0297話:2017年12月19日

◇大きな進化をする時

おはようございます。

やっぱり一つの区切りというのかね、年という区切りを我々は使って、太陽の運行もそうですけれども、北半球の中で動いているわけですけれども。1日もそうですけれども、1月とか、1年とか区切り、大祓などは半年に区切ったりしていますけれども。一つの通過儀礼ではないですけれども、そういうもので確認することで年々、同じようにみえるけれどもね。

我々の活動というのは、ルーティンワークということも必要なこともありますけれども、今の時代は非常に進化というのか、一人ひとり、あるいは集団でも大きな進化をする時というか、そういう時にあたっているのではないのかなと、すごく感じます。

その時の態度というのは、非常にフレキシビリティー(融通無碍)というのか、より良いものをしっかりと掴む、あるいは目指すということが可能な時だということです。やはり一方向だけにベクトルを合わせないで、360度、あらゆるところに自分たちのやっていることが、あるいは自分のやることが対応できるような、そういう心の持ち方というのかね、それはフレキシビリティーという言葉があるのですけれども、融通無碍でいないと、一番良いものをその瞬間に掴んで、然るべき方向に行くというのかね。もちろん、それが必ずしも線形でいくわけではないこともたくさんありますけれども。どういう態度というのは、その時には意志を決めて、そちらに行くわけですけれども。融通無碍というのは、自分でもって、これは変えようと思った瞬間に変えられないといけないんですね。

いつも言うのですけれども、パンクをしたら走りながら直すような、そういう意識でもっていかないと、間に合わないことが色々と起こります。自分が正しいと思って、その道を進むというのは、その瞬間はそうかもしれませんが、絶えず、時代の大きな変化が起こっている時には、それでは挫折してしまいます。そういうことが起こるのではないのかと非常に感じます。柔らかな気持ちでないと、新しい物事は生み出されないのではないのかなということを、最近、すごく感じています。その辺りがたぶん進化に対応するというかですね、そういうことではないのかなと。

今、我々が重力に対応していますが、それが今度は反重力というような、そういう概念をも使えるというのか、そういう動きにも・・・。ですから、全然違う概念も使えるということにならないといけないような時代というのかね、そんなことが今、押し寄せているのではないのかなと。

ですから、言葉がモノとコトを実現するという、そういう単なるコミュニケーション手段としての言葉ではなく、言葉が本当にモノとコトを実現することを鎮魂ということだけではなくて、それができるかどうかを試すということがこの時代の一つの方法論ではないのかなと。

◇出した言葉がその通りになっているか

我々は普段、当たり前のように、祓い、大祓をあげているわけですけれども、そこにある言葉がそのまま実現するということであれば、相当、色々な意味で有利になると思うんですね。祈ったことも実現するという場を与えられているということからすれば、宗教ではなくても、願い、祈り、目標というようなものを実現していくための、そういう方法論である言葉を発するということを通じて、たぶんそのことは、昔は当たり前だったのですけれども。そのことをまわりくどく難しく言わないと分からない人がいたりとかですね・・・。学問なんてそういうところもありますけれども。本当は難しいことを優しく言って分かってもらえる、実現できるということは非常に難しいことでもあるのですけれども。少なくとも言葉が言霊として実現するということをやろうとする、それを一つの人類の意識進化に結びつけていこうとするんだったら、そのことを本当に実現しないとしょうがないですね。

お祓いをそのまま、あるいは神話も言葉も、そのまま実現できるような方法論というのか、技が必要とされている。我々は、それをシステムで掴むのが良いんだよということでの、アナログからデジタルであり、デジタルを利用したシステムを使い、機械にし、装置にして、客観的な事実にして、そして更にそれを実現するための力にしていくというかね。行ったり来たりややこしいこともありますけれども、少なくとも言語というものを吐いて、あるいは、吐くデジタル機器を使って実現するということは同じ意味だと思うんですね。それをビジネスにさせて頂いてますけれども、それを新しい時代の生き方に落とし込んで、自分の役に立つ、社会の役に立てることをやろうという実験というかね。しかもそれは、実証実験のようなものだと思います。

それを共にやっていただくということでありますから、言葉を吐く時に、自分が言ったことを実現できたかどうかということを一つの基準にして、話してみる、あるいは確認するというのかね。五情ではないですけれども、一つの情緒として確認するということをやっていくことが非常に大事なところかなと。一つひとつの仕事をすることも大変ですけれども、それを更に客観的に、出した言葉がその通りになっているかということを確認する必要がある。もちろん、お願いする言葉ということから言えば、全て人間は一人ではできないから、皆様方にお願いしますという・・・。

◇どういう言葉で実現できるのか

空也という平安時代の僧は、仏国土にする為、頼むっちゃ、という、頼みますという言葉しか、自分のあげる言葉はないということを言われたことがあります。それがまた実現するということに繋がっていけば、それもまた人間関係論の中では役に立つ言葉であったり、それが実現していくというかですね。そういうものになるというのかね。

色々な、有り難う、愛してる、とか簡単な言葉もありますけれども、どういう言葉が人にとって、自分にとって、一番良い実現できる言葉なのかということですね。論理として、一つの文体として、どういうものが良いかということを考えていくということも、コミュニケーションの中にはあるのではないのかなと。
そういう捉え方をしながら、言葉がどう実現できたかということを、例えば、そういうところを見ていくと、いかがかなということを感じました。

今日はありがとうございました。