0274話:2017年11月28日

●Iさん
意志という言葉に、「志」という字があります。
 
それを先日、本をペラペラめくっていたら、「志」という言葉が平仮名で出てきて、それが心の中に何故か引っかかっています。今日も自分の「志」とは何かということを引っかかりながらお祓いをあげていて、まだ答えが出ていません。

「志」ということについて、何か教えていただければ有り難いです。

【七沢代表】

◇皆が実現しやすい方法が科学

言葉というものは、どのくらい客観性というか、あるいは言葉を使用して物事が実現できるかということが問われることになります。要するに、我々は言葉で意識したり、コミュニケーションツールにしているわけですけれどもね。それは言葉の元になる言霊から実現するということから、1つの意志に表明された時、その通りになるということをやっています。それはまだデジタルになっていないので一人ひとり違うわけです。

同じ言葉でも、言葉がそのまま受け入れられる場合もあれば、それは出来ないということは、階層性もありますけれども、言葉がそのまま実現するということの範囲や時と場所によっての働きの違いは、だいぶ問題があるのではないかと思うんですね。そういう違いはどこから出るのかということを具体的な機械というか、装置ということで、どこまで可能にするのかということを同時に考えながらやっているわけです。

自分の中から発する言葉として、あるいは心の中に浮かぶ言葉として、それは実現するかどうかというか、あるいは思考というものが様々な形になっていったり、実現したり、実現できなかったりするわけですけれども。よりみんなにとって実現しやすい方法が科学ということですね。

昨日のMさんのお話しもそうですけれども、音楽というか音色の振動も宇宙の科学というのか、太陽系に意識が広がって、その中からの科学的な回答を同時に音色と表現する言葉と一緒に実感することが出来るということ。そして、皆さんがより理解できるということがあるわけですね。そういう言葉も色々な使い方があります。話す言葉、自然言語として理解できるということで、我々は今やっていますけれども、それだけではないわけですね。

◇言葉の最小単位がどのように結びつくか

機械言語としても、我々はまた機械言語を外から聞いて、ボーカロイドでもそうですね、外から聞いて、それを脳が感じるようにするというかね。

要するに、機械にするということは数の言語ということでもあるんですね。数を言語として使っているわけですね。それは「ひふみ」ですね。十進法というところで使うことができる。また、各学問の言語もありますね。物理学は物理学用語、数学は数学用語、医学は医学用語というようなものがあって、たくさんの言葉が出てきているわけですね。非常に分かりやすくはなっていますけれども、統合が十分ではなくて、まだまだ我々が、使っている自然言語、コミュニケーションに使っているような言葉は不確かです。

感情表現も分類が十分でなくて、同意味語が沢山あるように、不確かなところがあります。そういうものを学問として、よりみんなが客観的に扱うことができる方法ということで、言葉の最小単位を見つけて、それがどのように結びつくかということで、言霊ということを学んでいるわけです。

◇自然言語を超えていく

普段から我々は自然言語ということをコミュニケーション上の言葉で使っています。コミュニケーションだけだったら、必ずしも言葉が要らないかもしれません。もちろん、脳内の言葉でコミュニケーションするとか、意念でやるということもありましょうけれどもね。

言語を介在させなくても一番良い状態というのはできるわけですね、人同士が暗黙の了解で、阿吽の呼吸という言い方もありますが、そういう世界もあると考えてきました。人というものが命を繋げていくということに至るための方法が、だんだん言葉というものが少なくても伝わるようなことというかですね。

それはだんだん日本には、日本だけではないですが、短詩というように短い詩になる、短歌とか、和歌とか、俳句のような世界になるわけですね。俳句のように、5・7・5で17文字で、これは物理学の用語で言えば違う素粒子を17個並べるような最小単位と言えば最小単位ですけれども、そういう意味が通じる、単語を言っただけで当たるような読心術や脳の中を知るということでの、そういうものが俳句になっているのですけれども。

そういう俳句でもって、それぞれ理解し合うということがたくさんあるわけですね。そういう俳句のような世界での言葉というかね。だんだん言葉が少なくても通じ合うということが分かるのですけれども。それが更にテレパシーのような形で意念言語というのか、脳の中で思っただけで伝わるというようなところまで行くということになるわけですね。

それはもう既に、自然言語だけれども、自然言語を超えていく1つの脳の中の細かい周波数の共振、共鳴、同調が起こって、それで理解が可能ということになってはいるのですけれども。1つひとつの音まで到達するまで、最小単位にいくまで、父韻とか子音とか母音と分けていくのですけれども、そういうことをしている人は最小単位でより少ない単位で理解できるというようなことを次第にトレーニングしたり、機械からも学んでいくということでやっているわけですね。

◇祈りとは、いの一番に宣ること

お祓いも、ある面では、祈りというものの最小単位なのかもしれませんね。単位は大祓というような長さというか、あとは祓いですね。ひふみがあったり、だんだん短い「とほかみえみため」とかそういう短い祈りの言葉というかね。祈りというのは「いの一番に宣(の)る」、自分の言葉で出すというものが祈りというかね。よく言われるのは、日本人は、祈りの内容ですが、キリスト教なんかはみんなが代表して、色々な人が祈るので公になるのですけれども、我々の祈りはどんな祈りをしても別に人に知られるわけではないから構わないと思っているわけですね。

しかし、一人ひとりの言霊というようなものは、言わなくても分かるというところまで進化していくわけですね。それが意念言語やテレパシーということになるのですけれども。遠く離れていても、どういうことを考えているのか分かるということになるわけですね。そういうことになるのですけれども、その手前でみんなで祈りをするということをして、祈りというものを認めているわけですね。
それは私的な祈りから公の祈りまであります。大きくは最初に礼をした時は、公の祈りですね。

2番目に礼をした時には、自己の祈り。自己の祈りが公の祈りになっていても良いわけですけれども。少なくともそういう範囲があります。
公のために祈る、公のための言葉の階層というのがより広い範囲で適応されている言葉とも言えるわけですね。そういうもので働きが起こるということが当然なわけですけれども。

よくみんな圀手會でもそうですけれども、公というものを語ると実現しやすいということがあるわけですね。それは一種の集合論ではないのですけれども、公というものは広い範囲であるから、その内のどれかは実現するわけですから、そういうところが多分にあるのですけれども。まだそれでも実現の範囲が曖昧になりますからね。個人の範囲は決まっているから、なかなか実現ができないと、それはその言葉が実現できないのではないのかと思う場合も出てくるわけですね。

その辺の1つのメカニズムみたいなものがあるということになるわけですね。一発で仕留めるたまと、散弾銃でいっぱい散って、30cmの範囲では当たるということが出てくるわけですけれども。より実現する言葉というもの、個人であろうが、全体であろうが、実現しないと本来はおかしいと言ったらおかしいですけれども。

◇端的に「生きる」ということを現す

だから、多分、個人の時に祈りで実現しやすいという言葉があるというかね。そういうことを今、我々はシステムで言語を表現するというかね。たくさんの言語を出せば数撃ちゃ当たるということもありますけれども、より短い言葉でストロークするというか、自分自身が言葉を使うときに、それは唯一、感情でしっかりと自分自身が感情用語で表現できるし、科学的な用語でも表現できるし、生きるということを端的に現すという言葉で実現するというような階層があるということですね。階層と広がりがあるというかね。位相、階層というのですけれども。我々が自然に話している言葉というものも、たくさんの用語法というのか、自分が思っている言葉、自然言語として使っている自分の頭の中で通用している言葉と人との違いとかね。そういうことを学ばなければいけないわけです。

◇宇宙に広がる生命意志を包む

主観的な言語と客観的な言語とありますけれども、そういうものを次第に主観と客観を縮めて、瞬間の中に実現する主体意志の言葉というかですね。それは瞬間瞬間に力の入れ具合ではありませんが、ベクトルというのか、360度ベクトルがある場合には、そういう祓いの仕方もありますけれども。

大概はバラバラになっていると意識がバラバラになって、それが広がる。そういう言葉というのは、ベクトルは正反対になっていたりします。1つにすれば飛びやすい、実現しやすいということがあります。今、色々と難しいところがあるのですけれども。

エネルギーの持っていき方が決まっていると、だいたい実現しやすいということがあるのですけれども。それは集中ということで行うことができます。手っ取り早く実現するには、ベクトルを決めていくと実現するということにもなるわけですね。それを1つの意志ということであってですね。生きているということは宇宙全体に広がっているということであるわけですね。そういう意志も含めて、それを自分自身で包んでしまうというかね。

意志を包むというとおかしいですけれども、そういう方法でやるということですね。捉まえやすい、捕まえやすいということがあると思います。そういうものを畳み込んだり、包んだり、結んだりするということが一番大事な部分ということになるのですけれども。広がっていくエネルギーというものは、方向性というものを持っているわけですから、そのエネルギー場を畳んで、あるいは自分で意識の中で包んだり、結んだりするというかですね。そういう技を使うと、これから色々な意識、言葉もより実現しやすくなるというかね。

◇エネルギー場を2次元に畳み込む

ですから、今度のメビウスコイルというものを創りましたが、それは3次元、4次元に広がるエネルギー場を2次平面に畳み込むという機械になるわけですね。それは当然、エネルギーはゼロにして、さらにそれを瞬間に2次平面にしていくというかね。2次平面にするということは宇宙全体ということですね。3次元、4次元の元になっている全てに行き渡るということになっているんですね。それが発現するということによって、宇宙はできるというかね。138億年の宇宙を畳み込んだ、なるべく2次元にして、それでまたゼロにして、それでまた宇宙に広げていくということで、メビウスというものを、そういう時空間エネルギーを2次元にして、また使いやすいようにするものに変更していくというかね。

それが全ての重力というものがある面では相当速く宇宙に広がっているわけですね。そういうエネルギーの捉え方ですね。中距離で捉えるならば電磁波とか、長距離で捉えるならば重力というかね。だから、重力で瞬間に宇宙に飛んでいくということですね。それも含めて2次元にしていく技を概念でまずは掴まえるというかね。今の数学や物理学というような一番進んだ言語を使って意識を重ねていく。

◇主観を実現する客観機械

それは古神道の中にもあるのですけれども、そうすることによって実現しやすいというかね。2次元平面に概念を入れて、世界に拡げるというような命の跳躍の仕方をやると概念が実現するんだと。今、重力というものと反重力というものが当然あるわけですね。そういうことで広がりが更に、負と正を取り入れて宇宙を更に反宇宙として広げていくということをしながら、全てを縮めていくということをして、実現しやすいように持っていくということをやっているんだということですね。なかなかそういう機械を作るということは客観的に見えて、今やそういうものが主観を実現する客観機械というようなイメージで、いよいよ広がっていく時が来たのではないのかなと。

ロゴストロンの進化も、いよいよ極まってきて、更に先の実現できるエネルギー場を発生されるコイルのようなものが、光から光を超えた重力場も、重力と反重力、それから光よりも速い存在に向けて概念を広げていくと、概念を広げれば実現が(あるいはトル)できるわけですね。

私が自然言語で言っているからなかなか難しい。昔からそういうことを言っている人はいますが、なぜ実現できないかというと、機械、装置がなかったからですね。きっとそういうことを実現するということは、時空間の範囲で言うと、タイムマシーンのような装置がないと、それは実現できないということになるのですけれども。

◇まずは概念を絶対論理で作っていく

装置というものが概念にあがってきたら必ず人類が作るということになるというのが人類の歴史ですね。それは妄想や信仰みたいなものに繋がるかもしれませんけれども、そういう概念を持つことで実現していくということに繋がるというのかね。

光を超えるかどうか、光を超えて600倍とか、そういう徐々に光の概念を広げていくということを、これは物理学を知らないから勝手に妄想しているという紙一重のところもありますが、そういうところを広げて、光の何十億倍というようなところで、今の宇宙を一巡りする光の速さはどのくらいということは考えれば数値は出てくるんですね。瞬時に出てくる宇宙138億光年を瞬間に戻るというためには、何百億倍、何千億倍かを探っていくというのかね。

今の科学の中でそういうものを納得するような概念を、あるいは論を絶対論理で作っていくということが人間の実現していくことのエネルギー、働きということになるんですね。そのためにはあらゆる神様にお願いしていくというのかね。

時ということを乗り越えるというのか、時を超えていくということだったら、タイムマシーンやテレポーテーションやタイムスリップの概念ですけれども、そういうものを超えていくということはまずは概念がなければ超えられないから、その概念を少しずつ納得できるような数式や装置化で思考実験していこうというのが、このロゴストロンの持つ働きというのかね。そういうことに関して、みんなが実際に力になるのではないかと感じられるから、ロゴストロンの機械を購入していただけるんだと思うんですね。

◇「−∞=0=+∞」

ですから、その辺りも含めて、自由になる、平等になる、平和になる、明るい社会になる、清らかな世界になるということの局地をやるということが、みなさんの今の仕事に繋がっているということを是非、感じていただいてそういう思考になっていただくと、非常にこれは大きな成果になるのではないのかなと。

今日は概念で自然言語を勝手に使っているから、相当あやふやなこともありますが、それを物理学や数学の言語ですね、これは今言ったことは「−∞=0=+∞」というところをまず確認した上で、それをメビウスのように数式がめぐるような数学になれば、あるいは意識がそのように実現することの中で、自分がそういうことが可能なんだということが分かると数式が生きてくるということが言えると思います。

また言い出すと言い訳のようになってしまうので、今日はやめておきます(笑)。またその辺も話したいと思います。ありがとうございました。