0276話:2017年11月29日

◇「ご修行」はシステム科学

色々気を使ったりいたしますが、ご苦労様でした。傍からみると、神秘的に見えたり、相当ミステリアスに思う方もいるかもしれませんが、私の50年近い経験の中では、どんどんシステム科学になっているなぁと感じる次第であります。

この神経系の錐体路から錐体外路へのチェンジというか、変わる合図というか、あるいは操作というか、目をつぶって外結印を組むということが、まずはチェンジになるわけですね。そしてまずは、遠津御祖神というか、人間のはるか遠い先祖を迎えるということであり、自分自身も生きた先祖だということで始まります。遠津御祖神をまず迎えて、その上で自然の神、五行の神、あるいは風の神だと、級長戸辺神、志那都比古神、志那都比売、虚空津比売神という神様の働きもありますが、要するに、自然の働きを身に受けるというか。自然の働きの神なんですね。そのような神を迎えていくというか・・・順番が決まっているんですね。その上で、国津神を迎え、そしてその国津神の上で天津神を迎えるというか、次々に神の上に神を迎えていく技なんですね。それがシステムとして古代より出来上がっているんですね。ですから、必ずそうなるんで、いささかも神秘なんかではない。

◇神の働きが起こる

大体、みんなが引っかかるのは、霊という言葉ですね。そのようなものがあるんじゃないかなぁと思っているフシに引っかかるわけですね。ですから、動物になるわけでもないしね。動物になるという錯覚のようなものは、今では精神病理学から取り払われてしまいましたが、明らかに、これは憑依精神病という範疇の、そのようなものが病態としてあります。皆さんはどなたもいませんからいいのですが・・・。これは動物の動きを自分があたかもそうであるかのように思い込んだりするんですね。それはそれで自覚して解決すればいいわけですね。それは脳の問題なんですね。人の憑依もそうですね。人ということも我々はしないわけですね。

修行する者は人ですが、神の働きが起こるわけであって、ですから修行は全て神の働きなんですね。ですから、人の動きはしないわけですね。かと言って、立ったり、座ったり、寝たりすれば、それは人だと思うかもしれませんが、人の動作をしないんですね。人の動きをするか、しないかということが、この修行の要諦というか、非常に大切な部分です。

もちろん脳の具合で、動きが、いかにも何かの修行者のような動きをとることはありますが・・・。特に仏教の中の修行で言えば、密教、禅、また修験道、陰陽道という、人が修行している姿、例えば滝行とか、九字を切る動作とか、あれは一種の肉体の行なのですが、そのようなものは、肉体において人が強くなるということですね。それは白川の修行ではないですね。

人の修行はしません。ですから、人の修行のように、あるいは人の動作のように見えることはしないということです。例えば修行者の動き、修験道なんかでやる動きは、なかには出てくる場合もありますがね。どのようにすれば、九字を切ることが終わるかということもあります。そのような動きもないです。そして潜在意識も使いません。ですから、修行の祓いをあげる方と受ける方との間で、人間の会話というものはありません。今日、笑いが沸々と出てくるということがありましたが、これも無いわけですね。これは脳の一部の刺激によって起こることであって・・・ですから、祓いをあげる者が笑われているわけではないし、修行を受ける者が笑っているわけでもないですね。脳の一つの刺激によって起こることです。

ですから、脳の刺激で起こる脳の変化はありますが、それも別に問題ない。潜在的に隠れていたものが出てきたのかもしれませんが、それもまた解消する為の祓いに繋がっているわけですね。そのようなことを含めて、私は主に研究をしてきました。

◇意識した途端に空中から落ちる

ただ、人が修行したという修行の影響はあります。これは高濱清七郎先生は修験道の出身なんですね。ですから、だいぶ修験道の動きが出て・・・僕も何人も天井に貼り付けた・・・浮くってことは当然、ごく当たり前の感覚になりますから、色々な動きがありますが人の修行はしない。空中を浮くような修行は、普通の修行とは言えないのですが、人の修行とは言いませんが、これも含めて、どのような注意が必要かというと、脳の錐体外路系という動きは、武術の名人の動きなんですね。武術の最高レベルの人の動きになってきます。なかなかぶつかりませんが、ぶつかってもいいんですね。

フッと自分に還った時に、錐体路系に戻った時に、名人の動きが普通の人になってしまうんですね。意識をした時、あれっと思った時にですね。切り替えが自在に出来るようになれば、それも大丈夫なんですが、なかなかその当たりのところが若干、修練が必要です。

ヒンドゥー教のラーマーヤナの神話の中にある、意識した時に空中から落ちるという場面がありますね。まさに白川もそうで、空中浮揚をするんですが、意識した時に落ちるわけですね。S先生は空中浮遊の世界大会の常連だったんですね。それで意識した途端に、空中から落ちると言っておりました。これも一種の錐体外路系から錐体路系という、交差した脳の神経の動きになった時に、我に還って存在観念に戻っていくというか。ということは、普通のその方の持っている主観というか、いつもの意識の仕方に戻るということになるわけですね。この点を注意していくということだけなんですね。

◇神を迎えることは、この上なく和楽

安全にやるということは、錐体外路系でトコトン行くということですね。少々、壁にぶつかってもケガもしないで、何ともないということですね。母屋でやっていた頃は、障子は穴だらけですが、ガラスは一度も割ったことはないですね。ケガも全くありませんでした。だから僕は相撲部屋と言ったのはそういうことですね。土俵の中でやることは構わない、外に出てきた時に、中に返して言ってあげればいいんですね。

色々な動きが起こりますが、動きもだんだん澄んでくるというか。はじめは、味噌すり運動みたいな、中心が動くんですね。それで軸が動くから、その動きもあるんですね。だんだん澄んでくると、その場で旋回出来るようになりますね。自然の働き、風はお祓いも風を使いますが、木火土金水のその一つひとつが神の修行であって、それを一つ迎えるということは、本当に例えようもなく気持ちの良いことでありますし、五行と一体となったという自覚は、非常に楽しいことであって、怖いことではありません。

是非とも、そのあたりも・・・脳では理解しておきながら、そして錐体外路系に切り替えて、武術の名人の域でやって頂ければよいかと。神を迎えるということは、この上なく和楽というか・・・笑っちゃうぐらい楽しいこと。今日、何人か笑っていた方がいましたが、凄く楽しいことが起こるという前触れだというように思っていただいて、頑張っていただきたいと思います。

またやりましょう。
今日はありがとうございました。