0286話:2017年12月10日

【師走月次祭での代表挨拶】

◇日本は博物館のようなところ

師走の忙しい中、皆様もまさに師ですが、よくお越し下さいました。本当に早いもので、もう一年が過ぎてしまいますが、今年一年、何が出来たかなぁということを、ツラツラ思いながら、お祓いもそぞろというか、集中出来ない心持ちのところというか。一所懸命になってやっているですが、まだ足りない、まだ足りないというか。

なにせ、白川のおみちに集中することでも大変なことだし、歴代の先生方からお教えいただいたことや、伝わったことを正確にお伝えしなければいけないことも沢山あるのですが、今の時代は、古くからの伝承や教えを捨ててしまっているところがあってね。もちろんそのような中で、私は捨てられたものを拾って、これは勿体無いのではないかと思って、しっかり保存するというか、伝えなければいけないと思って・・・。きっと、世界の一番果てにある国で、日本は博物館のようなところですが、そこで残っているものを大切にしなければいけないのではと、いつも思っておりましたが・・・。

一つひとつを伝えるということは、今の時代ですから、資本主義社会の中でやっていくには・・・一つの法人格でも、宗教法人を取るという方法もありますが、それは高濱先生から最後の遺言で、亡くなる一週間前に申し伝えておくということで、宗教法人にはしないようにということを言われました。これは戦後、そのような形で守ろうとしたこともあったのですが、かつては、京都でやろうとしたこともありましたが、やはり神様からダメ出しというか、されたのかもしれませんが、なかなか出来なく、中村先生が力を注いて下さったのですが、出来ませんでした。言い訳がましいのですが、一つの時代で、会社法人とか、社団法人とか、財団法人とか、宗教法人以外の法人格のほとんど使いまして、その活動をしているのですが、なかなかそれで収支を上手くめぐるのは難しいことで、どうしても会社法人という形の中でやっていただく。皆様方が兼ねるということが多くて、一般社団法人白川学館も兼ねてやっていただくということもありまして、皆様に何倍もの苦労をかけているのではないかということはよくわかっておりますがね。

◇「おみち」を守り抜く

そのような意味で、一般社団法人も月次祭に来られるような門人さんがまずいらっしゃいますね。門人会という中でやらせていただくことと、一般社団を護持していただく意味の、会員とを、同じくしているわけですが、そのあたりの曖昧さがあって、ドンドン門人さんが増えていく時に、しっかりと白川家学館から、白川学館に変化して、先生がこのおみちを守って欲しいというお約束が、曖昧でわかりにくくなってきたので、来年あたりから、はっきりと門人と会員とを別にして、これは格差をつけるわけではありませんが、この辺りでしっかりと陣形というか、外々陣、外陣、内陣、内々陣という陣形を張らせていただいて、平安清明の世界というか、そのようなものをしっかりと確認し、そして一番奥の、内々陣の神々をお迎えして、そして守り抜くということをさせていくということを、今年一年の一つの教訓というか、学んだこととして、その辺を明らかにしようということを考えました。

古神道、あるいは神道からの有り様というのは、昨今の富岡八幡宮のこともありますが、これはすでにそのようなものというか、これはT神社の斉藤さんの話を持ち出すことは失礼ですが、斉藤さんがここに来られて、そしてその後、お父さんとT神社がどうなるの?ということがあったのですが・・・我々は最初に、T神社で全ての修行というか、講演、あるいは白川のおみちをお伝えすることをやらせていただいていましたが、なかなかそうもいかないということになって・・・。今年から斉藤さんは、白川学館の祝殿の宮司としてやっていただいて・・・あとそのあたりを斉藤さんにお話いただきます。

斉藤さんには、古神道を伝える為にやっていただくということで、今年の正月から決意して、やっていただいた成果は、本当に沢山のことがありました。皆さんもお気づきのように、冠が変わったのはおわかりかと思います。

◇神の理を被る

私は今年になって、自分の目の錯覚かどうかわかりませんが、斉藤さんがいつも月次祭の時に、朝、お願いしますと挨拶をする時に、今の冠を被っておられたんですね。それで早く実際の冠を被っていただこうということでありました。これは昔から、白川の一番の優先事項というか、神官に贈るというか、どの冠を被るかを決めるのは、白川なんですね。

ですから出雲大社の遷宮の為の宮造りを始める時に、要するに、遷宮の資金集めの最初の時に、そこに私が招かれまして、二時間も遅れまして、出雲大社の方がオカンムリだったのですが(笑)、まず最初に出てきた言葉が、白川にひどい目にあった、400年前になかなか冠を許可してくれないということで、往生したという話をされまして、ごめんなさいということで、400年前のことを謝らせていただいたこともありました。私は出雲族ですよと言っても、もうそんなことは聞かないわけですね(笑)。そんなこともありました。

冠というのは、神の理(かみのり)なんですね。それが冠なんですね。それを着冠(ちゃっかん)するということですね。エリザベス女王ではないのですが、王様が王冠を被るという、戴冠式と呼ばれておりました。神理戴冠式ということですね。神の理を被るということですね。

九種類ぐらいありまして、その中で一番というか。神社界では、一級とか二級とか言っておりますが、基本的には百官の中で被るものを、着冠式、戴冠式を11月27日やらせていただきました。

◇今残さないと無くなってしまう

そのような白川に伝わっているものは150年間、江戸時代も門外不出であったように、ご修行も神拝作法も、天皇陛下や内親王、皇太子の作法ですから、もちろん明治以降は、中山神道とか、一部、山陰神道とかにも伝わったものもありますが、色々と勢力の問題もありまして、白川は明治4年の大嘗祭の祭祀以来、秘したというか。ですから、そのようなものは写真にも、絵にも残っていないものがほとんどですが、そのようなことを含めて、和学教授所、あるいは白川家学館で伝えられてきたものを、今に残さないと無くなってしまうわけですね。

先生は楽観的に、甲府で100年でも200でも、とにかく守れという遺言があります。それで、建物も色々と考えていたんですね。その原型みたいなものが、京都の下鴨神社の近くに、和学教授所の道場がありまして、それを再現して建てたものが兌館というか。あのように二部屋で、二つの修行の場としてあったものを、あそこに再現をしてあるのですが、今は皆様の着替えの場所になっておりますが。

江戸時代までは、御所の中に修行の場が・・・白川家は、もちろん御所の中で、修行の場があったのですが、祝殿で修行しない場合は、御所の中で修行する場があったんですね。それを御簾内の行(みすうちのぎょう)といいます。御簾を御所の中に吊りまして、修行することが出来るわけですね。ここもいつでも出来るように、御簾を吊るすことが出来るように、また、畳も、初めの頃は敷いておりましたが、そのようなものは用意しているわけですね。

◇先生との二つの約束

ですから、いつでも祭祀、修行の場にもなるわけですね。一方では、東宮にそのような場所があれば、いくらでもお祀り、あるいは修行が出来るわけですが、先生に御所というか、上がることは相成らぬと言われておりまして・・・。先生に言われたことは、二つがありますね。白川のおみちを宗教法人にはしないこと。御所には上がらないこと。

皆さん、簡単に、東宮にこの場所を作れば、それで済むのではないの、と関係者にもよく言われるのですが、そのことはしないと。この場所に御身体がおいでいただくことがなくても出来る方法も、すでに伝授されておりますし、その方法というものもあります。霊体というか、それをお迎えして修行することも、すでに受けておりますから、いつでも出来る体制になっております。

今年は、去年からもそうですが、本来、十種神宝というのは、白川のおみちを伝える、受ける、最終的な行、作法というのもあるのですが、これは八神殿に関わる作法であるので、当然、その後に鎮魂祭、大嘗祭という形をとって、皇位にお付きになるわけですから、そのあたりをしっかりとお伝えしなければならないということで、その説明知というか、具体的な形代をもって、十種の神宝について、物と説明知の両方をお伝えしなければならないという非常に大事なことですね。

当然、その物というか、現れた国体というか、一つありますけれども・・・そのような、いわゆる物としてある象徴ですね。そのことを物から、神髄を知っていただくというものが、十種の神宝としてあるわけですね。その象徴的なものが三種の神器になりますね。

それは絶えず王権というか、天皇と御一体になっていないといけないのですが。物は物ですが、時代時代で、一番、鏡とすれば、世界でも一番の鏡ですね。白雪姫の鏡のように、世界で一番美しいのは誰?、なんてものありますが・・・。それで世界で一番美しく見える鏡も作りました。悪魔も惚れ溺れするのかもしれませんが、誰もが美しく見える最高の鏡を作りました。これは世界最高峰の技術によって出来ました。もちろんタマというのは、甲斐の国の、乙女鉱山の、江戸時代の頃からは、ほとんど、もっと前からもそのようになっているようですが、今は閉山になっていますから、普通は絶対に、大きなものは出来ないのですが、そこは甲斐の国の人間ですから、日本一の地質学者と、これ言ったら・・・そのようなものも用意できました。

皆様方にはお伝えしておかなければと思いまして、今年一年で、沢山の御神宝の用意が出来てまいりました。しかも一番すぐれた材質というか、それで用意が出来ております。なかなか、鞘なんかは、一年かかっても出来ないような大変なものなのですが、とりあえず稀勢の里の太刀を、一年でと思ったのですが、なかなか難しいんですね。あれが出ないと、なかなか勝てないのかなぁと思ったりしているのですが・・・。

◇相撲の神様の作法

横綱というのは、本来、神事としてのことになっているということを、19年、20年ぶりぐらいで、横綱にお伝えさせていただいたのですが、ちょうど富岡八幡宮も、相撲の発祥の神社なんて言われますが、そこで稀勢の里も彫りましたがね。

モンゴルの皆様が、今まで代わりにやって下さっていたのですが、やっと日本人の祭祀が・・・彼もここで土俵入りとまではいきませんでしたが、相撲の神様の作法を伝授させていただいたわけですね。今、こうしてもう一度、日本という相撲の、本来の神事というものを思い出していくキッカケになったかなぁ、少しは貢献出来たかなぁ、とは思っております。今、太刀が隕石で、ようやく日の目を見るというか、出来てくるわけですが、来年出来ますようにということでね。これは隕石で作った太刀ですが、これを大正天皇に送られたのが、榎本武揚ですね。

◇祝殿は神と人の出会いの場

ここの祝殿は、初めは小屋のようなものとして考えたわけですね。東京芸大の建築家を、主席で出られた方にお願いしていたのですが、やはり違うということで、井坂先生と二年間、先生が研究されたものと、新しいカタチですね。

日本の縄文期からの神と人の関わりというか、そのように関わった場所というか、それを全てこの中に取り入れた、山頂であり、磐座であったり、あるいは河原であったり、中洲であったり、庭であったり、建物であったり、そのような全ての出会いの要素ですね。人と神が出会ったであろう場所を、全てをこの中に入れて作るという、大変難しい注文をいたしまして、それでこのような形になっているわけですね。

多分、誰も、文句・・・文句が出れば、文句でしょうが・・・結社の人達は、これは◯◯神殿と同じだとか言われますが、別にそのような意図を持って作ったわけではありませんが。

◇重力対応意識進化学

世の中には、とんでもとか色々な捉え方があって、なかなか言いづらいこともあるわけですね。例えば、空中浮揚なんてことも、これはオウムの事件以来、そのことは封印されていたことでありますが、重力に対して反重力というか、ロケットが、秒速2キロを越えて、無重力の宇宙空間に行くということ。あるいは火星にも行こうなんていう時に、そのような対応というか、重力対応意識進化学ということを考えなければいけない時に来ているから、本来の白川の祭祀の基本中の基本というか、始まりですね。

お供えする時の基本が、空中浮揚なので、もうそろそろ、そのことを言って、そのような意識に基いて、そのような修行をしなければいけないのではないかと考えておりまして、理論的な根拠もしっかりとしておかないといけないということになってまいりまして・・・。

具体的な機械としても。母屋では散々、そのようなものの、意識を誘うというか、空中浮揚の意識になっていただく為の、簡単な器具みたいなものを、何度も作って体験しておりました。Iさんなんかも、古くからいますから、その時のことを時々言われますが、今はそれをロゴストロンという形で、意識を、主観的な観念ですかね。

観念論から、プラグマティズムの実用主義まで落とし込むという、哲学的には、そのようなことになりますが、あるいは科学にしていくことが、必要な時になっているのかと思っています。それが、武道の人達と、色々やっていた時期もありまして、甲野さんのお父さんには、要するに空中ですね。空中を歩いて下さいと言って、彼に苦労させてしまったこともありますが・・・。

武道で言うと、体性の反射ということで言いますと、脳の錐体外路系というか、脳が要するに、左脳をまたいでというか、1から2に行くというか、そのような脳の反応が、錐体路系というか、もちろんそれは進化した形でもあるのですが、それで我々は普通生きているのですが、武術をやる人達の名人芸は、宇宙の中で360度のどこからでも対応できるというか、反応するというのは錐体外路系というか、脳直接ということだと思うんですね。

右脳左脳ということもありますが、それは出来てからの話で、最初は一つの脳なんですね。一つの脳が一つの反射をする時は、非常に早いわけですね。1から2にいくような、交差してやるような反応ではないのであって、それは非常に早い反応なわけですね。

しかもそれは、海の中で、最初に右脳の生物が出来ましたから、最初から無重力ではないのですが、この地上の六分の一の重力、あるいはもっと少なかったかもしれませんが、何億年か前の、そのような何億年という経過の中で、生命体が一つの脳で、早い反応というか、無重力に近いような中で生きていたということを普通にやっていたわけですね。このご修行というものを科学的にやっていただくというか、進化学というか、意識進化学、あるいは重力に基づく意識進化学のようなものが、学問として必要な段階にきているというか。

単なる仮説というものではなくて、そのような重力に対応した、いわゆる医学ですね。重力はあくまでも物理学の話でありますが、それが医学、あるいは我々の体の使い方まで、あるいは、白川のご修行まで落とし込めるような学問を前提にして考えなければいけない時が来ていて、そのような意味で、数学者、物理学者、医学者は沢山来られているし、人文科学、社会科学、自然科学の方々にもお願いしなければいけないというか。

◇先端の科学で「おみち」の証明をしたい

なぜ白川学館大学の設立ということを言うかというと、先端の科学で、白川のおみちの証明をしたいのです。私の時代というのは、説明知ですかね。科学の子ではないのですが、そのような時代に育てられたから、そうせざる負えないんですね。納得出来ないんですね。そのような教育されている面と、宇宙というのは、創造した神の意志があるということを子供の頃に判っても、科学的に証明しなければいけないということになるわけですね。

これは私だけではなくて、戦後70年の教育というのものが、一つの神話から、科学に置き換わった瞬間に、そのようなことが必要になったわけですね。それがちょうど、この70年で大きな転換が起こってきたということがあって、でもそれを音楽も、美術も、いわゆる世界にあるロイヤルアカデミーのような内容の学問と同時に、皇学ですね。スメラの学びというものを、いよいよ、お出しすることになっておりますから。

皇学として、本来は天皇御一人の為の学びであったわけですが、今までは、民間の中では、三種までということでありましたが、その神拝作法をするかしないかというと・・・二種、一種は発揮する場所がないですから、場所があっての話ですから、でも概念としては知っていても良いということでありますから、いずれ皆様方にも、段階をおってお伝えすることも可能になっていきます。それが皇学ということの中身です。

ただ白川家というものが、白川家学館と言われていた、江戸期までは、それが例えば学習院も、京都学習院という公家の学び所が、学習院大学になったし、明治20年以降の大教院、中教院、小教院という神道の教えも、皇學館や国学院になっていくわけですね。

白川学館はまさに、そのような意味の白川家学館の新しい大学の有り様というか、そのようなものが必要に応じて出て来るのではないかと思いまして、(仮)白川学館大学の図書は、すでに7万冊が用意されておりますし、すぐに20万冊ぐらいになって・・・。

少なくとも、白川の研究者が少なくて、我々が虎の子のように大事にしていた山口先生もお亡くなりになってしまったり、非常に寂しい限りであるのですが、伝承として伝わっていたものは、しっかりとお伝えするというか、今は、情報も動画というもので、出来上がっておりますが、我々が動画でその現象の部分を、出来た部分をお出ししたら、世界がひっくり返るぐらい楽しいかもしれませんが、それはそれとして、今の伝え方もあろうかと思いますし、そのようなものも、いよいよお出ししなければいけないということは、今の時代にもう迫っていることでもあります。

◇誰もが掴める高速システム学習

我々は子供の2020年に向けて、脳力開発の、高速学習法を確立する為に用意しておりますが、それもそうですが、白川のおみちの高速学習というものは、何も、お祓いを3倍速、5倍速、今は16倍速ぐらいで出来る人もいるってことですかね。ただ早くするってことだけではないわけですね。

この地球の、シューマンウェーブの共振というか、「あいうえお」というか、木火土金水という、自然神の振動という時は、それなりの倍音ですが、低くして、発声することも、とても心地よいし、その世界はハッキリあるわけですから、それを修了するということもあります。白川の高速学習というのは、言ってみれば、白川家に代々伝わってきた名人芸を、誰もが、時間を短縮して学べる、あるいは掴める道を・・・これもシステムという方法ですね、一種のデジタル化ということですね。

システム学習という方法を、どうしても取り入れなければ、それは達成出来ないということで、私もそれを50年近く学ばせていただいて、コンピュータの世界に入って、さらに色々学ばせていただいて、そろそろギリギリのところに来て出さなければならないところも、世界特許に沢山出ているところもありますが、それも全てお出しして、今、世界が苦しんでいる金融政策のところにお出しする。

◇公の為に役立つ金融制度システム

言ってみれば、仮想通貨とか色々ありますが、来年一年ぐらい期間があると思いますが、値上がりとか、値下がりということの利殖だけのことではなくて、公の為に役立つような金融制度のところで貢献する。今、色々な文書が出てきて、隠しようがないところに来ているところに、コンベンションのように、一番いい金融システムを、世界が模索しているのですが、そのようなものに我々がいよいよ参入します。

それは今までの30年以上に渡って開発してきたシステムというか、沢山のソフトを持っているわけですね。それで信頼していただくということになろうかと思います。ですから腕に覚えのある方は、皆さん手をあげてくださいね。

実は、株式会社七沢研究所やロゴストロン株式会社は、何の会社でしょうかというと、ソフトウェアの開発会社ですね。色々なものを販売していますが、それは何とかをしのぐというか、しょうがなくて、すいませんがこれを買ってくださいと言って、生きてきたんですね。

そのように、我々が、おみちになかなか集中して出来ないということは、今の経済社会・・・それでも信仰があれば、みんな持ってきてくれるでしょ、ということも確かにあります。黒住教さんは、最初に教会を建てる時には、誰も援助しないと食べ物が来るまで、一週間来なければ、一週間断食をして待っていたんですね。信仰でしないということですので、宗教でやらないということでありますから、他の法人を使わせていただいておりますが、ソフトウェアの開発だったというか、それは今も一番のコストセンターは、ソフトウェアの開発ですよね。

目立ったことはしていないけれども、研究の価値化をしているところが、我々の中にあるわけですね。もちろん白川も、そのような意味では、コストセンターかもしれませんが、これからは、社団法人としての部分はやらせていただこうということで、これも言い訳のようなことになりますが、会費制でお願いしたいと思っております。

◇一般社団法人でやっていく

それでも、今までは会社法人にお願いして、運営費を賄ってきましたが、その辺りもハッキリと、運営することも、一般社団法人の白川学館でやっていくことになります。ですから、これからは、この祝殿も使用料をいただいて、白川学館でやっていきます。暮れにきて、世知辛いような話ではあり、なんか申し訳ないような気もしますが(笑)、そんなこともありまして、一年間、本当にお力をいただき、感謝に耐えません。来年も、より一層の、もう一度、滑車をかけていただければ、更に頑張りますので、宜しくお願いいたします。

今日はありとうございました。

◇階層性の囲碁をしているようなもの

長々とありがとうございます。余計なことを話さないようにします(笑)。

我々はあまりにも色々なことをしているから、階層性の囲碁をしているようなものかなということを時々思います。色々なところに手を打っているというかね。ひっちゃかめっちゃっかというか、色々な場に、様々な手が打たれていて、まとめようがないのではないかということですね。

基本的には、時空間ということでの精神作用という捉え方でもってみていますけれども、それが結局、それぞれの階層というか、位相というか、時空間の広がりの場が、位相と階層というものですから、捉え方が難しいんですね。人類の意識の工夫というか、もちろん、S先生、O先生がやっておられる禅もそうですけれども、非常に色々な工夫をして、悟りというものに行き着くのですけれども。たぶん囲碁や将棋がデジタル化して、2045年のシンギュラリティーを前に、人工知能が人間に勝るということも出てきています。

◇情緒をデジタル化する

情緒的に言うと、人間が動物を使ってやる獣という働きがありますね。人というのは、人の境地も、もちろん巡るわけですけれども、人が人で悩むところに、情緒の大切なところがありますけれども。我々はそういう情緒というものを、神魔人獣という分け方で、情緒をデジタル化しようということでやらせていただいています。

やっぱり一つのシステムというかですね。ビジネスにおいても結局、我々が出来なかったのは、会計でもって、全てを平等に落とし込むということが、ソフトウェアをやっていて出来なかったことというかですね。

また、やらなければいけないというところは、情緒というところとビジネスが、どういう風に繋がるかという解決方法を開発しなければいけないというかですね。その研究を長らくしてきたわけですね。ようやくその辺は、コンピューターの進化によって、そういうことも会計のようなものの、計算する事務機から、知識を扱う事務機。ですから、健康も知識ですし、科学知識でもあるし、情緒の知識でもあるということになるんですね。

我々が神ということとコミュニケーションする、そういうプラットフォームを作るということは、神ということに関わる意識というか、あるいは情緒というものが、どういうものか分からないと、その研究は進まないわけですね。

その運行方法というのか、どういう風に人間の情緒が動いていくのか、体の感情、あるいは芸術的な感情、宗教的な情緒というようなものを、一つひとつ正確にストロークしていくというか、運行していくメカニズムというのか、情緒がこういう風に動いていくのかということがしっかりと分かってくると、こういうその時点で悩みは止まるわけですね。

情報を理解しないで、情緒が滑ったり、同じことを繰り返したり、その情緒に囚われていることが虚しいことであるということが分かってですね、その情緒に囚われなくなるということが、可能になるシステムを開発しないと人類の業と云われるものは解決しないわけですね。

◇様々なコミュニケーションツール

今、世の中にネットという新しい知の体系というか、それが広がっていって、それを中心として、知識や情緒や、そういうものを解決する為のインフラが用意されているというのかね。そういうものがコンピューターの世界の進化によって、可能になってきたということですね。この問題を我々が、認識、意識、思考、あるいは人間関係論の中のそういう解決する、納得できるプラットフォームが主に言葉によって出来ていますけれども、数の言葉、色の言葉、あるいは音の言葉、言葉の言葉というものを通じて、どこまで学べるか、それを真っ当なコミュニケーションのツールに出来るかということが問われているわけですね。

ですから、非常に大変な時代だと思います。色々なことに関わらないといけないからですね。人間が今、コミュニケーションで言えば、人と人のコミュニケーションも難しいですけれども、人と神というコミュニケーションをする時に、どうすれば一番良いコミュニケーションの仕方になるのかということで、そういう場をいよいよ明確にしないといけない。

それはもちろん、人と仏という沢山の働きをもった存在があるわけですけれども、少なくともユーラシアの中に、一番古い段階で、人間が神というものを発見し、あるいは関わって、その用法や神を迎えるというコミュニケーション方法というものが少なくとももたらされた。

あるいは、それをどうにかしようということであれば、これは人類が長い間、持続可能社会で共に暮らしていける世界ですね。般若心経の世界でもありましょうけれども、共に仏、神の世界に行くということのコミュニケーションのツールというのかね、それを持たないと出来ないということですね。

◇資本主義の問題の解決策

それの中の一つとして、白川の鎮魂、言霊、祓いというものが、一度も世に問われていないから、それを問うてみて、それが無理だったら堂々として、スゴスゴとでも良いですから引き上げれば良いわけですね。それをやらせていただくということですね。それを共にやっていただきたいというね。

いよいよその辺の、はっきりと勝ち負けで言うわけではないですけれども、勝算ありと思うんですね。そういうところで、今、人類がどこから見ても悩んでいる資本主義の問題、貨幣制度の問題で悩んでいるのだったら、そこもしっかりとストロークするというかですね。

こういうふうにすれば宜しいんではないですか、ということで、我々はそれこそ、システム学習法の中で、30年、40年やっておりますが、そこをまだお出ししていないというかね。最後にお知らせしようというかね。

企業というところからいけば、会計の問題と情緒の問題を、我々はニギという貨幣単位、そのままの和幣(にぎ)手主の神様の働きということで、あるいはNigiという製品まで作り、そのことをお伝えしたりしました。既に、白川学館の中にはビットコインが使用されていたんですね。もう7年位やっているのですけれども。それで、ここでニギというコインの名前を出して、問うてみようと。その為のソフトウェアの研究も充分にしつくされているし、ソフトの開発の中で既に行っておりますし、それは一兆円以上の収入のある25社くらいを、既に15年前に提案して、その会計も含めて、その方法が素晴らしいと、みんな言ってくださったんですね。

ただそれを大手の銀行、あるいは電気会社、自動車会社はやらなかった。それが今になって提案する時が来た。それが一番悩んでいる会計と、情緒としての悩みのお金の問題を、こうすれば自由、平等ということを取り入れて、明るい社会になる一番の根幹をお伝えしようということで、今、用意しています。来年からは皆様方には、特別に何ニギかですね、5年間やったら、5年間のニギを渡して楽しんでいただこうという(笑)会費を取るばかりではないですよ(笑)そういう楽しみにもお分けしますので・・・。

◇白川学館大学へのステップ

これは期待ではなくて、確信してよろしいのではないのかと。我々が今やろうとすると、色々と打っている、囲碁の手ではないですけれども、ほとんどが大学になっていく為の一つひとつのステップだと思ってやらせていただいています。

そんなことがありましてですね、大学というものの、出版部を作って、大学図書館が出来て、今、7万冊くらいですけれどもね、それで、学部も出来て、最後に学校法人化をどういうふうにするかはまだですけれども。大学になる為に、そういう過去未来の法という方法でやらせていただいています。事実を積み重ねていますので、その辺は楽しいと思いますので、来年から更にまた一緒にやっていただければありがたいと思います。

ありがとうございました。