0281話:2017年12月06日

【2017年12月6日全体会議での代表挨拶(前半)】

おはようございます。(「超聖水」をみんなに振りまく)

今の水はバチカンに売り込んでいて、エクソシストに使っていただくような水ですね。絶えず、一級というか、最先端なものを開発しているとご理解いただければ(笑)。偉そうに言って申し訳ないのですけれども。超純水というのか、全てのノイズというものを閉じ込めてしまうというものです。

◇足りないものは情緒

昨日、人工知能の研究者である方が逮捕されました。人工知能というものは、あくまでも知の範囲というのか、知の脳であって、知が賢いということは、関西の言い方ではないのですけれども、かしこバカに繋がってしまいます。知識を扱う人というのは、だいたいオバカさんなんですね。そういう研究をしていたこともあります。自分がそうということでもあるのですが(笑)。足りないものは、情緒、人工情緒を開発しないと、人工知能は上手く作動しないようになっているんですね。情緒マンダラというような、メンタルプロセッサーというものの開発を長らくやってきましたけれども、そう思います。来年は、新しいセミナーに使っていただくということも出てきます。

◇「神魔人獣」からモンゴル相撲をみる

そういう面から今回のモンゴル相撲の問題も、何が悪いのかというと、ジャパンドリームで何が悪いのということもありますけれども。相撲というもの、横綱というものが出来ていく過程では、一種の神事として捉えるということがあるんですけれども。メンタルプロセッサーの中で行う神魔人獣という観点からみると、どうしてもモンゴル相撲の起源といいますか、強さを動物に託するということがあります。自然の動物というのは、本来はとても美しく強いものですが、人間が動物を利用すると非常に醜悪なものとなってしまう。動物の姿というのが神魔人獣の「獣」にあたるわけですね。人間が動物を利用するということで、動物霊ということになってしまう。

大祓では、そのところを罪として名前をあげているわけですね。畜(けもの)犯せる罪、畜仆(たお)し蟲物(まじもの)せる罪というように、盛んに穢れになるということを言っています。モンゴル相撲はまさに民族が海外にいく時に、組合のようなものを作ったようなことになりましたが、互助会という形で助け合うということは悪いわけではないですけれども。

それで日本の場合には、相撲を神事という意味で真っ向から向かい合っている人もいらっしゃるわけですね。神というものを立てるということ、その世界、情緒というものを知るということが、どうも世界の文明を転換する1つの大きな柱になるのかなと、今、そういう捉え方で大事なところにあると思います。今の日本がアメリカに戦争の後、アメリカに憧れをもって、アメリカンドリームということにもなりますけれども、そういうところにいって成功するということが1つの大きな目的、目標になったりするということもあるのですけれども。

◇「情」も進化しないといけない

人工知能というものが、本当に成功するということが、人間の知から我々は非常に古い哲学ですね、知情意というような古臭いような言い方をしますけれども、情というものの働きというものが、もちろん、人類の進化というのか、我々は意識進化と言いますけれども、人類の進化というところで言うと、情というものも進化しないといけないというのかね。

体の情というものが「寒暑苦楽」であったり、体のもっている情動というとおかしいですけれども、そういうものがある。一方、情の感情という、例えば、「愛憎好悪」というものと分けて進化の過程で学んでいくということになるわけですね。そんな中で、人間が辿り着いたところというのは、ある面では神という神聖なもの、存在というのかね。そういうものに辿り着いたというのかね。それが後々の宗教の全盛というのかね、そういうことが起こるんですね。

この3000年は神の情といったらおかしいですけれども、動物としての情と、人間としての情と、神としての情、悪魔と善神の戦いがあるわけですけれども、今、我々がその宗教という世界の中の神というものが、なかなか見えないから、信仰するという体系をかたちにして、この3000年間はとってきました。

神の言葉だということで、モーセが十戒を授かってきたのですけれども、それで動物の思いというのかね、そういう食べられたり、お金があったりした方が良い、支配した方が良いということで、神の支配ではなくて、動物の支配のように動物の信仰にまた戻ったりして、そういうことが民族でありましたけれども。それで十戒を偶像に投げ捨てて、壊してしまう。それでまたもう一度、十戒を貰いに行くというユダヤ、イスラエルの歴史がありますけれども。

◇神を迎えることがごく普通だった

神というものが、どういう存在なのか、なかなかわかりにくいテーマであります。

ご多分に漏れず、日本の縄文期には、神というものを迎えるということが、ごく普通にあったわけですね。日本の自然というものと1つになるという世界もはっきりとあったわけであります。そういうものが古神道の中に残っていて、その続きが日本の中で、900年くらい前に無くなってしまうのではないのということで、白川というものができたんですね。白川というのは、基本的に、神の情緒をどうやったら体感できるのか、神というものを迎えられるのかということをしているわけであります。

◇「魔」という概念

ですから、非常に今の時代において、ハロウィンでありませんけれども、魔という概念が日本にも入ってきて、更におかしくするというのかね。ハロウィンを目指して、人の首を集めるという魔が起こるわけですね。それはサッカーにも言えるんですね。サッカーというのは元々、大将の首を袋に入れて蹴るというのが起源という説があります。強いということを誇らしげにするという行為が、ある面では、白鵬の土俵入りの姿や勝った時の派手なパフォーマンスとかね。今度はそれで横綱を独占していくために、星をうまく割り振りしながらやるということをやっているわけですね。

そういうことに気がついた人がTさんだと思います。大相撲の関係者が、モンゴルのシフトが日本の神事を変えているのではないのかということを言われて、全く私は興味がなかったのですが、これはいけないなと思って、そのことはしっかりとですね。今は、まさに日本文化への蒙古襲来という状況だということで、ちょっと協力をさせていただきました。

そういう非常に神ということの冒涜というものが、これみよがしにというのか、起こっているということが我慢できないというのかね。それを更に獣の扱い方を賢くやれば、魔になっていくのですけれども。魔にしたら、ちょっと困るなということ。色々と知恵を使って、自己正当化を図るということが起こりますが、それに騙されてしまってはいけないんですね。そのことはパフォーマンスを見れば分かるので、皆さんもお分かりになると思います。

◇情緒を運用するメンタルプロセッサー

魔になっても、それを変えるというのが、日本では禍津を禍津霊に変えて、禍津霊が禍津の神になるという段階を踏むことができるというのが我々のもっているメンタルプロセッサーの神魔人獣の世界であるわけですね。そのことを皆様方が学ばないといけないということになると思いますけれども。

その辺りも自在に改心ということで、悔い改めるということではなくて、そういうことを認めるということで、戦いになったら駄目なんですね。もちろん、直接的には、はっきりとストロークしていくのですけれども、それをまた、好くという思いでいないといけないんですね。自分自身が良いとか悪いという反省をするわけですけれども、平安清明の自分自身が自分自身にとって誠であるということ、真であるということに戻ってくるという道を瞬間瞬間に心が廻るんだということが大事ですね。その実態を確認するための客観視が必要になってくると思います。

それを自動的に運用できるようなプロセッサーができれば、今の自分の境地が分かり、それがどういうふうに昇ったり降りたりという機械というのかね、そういう装置がこれから作られるということが、ホーキング博士のように2045年に人工知能ということを言っていますが、そういうことが起こるときに不安にならないで、意識進化というものを人類が機械に先駆けて、そういう情緒の世界を捕まえるというのか、確認するというのが装置化への道ですね。

その辺りをいよいよ来年の色々なセミナーにおいては、そういうものの内容をお出しして、それを機械すなわちコンピューターの中で処理できるようなものにして、意識進化を図っていくと。意識というのかね、そういうものが進化するということになります。言葉というもので人類が進化を図ってきたわけですが、それを装置の中で組み入れて、あとは様々な言語としてやると。

◇情緒語が世界一多い日本語の役割

これは日本が情緒知識としての、情緒語が世界で一番多い8000以上あって、複合も含めて情緒知識というものを装置の中に入れて、そして、それがしっかりと確認できるようにしていくということがこれからの役割としてあろうかと思います。それが意識進化ということの大事な仕事になっていくということですね。今、そういうものに向けての事業ということで、ネットもそうですけれども、映像もありますけれども、しっかりと確定して、一つひとつの意識というもの、情緒もしっかりとストロークするということは、射止めるということだと思うんですね。

言葉というものは正確に一つひとつの言葉が出るということが、問題のある情動にしっかりとストロークするというのかね。言葉によって、殺し文句ではないですけれども、しっかりとストロークしないといけないというのかね。本来は、論文というものもそうですけれども、まず、使用する方法論の批判というものをする。批判をするには、相手の論理構造というのかね、どういう観点から論を進めていくのかということの含めた批判ですね。不確かな論理は使えないようにするということが、科学の論文でもあるわけですね。

その使用する言語が、数の言葉か、論理の言葉か、あるいは情緒の言葉か、色々な言葉があるわけですけれども、それらの言葉を使わないといけないということは、人間の宿命かもしれませんね。言葉もなく、ただ、うん分かったという阿吽の呼吸のように、五十音全てを納得しているのが前提になっているというか。それがあると、倫理体系というのか、何々したら罪になるということを言わなくて良い世界になるのでしょうけれども。そういうものにしっかりとストロークするために、言葉を網羅するというのかね。意味と単語を網羅して一意味語化するというのかね。

◇メビウスコイルの開発

その上で、ゼロポイントフィールドにもっていくと。もちろん、ゼロポイントフィールドにもっていく為の、離散と循環の大きな立体と言いますか、それはメビウスなわけですね。宇宙が離散し、また循環していく時の理論というのかね。そのためにエネルギー場の為の回路が必要だということで、メビウスコイルを開発しました。反重力コイル、その先にある細かいタキオンコイルというものが開発の射程に入っているわけですけれども。

大きく次元の使用さえも詐欺の一つにも使われるということがあって、不確かな概念として、いまだに信用されないということもあるんですね。二十世紀に、階層性に人類が気付いたのですけれども、その階層によって、詐術を使うという人がいて、疑いがかけられることもあるんですね。我々はそういうことがないように、見えないものを見えるようにすることを通じて、理解できない概念を、理解できるようにするというのかね。そのために階層というものの立体性を畳み込むというのかね。そして、それは包んでいくというのが日本の技術というのかね。それが古神道の原理であります。畳む、包む、結ぶというのがね。それで宇宙の実態を知っていくということをしながら、創造ということの元の原理というものを含めてお知らせするということが古神道の大きなところかなと。

◇もう一度、神を発見した衝撃に戻る

古代において、アニミズムやトーテミズムなどには、沢山の信仰大系がありますけれども。仮にそういうものを神という、進化の元をシャーマニズムと捉えた時に、日本、朝鮮、満州、中国の神道、それが日本の神道が中国神道であり、朝鮮神道であり、満州神道であり、インド神道であるということを証明しようというのかね。神という概念を人類にもたらしたある時期の人類が共有していた時代があるんですね。人類というものはもう一度、神というものを発見した衝撃に戻るというのかね。白川では先祖も神である遠津御祖神をお迎えする。我々は生きた遠津御祖神であるわけですけれども。それは天皇家では、天照大御神ですね、遠津御祖神が。

その神の生き様が古神道の一番のポイントになっています。最後に裸になって、人類が生まれてくるわけですけれども。そういうものの生き方というものを教えたのが天皇の意味ですね。それが今度は自然、五行、木火土金水も神だということですね。地球の全ては神ということで、神を迎えるということで、自然の動物がなぜ美しいかというと、野生というものがそのまま自然の一部であるということで美しんですね。その時の動物の姿をそのまま神として迎えるということでは良いのですけれども、人類が利用するということでは高津鳥の災いということになるのですけれども。

その神を迎えるという美しさを体感するということがまずあってですね。その上で、人間がイソノミヤと言いますか、自然に恩恵を受けながら暮らしていくことができる社会が国津神というものの中身ですね。そして、国津神を迎え、その上で、天津神を迎えるということになるんですね。天皇家は天津神が先祖の神ということで、その方法が説かれているわけですね。

◇天皇の、人類における役割をお見せする

人の進化の過程を伝えるために天皇という社会的な役割があったということになります。

それがちょうど、今の天皇退位と新天皇が即位するということを通じて、まさにこの時代、スポーツ、体というものを鍛えた最高レベルの人たちの祭りが後に控えるわけですけれども。そういうことをやるというのは、まさにそういう天皇というものの役割ですね。人類における役割をお見せするということですね。

それが三種の神器あるいは十種の神宝として伝わってきた中身をいよいよ露わにするというかですね。そして、それが人類の平和に貢献するような形で役に立つというのが、こういう時代の日本が世界にお役立ちできるということの1点において意味があることで、ただ単なる民族の祭典ではないということです。

少なくともユーラシアと言いますか、一神教はある面では人格神であろうと、非人格神であろうと完成された神観であるわけでありますから、それはそれとして人の道をそこから引き出してきたわけであって、それが上手く支配のために使われていった経緯がありまして、そのところを訂正すればそれはそれで役に立つわけですからね。

◇「おみち」を世界のために役立てる

世界がもう一度、健康という定義もそうですけれども、魂ということ、霊ということの定義さえもできない状況ですので、我々は魂ということ、霊というものの一つの仮説としても良いので提案して問うてみるということがまさに、この時代に必要になってきたことではないのかなと思います。

そんなことがありまして、そういうものが論理的にあるいは、体感的に説明するというか、そういうものが一つの白川のおみちというものの中にあって、なんで今の時代に神というもの、あるいは宗教的な意味合いのものをお出しするかというと、まさに世界がまだそのことを聞きおよんでいないわけですね。

ただ実感の中に一子相伝のように伝わってきた中身があって、今こそそれが世界のために役立てるかどうかということで言挙げをしないといけないわけですね。あらゆる階層の中で、それを実験しないといけないからですね。全てにわたって、世界システム事業の企画を、こうしたら平和で健康な社会になるのではないのかということを提案することが役割で、こんなに沢山の方々にお集まりいただいて、第一線の公の意識のある能力のある方々に集まっていただいて、今まで伝わってきた道ですね、古い道であるけれども、それをどう役立てるかということを皆さんでやっていただくということが、もう始まっています。非常に多岐に渡っていますけれども、その点はやっていただくしかない、世界に問うていただくしかないと思っています。

◇過去未来の法

最終18ホールで、アルバトロスかイーグルになるのか分かりませんけれども、ボールが入ったというところから自分たちが打つところに戻って、これを過去未来の法と言いますけれども、確実なですね・・・。普通は矢を打っておいて、そこに的を描くということもありますけれどもね。我々はカップに入ったというところから、どう打てば良いかということが分かるというかね。その時の風の向きとか、あとは自分の力、エネルギーの入れ具合の問題もあろうかと思いますけれども。

風向きは一斉に入るように促してくれているというのか、あるいはそれに力づけてくれている時期ですので、力を抜いてやっても良い風が吹いていますから、必ずフラッグがあがるということができるのではないのかなと思っています。

全体会議というのは皆さんと一日を共にして勇気をいただいて、力動性といいますか、皆さんと一つの目的に向って力を合わせていく景色は、非常に美しいし、エネルギー値が高く、それが実現していきます。それを確認できるというのが、毎月毎月の全体会議でありますね。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。