0290話:2017年12月13日

おはようございます。何かご質問はありますか?

●Sさん
先日、七沢研究所のホームページを見まして、七沢研究所の使命というところがあったのですけれども、これについてお聞きしたいのですが、「生きとし生けるものの全てのより良い存在と、その生命意志を実現するための研究を行い、地球全人類が豊かさを分かち合って共に生きていく新しい社会システムを創造することに貢献する」ということが七沢研究所の使命であるとホームページに書いてありましたけれども、これというのは、生命意志を実現するのは何のためかと考えたとき、自分自身とか生きている人だけかもしれませんけれども、生命意志を実現するためということが目的と考えて良いのでしょうか?

あとは、もう一つあって、新しい社会システムを創造すると、それがひいては生命意志の実現に向かっていくということなのか、生命意志の実現ができるのだったら、新しい社会システムができあがっているという考え方なのでしょうか?

 

【七沢代表】

◇すべての創造意志を位相・階層で捉える

システム論というのは、この20世紀からで、考え方が新しいのですが、社会システムが表現として出来たという・・・。基本的に階層知というもの、全ての生命意志というもの、それが一つのものとしての生命という、その流れと見たり、動物とか、人間とか、植物とか、分子、原子まで生命意志とみるのか。そういうメッシュみたいなものが位相的に広がっていったり、階層知というのか、そういうもので捉えるというのかね・・・。

その区切りがなかなか難しいんですね。人類の歴史の中でほんの20世紀くらいに、そういう階層知とか、システム哲学とかが分かってきたので、それはだから階層システムなのか、位相システムなのかということもあるんですね。

そういうものの全体を難しく言うと、生きとし生けるものというふうにしてですね・・・。ですから、白川なんかは神様も生きとし生けるものというか、要するに、神様も創造されたという意味合いにもなったりしてですね。神様も清まらないと人も清まらないなんていうわけですからね。

◇モノが出来るときの見方

そういうどこに命というものがあるのか、その生命というものがどこからもたらされたのか、また、生命意志をもたらした創造の働きがどこからあるのかとか、言い出すときりがなくなりますよね。

今の社会、それぞれの呼び方があるわけですね。ものを作る時には、それだけでも、ものが発生する、創り出すという創造の意志もあって出来、それが人間の意志だったりするわけですけれども。そういう、それが出来る時の一種の見方の複雑系というのか、始まりは一つの単純な意志のものだけれども、複雑というか、そういうようなモノづくりの分析の試みがあったり、一方では、人間が創られた、創造されたものだった時には、とても理解できないと思っていた時があるわけですね。

知が生命意志なのか、情が生命意志なのか、そういうものをどう捉えるかという捉え方の問題ですね。位相、空間に広がっているものを一つひとつ捉えるのか、または、階層というものは、トポロジカル(位相幾何)とかフラクタル(非線形)というような、数学の概念だけではない違ったものがあって、それらの概念の上に階層が上がるという移動の仕方は、ほとんど難しいのではないのかと思われてきたんですね。今でもそういう疑問があるのですけれども。それを色々な形で捉え直さないといけないというかね。

その時に、そういうたぶん一つの空間に広がっている位相のシステム、これも時間が入るか、入らないかということで、様々な物理学の問題とかになりますね。例えば、そういう時間を入れたら位相次元という問題になるのではないのかとかね。次元ということを認めること自体がスピリチュアルだからそんなことは認めないと言うことと同じように、科学的思考から見ても、時間というものが、アインシュタインはないと言ったりするわけでしょ。

だけれども、我々は主観的であろうがなかろうが、時間という概念を使っているわけですね。それが時間が位相なのか、階層なのかということもありますけれども、そういう問題を科学が追求するというところに入ってきた時に、機械論というものは、一つの機械的な仕組みというのかね、デジタルな仕組みで宇宙もできているのではないのかという意味合いで、その中に主観的と言われるような時間も組み入れているということですね。それで時空間ごと次元というかを超えようかということの発想が出てくるわけですね。4次元から5次元とかね。

◇とりあえずはデジタルにとらえよう

そこにいくと、人間の生命意志が分からないというのか、命というものがそこに入ると不連続になるので分からなくなってしまうということで、トポロジカル、位相という、あるいはフラクタル、非線形という数学的概念が出てくるのですけれどもね。それを神秘と言ってしまうと、それでもって終わりになるし、神秘の中に入っても駄目だし、神秘にしてしまったら科学は駄目になってしまいます。

科学も神秘というものになってしまっている部分もあれば、宗教がスピリチュアルを本来追求しようとしたのに神秘になって、それをどういうふうに解消しようかとした時に、最後にたどり着くのは、人間がそれを主観的であろうが、客観的であろうが、生命意志というのか、生命というものを働かせて、観察している意識を持っているわけですね。生命意志丸ごと掴まないといけないというのか、その存在というのか、哲学的に言うと、存在論というものを掴まないといけないから・・・。位相と階層でそういう概念があるということは、それをどう追求するのかということがそこにあるということですね。ですから、それをやっていこうということで今の社会が一生懸命それを始めていこうということですね。とりあえずはデジタルに捉えるというのかね。

◇生命の働きが希薄になってしまうことへの違和感

その時に一番希薄になるのが、生命というものの働きが極めて希薄になって、機械仕掛けになってしまうということに違和感を感じて、認めないという人もいますけれども、それが今、人工的な知能という捉え方でもって、相当機械仕掛けというか、デジタルで解決するという方向に突き進んで行き出したからシンギュラリティーとか、その後の人工知能が完成して、人類のそういう知能を越えた時にどうなるのかということを不安視して言っているわけですけれども。

これらもあくまで、知の1つのシステム化ということですね。それだけではなくて、さっき言った情のシステム、情緒のシステムもあれば意志のシステムもあり、それも全て命というものの1つの働きと捉えるとそんなに怖くないかなと思うんですね。

◇神道の「畳む」「結ぶ」という概念

ですから、企業活動というものも、生きとし生けるものということで、人間が動物と進化の過程の中ではっきり区分けしたところというものであるのだけれども、人間の生命の中に、例えば、脳でも爬虫類脳、哺乳類脳、霊長類、それから人類、新人類、新新人類とか、脳の機能の場所、作動する場所が脳臓器として色々な脳の働きがあるということで、進化しているのではないかと言えると思うんですね。

その辺りの動物の問題はTさんが一番、経営理念というようなものに一番感動して、この今の部門をやっていただいています。Tさんにその話しをもう一度、お聞きになったらよいと思いますけれどもね。命というものが、宇宙創造から138億年の宇宙の時空間の広がりを全て生命意志と捉えることもできれば、時間というかですね、瞬間という時に、瞬間に宇宙というものができたというようなビッグバンという考え方もありますけれども、創造が始まった時を人間の生命意志で見た時が一神教の創造神ですね、クリエイターという捉え方をしますけれども。それがそういう存在を認めるとか、認めないという問題で宗教とか科学の問題が出てくるのですけれども、そういう始まりから終わりまでというものを、その離散していく宇宙と、循環して戻ってくるという捉え方で捉える。

ですから、メビウスというのは、それが広がっていって、また戻ってくるということの数学的な捉え方なんですね。それが、広がって、しかもまた戻ってくるということで、更にそれを次元として捉えていく時に、メビウスというものを2次元の概念の中にもちろん、科学的な2次元ということではないですけれども、そういう概念を使って人間の思考とか、1つの観測するということの概念を含めて、次元というものを取り込むということをするということが、神道の畳むとか、結ぶとかそういう2次元したり、1次元にしたり、3次元、4次元、5次元というように、次元を捉えるためにそのような概念を使うということで、今回はメビウスという概念を考えているわけですけれども。

◇生きとし生けるということを表明しただけ

そういう概念を使って、意識がどう進化できるかということ。生命意志というものが一方では宇宙の始まりから、創造意志が生命意志というかですね、創造ということが、命ということが、それは進化の中で捉えることができるという客観的なあるいは元に戻ってくるということを通じて、生命というものや生命意志というもの、創造意志が生命意志で、生命意志がまたゼロに戻ってくるという今の概念を掴めるということを含めたものを生命意志と呼んでよいのではないのかということですね。

会社の理念にそんな小難しいことを言っても仕方がないから、生命意志という生きとし生けるということを表明したということだけなんですね。そんなに正確に何々というように憲章としてまだ出していないというかね。

そういう試みを過去にしてはあります。たぶん生命意志のところはTさんが一番反応したところだから、お分かりになるのではないのかなと思います。だから、知情意のそういう捉え方でもまた、古い哲学ですけれども、そこから意志というものを見る、命というものを繋げただけですけれども。

◇有為(ウ、イ)の奥山

この地球で木火土金水ではないですけれども、あいうえお、ではないですけれども、それを有為(う、い)の奥山というような、ウとイの間の自然というものですね、自然というもののそれが母音で言うと、ウとイの間に深い山、すなわち谷、溝があるというかね。山というのは越えるべき目標のようなものとしてあるのですけれども。一方で循環しているというかね。五行も循環している、あいうえお、も循環しているというかね。それが命のイになります。

そのイがまたウというかね、ものに帰ってくるのですけれども、それがまた五行の働きで地球上に循環しながら、環境学で言うと循環型の環境学ですけれども、循環しているということで有為の奥山と言っているものがあると言っていますけれども。それが命のイというかね。一番、命というものの表現が言霊として言うと、言葉である、言霊であると。それも結局は生命意志であると。

ですから、生命意志を司る言霊、言葉というものによって、宇宙創造ができたように、人間も宇宙創造と同じように言葉が創造するというのが言霊の発想ですよね。言葉によって、ヨハネ伝の第一章一節には、「初めに言葉ありき」とあり、言葉が全ての創造をしたというような、神でもあるということを言うのですけれども、それを実際に言葉として、創造のところまで戻った、そういうところまで行き着く、またそれを実感するということが生命意志のイの字に帰ってくる道というかですね。それを掴まないとしょうがないんですよと。それが一つの言葉であったら、言葉で宇宙を作ろうとしているのが、言霊、フトマニによるものだけれども、それを物理学や天文物理学や数学や様々な変化した言葉でそれを実現する、音もそうですね。そういうことで宇宙を実感するというかね。

創造者の立場に立つと自分の意志、創造するものの意志がそのまま転換していくということを確認して、良かったということでいわゆる元々の創造者としての神の神話知ということになるのですけれども。そういうことを我々が神話を通じて、それが決して、はるか昔の言葉や物語、ストーリーではなくて、実際に我々が様々な言葉をもって、宇宙創造、次元創造をしていくんだということですね。

◇人間が充分に創造者と同じようになる

その概念だけではなくて、しっかりと全ての宇宙に行き渡らせるということでデジタル思考があって、それが機械、装置、物質で客観視することを知識、またその使用法を知恵と言っていますけれども、知恵も色々とあると。そういうものをまだまだ人間が充分に創造者と同じようになるということは体感としては良いのだけれども、それがデジタルの上で行われるのはまだまだ人間の慢心ではないのかなと。

2045年でできるようなものではないと、私は考えています。だから、生命意志というものが、ただ、創造の源にかえることによって、神様が天之御中主が出現してくる、源に帰ることによって、そのことが少しでも可能になるというかね。そのために神というものが階層性になっていて、それを昇り降りするということが白川であり、言霊の学びなんだということをやりたいわけですけれども。それを会社としてみると、そのような簡単な言葉に理念としてはなっているということなんですね。ちょっと難しくなってしまいました。ごめんなさい。

ありがとうございました。