0284話:2017年12月08日

おはようございます。質問しても全然違うことを答えているということが多々あるのですが、何か質問はありますか(笑)

 

●Iさん
自分の名前について最近、考えることが多いのですけれども、私は「わたる」という名前なのですが、その名の通り、渡り歩いています(笑)。その性質がむしろ厭わしく感じることがあります。ここでやらなければいけないことがたくさんあるのですが、渡り歩きたくなる時があります。邪魔な気もしてしまいます。そういうものに対して、どう向き合っていこうかなと最近考えています。

 

【七沢代表】

◇色々の言語で自己を表現してみる

名前の話から全体を俯瞰して、勝手に論理を言うだけで全然違うことを言ってしまうかもしれません(笑)。先に言ってしまうと、人間というのは、自分で名前をつけたわけではありません。中にはお父さん、お母さんが赤ちゃんの顔を見て、この名前で良いですかと言って、良いと答えたからつけたという話もありますけれども。そういうコミュニケーションができる人でしたら良いのですけれども。大概は、勝手に付けられて親か名付け親がつけるか、生まれた朝の新聞で活躍している人の名前を選んだというものまであります。つける理由はたくさんありますけれども。

要するに自分の名前は何回も何回も生まれてから聴いているわけですね。そして、今度は文字で見ていきますよね。そうしますと、その名が自分ではないかということで思うわけですね。

船井幸雄さんがよく来られていたのですけれども、言霊で自分の幸雄という名前が分かったというのは、15年くらい前だけれども、言霊ということで分かったということを言っていました。周波数で分かったということを言っていたことがありました。分かり方は色々とあると思うんですね。昨日の続きになるといけないから先に言わないといけませんが・・・

だから、名前が色んな言語でまだ表現されていないのでしたら、音楽の言葉で表現したらどうなるかとかね。数式で表現したらどうなるとか。言語というのは客観視だからね。だから、色々の言語で自己を表現してみたらいかがでしょうかね。色にしてみたり、音楽にしてみたり、きっと自分の音符があるのかもしれませんしね。4分音符、8分音符なのか分かりませんが、早めに川を渡る時に早く渡らないと流されてしまうから早い音ではないととかね。別に関係ないのですけれども。違う言語で表現してみて客観視したらどうですかね。そうしたら、言われている名前とか書かれている文字はそんなに気にならなくなると思います。勝手なことを言って、ごめんなさい。

◇完璧に訳せたのは日本語だけ

昨日の話しではないですけれども、世界中の言語というか、7000とか危機言語も多いですがあります。例えば、満州語というのは、満州人は数千万人いるのに、今、25人しか満州語を話せないそうです。そういう状況の言語がたくさんあります。毎日毎日言語が消えていっている。

言語を使う時、ダジャレのように使う場合は、意味と音をあわせて、多言語から日本語に訳するというかね。脳の中では1つの言語の中ですけれども、両方をやっていると思うんですね。1つの同音で違う意味を考えるというかね。同時にいくつかが脳の中で浮かんでいて、その時に使うということが日本語の場合には行われている。

『フィネガンズ・ウェイク』という英語の小説はダジャレのオンパレードです。日本語だけがこのダジャレを完璧に和訳できたそうです。意味と音の両方をダジャレで訳したということは、なかなか他の言語ではダジャレがあるのですけれども、共通の翻訳するものまでにはなっていかないのかなということは感じました。

◇一人ひとりが神に祈る時の言語

昨日の続きで申し訳ございませんけれども、言語というのは我々は音声言語でコミュニケーションしていますけれども、実は文字でコミュニケーションしたり、今は写真とか、あるいは動画とか、早いあれですね。我々は早いお祓いをあげるような何倍速ということもやっています。動画は映画もそうですけれども、1秒間で24コマとかですね、それでサブリミナルということもやっていたようですけれども。

そういう速いというのかね、そして、情報量の多いもので、コミュニケーションをするようになってきたということで、どんどんもちろん我々は意念言語ということで、テレパシーによる言語ということもあるのではないのということで、ロゴストロンという機械に組み込んで発信していくこともやっているわけですけれども。

白川から見ると、言霊、人と人、人と自然というようなコミュニケーションのプラットフォームとしての言語ということで見ていくと、確かに音声言語ということでやっていくのですけれども、神と人がコミュニケーションする言語は何なのということもあるわけですね。それは神示と言いますね。そういうものを得る時の言語というのは、どういう言語かということもあるんですね。

それは我々が普通に祈りという形で音を出さない、心の中の言葉というか、それを出してコミュニケーションしているわけですね。祈りというのは逆に宣命というのは、逆転すれば祈りということになるのですけれども。それが神から来るものと、人が神に向けて発する言語というのかね。世界ではそれを神聖言語というのかね、清らかな言葉ということで言語としてはあるのですけれども。

我々は祈りも、もちろん、他の国でも祈りはやりますけれども、声に出してやる場合には斉藤さんが宣ってくれる祝詞という形で音声にもなり、文字にも書かれているものを表明する時には、みんなも共にそういう気持ちですということをやる時には、そういう言語を使うのですけれども。個人個人、一人ひとりが神に祈るというかですね、そういう祈りの言語もあるわけですね。

◇国家的な神示を受けるときの言語

白川では特に国家的な神示を受ける、その時にどういう言語でやるかというのが実はあるんですね。その形式まであるんですね。それを問いがあって、答えをどうするか、どうなって出てくるかという詳細なシステムがあるんですね。もちろん、神代文字ということではないんですよ。その時代によっても変わりますけれども。文字化したりするということも、まさに今の動画のように言葉を1つの所作の中から出てくるようなね。白川は所作の作法の家ですからね。その作法に則って、文字というか、1つの神の言葉が出てくるということですね。

民間のそういう里巫女は、イタコのように口をついて、先祖の言葉を、先祖の言葉が主ですけれども、オラクルというか、口からついて出るというものもあります。神社でもそういう方法もあります。鎮魂帰神法でやっていたものも、私もそういうものを大学院で研究したこともあります。

それとはまた違うんですね、白川のものは。絶対に分からないような、もちろん、御簾のなかでやるから、普通、個人が神に行くということは起こらないかもしれませんが、そういう場合もあるわけですね。そういう場合に個人が聞くということが可能になるということになります。

国家公用の時、白川は前にも言ったかもしれませんけれども、アメリカとの戦争になった時に、神示をたてていたんですね。そういう時に、やめた方が良いということだったのですが、神示をやるのですけれども、やめた方が良いということだったのです。その神示を立てていた中村先生は意念としてはっきり分かった、ということを言っておられたということを聴きました。

◇それぞれの言語がどれほど役に立つか

言語も様々ありますが、縄文期の言語というのは数の言語というものを使っていたのではないのかなと。だから、火焔土器のようなものが・・・。ですから、サヴァン症候群のような脳の発達した人がたくさんいたのだろうと。その人達が数というかですね、そういうもので造形を作ることができて、そういう言語を持っていたのではないのかなと思います。その時代によって、頻繁に使う言語は違うと思いますけれども。

今、我々は機械言語というのか、コンピューターで使える言語で、昔はJAVAとか色々とありましたけれども、それを日本語で周波数を変えて、機械言語にしたわけですけれども。

機械言語というものまで出てきて、それは機械と機械というコミュニケーションで、それがまた人間と機械のコミュニケーションという速度を調整して、画面で見ることができるわけですね。今、ちょうど、転換期で、色々な言語が出てきているのですけれども、そういうものを使いこなしながら、意識進化を遂げていこうということになっているわけですね。その辺りをやるということがたぶん・・・。自然では自然の音とか、自然の音を表現するということで、それは日本の言葉が一番多いんですね。オノマトペではないですけれども。

そういう繰り返しの言語ですね。サラサラとか、ソヨソヨとか、いっぱいありますけれども。そういうもので自然に呼びかけて、人間と自然が理解するということがありますけれども。だから、この時代に、どれほど今、我々が使っている日本語というものが、自然とのコミュニケーション、神とのコミュニケーション、機械とのコミュニケーション、人と人のコミュニケーションの中で、それぞれの言語がどれほど役に立つかということがたぶん問われると思うんですね。

その中でダジャレのようなものというかですね、言霊というのは、宗教学で言うと、ダジャレのようなものとしてしか出てこないんですね。国文学では色々な論文がありますけれども。宗教学や言語学では、ほとんど相手にされませんでした。私が最初に研究したいという時には笑われたこともありました。それはダジャレだと思われていたんですね。そういうふうに貶められていたわけですけれども。

◇「神魔人獣」情緒のマンダラ

階層的に情緒もそうですけれども、日本語というのはたくさんの情緒語を持っているわけですけれども、そういうものもこれから神魔人獣ということもそうですけれども、これだけの表現ができるような言語のマンダラということでできるということで非常に大変なことではないのかなと。

来年はそういうことを精緻に見て、安定した情緒、今、自分の心がどの情緒に囚われているのかということが一目瞭然に分かるようなマンダラというか、一枚でもって見えるようなものにしてありますので、その辺りも相当勉強になるのではないのかということを考えています。感情の要するに、言葉があるということですね。感情あるいは情緒語とかね。そういう言葉で今の自分自身の起こっている事態をそういうもので把握できる方法もあるんですね。

1つのテーマで1つの唄いや俳句や小説がテーマにできる、そういうものの全ての情緒の運行表みたいなものでいくと、もっと速く囚われないで、自分自身の、今日の話しでいけば、自分自身の名前と自分の人生、あるいは感情というものを表にして、自分の動きを捉えるということが可能になるのではないのかなと思いますけれども。我々がまさに言語というものに一番、それしかないですよね、人類というものが宇宙に役に立つということは、とりあえず、言語でやるしかないですね。

◇科学にまで高めていく

ですから、それを科学にまで高めていくということが、ロゴストロンであり、そういう言霊であり、祓いであるということで、非常に難しいテーマであります。

人類がそれをしないといけない、そのことを解明しないと、みんなが平安清明というか、平等に自由に生きるということができないとしょうがない、ということですね。そのことを先頭に立ってやりましょうということで、なかなか目標は大きいですけれども、あらゆるプロフェッショナルの人たちが来年更に携わっていただいて、そういうことを解明していただいて、皆さんがやりやすいような手立てというのか、そういうものをもたらしていければ良いかなと思っています。

ありがとうございました。