0303話:2017年12月26日

おはようございます。
伊勢に参らない方は、今日が今年の納めの日になるかもしれません。

◇死をどう捉えるか

我々は、死というものをどういうふうに捉えるかというかね。普通は死の恐怖が強いほど、若いし、長生きするというかね。その死の恐怖が薄らいでいくと、あの世が近くなっていくんですね。亡くなる直前というのは、生きるということよりも来世というところで、どうなるかということを考えてしまいます。

それはキューブラー・ロスとかね、死を研究した心理学者や、あるいはカソリックの修道女のマザー・テレサとかですね。マザー・テレサさんは、亡くなる時には、悪魔の恐怖でなかなか死ねなかったという話しが残っています。聖人というのか、そういう序列になったということを聴きましたけれども。直前で悩む場合もあれば、心を決めて旅立っていく人もいます。神道では、そのあたりがどうなるというか、言っていないので解釈が難しいわけですね。輪廻するということを言わないわけですね。

自然に還るという存在ですかね、この身というのか、五行ですね、元々は、どこの聖典でも、人は土から生まれたということをよく言いますけれども。まぁ、70%は水でだんだん少なくなって、死ぬ時は一番少なくなるというかね。年を取れば水分量が少なくなるわけですね。五行というものに全て帰っていくというであります。それこそ、魂が150ナノということで、軽いもので、それ以上はほとんど土、元素か、そういうものにしっかりと戻っていくということになるのですけれども。

◇言葉の原型が最後に残る

きっと我々が想像するのに、この世の言葉とあの世の言葉ではないですけれども、それも元々は生きた人間が考えたことが発見したことか分かりませんけれども。別世界というのか、そういう世界に行くということになると思うのですけれども。

意識は言葉から生まれて、意識が思考して、宇宙を認識していくということをやるわけですけれども。最後は、思考できなくなって、意識が朦朧となり、最後に聴覚が残るわけですね。その先というのかね、言葉の原型が最後に残るわけですね。この言葉も言霊ということであって、その呼び名は布斗麻邇ということですね。細かく言うと、その元に還っていくということですね。その還る場所を白川、あるいは言霊の学びでは、ちゃんと持っているわけですね。言い方を変えると、宇宙、あるいは、宇宙を作った元というかですね、そういうところに還っていくというかですね。

ですから、最初に言霊があり、あいうえお、が地球の五行が生まれ、父韻が太陽系の振動数であったりしますけれども、そういうもので出来た大元ということですね、そういうもので創り上げられている創造意志も言霊、布斗麻邇という表現でもって、存在するのではないかということが言い伝えられてきたということですね、白川あるいは言霊というものがですね。そこに、戻っていくというかですね。

それは一種の創造意志の源の設計図に還っていくというところになるというかですね。そこに至るまでの間で、思考やそういうもので創り上げた自分の影というのか、あるいは幻影というのか、そういうものも消していくということですね。

◇綺麗に元のところに戻っていく

それで最後には、五十音ということもありますけれども、更に細かくなって、数というようなところも10、9、8、7、6ではないですけれども、そういう6とか3とか、創造の逆を辿って行くわけですね。生まれてくるときに、無から数の1が出てくるように、今度は逆にカウントダウンしていって、数を消していくわけでありますけれども。その間に、様々な思考や意識や言葉というものに基づいた概念が尾ひれがついて、残るというかですね。そういうものも綺麗に消していく、消していくということは元の位置に戻すということですね。思考は思考、意識は意識、言霊は言霊というように・・・。最終的に布斗麻邇というところに戻すという創造意志のところに戻っていくところになるんですね。

戻っていく時に全てが綺麗に元のところに戻すということが人生というか、1つの大きな古神道の世界観というかですね。ですから、環境が汚れないし、そういう余分な霊というのか、妄想のようなものもしっかりと確認して消していくということをするということになって、本当に全てをリセットするというかね。

◇記憶の詩

ですから、また創造ということは中今で作るわけですから、その瞬間に生まれてくるというかですね。大元に戻れば、また生まれてくることも出来るというかですね。生まれてくるということは、宇宙創造が毎回起こるという意味の創造が起こるということになるんですね。ですから、そういう意味の苦しみや悲しみやどうしても忘れたくないような記憶もありますけれども、タゴールはそれを唱っています。

“あなあはれ、記憶されきし数々のかの懐かしき蓄えも、時来たりなば、術もなく野辺に捨つるが定めとは“

という詩がありますけれども。最終的に大地に還っていく、記憶も還っていくということで、なす術もなくということなので、どんな手立てもなく、そうなるね、ということを言っています。それが寂しいとか、哀れというのは非常に高度な情緒でありますけれども、今回もそうですけれども、情緒語をマンダラで位置づけようという意味合いもありますけれども。

◇元つ御座にお返しする

少なくとも、意志というものも民族の、例えばみんなが幸せに反映して残ってほしい、世界が平和になってほしいという祈りは受け継がれていくということですね。ですから、そういう意志、情緒は受け継がれていく中に、あるいは、置いていくというのかね。

そういうことで最終形では元つ御座にお返して、そして、神去ります、御魂があがると。それを荒魂というものは、そういう大地に還し、和魂というのは、天に還っていくんだということですね、代表してですね。五魂ですけれども。精魂が精神として、それを統合しているのですけれども、その統合を解いて地に帰したり、天にいうのか、元の布斗麻邇に戻すという働きが精魂ということですね。第6種鎮魂にもありますけれども。そういう役割を持って、分かれて、元に返すということをするわけですね。

神というのは、ある面では、自然と宇宙の働きだけではなくて、人間の働きを含めた全てを神と古神道で呼びます。その働きはその働きで元にお返しするということですね。そして、創造の前の段階に戻ると、それが布斗麻邇というところになる。そういう意味の輪廻とは言いませけれども、永遠と続く創造と捉えて良いのかもしれません。ですから、全てのものが元に還っていくんだということですね。

それを何か、そういう罪事咎祟と言っているものは、毎回毎回、大祓で元に戻していくということをやっているわけです。そうやって確認して、お祓いをやると軽やかにいけるのではないのかと。

◇命の意志を継ぐ

昨日、Tさんのお母さんの49日も無事に終わったのですけれども。生きるも死ぬも何も問題ないと言ったらあれですけれども、手渡しというのか、そういうことをしていくということであれば、そのより良い意志ですね、幸せになってほしいという意志で、それが荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂というところにもあるわけですね。そういう精神が最終的には残るわけですね。そして、その精神が受け継いでいくというかですね。人間の細胞もそうやって受け渡し、受け渡しして、残っていくのですけれども。

さらに、命というものが世代を超えて残っていくというのか、意志を継ぐというのか、今、人がどんどんいっぱい増えているように見えるけれども、日本のように人も減っているようなところもあります。そのように精神が進んでいる、進化の最前線にあるのかもしれません。そういう時にどう生きるかということの知識、知恵、覚悟がこれからの人類に必要になる時が来ると思います。もう一度、自然というものの働きに戻るということ思い出さないと、解決策はないのではないのかなと。

だから、ロゴファームも布斗麻邇の里もイソノミヤもそういうことを考える1つの叩き台みたいなものだと思うんですね。元に還すということの、どこにというかですね、そういうことの表現なのかもしれません。その辺りがこれから人工知能という煩瑣なことや、人工◯◯というものに対して、意に帰さずやっていっていただければ良いのかなと思います。

一年間、本当にありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。