0270話:2017年11月23日

【新嘗祭 後半】

◇出雲族のつらい思いを鎮魂していくことが今始まった

言葉の問題と言うか、聖書には、人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きているとありますが、食べるという言葉も言葉ですけれども、言葉も食べると言うか、それは概念ということもあるし、栄養になるということは何なのかなと考えながら、皆さんのお話を聞かせて頂きました。皆さんのお話が非常に栄養と言うか、そういうことにも繋がっていると言いますか・・・それも結局、作られた成果と言うのか、命から育んだ情や意識に変わっていって、それがまた作り出す、そういう成果、それがまた新嘗祭の中身なんだな、ということが一日を通して分からせて頂きました。

修行も、出雲の修行と天津神の修行ということになりますけれども。僕はどちらかと言うと、親父の先祖、七沢家は現在、清仁君が22代目で、DNAも、精神遺伝子だけではなくて、体遺伝子も全部戻ってきていますけれども。七沢家も出雲の家紋なんですね。亀甲紋が3つあるような、京都の大願寺と同じですね。そういう血筋と言うかね。親父の方は、また丸山家というところから出ているのですけれども、それもまたワニ族と言って、出雲の一族なのですけれども、出雲族で、母親の方は、大(多)氏と言うんですね。

太安万侶(おおのやすまろ)もそうですね。その家系なものですから、そういう名前が出てくるのですけれども。大(多)氏の大彦という風に言いますけれども、それと少名彦の神様が祀られている一族の神社の出身なんですね。ですから、とことん出雲族の関わりが強いので、高濱浩先生に私の修行をして頂いていたのですが、3年間出雲の修行ばかりやっているから、たまらなかったらしいですね。困ってしまっていたんですけれども。だから出雲の修行は長かったねと言われたことがありました。そして、今度は天津神の修行が始まりました。4年間は天津神の修行をさせて頂きました。

自分が若い時に最初に出雲に行きまして、その帰り道に伊勢神宮に寄るという本来やらないようなやり方で、神様との関わりが・・・なにせそれ以前は、神社は一度も行ったことがなかったんですけれども、最初に行ったのが出雲大社、2番目が伊勢神宮です。その流れと同じなんだなと後で分かったのですけれども。

やっぱり出雲族の持っている怨念と言うのか、まさに稲佐の浜で譲れということで、談判されたのが490代繋がっていた冨家の伝承にあるように、それが非常に怨念としてあったんだと言うかね。その関係で、諏訪に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)が、三嶋大社に祀られている三嶋の大神というのが、ある面では出雲の事代主神ということになるわけですね。事代主はその時には賛成したのですけれども、建御名方神は承服しなかったというのか、逃げて諏訪に祀られているわけですけれども。そういう色々な、日本の歴史の中で、出雲王権から大和王権に代わったということが、縄文から弥生にかけての王権の1つの移行だと思うのですけれども。その時の、そういう怨念を鎮魂するということがいよいよ始まりと言うのかね、2500年前くらいだと思うんですよね。その時の怨念と言いますか、辛い思いをして日本の国を譲ったということになろうかと思うのですけれども、その思いを鎮魂していくということが、今回始まったと言うかね。

◇諏訪の神々

来年の最初のツアーというのは、諏訪の神々をいよいよお慰めするということで用意をしているのですけれども、その為の本も、諏訪の本も、ネパール協会の時に一緒に理事をされていた寺田鎮子先生という研究者がいらっしゃるのですけれども、その方に諏訪の祭祀を書いて頂いている最中なのですけれども。それも大きな、縄文が出雲を引き継ぎ、あるいはバイカル湖周辺の一族が、先に来ているわけですね。バイカル湖から諏訪に入っているわけですけれども、その伝承というのは、岡本太郎という方の諏訪の祭祀のところに芸術の爆発があるのですけれどもね。そういうことも含めて、ユーラシアの祭祀と、それから日本の縄文と出雲の祭祀とが出会ったところの受け渡し方の・・・今度はいよいよ、来年の諏訪の上社、下社がありますけれども、その祭りをやって頂くと言うかですね。

諏訪は御柱祭ですから、いよいよ大黒柱と言いますか、天御柱と国御柱、4本がワンセットとなりますけれどもね。少し販売の話になってしまいました。非常に甲斐の国、甲斐の神行に近づいてきたなと。元々、武田の一族に入った諏訪氏というのも、神氏家まさに諏訪の神社の神主の家系ですね。諏訪氏というのは、それが武田家に入ってくるのですけれども。それが信玄の子供の4男の勝頼になるのですけれども。ですから、諏訪の祭祀の中に、虎の巻というのですけれども、それが隠されていて、兜の中に虎の巻を入れて、保持してきたということなんですね。その虎の巻というのが、王道に対して覇道と言うかですね。

◇情報は覇道の極み

覇道というものは確かに一番の強いわけですけれども、それの虎の巻を武田家が持っていて、それの内容を徳川家に渡していくわけですね。ですから、徳川のほとんどの譜代大名の家老には、小笠原の出身者と、武田の二十四将の家系のある人たちがそれを譜代大名に伝えていくということもありますけれども。その家が、うちの久子さんの母方の家が小畑(小幡)と言って、諏訪の法性の兜と言って、その管理を小幡昌盛が引き受けてやってきた家なんですね。ですから、いよいよ来年は王道と覇道と言うかね。

今、我々は大伴さんを中心として、白川学館の中に情報学部を作るということを決めて用意をしているわけですけれども。情報ということのひとつのところは、それは覇道の極みなんですね。日本の熊野の八咫烏も、朝鮮の高麗の八咫烏も、満洲の八咫烏も、みんな同じ三本足のカラスなんですね。それは情報系を司っていたんですね。武田家というのは、完全な情報の一番の司の家というか。それで日本全国の細かい情報を、もちろん、金山の情報もそうですけれども、持っていたと言うかね。その情報は、法性の兜の中にもあるのですけれども。出雲の情報系というのは、全国に八咫烏が散らばっていて情報を出雲にもたらしていたわけですね。

ですから、現代で言うと、その中の情報ソフトが非常に大事な問題になるんですね。ソフトが間違ったことを書いたりすると、大変なことになってしまうと言うかね。ですから、間違えないようにソフトウェアを作らないといけないです。それは殺し文句にもなるし、活かす言葉にもなるということで、世界を活かす言葉で、ソフトウェアを作っていくということが本来の祝詞であり、我々のソフトウェア作りの仕事にも繋がっているわけですね。

それはある面では、兵器に転化することもありえますが、それはいけないということですね。秘密兵器であっても、それは人を殺める為の、そういうものであってはならないと言うかね。それはアナログ的に、我々がまずはそういう白川学館としてしっかりとそれを備えると言うかね。

◇戴冠式

そのことがいよいよまずは、斉藤さんに神主としての白川における役割をして冠を付けて頂くということで、戴冠式を来週行います。戴冠式というと、どちらかと言うと、女王陛下の戴冠式みたいになりますけれども、本来は白川が神主たちに贈る称号みたいなものですね。

今回の出雲の遷宮の時に呼ばれていって、力になって欲しいということを言われたのですけれども、その時の最初のお話は、皮肉と言うのか、400年前の白川が出雲の神官に冠をなかなか許可してくれなかったということを言われました。そういう冠を授ける仕事で、これも明治には門人の内では、内々にはやっていたのですけれども、いよいよ我々白川学館も、これをやらないといけないということで、まずは斉藤さんに冠を用意しました。来月から楽しみにしていてください(笑)。後ろからみると、とてもかっこいいですよ。

◇白川の技と陰陽師

それ以外にも、神事長、審神者掛とか、神事掛というような明確な役割分担をさせて頂いて、皆様方の力になれるようにやっていきたいです。いよいよ働き方と言うのか、白川学館大学出版部、そして出版局から始まりまして、法務省から認められて、今度は白川学館大学図書館が7万冊の蔵書で出来まして、今度はまず、白川学部ですね。そして、情報学部と立て続けに、そういう学部が出来て、今度は白川学館大学が出来て、今度は白川学館がまた白川の王政復古ではないですけれども、八神殿や歴代の天皇陛下の御霊をですね、元々白川が保持していたわけでありますから、その辺りを含めて王政復古になっていくと思いますけれども。そんな形で今進めています。

それはまさに布斗麻邇の技と言うのか、十種の神寶の技というのかね。もちろん、これから天皇陛下になられる皇太子をしっかりと位にお付けするというのは、我々の役目でもあるので、それはそれとして、もちろん三種の神器、十種の神寶をお伝えしますけれども。我々もそういう意味での、白川学館が王政復古としての神祇道と言うのか、神祇伯、神祇官、神祇省という役の働きに戻って行くのではないかと感じています。

これからますます皆様方の力添えというのかね、今日もハッキリと今にも雨が降ろうという感じでしたが、しばらくみんながお祓いをあげていく内に、見事に晴れ渡っていう。それは今回の出雲ツアーに遺憾なく発揮されたようです(笑)。そういう実験は、30年以上やってきました。降雨と止雨というのは、本来、白川の役割でした。ですから修行もミズハノメの神、天水分神(あめのみくまり)、国水分神(くにのみくまり)という風に、そういう修行段階がありまして、やっていくわけですね。

当然、降雨と止雨ということを後々、下請けするんですね。陰陽師とかにね。陰陽道の人たちに下請けしてもらったり、あとは修験道や密教にそのような仕事を下請けしてしまうんですね。それで白川家はそういう技が出来ないのではないのか、単なる儀礼だけではないのかということで、明治の神道も儀礼だけで、公家は終わったのですから、新しく、いわゆる神社本庁みたいなものを作る結果となって、完全に神道というものが単なる儀式だけになってしまう形で進むわけですね、この130年、150年くらい経ってしまうわけですけれども。白川には当然なんですが、そういう方法は当たり前に全て伝わっております。ただ自分たちはやらないということで、下請けして頂いただけですね。試してみたのですけれども、ほとんど十種の神寶は実行できる技であって、なんら不思議なことではないし、これからはそういうことを普通に出来る集団として白川学館の神事掛を広めていくと言うかね。

◇神と人のコミュニケーションプラットフォーム作りに貢献する人を養成

これは祝殿修行ということになっていますけれども、沢山の人を養成を出来て、力を持った人がどんどん出てくるように、システム学習法にして作りましたので、これからは千人くらい入るところで、普通の宗教団体で言うところの異能者を作るということになるですけれども、ごく普通の人の能力として開発して、それが神と人の心地良いコミュニケーションのプラットフォーム作りに貢献してもらえるような人を作っていくと言うかですね。

それは即ち、日本の古神道が、朝鮮神道でもあり、中国神道でもあり、インド神道でもあると。それがヨーロッパの一神教、あるいはイスラムの一神教もしっかりと神と人が交流できるようにしていく。その一神教というのは、神を異常に遠ざけて、人が神に行く道を塞いだということが人類の歴史の不幸だと思うんですね。

これは3千年間、ユダヤ教からではもっと経つかもしれませんけれども、神と人を遠ざけるということによって、人類は不幸になったということですから、その辺りが解消すると、人と神の関係が良くなって、人と人の関係も良くなる。そして、人類みんなが楽しく共存できる社会になっていくということが、この一点にかかっているのではないのかなとつくづく感じます。

◇誰にでも提供できるような技術にしていく

この辺りが、どなたにでも、提供できるような技にしていく、技術にしていくということが、白川学館の本来の役割ではないのかなと思うわけですね。ですから、その辺りを共にして頂くということでありまして、たぶん非常に我々は装置としても持っているということで、それが機会均等ではありませんけれども、大きな力になると言うかね。

我々は、まだ3ボルトか、5ボルトくらいでしか磁場と言うのか、磁場というのは強ければ良いということではありませんけれども、少なくとも今の社会に働いている強磁場のものにロゴストロンをしても、これはとんでもない力になるということが分かっているということですけれども。今、我々、コイルもゼロ磁場コイルも、来週できるメビウスコイルも含めて、いよいよ本体が現れてくると言うのか、非常に強い働きが出てくるのだと思います。そういうことがありまして、期待大のところがあろうかと思います。

そのことを粛々と開発していく。それはアナログにしても、デジタルにしても、我々が学ぶ上でのシステム学習にしても、人類にとって良い時期になったんだなということで、我々がこれから慢心することなく、安全を基本として開発を進めていきたいと思います。

直会の後は、最後に話させて頂いているのですけれども、そういう決意表明みたいなものを、斉藤さんの素晴らしい祝詞をあげて頂いて、直会の後、私が決意表明をさせて頂くということで、ここのところはこの方式で、月次祭、あるいはこういうお祭をさせて頂いています。非常に身の引き締まる思いでいます。これからも皆様方の力を頂いてこそですけれども、今日の空が晴れ渡ったように、命を発揮するというのか、一緒に頑張っていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。