0285話:2017年12月08日

◇脳の仕組み本来の働き

ご修行に慣れるまで、若干ぎこちないところは残るのですが、ハッキリと脳の働きなんですね。唯脳論ではないのですが、最初の段階としては、何も神秘的なものはないというか。なんか味気ない話かもしれませんが、全く神秘のかけらもない行法でありまして、ちょっとがっかりすることもあるかもしれませんが・・・しょうがないですね。

こんな印を組んでやりますから、何かが起こったらいいんじゃないかと期待があったりしますが、残念ながら、無いというか。ただ、自分の身を任せて投げ出してしまうとダメなんですね。意識を何かに託したり、身を任すということはないということですね。色々な動きがあっても、目をつぶっていても、本来は、目を開いている時と同じように動けるということが錐体外路系という脳の仕組み本来の働きなんですね。

これはよく言うのですが、武術の名人というのは、少林寺でも目の見えない人でも、見えるかのような動作をすると言われます。視覚など、全く関係なく、わかるようになるんですね。ですから、達磨さんではないのですが、面壁九年、ただただ壁に向かうということもありますが・・・。

私が小笠原先生のところに伺っていた時には、壁に向って、向こうが見えるようになるまで来るなと言って・・・。要するに、そのような修行の段階を通り越していかないといけないというかね。それが多分、このご修行も、目を閉じているし、聞こえてくるのはお祓いの声だけ、あと触覚は、指先に意識を置きなさいと言っているだけですね。ですから、感覚としては狭い範囲となってくるんですが、体感の中で、行が進むというか。このように錐体外路系のところに逆に追い込むと言ったらおしかしいですが・・・。ですから、武術の人なんかでは、後ろから来る敵を見ていなくても倒すでしょ、それが当たり前ですが。それと同じように、後ろが見えるっていうか、それは目をつぶった方が逆に集中して対応できる。

◇自然と合一した存在であった時の感覚

一億年前の生命体のことを考えて、僕なんかはよく考えていますが・・・どうだったんだろうなというか。ただ、海の水を口から入れて出していたというか。口が目であり、口が口であり、あとはそれを通して、栄養分を通しているような生命体だったのではないのかと思うんですね。ただ脳は右脳が先に出来たと言われていますが・・・。

我々も右脳の時の、一億年前の自然と、生命体が自然の中に合一した存在としてあった時の感覚みたいなものを、きっと思い出す、あるいは、そのようなことを感じられるような行法なのではないかと思っております。

逃げようもないというか、なんか進化の逆を行くのか、とも思われるかもしれませんが・・・要するに、時間という、精神的な所産というか、精神が生み出すようなものと言われる時間というものを、少なくとも越えていくというか。もちろん空間も138億年の広がりという、散らばっているわけですね。最初の創造から見れば、離散していって、限りなく空間を広げているわけですが・・・。

一方での、中今という時間、138億年という時間と、そのような広がりと、時空間を、それを今、この全体を瞬間に感じるということをしなさいと言うのであれば、それは、ちょうど一億年ぐらい軽く時空間を飛ばないと、そのような思いをしないと、この白川のご修行の醍醐味はなかなか味わえないことになります。ですから先祖も共にしたいと、このように引っ張られますよね。どうしても七種の修行はね。これはその時のご修行があるわけですね。

◇背中が平らになるということ

裸の人類が出てきたのが、何万年か、何十万年かわかりませんが、人類の最初の、人ということになる時の経過ですね。一億年前は、このような形だったかもしれませんね。また何十万年か前は、人類になる時には仰向けになったかもしれませんね。それを我々は現代において繰り返すわけですね。

背中が平らになるということは、ある面では、重力1ということと、立っている重力2とすると重力の対応の姿ということで、ずっと立っては生きられないわけですね。ですから重力が1になってはじめて、骨休めが出来るわけですね。それは、もちろん動物のようにやっている場合もありますが、人間は言語を獲得する為にというか、このように寝たわけですね。ですから背中が平らになって、手話や道具として手が使えるように、木の上を700万年前は、手を使って安全と食料を確保していたものが、今度は手が道具になって・・・。

最近は動物もしているのを見ますが、実を砕く時に石を投げたりしますが、そのような道具というものを使えるようになるということもありますが、その時に、言葉が使えるようになることが、人類の一番の大きな進化にも繋がるわけですね。仰向けになっていくということが、それを最初に、人類になる為にやったという、ですからそこまで辿るわけですね。

◇神を食べちゃうという心地よさ

中には、結社なんかの加入式に、死と再生というようなことをやるようなこともありますが、白川は結社ではありませんが、先祖の格好をして、そこから人が自然という神、あるいは国津神という神、天津神という神を迎えていくという、確認の段階を通るわけですね。

さらに、それをシステム的に学んでいくということが、どうしてもこの時代に必要だということですね。それには、いささかの神秘もないというか。しかし、心地よさというか、それは素晴らしい心地よさがあります。

それは神をこの手で掴む、あるいは神を食べちゃうなんていう白川の先生方の言葉にもあるように、それはそれは心地の良いものであると言っても過言ではないと思います。そのようなことをこれからも目指して・・・本当に美味しいものを食べたら、確かに心地よい、素晴らしい気持ちになりますよね。まぁ血糖値が上がって、気持ちがいいものでありますよね。それと同じように、神様も頂いてしまうというか、掴んじゃおうというか、共にというか・・・非常に心地よいものであるというかね。

◇世界中の体を健康にする

そこに至るにあたって、若干、歪みになるようなものというか、例えば生まれてくる時に、吸引された場合には、それだけではないのですが、脳なんかの歪みを持っているものも修正しながらいけばいけるので、そのようなことも含めた体を健康にするようなことも、来年からは、それも取り入れてやっていきます。どういうわけか、世界中の体を健康にするようなものも、続々と集まってきておりまして、山梨の、甲斐の国にもありましたが、そのあたりも含めて、皆様方にもお伝えしていくというか。

石原克己先生を、私は丹波康頼(たんばのやすより)の再来と呼んでいるのですが、平安時代の最高の漢方医、あるいは医者、そのような人も来られて、また助けて下さいますし・・・・階層性のある、五体といいますか、そのようなもので・・・情、魂というような体というものを階層分類していますが、その健康にあたるところもしっかりとやっていくことをプログラムとして用意しておりますから、そのあたりもご利用いただければいいのではと思っております。世界最高レベルのものを必ずお渡しするということで、やっていこうと思っております。

また来年には、まだ言っておりませんけれど、一般社団法人白川学館は、これ自体はやはり会員制というか、それで、あと門人の会は、白川学館でありますが、そのような二本立てで組織と体制を作っていきたいと思っておりますので、またそのあたりの詳しいことは、皆様方にお伝えしたいと思っております。

今日はありがとうございました。