0272話:2017年11月25日

◇新しいものをお出しする場所

こんにちは。たくさんの皆様方にご来場いただきましてありがとうございます。

この場所は本当に新しいものを開発した時にお出しする場所です。6年前の大震災の前の2月26日に、ここでロゴストロンの最初のロゴストロン100の基になる試作機の発表を「未来からのツール展」ということで、この会場で発表させていただいたんですね。

今年はロゴストロン大型本体機のユーザーの会である「圀手會」ができました。千手観音ではありませんが、そういう会を作りました。皆さんついこの間、出雲の熊野神社や出雲大社、稲佐の浜をお参りされてきました。その時に玉造で昔の祭祀のことを勾玉で伝授式もしてきました。ここが初まりで、たくさんの皆様方がユーザーになっていただいて、そして日本のために発信してくださるという方がたくさん手をあげていただきました。

それ以降、「未来からのツール展」というか、未来というものを今に実現するというのか、未来であり、過去でありというか、過去にしてしまうというか、そういうきっとこの場所が何か因縁をもっているというかですね、ここでどうしてもやらせていただくということになってしまうのですけれどもですね。ちょうど、そういう機械ができた発表でもあるんですが、あるいは実りもそうですけれども、今回の表題ですね、「真釣りだ、祀りだ、秋祭り」ということでやらせていただいています。

◇日本の一番の大切な、嘗める祭

日本の一番の大切な祭りというのは、大嘗祭は天皇陛下になられるときにやるのですけれども。新嘗祭という祭りは皇室の中でも一番大切な祭りの1つとなっているんですね。

これはやはり大切な意味というのは、「食」というのかね、人が生きるためには聖書でもありますように、パンが必要な時に蛇はだめということが新約聖書にも出ていますけれどもね。そういう食べるということが非常に大事な日本の祭祀になっているのではないのかと。そのための実りを祀るということ、お祝いするということ、あるいは、できたものを神様に献饌するということは一番大事なお祭りなわけですね。それが11月の今は勤労感謝の日ですけれども、これが新嘗祭ということでありますね。できあがった実りを感謝して、そしてそれを実際は一番大事なものは稲穂でありますから、稲穂を脱穀して、炊いて、それを神様と一緒に食するという祭りがあるわけですね。

本来は天皇陛下が毎日、熟饌と言いまして、お米を炊いて、それを天照大御神と一体となって、食するということをするわけですね。それは本来では白川の祭祀の役割であったわけです。それを新嘗に対して、相嘗(あいなめ)と言います。毎日、その食事をするわけですね。神様にお供えするという熟饌も各神社で行われていますが、天照大御神と一体となられた天皇陛下が、一緒に食することを相嘗と言っています。本来は毎日、白川がやってきたわけですね。そして、新嘗もまた年に一度やる祭りですが、天皇陛下の代が代わるときに、今度はご退位ですから、はっきりと決まって2019年に行われるわけですけれども。

その時の新嘗祭は、神嘗祭という名前になります。ですから、天皇陛下が位につかれるということと嘗める、食するということと同意味の相似形となっているわけですね。毎日されることが毎年の収穫を祝うということと、それからご皇位につかれたときの儀式のベースになっているというかですね。だから、ある種の食べる祭りというのかね、そういうことが基本になっているのではないのかなと思います。

◇祭りは真釣り

なぜ祭りということが真を釣るという言葉で、祭祀の祀りを真ん中にして、真を釣ると、秋祭りの三拍子にしたのかと言うと非常に印象深いことがあります。先程、紹介していただきましたけれども、私は奈良毅先生より大学の頃から学ばせていただいたときから、先生はインドに長らく留学されていたものですから、たくさんのインドの大学の先生や友達に引き合わせてくださいました。その中にカルカタ大学の教授の先生でマツール先生がいらっしゃいました。よく祭りということを引っ掛けて、紹介されていました。

その時に奈良先生がマツルという意味は日本語で祭りということなんだと。それは本当のことを釣り上げるという意味なんだとお教えいただきました。それは印象深く20代の初めの思い出なのですけれども、未だにそれを思い出します。

◇天人五衰の宿命

このマツールさんという方は、実は、後の話しとも関わりがあるのです。ノーベル文学賞を取った川端康成の印象派を引き継いだ三島由紀夫という作家ですが、市ヶ谷で割腹自殺をするわけですけれども、その時、私は大学の頃で非常に衝撃がありました。いまだに当時の新聞の一面がそのまま焼き付いておりますけれども。その彼が天人五衰とか、豊饒の海の4部まで書いて、その後、市ヶ谷で決起するわけですね。最後に四部作を書く前にインドを訪れているわけですね。その時にベナレスというヒンズー教のメッカのようなところの沐浴場のあるところ、火葬する場所がありますけれども、そこをマツールさんが案内したそうです。その時の、彼のショックを受けた顔を説明してくれました。

まさに天人五衰そのものもそうなんですね。天人というのはこれはインド由来の仏教の六道輪廻というか、輪廻を繰り返すその頂点にあるものが天人ですね。今日もオープニングの動画から、あるいは一連の龍宮乙姫に至るまでのものを皆様にお見せさせていただいたのですけれども。天人といいますか、この撮影場所は天の羽衣といいますか、三保の松原でありますが、そのところの景色をとっているわけですね。あそこは黒曜石の玉が流れ着く場所でもあります。よく私も拾いに行ったことがありますけれども。そこは天女が降りた場所という形をとっておりますけれども。

今日の1つの暗示みたいなものは、天女から人魚まで、途中人間に出会って、人魚になるのか、あるいは天女になるのかということで、そこら辺は曖昧になっていましたけれども・・・。そういう仏教で言うと、天人五衰というか、衰えてくると輪廻をしなければいけなくなる宿命というかですね。

不老不死を求めるわけですけれども、それが限界にくるわけですね。150年か、200年か、300年か分かりませんけれども、生きていてだんだん老衰していく時の5つの兆候が現れるということで、そういう汗が出たり、臭いがしたり、そういう五衰ということで、天人も不老不死を目指し、輪廻を繰り返さないということを目的に存在していくのですけれども、輪廻せざるおえないということですね。これはその前段として、仏教では生老病死と言ったりしています。

◇輪廻から自由になれない悲しみ

渡辺崋山の末裔とも言われています。三島由紀夫は革命的な気概をお持ちの先祖なんですね。やはり仏教と神道といいますか、両方混合している部分はあります。もちろん、西洋の学問にも精通していたわけですけれども。

最後にやはり自分が生まれ変わっても、この国を守ろうという気概を七度生まれ変わっても、七生報国(しちしょうほうこく)と言いますけれども、国に報いる、あるいは天皇に報いるという気概をもって、転生するという志ですね。その思いというものが、要するに、輪廻の極地と言いますかね。もう輪廻しなければならないとして、また輪廻するんだとしたら国に報いるために生まれ変わる。

ここにある問題提起は、そういう生まれ変わるということがやはり1つのある面では悲しみと言いますかね、人間がそこのところから自由になれない哲学とか思想の問題と言いますかね。ヒンズー教では神様も3000万年くらい経ってまた人間に戻るという、神様にも輪廻思想があります。大変な極めつけな思想、生き方です。

◇インドが救われれば世界が救われる

よく先生が言われていたのですけれども、先生は自分がインドの王様であったということで、あなたはこういう前世だとか、私が4歳に見ていたことと同じことを大学に入る頃、先生は言ってくださいました。
 
そういう輪廻というか、自分はインドの王様だったということで、インドの国が民族が救われる時は、世界が救われる最終なんだということをよく言われていたことがありました。先生はインドの経済や文化を道教もそうですけれども、非常に東京外国語大学のA・A研で研究され尽力されたというかね。

バングラデシュもそうです。私は先生について、最初は2人からバングラデシュの独立運動をさせていただきました。本当にタゴールの歌のように、民族を鼓舞し、生きておられたというかね。先生は3年前におなくなりになったのですけれども。

なんでインドが救われれば世界が救われるかというと、あれだけの日本だと日本語がそれだけ整理されているのは、まさにインド文化のサンスクリットという言語が世界で一番高度な文法を持ったサンスクリット語で日本語の「あいうえお」を整理してくれたということがあるんですね。日本は五母音はあったのですけれども、それが更に広がって八母音みたいな形まで広がっていったときに元の五母音に戻してくれたのではないのかなと。日本の文化というものもそういう意味では仏教という形で学問にしてくれたのではないのかなと。

この間、奈良にも行って、昔の都の後を見てみたのですけれども、東大寺なんかは、あの頃、インドのバラモン僧も来て、道を伝えてくれているわけですけれども。そういう仏教によって、日本の学びが深まったというのは感謝のしようがないわけですね。

◇仏教をまたインドに返す

そういう仏教をまたインドに返すという運動も戦前からありまして、ガンジーは南妙法蓮華経と唱えてから糸車を回す、あるいは講演するということをやっていたわけですね。そのことは先生が留学されている時に、調べろということで私も調べさせていただきました。非常に仏教をもう一度、自由、平等という世界に戻るための方法論として取り入れようとした形跡があるということがよくわかりました。もちろん、カースト制ですから、自由、平等が全くないというかね。私も45年前にインドに研究に行きましたけれども、本当に当時は公害が日本では解決しようと始まっていたのに、いよいよ公害がひどくなって、今年なんかはインドの大気汚染は中国に代わって大変な状態になっているように感じます。そういう環境も非常に大変なことになっています。

人間も中国のように一人っ子政策なんかは、とてもとれませんから、これからインドが世界で一番、人口で中国を超えるようなことになると思います。それも世界で大事な問題になると思います。

本当に優れた思想、学問、科学というものでインドは優れているわけですね。古代では言葉としての数字というもので使われていて、今も我々はコンピューターや物理学や数学で使わせていただいているのですけれども、インドは16進法ですね、インドの数学者は非常にたくさんの秀才、天才が出ていますけれども。我々は10進法でいくところを20進法で行きますから、非常に計算が早く、たくさんの計算ができるということになります。そういう優れたところを持っている。

その国ですけれども、これから世界で一番の重荷になりますし、インドの問題が解決すれば世界が平和、安全な地球になるということを先生は言われていました。そのことがいよいよ一番思想的には高度化した仏教の密教というようなものも出てくるわけですけれども。

そういう後期密教というものの中にあるものは、人間の感情というものを解決するということがこれから大切なところで、これから我々もそれを1つのコンピューターの中にいれるデータベースの1つの分野として開発をしようとしております。

メンタルプロセッサー、日本語で言うと、情緒マンダラという言い方をしまして、その開発の骨格と運用方法というようなものも出来ています。それも来年からは本格的に皆様方に提供を始め、ソフトウェアの中に組み込んでいくということになりますけれども。その一番ですね、人類がやはり、解決を図らないといけないものはインドから見ると、それは輪廻思想というかね、そういうものが一番大きい障害になるのかなということがあります。

◇「倫理」という問題

今、中国のたくさんの皆様方が共産主義といいますか、習近平さんの理論によって、色々と代々の毛沢東さん、鄧小平さん、江沢民さんもいらっしゃいましたけれども、習近平さんが共産主義の方法をゼロリセットしようとして、超えようとしているわけですけれども。

その中で一番大切なのは倫理の問題といいますかね、どうしても倫理で追求すると個人主義になってしまいますから、汚職追放でも、結局国のためではなくて、家族や自分のためになってしまって、それが一種の国を危うくする理由になってしまうから、そのことを改革しようとして、気を使っているわけですね。それは倫理的な問題だと思うんですね。

我々も2000年に渡って、四書五経と言いますか、中国哲学と言いますか、中国の道をたくさん学ばせていただいて、その時代、時代でそのことを役立たせていただいたという経緯はあるわけですね。それで今、急速に中国の人たちは外国と接触するというようなことを通じて、倫理という問題を急速に学びつつあると思います。中国の方に失礼な言い方をして申し訳ないのですけれども、たぶんそういう学びが深まっているのではないのかなと感じています。これは日本もウカウカしてはいられないということにもなります。

たまたま七沢研究所の主任研究員として中国からいらっしゃっていました中国の先生が東大で勉強されていて、私も7年間、先生から医学を学び、そして私は日本の文化をお伝えしたという経緯があります。その方は非常に優れた倫理観をお持ちでした。ですから、僕は中国は非常に早く良い方向に変わっていくのではないのかなと。その時に日本は中国と争いなんてしている場合ではないと思うんですね。これからは非常に仲良くアジアのために力を尽くす時が来ているのではないのかなと、つくづく感じる今日このごろです。

◇民族の感情の発露

韓国、北朝鮮、中国の一部もそうですけれども、そういうものの生き様というものは一種の情緒とシャーマニズムだと思うんですね。戦前、朝鮮で朝鮮総督府という形で日本が関わっていた時がありますが、その時に朝鮮の方々がどういう生き方をしたら良いのかなということで、今で言う人類学者、総督府の政策立案者たちが、どういう哲学や宗教でいけばいいのかということを研究したわけですね。

たまたま七沢家でも研究された方がいましたし、私もそういう宗教学に入るきっかけにもなったのですけれども。やはり、その当時は仏教を盛んにして、やっていくということが良いのではないのかということだったのですけれども。

その前提にある男のシャーマンを「巫現(ふげん)」と言ったり、「巫(ふ)」とシャーマンのことを言うのですけれども、それが大事な民族の感情の発露と言いますか、そういう要素だったのではないのかなと思うんですけれども。ですから、満州シャーマン「ロスト・マンチュリア・サマン」という映画を撮影された金さんに協力させていただいたのですけれども。満州シャーマンと、朝鮮シャーマン、それで日本のシャーマンである神代と言いますか、そこは白川の世界かもしれませんけれども。関わりがあるところなんだと思うんですけれども。

そういう東アジア、それからアジア、インド亜大陸というような大きなところを見ていきますと、仏教も元はヒンズー教の神なんですね。インドももちろん、中国ももちろん神でありますけれども。2700年とか3000年を前後して、中国では論語で怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らずということで、もちろん、インドでは仏様の時代というものにもなるのですけれども。お釈迦様は弟子の阿難陀(アーナンダ)の「神とは何ですか?」の問いに、にっこりと微笑んでお答えになった。

◇神道はユーラシア共通の考え方だった

日本の古神道というものは5000年以前からアジア、あるいはユーラシア全体の共通の考え方ではなかったのかなと思うんですね。日本の古神道と言いますか、あるいは朝鮮神道と言いますか、中国神道、インド神道というような言い方もできるのではないのかなと。

ですから、出雲では2000年くらい経った家で新しい家というような、新家というように捉えられるわけですけれども、インドでもそうですね、農業なんかは2000年全く変わっていないんですね、私が調査に関わったときには。中国もそうかもしれません。

それは3000年というものが科学的な思考に入っていくということの期間がトインビーではありませんけれども、3000年間、神ということを言わないで解決あるいは、科学するというところにいったのではないのかと。シャーマン的な意味の古代から受け継いだ神がかりというものは、非常に原始的な信仰ということで見ていたものなんですね。

日本だけは古神道を神道という呼び名で伝えてきたということがありますが、旧石器時代から新石器時代に入る頃はユーラシア、ヨーロッパ、アジアも日本もみんな同じ石器を使っているわけですね。そういう観点からいきますと、同じ生き方をしていたんですね。

◇一万五千年、文化を受け継いできた

その一番の文化を少なくとも世界に優先してというか、日本はそれを縄文として縄文の内容を民族がどのような学問やどのような経済体制や作物が入ってもそれを繋げてきたということがあったのではないのかなと感じるわけですね。その繋げていくのが縄文からアイヌ、あるいは、縄文から熊野、縄文から出雲、丹波というように文化を受け継ぎ、最終的には大和王権ということで神武天皇がそれを代表して、受け継いでいく。

その前段にある出雲、熊野あるいはアイヌというようなものは縄文の文化というか、文明を引き継いだものということが多分にあり、引き継ぎ方が非常に江戸の無血開城ではありませんけれども、全てを壊してその上に立てるということではなくて、しっかりと約束があって、この部分はどうかしっかりと守ってくださいね、という約束があったのではないのかなということを熊野に行っても出雲に行っても、アイヌの伝承を見ても、それを感じます。それが縄文からの持続可能社会ということで一万五千年も続いている社会は世界のどこにもないわけですね。

出雲も今から4000年前に日本列島に入ってきたということを伝承しているわけですね。490代続いている家もあります。それもこれから大事なところだと思います。その時に、少なくとも古い文明、古い民族から新しい文明、民族に引き継ぐという時に、その方法論がオートポイエーシスというラクビーの球を投げ合ってゴールに辿り着くというようなものに近い1つのシステムではないかと思います。

◇日本語という言葉を伝えてくださった

その時に一番大事なものを、これは受け継いでくださいということを約束して受け渡しするということをちゃんとしていくということで、それはひとえに縄文というような長く続いているような文明のある日本ではそれは平易な言葉では誠とか、平安清明というように言っています。

平らけく、安らけく、清らけく、明らけくといように4つの精神を元に生きるということをしましょうというくらいです。そういうことを伝えるということが文明ですから、まずは言葉ですね。みんな同じ言葉を繋げてくださったわけですね。日本語という言葉を伝えてくださった。その根底にあるものが母音であり、子音ですね。一音一義というところ、そして、またその響きが地球の固有のシューマン波と言いますか、そういうものにも共振、共鳴、同調するような音としてある母音を伝えてくださったのではないのかと。

それが言霊ということで、先ほどの神という我々はそれを先祖として大事にする、これも一種の古代信仰のように言われていますけれども、先祖を大切するということの意味での遠津御祖神、生きた先祖ということで自分自身を大切にするということであり、生きているお父さん、お母さんがいる場合は、生きている親をあるいは亡くなった先祖を大切にするということですね。

インドではこれをサンスクリット語でPIA(ピア)という呼び方をしています。そのような広がりで、その上に自然というものも五行として、木火土金水ということでありますけれども、地球上にあるほとんど全てでありますけれども。あとは風とか空とかそういう空間が広がっていますけれども。それも自然もまた神というように伝えてきた大事なところではないのかなと思います。

◇天津神の末裔

その上で、人間がどのように共存共栄できるかということを神として敬うというのか、そういう役割がある人もまた大事にするというかね。その中に天津神というかね、その働きがまずは国津神というような経済や政治のものの神として大事にしましたけれども、その上で、天と言いますか、その代表的な月と太陽という存在を太陽であれば、大日孁貴(おおひるめむち)というような言葉でも言いますけれども、そのように天の神として敬うと。そのように天の神として敬うということで、我々はある面では太陽の光で存在できているし、存在が可能になった38億年の生命史から見ますと、当然そういうことになりますけれども。当然そういう存在でもあります。

天皇家というのは、そういう太陽のあるいは、天照大御神という天津神の末裔として、「天壌無窮万世一系」という存在なんだということで、それを言霊百神でいう、天津神というかですね。

◇古事記上巻の中にある暗号

ある面では、それが言葉で言うと、五十音、あるいは、七十五声、言霊百神というようにそういう言葉が地球という五行の中の「あいうえお」から出ている音と太陽系の中にあるものを父韻と言っていますけれども、その父韻と母音と組み合わせで子音と言いますか、有性生殖的に言いますと、三位一体論ですね。

父なる音と母なる音で子なる音ができるというような言霊の世界ができあがっていったのではないのかなと。一音一音もまた神として大切にして、伝えていくというのが古事記上巻の中にある暗号ではないのかなと。それを今は、周波数として解く時代に来てその周波数で伝えるということがようやく可能になってきたのではないのかと思います。これもやはり神の世界というものを一度、三千年前に神様というものをみんなで秘密にしようということで言わなかったんです。その時にどんどん言ってしまった宗教は伸びているわけですけれども。神様、神様と言ってしまったけれども、その時はうまくいったかもしれませんが、今になってまたその人格的な一神ということでも、神様も色々とあるし、働きがあるのではないのかなと言える時代になりました。

◇科学で神々の復権を

ようやく神々の復権と言いますか、復古するような3000年前の原点に戻ってその神という存在を今の科学というか、この3000年間、ギリシャ哲学やギリシャ科学を中心としてヘレニズムというもので育った科学あるいはインドの数学、あるいは医学、本草学、道教という科学思想で、四書五経で培った倫理観というものをもう一度見直して、誰もが納得できるような形の生き方をベースにするということだと思うんですね。

今、一番大きな問題は宗教のスピリチュアリズム化で、科学というものをなかなか追求しづらいわけですね。そういう問題があります。

一方では科学も行き過ぎたところを何か特許を隠して、サブマリンのように隠して、あるいは軍事に利用しているのではないかという疑念を生じさせてしまうということがあります。科学を使って、宗教を使って支配するということは、幸せにはなれないと思うんですね。それを哲人政治と言って、本当に賢い方々がやってくださる場合は良いのかもしれませんけれども、なかなか民主主義というものが盛んになった現代はなかなか難しい。だれもが納得するということは宗教が神秘に陥らないこと、そして、科学も神秘を使って支配しないことということが前提にあって、持続可能社会を進めるということになるんだと思うんですね。

その時にどういう生き方が一番合っているかということを、少なくともそういう観点から学びを深めるということが大切なことというかですね。神ということを段階的に掴む、システマティックに掴めるということを神道というものは追求しないといけないし、古神道というものは、あるいは大事な要因として言葉というものを科学の言葉とするというかね。

◇言霊を解くとき

人文科学の中の言語学にするということではなくて、人文的な言葉あるいは、音の言葉、色の言葉もあると思いますけれども、言霊とは一体何かということの解明が始まるときだと思うんですね。言葉や概念、科学も、数の言葉の数学や物理学は貢献するし、それが「ひふみよいむなやことだま」というのかね。

言霊の中にも2種類あって、数の言霊、言葉の言霊の両方があって、初めて言葉になるということでありますから、その点も含めた言葉というものもいよいよ解明が始まるときの、その時に一万年もジャンプして、言葉の寿命というのは一万年と言われていますけれども。一万年を超えて使っている世界の言葉をずっと伝えてきた日本語という言葉を世界にまたとない言葉を解明することをやろうということでのロゴストロン、ロゴソロジーというように学問になってくれたらいいねということで、言霊というものがもう一度、15000年の1つの暗号をもう一度解く時が来たのではないのかなと。

◇もう一度、大元の言霊を出す

そのための方法ですよね。そのための世界でも今、盛んになっているような時空間を超越する方法で、そういう感覚になって、言葉と神の世界を掴むということが1つの瞑想と言いますか、鎮魂ではないのかなと思うんですね。その辺りも日本ではまだ実践していないんですね。150年前に3000年期がきて、科学の発達のために黙ってしまったんですね、白川はですね。

それはやはりようやく科学というものが世界で共通語としての数の言葉、意味の言葉、これは医学とか物理学とか細かく分かれていますけれども。それをようやく統合の道として今まであった道を確認する意味で振り返るというかですね。そこにもう一度、神というものはこういうこと、言葉というものはこういうことというような大元の言霊をもう一度、お出しするということが役割だと思うんですね。一番良い出し方の模索みたいなことを我々はさせていただいています。

◇神知覚学

神智というような学問がそういう神智学というような言葉も18世紀、19世紀にありましたけれども、私は神を知覚、神の識を知覚するということで、神知覚学という呼び方をしています。

そういうものとして、一方ではっきりさせる。一方では、科学の装置として、この70年、80年進化したものは、コンピューターという装置ですね。それを使って言霊というもの、感情というものを数値化して現す。

ですから、神様のことを数値化するということをやってみたこともあります。天津神と国津神の周波数の違いというようなことをさせていただいたこともあります。そういう科学としてするということがいよいよ始まりの時の1つのラッパではないのですけれども、ヨハネの黙示録には色々なラッパがありますが、そういうファンファーレではないですけれども、いよいよ始まるということだと思います。

来年作るものも非常にたくさん用意しています。一番新しいものをお出しするように、例えば、転生自由七科というのは、今までのワープの中ではライフチェンジということをやらせていただく時にも一番の学んだ、あるいは最先端の神知覚学と言いますか、あるいは言霊というようなものの最先端の開発したものをお出しするというかね。たまたま今日は皆様方に新嘗祭ではありませんけれども、発表させていただいている製品は本当に新しいものなんですね。今日は言葉だけですけれども、実は色々とロゴストロンの発信の形態を研究させていただいていまして、今やゼロ磁場コイルという形で作っていますけれども、ゼロ磁場コイルからメビウスコイルが昨日、試作機ができて、皆様の耳元に届いていらっしゃるかなというか、去年と少し違うということを感じていただければ有り難いと思います。

◇天之子八根命がお話している

そういうコイルも作りまして、今度はグラビトンコイルの開発が進んでいます。その先も実は進めています。盛りだくさんできっと科学の確認したところに応じて、次々とその辺りの開発もできていくと確信しています。

ちょうど、日本語を話す皆さんと、そしてロゴストロングループに関心をもっていただいた皆様方ですから、一番感応、直感力がおありで、最高度に天才だと思っています。その辺りから、こんなこともできるのではないのかなという皆様方からご意見をいただいて、様々な事業を進められると思います。

これは本当にアメリカの大陸に渡って、ここからここまで自分の土地だというように、何を言っても良いように豊かな地平が広がっているのではないのかなと思います。

こういうことをしたいということがおありでしたら、またいつでも言っていただきまして、また参加していただけましたら有り難いと思います。今日はそういう意味でまずは健康になっていただくという意味でミネラルの抽出も最新のものをご用意させていただきました。

時空間が飛び越えて、時間が今日も長くなり、すみません。もう止めますけれども(笑)キリがなくなってしまいます。いくらでも話すことがあります。

今、「はふりめく」というものもやって、始めてから一年間が過ぎましたけれども、200回を過ぎたら同じことを言うのではないかということを言われたこともありますけれども、いくらでも言うことがあるんですね(笑)。その辺りがこういうものは祝詞のようなもので、神様がいらっしゃって、これを天之子八根命(あめのこやねのみこと)ということで紹介させていただいて、天之子八根命が色々とやっているんですね。私はたまたま口を借りていて、私の口はあるだけで、そういうように受け止めていただけましたら幸いでございます。

本当に今日はありがとうございました。