0293話:2017年12月15日

おはようございます。
昨日はNLBの講座でお話をいたしました。行った方にお話しして頂きたいと思います。

 

●Sさん
後ろから先生のところだけ聞かせて頂きました。先生がお話ししたことは、公というのか、ビジネス的なセミナーだと思うのですけれども、公に生きるということが非常に大事だし、公が非常に楽しいという話をされていました。白川とか、言霊とか、天皇の祭祀として行っていた、まさに公の象徴みたいなところの中身の話をされて、公に生きるということで、そこを強調してお話されていました。

会場の人たちも、そういう意識が高い人たちが多かったと思うので、良い会で、良い場だったなと思います。大野さんや石原明さんも、前後に話をされていました。今回、5回目で一区切りついてという感じではないかなと思います。以上です。

 

【七沢代表】

ありがとうございます。他に聴いてみたいことや感想はありますか?

 

●Aさん
昨日、石原政樹さんにNLBで触れたらいかがですか、という情報を送りました。丁度、週刊ダイヤモンドで、富岡八幡宮の事件に触れつつ、会社の怪文書も同じ構造であるという文書がありまして、なんとそこで鎮魂という言葉が出ていました。

ですから、神社の抗争も、会社の中でも同じく鎮魂が必要であると、まさにNLBの方々にピッタリの話題ではないのかということを石原さんに送りました。なので、鎮魂の大切さについて賢治先生にお話をお聴かせいただければと思います。

 

【七沢代表】

◇因縁を鎮める鎮魂祭

鎮魂というのは、白川の大事な3つのお清め(祓い、鎮魂、言霊)の1つですけれども。三科目の内の1つということで、鎮魂という方法があるんですけれども。白川でも江戸時代では、よく鎮魂祭をしに大名の所に行っているんですね。各大名家には色々な因縁がありますよね。そういうのを鎮魂祭を通してということで、それが記録に残っていることで判るんですけれども、大事な仕事になっていました。

日本の問題点の1つに怨霊とか、祟りとかいうようなものがありますが、日本人はきっと最後の最後まで我慢するから、それがひっくり返るとすごい憎しみにかわるというのか、そうなったりする場合に、それは民族の特性かもしれません。長いものに巻かれている内は良いのですが、苦しくなって、それがさらに締められたら、逆転して怨念になるというかですね。我慢してしまうということは、良いような、悪いようなところがあるのではないのかなと。

◇荒魂に始まり荒魂に戻る、五魂の働き

鎮魂の魂でも五魂というのか、荒魂という最初に出てくる魂があるのですが、荒というのは、新しいという意味と荒々しいという意味、まだ完成していないという意味など色々と含んでいるのですけれども。荒魂が魂の最初に出てくるように、五魂の中で言うわけですけれども。激しさがだんだん無くなってくるというかね。

次は和魂、和らぐという意味合いで魂の発達段階としてなっていますから、それが更に細かい精神のメッシュになるというかね。要するに、和するというようなものを、更に幸魂、奇魂と、メッシュを細かくして、広がっていくわけですね。それを良しとするというのか、そういう魂というのか、それを精魂で統合してまた戻ってくるというのかね。荒魂に戻るということが五魂の働きになっているわけですけれども。そういうどうしてもやっぱり荒魂に戻らないと、ちょうど、いじめと同じようなもので、限界までいじめられてバンと弾けて死んでしまうということになるのですけれども。

その手前で、荒魂というものが、更に他の四魂に移っていくということでも良いのだけれども、荒魂は荒魂で働くようにしておかないと駄目というかね。非常に不都合が生じてくるというのかね。

◇個の欲求の広がりは皆の不都合になる

強引に公と結びつけるわけではないですけれども、私と公というかですね、魂の広がりも1つのだんだん、だんだん自然というのか、環境というのか、エコロジカルな中に我々が生きているわけですけれども、そこで上手く共振、共鳴、同調するようにというのか、そういうことで地球全体に魂の広がりをもっていこうとしているということですね。それが個人の健康学や環境学ということで、環境にもすぐに影響を与えるということですね。

今の時代では、個と他のぶつかり合いもあるのですけれども、個が個でずっとバラバラになっていると、結局、個の欲求が広がっていって、そういう考え方、個人主義という考え方もありますけれども、それが広がっていって結局、みんなにとっては不都合になるということが起こってくると思うんですね。

ある面では、共産主義でも本来は公ということであったはずなのに、一国とか一国、共産主義とか社会主義とか、あるいはゼロリセットしてしまう為だけに使われているというかね。結局は革命のために使われる思想みたいになってしまうわけですけれども。戦後世界のそういう第二次世界大戦以降、そういう世界になっていくわけですね。

◇個の連合の支配が起こっている

個人というものの中心主義というもので広がっていって、一方で、公ということを否定していくような形で欲望のレベルでもそういうことが起こってくるということがあって、非常に個も今度は、自分たちの組織とか、そういうものが都合良くやっていけるような形の連合みたいな・・・、それが大企業にもなった理由でもありますけれども。そういう企業がそういう意味の中心の世界というものになってしまった。

それは一つの欲望というものの広がりですね。個人というもの、自分たちの仲間の欲望を優先するということで、それがまたある面では個の連合みたいになって、それが支配する形をとりやすくなってきたということですね。

本来の人間の理想的な制度というところにいかないで、要するに、より集合の小さい欲望というもので、支配ということが起こったことの結果だと思うんですね。それが色々な企業、結社ということで起こっている。それが今の時代の宿命のようになっている。これは過激派を代弁して言うわけではないですけれども、そういうことがあってですね、なかなかみんなというものの範囲ですね、それがなかなか一対多という関係の理論というのが世界にまだ無いわけですね。

それで理想社会がなかなか作れないということになっていくんですね。その辺りのまずは公ということで、昨日の続きではないけれども、公ということが、「こやけ」ではないですけれども、小さい大きいではないですけれども、あるかもしれないということですね。

◇公がどういう形で実現すると良いか

公ということは、みんなが楽しい、そういう世界にするということの基本が公ということになると思います。そのことが楽しいんだという獲得方法を出さないと、これは頭で公が分かっても、それは何の足しにもならないというかね。

それは思想ですね。哲学としては良いかもしれませんが、それは分かっているわけですね。そういう色々な経済原則や哲学がいっぱいあるわけですけれども。それが実現できない、経済的には資本主義という形で、それを押し付けるということではないですけれども、その方法でやろうとすると、結局は何%の範囲を越えると利益がみんなにいかなくなるということは、はなから判っているわけですね。あるいは、配分が面白くないということになっていくわけですから。

そのことも含めて、公ということがどういう形で実現できると一番良いかというような関係論というのかね、心地良いということがたぶん一番大事な公ということの確認する手立てになるのではないのかということを非常に感じました。

◇様々な生命体の心地よさを実現する為に

そういう公のことを考えるということが、それを強引に結びつけると、鎮魂ということになると。一人に負担をかけないというかですね。みんなでそういう情緒的な環境というのか、それが鎮魂によって世界を良くする方法だと思うんですね。情緒として、みんなが心地良いという情緒を拡げるということが鎮魂を目指している一番大事なところではないかと思います。様々な生命体が、そういう心地よさを実現する為に人の鎮魂があるというかね。それが生命体の進化に繋がっているというかですね。

物質も全て進化していると思うのですけれども。あるいは宇宙もですね。宇宙も進化した段階で次の宇宙にいくというような発想も、パラレルワールドではなくても、あると言えばあるのですけれども。人間が生命体として、環境の中で共に心地よく生きられるということに持っていくような思いというのか、その行為が鎮魂ということ。鎮魂ということは何も、ただ鎮めるということではないんですね。

荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂の働きを最大限に活性化するというのかね、働きを高めて、みんなが居心地のいいところにもっていく為の、そういうものが、鎮魂だ、ということを理解することが、人類の意識進化にもつながっているし、それが楽しいということではないのかと。

◇黙っていながら魂は交流していく

昨日も色々とたぶん理論的に、思想的に公ということがこれからの課題ということで語られたわけですが、これは民主主義というような政治思想や哲学思想を持ち出さなくても当たり前のことになるわけですね。それがやはり納得できるし、できたら今度は、それが体感となって、確信となって、それが鎮魂ということの生き方が出来るようになるというね。

鎮魂ということの中身を詳しく言わないといけないのが白川の役割ですから、それはやるとして、そのことが鎮魂ということをやっていくとですね、法悦というのか、エクスタシーというのか、魂が喜びを感じるというところまでいかないと、世界が共にこの時代にエコロジカルに生きるということが出来ないですよね。

我々が今、イソノミヤという社会を目指そうというのは、これは人類は三千年ぐらいの頃は当然そういうことがあったということを前提として、イソノミヤという社会がどのように実現できるかということを進化の段階で色々と模索しているわけですけれども。その辺りにやはりメディテーションというものは世界に、一方でリインカーネーション、メディテーション、そういうものは解かないといけない課題としてあるというかね。

最終的には鎮魂というのは、みんながそれぞれ黙っていても魂は交流して、本当に元気になっていくということが、他者の存在があるということで心地良いということになるということを黙っていながら、ということは鎮魂、瞑想しながら、そういうことを感じられる社会に、あるいはそういうものをある種、機械的に、装置的にもしようとしているのが、我々の六種鎮魂の中身というかね。

◇鎮魂できたと確認する装置が必要

所作でもあるけれども、それを機械的にできるということがロゴストロンであり、そういうものを前提にした開発をしているということになるんですね。その辺りはこれからの非常に大事なところになるのではないのかと思っています。

鎮魂のそういうものも、ある面では、ロゴストロンという機械的な装置としてできることがあるということで、その解剖というものもしないといけないということですね。そうするとみんなが鎮魂できたということをはっきりと確認できるような、そういう装置化が更に必要となってきます。確信や納得ができて、体感できるということで、さらにアナログ的なところでやらないといけないし、デジタルとしては、そういうことが可能な機械や装置を作るということで両方でやっていかないといけないというのが結構、大変というのかね。

白川というものはアナログの極地みたいなところがありますけれども、それを実現できるためには機械論的というか、システム論的に、一方でもって提供して体感してもらって、アナログ的にもですから、デジタル的な要素をいっぱい組み入れて、祓いも修行もできるようにするということが、鎮魂の部分の一番大事な働き、確認のようなものというかね。

◇中道というおみちの生き方

今、我々がその鎮魂の害になる物質を一吹きでですね、物質としてもそういうものを解消するような水まで作っていくんだということが、ここのもっている両用というか、両建てにしないで、両方を納得できるような使い方をするというのが中道というおみちの生き方ではないのかなと感じています。

魂のグラム数まで、150ナノと勝手に決めましたから、それをどういうふうに綺麗にしていくのか、あるいは、その働きを活性化するということを含めて、そういうものがそういう物質に対しても、機械に対しても納得できるような、体感にもっていくというところを、まさに五魂の鎮魂のところから始めるのは非常に大事なところですね。見えませんけれどもね。150ナノだから、ほとんど見えないけれども、その辺りから魂(たましい)というものを魂(たま)にするというのかね、納得できる働きのできる存在にしていくということが大事なことではないのかなと思います。

ありがとうございました。