0279話:2017年12月04日

◇忌野清志郎さんの話

おはようございます。

昨日、彦太郎(孫の名前)ではなく、ピコ太郎をマネしたジャスティン・ビーバーという歌手の歌を聴いていました。なかなか良い男ですね。歌を何十曲か聴きました。もちろん、加工したところもありますけれども。我々も加工どころか、全部ボーカロイドにしています。聴いていて非常に大事なところです。軽やかな音色というかね。どうしても我々は、清めるということを中心でやると、強くという意識が働き、どうしても声帯に過分な緊張を与えてしまうことがあります。
忌野清志郎さんが来ていたことがありました。修行も10回以上しました。一度、咽頭がんが治りました。再発しないようにというのは、歌い方を変えないといけないのではないのということは言っていました。しかし、なかなか変えられないわけですね。どうしても緊張する歌い方というのか、そういうことがあり、再発してしまいました。それこそ、前世の物語として考えてみると、江戸時代に私が助けられたのかもしれないなんていう話をしていました。

◇陰の声と陽の声

声の出し方で病になったのかもしれません。人生というのは、そういう捉え方もできます。今度、輪廻転生ということをテーマで来年からやりますけれどもね。そういうことを非常に感じるというのかね。なかなか今、まさに祓いということが強い、弱いということもありますが、強く発声しても、そんなに壊れない人もいるわけですね。とにかく、喉を緊張させない声の発声の仕方ということが大事なのではないのかなと思います。これを考察しますと、陰の声と陽の声という発声の仕方があるのではないのかなと。

高濱先生はよくお祓いで陰の発声は良くないということをおっしゃっていました。喉を狭くして、緊張させて発声する、そういう祝詞だと陰ということになります。

よく修験道なんかでも、何かを例に例えるのは良くないかもしれませんけれども、中には自然の働きというか、修行場がそういう場所だから、どうしても山でも怒鳴ったりしないと谷に落ちてしまう時もありまして、鋭い声をかけながら危険を回避したりする方法があるのですけれども。我々は力を入れずして鬼神を動かすというかですね。もちろん音色が美しいということも良いんですね。

私の実家の方の住職さんも、真宗でしたけれども、今考えるとベルカント唱法に近いお経のあげ方で、非常に柔らかくてふわっとして、まさにベルカント唱法の良いところが遺憾なく発揮されていたように感じました。普通は我々というのは、お祓いもベルカント唱法でも別に構わないんですね。力が入らなければ良いのではないのかなと思います。意識的に喉で声を作るということをしないで発声した方が良く、自然の発声ということになっています。声を1つに集中して下に向けるか上に向けるかという音のベクトルみたいなものの作り方がありますけれども。

◇様々な方向に向ける声の出し方

一方では全体に広がり、喉からずっと脳の中、あるいは体の中に響かせるというのかね、そういう全体に声を響かせるというのもあるわけですね。お祓いもみんな前を向いていれば、自然と前に向かっているのですけれども。分離唱なんかは後ろに向けて声を出すということをしています。様々な方向に向けるという声の出し方は必要だと思います。私も満遍なく声を出すような声も出しています。

色々な組み合わせで、色々な場所でやってみて、自分の声の出し方を決めないで、その日のその時に、その場所で決めるというのでも良いと思います。後ろからあげるのはやりやすいということはあるのですけれども。要は力を入れずしてということで、言霊もそうですけれども、祓いの詞も当たり前のことを今更言ってもということもありますけれども、やはり自分の癖のようなものが出てきます。それが前世なのかは分かりませんが。自分の一生の中で、例えば私は40年くらいあげているわけですから、口祝詞というか、漫然と当たり前にあげていくということになっていたこともあるわけです。

◇喉を緊張させない発声

この1年間、皆さんと共に一緒にやって、気付きがありました。お祓いの中のことやお祓いの速さとか色々と工夫をしてみて、やはり言霊あるいは日本語という発声の仕方というものの性質というのがあるのかなと。

どうしても喉に緊張をさせてしまうという理由は、父音と母音と子音ではないですけれども、五母音を一つひとつ切っていくようなあげかたは、どうしても緊張するわけですね。単語でイントネーションの中で一つの音を出すということと、一音一音が父韻と母音を重ねるということで発声するということは、どうしても喉が緊張するというのかね。今のヨーロッパやアメリカもそうですけれども、歌手の人たちが考えるのは、喉を緊張をしないで、発声するということが一番先端的な研究というのか、声の出し方ですね。世界でも有名な歌手というのは、相当色々と研究しているんですね。声の出し方などを。そういうものは、やはり参考になるのではないのかと。喉の緊張をどれだけほぐすかというのかね。その辺も日本語は、一番緊張をする言語なのかもしれませんよね。正確に一音一音を発声するということで。

その辺りの緊張を少なくしながら、しかし、しっかりと一音一音が分かるように。非常に矛盾していますけれどもね。短いスパンで切らないといけないというのかね。一音一音ということは、負担がかかるかもしれませんけれども、その辺もうまく発声するというのは大事なことなのかなと。もちろん、一音一音を速く出すというトレーニング方法もありますけれども。ある面では、緊張するというのかね。

また、呼吸法も確かに関連するのかもしれません。肺呼吸なのに、腹式呼吸という言い方もあります。どうしても横隔膜神経に緊張がはしって、それが呼吸だけではなくて、心臓も、全身の臓器に影響を与えてしまいますから、そういう意味で緊張をほぐすという呼吸法も自然に意識しないでできるようになると、一番良い呼吸法になりますけれども。そういうところも含めて、今度は数息観ということが仏教にもありますけれども。お釈迦様の一番初めの呼吸法ということもありますけれども。

◇本当に清まる周波数を探しながら

そういうものも含めて、鎮魂のところで、更にそれを自然の呼吸法ということで、見つめるきっかけができるのではないのかなということを今日は感じました。その音だけを聞くと、ヨーロッパの人の音というのは非常に心地よくという「快」ということがテーマになっているのかなと。耳から聴く音色ということで、その辺に一つの注意点があるのかなと思いました。

我々は本当に清まるという、そういう周波数というものを探し当てながら、清まるということの心地良い喉の音ということでも良いし、大地を「清」めるということでも良いし、水で身を「潔」めるということでも良いし、そういうものに言霊を入れて、それが水の祭祀の根源的なものです。

更には、神を「聖」めるということで、「きよめ」も階層がありますから、そういうものに三段階の清めるということでもありますから、そういう階層の「きよめ」が出来るような祓いの詞になると、非常に良いのかなと思います。またよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。