0280話:2017年12月05日

◇簡素で一番古い、白川の祀り方

今日は和の成功法則の合宿にいらっしゃっている皆様と一緒にお祓いをあげさせていただきました。明日はまた全体会議ということで、たくさんの皆様が甲府に集まっていただいております。我々は、この祝殿の中でお祓いをあげさせていただいています。変わった建物というか、古神道の、一番古いものをお伝えする場所として、相応しいのかどうか疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。

この祀り方というのは基本的には仲哀天皇ですね。おみちの中興の祖というのかね。900年くらい前だと花山天皇という方が白川を残すために清仁親王それから、延信王(のぶざねおう)という形で白川を残していただいて、それで神祇伯というものを制度として、900年に渡っておみちを残してくださったんですね。

中興の祖というのか、もっと前は縄文の頃に遡りますけれども、1つの形式として残してくださったのは、神功皇后と仲哀天皇と武内宿禰(たけのうちのすくね)ということですね。今の審神者、神代という基本形が残されています。その仲哀天皇が戦勝して、筑紫国に凱旋された時に、祀られた形式ですね、主に三種の神器の祀り方です。このように三段階で祀った祀り方をさせていただいているわけですね。普通は立派な神前で神様を色々な形で祀りますけれども、これは簡素で一番古い、白川の方法から見ると、一番古くから残っているものですね。江戸時代なんかは、三種の神器をそのまま榊の木に吊るしてやっていたときもあります。その名残は色々な神道に現れていますけれども。こういう三段階で出てきます。僅かな壁の隙間に埋め込むような形で作られています。

◇歴代の方々が神を迎えた場所

祝殿は32畳あるのですけれども・・・。明日の全体会議も80人以上入ってしまうわけですね。空気は入れ替えないといけませんが・・・。
上にレーザー光線の柱が8本あります。この間も、さる日本の明治維新を成し遂げた、九州のさる大名の直系の方がいらっしゃいましたが、祝殿を宇宙船のようだとおっしゃっていました。よく宇宙船のようだという表現が出るのですけれども。確かにこの造りというのは宇宙船のようにも見えるというかね。

もちろん、この形は何回かお話しをしていますね。特に日本の神道でやってきた代々の方々は神をどういうところで迎えたのかというのかね。山の山頂とかですね、中腹とか、磐座(いわくら)、あるいは、中洲とかですね。神武天皇は河原の祭祀とかね。庭の庭上祭祀とか、建物で行う祭祀とかね。様々な形式が残っていますが、人が神を迎える場所を全て入れこんで、この僅かな中に畳み込んで造ると、こういう形になってしまいました。

最初は、本当に古い聖徳太子の法隆寺夢殿のような八角形のものにしようということで、最初に設計したのですが、やっぱり違うということで、2年くらい試行錯誤して、こんな形になりました。

◇古事記の世界をこの身で読む

実は宇宙船というかですね、これも普段、我々が白川というものを学んでいく時、元々が天津神・国津神、地球の五行の修行があるわけですね。それが古代においては宇宙というのが、星、太陽、月ということで、概念としては限られています。星は、星の数ほどというくらい、数知れずあるわけですけれども。そういうものとして、宇宙を捉えてきたわけですね。ところが白川では、修行の中でそういうものをどう感じるかということがあるわけですね。たまたま昨日、Kさんと、苗代清太郎(なわしろせいたろう)さんという古事記の研究者の方の色々な解釈を昭和の頃にされたものを検討した中で、我々は天御柱、国御柱という形で大黒柱という形で発振器まで付けたものを作っておりますけれども。我々は天御之柱(あめのみはしら)、国御之柱(くにのみはしら)というものは、江戸期の本居宣長の読み方で読んでいるわけですね。

苗代清太郎さんは国学院で学ばれて、そういう研究をされていたわけですが、この方は天御之柱(あめのみはしら)を「たかしはしら」という呼び方をしていました。この呼び方に修行をしていた頃のことを思い出しました。単純に古事記の概念だけではなくて、修行を通して古事記の世界を一致させていくというかですね。もちろん、私は古事記の神話をそのまま身をもって読むということを提唱していますけれどもね。そのまま実感できるものが、この身で読むということで、体感で読むことができるものが、ある面では神話でもあるし、白川のご修行というのかね。白川はお祓いとご修行の2つでできているのですけれども。

◇「たかしはしら」という呼び方

その「たかしはしら」のふりがなを見て、若き日の修行を思い出しました。当時はドラゴンボールというのが流行っていました。今も再放送していますけれども。これはドラゴンボールと同じようなことを体感するんだなということを感じながら、修行していた時期があります。何故かと言うと、よく高いところの柱に昇っていく場面がありましたけれども、あれと全く同じことを体感するんですね。ですから、これが宇宙船ではないですけれども、このドアから下を見れば、限りない宇宙空間の中に出るような感覚が得られるというのが修行なんですね。
ですから、修行すると、高し(たかし)というのは、どんどんどんどん空に上がっていくという感覚が感じられるということですね。

いつも先生に修行していただいて、母屋の襖(ふすま)を開けるとき、恐いんですね。下がないのではないのかと・・・。だから、当然、白川というのは空中浮揚がごく当たり前に起こりますけれども。これからそういうことを体験したいという方もいっぱい出てくるかもしれませんけれども、それに対応する機械を作らないといけないなということはよく分かっていますけれども(笑)。その感じとして、浮かび上がるような感覚を共に体感できるようなものというかね。毎日のように修行した時は、感じていたわけでありますから、そういう機会を皆さんに提供するというかね。

◇太陽系の言語

本来、一番古い縄文期の神道でありながら、今の宇宙時代というかね、今、ボイジャーは37年ぶりにロケットが噴射できて、太陽系を出て、まだ旅をしているそうです。人工物ではありますが、いよいよ太陽系を出ていって尚活躍しているという涙ぐましいですね。僕なんか機械とは思えないです。NASAが木星の探査機を打ち上げて、その中で聞こえる音をCDに落としたものを聞いたことがありますけれども、本当に機械が一人で寂しいという声が聞こえて来るんですね。それは私の主観ですけれども。太陽系の各惑星間を、飛行していく時に、近づくと惑星の音が聞こえるというかですね。

それをきっかけに言霊というものは太陽系の言語ではないのかと、太陽系の惑星の振動ですね、その音が人間の言語にまで落とし込まれているのではないのかなということを感じて、言霊の太陽系における解釈をしたこともありますけれども。そういうものに基いて設定して、言霊の母音と父韻と子音いう概念に落とし込んだんですね。

母音というのは地球の五行(木火土金水)のあいうえおということですね。これも世界で一番精緻な文法であるサンスクリット語の文法によって、日本もご多分に漏れず、弥生には八父韻くらいに分かれて、危ういところにきたのに、どうも元々の縄文期の言語というものが、五母音であるとサンスクリット語の学者たちがですね、喝破してくれました。東大寺の開眼供養の時にも、インドからバラモン僧が来ていたという記録にありますからね。今の五母音というのは非常に有り難いものだと思います。

そういう五母音を体感する、あるいは、それを「あいうえお」が「木火土金水」の神であり、それぞれの名前のついた神様ということで、一体となるということでお迎えして、地球はあと風があるくらいで、あとは空くらいですが、概念としては木火土金水が全てなんですね。

◇「きよめる」ということは・・・

我々は人として存在していますけれども、それは「天地人」として、来年から清めるということの階層のメッシュを細かくして清めるということを、分類し、体感していきます。「きよめる」ということは、体を浄(きよ)めるということと、自然を清(きよ)めるということ、神を聖(きよ)めるという三階層を白川というのは、修行の中で体感するということですね。

自分を含めた先祖を迎え、そして自然ですね、地球の五行の神を迎え、さらに国津神を迎え、最終で天津神を迎えるという階層があるわけですね。それを省略形で言うと、天地人とか、天津神・国津神とか、天津神・国津神・遠津御祖神・産霊幸倍神ということで全てを言い表しているわけですけれども。

◇今の科学と合わせても矛盾しない

それは今の先端の科学でもおかしくない内容というかですね。白川というか、古神道が、なぜどの時代にも合うかというと、今まで語っていないからなんですね。時代時代の学問、例えば、仏教が来たら仏教に合うようにも、ちゃんと説明がつくような教えというものが白川というものに、古神道の中にあるということですね。いつの時代でも神というものを迎える、体感できる道というものは、いつの時代でも真理であるということになると思うんですね。

今、この時代に宗教も、イスラム教以外は廃れてきているわけですね。信仰という形でもって、神を掴むという方法は、なかなか効果が現われ難くなってきているということだと思うんですね。

ですが、もともと神道というのは、体感で神を掴むという方法であるから、いわゆる矛盾しないということですね。もちろん科学でも説明がつくということが当然の帰結になると思います。そういうことができるのが、祓い、鎮魂、言霊という形でベースになるものから今の学問、科学というものを合わせても全く大丈夫ということがあります。

ですから、今、我々が太陽系から銀河系、星雲、それから大宇宙というような、138億年の宇宙が、科学でたどり着いたものと決して矛盾しない理解の仕方、体感の仕方があるということが古神道というものを残してくれた我々の遠津御祖神の、あるいは人類にとって、7万年か、25万年か、100万年か知りませんけれども、少なくともそういう色々な説があります。

◇遠津御祖神を祓い清める

我々も、アルメニアの世界的な黒曜石の学者から、これは100万年前の黒曜石を頂きましたけれども。国宝みたいなものですね。もちろん、今、日本でも岩宿遺跡の相沢忠洋(あいざわただひろ)さんが掘り出した黒曜石の旧石器を、我々はこれを守る為に苦心していますけれども。そんなこともあって、黒曜石にまつわる話しもありますけれども。

そういう人類の元から、始まりからある遠津御祖神という我々のDNAの中にネアンデルタール人も51%も入っているということを言われましたけれども。そういう命を繋げてくれた人類というものの存在ですね、動物も更にその奥に進化という過程がありますけれども。とりあえず、人としての進化というものを辿り、その人の祓い清めるということが大祓であり、三種祓というものになっているというかですね。そういうものを使わせていただいて、人を清める、自然を清め、宇宙を清めるということを体感をもって進める道があるということですね。

◇神を迎えられる道が残されていた

平らけく、安らけく、清らけく、明らけくということまで含めて、清らかさというものの世界をやっていけるような非常に単純な表現でありますけれども、そういうものをベースにして、今、我々がこの時代に宗教でもない、単なる学問でもない、体感・実感をもって神を迎えられる道が残されていたということですね。天皇制というもの、あるいは、天皇御一人の為の学びのものとして、それが残されるという機会が得られたということですね。それを皆様にお伝えしてやっていこうということで、今、あるわけですね。

ですから、そういう意味の絶対的なる確信を今、世に問うというのかね。日本の古神道は全ての旧石器の頃には、みんなが感じていた神という世界、単なる一神教でもない、人格神でもない、神というものを掴めるような道が残されていたということを我々は感謝しなければいけないのではないかということですね。それをより速く、より確実に掴む方法を、今の時代の中でやる場合にはシステム学習という科学的な学習法を取り入れてやると。

◇システム的に学習して確信に至る道

たまたま私はシステム学習のはしりの頃の研究者と共にしていたということがあって、今の装置としてのコンピューターというものにお願いして、発達と共に、学習法をそういう方法でもってお伝えするということができるので、非常に恵まれています。

単なるアナログ的に、こういう感覚だということだけを言うのではなくて、それを誰でも平等にシステム的に学習して確信に至る道があるということが言えるというのが、非常に私としては嬉しいというかですね。

戦後、宗教というものが廃れているのですけれども、もちろん、信じるという世界を人類が捨てるわけではないですけれども、みんなが納得して学べるような方法をこれからもとっていただけるのではないかということは、非常に大事なことになろうかと思います。我々は機械というものを客観視する意味で提供して、利用していただきながら、神をお掴み頂くというのが大事なことですね。

白川の高濱清七郎先生は、「神を食うてみよ」、高濱浩先生は「神をこの手で掴みたいですか?」と聞くから、先生がここで初めてご修行してくださった時に、「はい、掴みたいです」ということで始めさせていただきました。それは白川では神は色々とありますから、遠津御祖神、我々の先祖を清めるということ、国津神、自然を清めるというような世界があるというところですね。

祓いと鎮魂と言霊というもので、それを皆さん、今、そういうものが隠れていた時代から露わになってきた。そういうものを俊敏と公開ということでお伝えして、皆さんと共に、その道を歩みたいということでございます。その辺りをご理解いただきながら、共にやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いしたいと思います。

ありがとうございました。