようなものが出来ました。

それと同時に、祝殿の下から出る水が、これはゼオライトがケイ素系のものであるとすると、これは炭素系の祝水(はふりみず)ということで、フルボ酸が一番多い水が湧いてきたわけですね。そして、それをようやくナチュラルミネラルウォーターとして提供出来るようになりました。

たまたま今日、献饌してあるワインも、この里吉の祝殿の両側の畑で収穫されて醸造された、取って出来たものが里吉ワインですが、今度はフトマニの里で取れたブドウでのワインはロゼにして、多分クリスマスの後には出来ると思いますので、来年の正月には、皆様方には・・・来られた人限定かもしれませんが(笑)。独自生産と言うか・・・後は、白米と玄米は、京都の綾部でMさんが作って頂いたもので、いよいよ我々の祭祀の中で献饌させて頂くことが出来ました。あと、大根と野菜はこの自家農園ロゴファームと言うか、それでいよいよ・・・これは白川学館以来、初めてですが・・・Yさんが作ってくれた人参も献饌させて頂いたこともありましたが、大根は本当に35年で、初めて献饌することが出来ましたし、そしてまた里吉御所という柿を含めて、この地の色々な物を献饌して、新嘗祭が出来たことは、非常に印象深いところでございます。

◇「嘗め」

新嘗祭ということは、その年の新穀と言うか、それを神様に・・・本来、熟饌という形もとって、それを天皇陛下が神様と一緒に食するということがあります。実は、はじめてのものはそのようにしますが、本来は毎日、そのような儀式をします。それを相嘗と言いますね。魚ではないですね(笑)。相嘗、新嘗、神嘗というように・・・神嘗ということは、天皇様が最初の代にお付きになる時に、天皇の位をお受けになる時の最初の新嘗祭が、神嘗祭ということになるわけですね。2019年の新嘗祭は、宮中では神嘗祭と言うか、大嘗祭ということになりますね。

少なくとも、毎日の嘗めると言うか、それは元々白川の仕事と言うか、天皇が飲まれる水、あるいは熟饌というものをお作りすることが、本来は役割としてあったわけですね。もちろん、明治維新以降は、そのようなことをやっていませんが、少なくとも嘗めると言うか・・・ですから、そのようなことが宗教的な儀礼と言うならば、食べる宗教というのもおかしいですが、そのような呼び名に相応しいぐらい、一番大事な技が嘗めると言うか、相嘗、新嘗、神嘗という表現が出来るのではないのかと。これから直会をするわけですが、それが儀式の中では重要なことで、宴会という言い方もありますが、必ず、神の恩恵によって作られた物、採られたものを共に食するということですね。

共食(きょうしょく)という言い方もありますが、神と一緒にすることが、命というものに関わる大事な儀礼と言うか、行為ということになってくるわけですね。それが命を繋ぐということにも繋がっていく、そのような「嘗め」ですね。ですから多分、食べるという行為なんかでも、美味しくて、慌てて食べた禅の坊さんが、障子の桟のホコリが少しあったところに箸を付けて、そして食べると。お弟子さんが作ったものが、あまりにも美味しくて、思わず餓鬼のように食べてしまった時に、障子の桟のホコリを入れて食べたなんていう、戒めの話もありますが・・・。

作る時も食べる時も、本来は鎮魂して、それが・・・もちろん仏教になると、施餓鬼供養ということにもなりますが、我々も、想念でもしておりますが、それをしてから食べることもしております。思わず美味しいからといって夢中にならないということが、多分、鎮魂して、それを頂くという、第6種鎮魂の作法も、そのような意味合いがあってやっているのではと思います。それは出雲の中に残っている、鎮魂祭の夜、それから古式新嘗祭が行われたこともそうですが・・・これは天皇陛下になる時、独特の夜の儀式が、まさに鎮魂祭と、それから新嘗祭の日に、天皇に、皇位に付かれるということを同時にされているということは、嘗めると言うか、神と共に命の元を頂くというところに大事な祭りの意義があるのではと思います。それが新嘗祭の中に残っているわけですね。ですから、また白川には毎日の事の中に残っているんですね。

毎日、神様に献饌するのは、伊勢の内宮も外宮も神様に熟饌を持っていかれるわけですが、白川もその通り、毎朝、本来は熟饌をあげるわけですね。あまりにも色々な行事が多いから、なるべく皆様の負担にならないようにということでありましたが、やはり残す意味でも、熟饌の儀式も毎朝やらなければいけないのですが、それもこれからは、出来る日はやっていこうかとも思っております。

白川のことをやって頂く人が・・・ここは色々な意味での、会社法人も、財団法人も、一般社団法人も、宗教法人が無いだけだとよく言われるんですが、それぞれに分担してやる仕事が多くて、言い訳すると、白川の一番大事なところの熟饌のところをしておりませんでしたが、今日の新嘗祭を機会にして、これもやらせて頂く方向で、みんなの調整をしていきたいと思います。

◇皆でともに食事できる社会が平和な社会のベース

ですから毎朝、天皇陛下が熟饌にして、白米と、それからカツオのようなものと、梅干しとか、そのような時代に合ったものを食すると言うか、神様をお迎えして、天照大御神と共に食事をして頂くことを本来はしていたわけですね。

今の時代では、各家々では、先祖の神様を迎えて、朝、お供えして、そして後、一緒にお食べになることをされた方がいいのかなぁと。省略形では、朝炊いたご飯の蓋を取った時に鎮魂をして、そして二拍手をして、遠津御祖神様、どうぞお召し上がりください、という簡単な方法もありますがね。その日の最初に炊いたご飯を、そのようにして食して頂くということも高濱先生からお教え頂いたものでもあります。その時に、匂いが、自分も当然、遠津御祖神と一つの姿ですから、一緒に匂いを、気を頂くということをいたします。

そのように、いずれかにしろ、相嘗が新嘗であり、新嘗が神嘗である、と言う一連の白川の一番大事な、もちろんそれが天皇祭祀の非常に重要な部分であるということを、今日は皆様と共に知って頂く機会になれば宜しいかなと感じました。また、今日の直会の席で色々なお話が出るかと思いますが、非常に今の時代が理解と言うか・・・色々ありますが、みんなが共に食事できるような社会が、きっと平和の社会の大事なベースになると思います。それが社会、あるいは世界の安定に繋っていくことになるのではと思います。その当たりが大事な生き方に繋がっているのかと思いまして、それが皇室が一番大切にしている新嘗という祭りからはじまる、と。

聖書にも書いてありますが、パンを求めているのに、蛇を持ってくることはないだろうと言われていますね。パンということは、命の糧を得るということですが、それがまずは何はともあれ必要なのではないのかということを教えているのではと思います。もちろんドンドン断食をしていけば、水はどうしても必要ですし、そのような意味での水も同時に大事なのですが、他の食物を取らない場合、水を取らないと永くは生きられませんから、水をあげるという白川の役割ですね。水と洗米とお塩、ミネラルとアミノ酸の蛋白とビタミン、それに水ですね。その働きを強力にするという意味で、お酒と言うか、醸す(かもす)という意味でのことが、献饌の一番の基本の中にありますが、そのような器の教えとしてもありますが、具体的にはお米ということで、それを大事な命の糧にしているということで、それをこの時代・・・きっと栗の時代もあったでしょうし、僕は栗が嫌いだという言い方をしますが、それは縄文の頃に食べ過ぎたから嫌いなんだ!(笑)、とわけの分からないことを申しておりますが・・・。

その時その時の一番大事なものということをベースにして、みんなが生きるってことですね。それが直会という意味の確認ということなんだろうと思います。それでは後ほど、直会で、みんなで検討してみたいと思います。

それでは後ほど、宜しくお願いいたします。