0306話:2018年01月02日

正月祭祀での代表挨拶

◇0から創造

昨日も夜は、「頭を休める為には3日間思考停止しなさい」とか言いながら、私は今朝から、思考が全開してしまって。石原さんと小野寺さんと智樹くんと3人と話していたら、1年間のことが、ダーッっと出てしまって、やるべき事柄をみんな喋ったような気分になってしまったんですけれども。大晦日で一度止まって、今日は0(ゼロ)から創造ですかね。ちょうどそれが、元朝祭で日が始まり、今日(2日目)で月が始まり、3日目で年が始まる、のかなと思いながら今日のお祓いを上げていました。

◇竈の荒神様の祭り

今日のお祓いで最初に感じたことは、荒神というかですね、まあ三方荒神を正月にお祀りするんですけれども、普通は、荒神祭ということで竈(かまど)の神様を祀る事になるんですけれどもね。どうも竈の神様の祭りもあっていいと思うんですけれども、それは、吉備津神(きびつかみ)という五行を祀る為の竈(かまど)の祭祀、岡山県に、桃太郎の話がある吉備津神社ですけれども、そういう吉備津神とも違うですね、竈の荒神さまというのは、色々と言い伝えがありましてですね。白川では、まず荒神さまのことは、人の姿と一緒に動くというか、同時に動く存在の神様であります。

それから、皮膚の神様ですね。それに穴がある、今風に言いますと、汗腺とかそういうものの穴がある、その数も8万とかあったりしてですね、それが神なんです。そういう汗腺の神様も荒神様と言います。

また、それのいわゆる眷属とか、働きを促すものの存在があります。確かに、皮膚の表面は、内臓とひっくり返しますと、ガモフの宇宙論ではありませんが・・・。そういうひっくり返しにしたようなもので、腸の細菌と土壌菌とが同数くらいのちょうど数十兆の菌が守っていると言いますけれども。まあ、それを眷属とすると、皮膚表面では、シューマンウェーブで振動しているんですね。7.8くらい~8.1Hzで皮膚の表面は全部振動しているんですけれども、そういう振動も含めて、神というか捉え方が古神道、特に白川ではしていると、まあ、ちょっと私が解釈を加えてはいますけれどもね。

◇皮膚もオーラも荒神様

ですから、石鹸で綺麗に身体を洗っちゃうと、土壌菌が、若い時は24時間で回復するようですけれども、強く洗って菌が取れてしまうと、皮膚の表面を守れなくなると言われています。最近の学説にもありますけれども、綺麗だからいいと言う事で、聖水とか石鹸でですね。今度、石鹸を作るんで、あんまりこんなことは言えないですけれどもね(笑)。「御禊ぎ(みそそぎ)」という石鹸を作って、もうだいたい良いのが出来ているんですけれどもね。これがですね。あまり皮膚の表面の土壌菌を取らないように、しかし、しっかりと保湿するように作りました。今までの生体研究の成果を、存分に入れて作ったものが、石鹸でもできるので、最初っから宣伝みたいになっちゃって(笑)是非、お使い頂きたいと思っているんですけれども。

そういう皮膚の表面が、健康であれば、まずは健康であると、その上に、人間と一緒に動く、きっとオーラと近似しているものであると思いますけれども、そのオーラも一つの神というか、荒神様の一つではないかなと思うんですね。ですから、それが一番健康に関わりがありますから、荒神祭というのがあるんですね。

◇思考が妄想になってはいけない

昨日、正月の夢、初夢のことを話しましたんですけれども。やっぱり、夢に乗って、意識がふわふわしてしまうということも、一つの病というのか、それは夢遊病という意味ではないんですけれども、ありますし。そういう意味で、聖徳太子の頃は、夢違観音というものも立てたんだと思いますし。夢で見ることが、現実と同じように感じたりすると、どうしても気になって、実際の生活に支障をきたすことになります。最もその中間のところに、白日夢とかあるんですけどね。夢、白日夢、そして妄想というかですね。そういう心理の段階もあると思うんですけれども、そういう研究もフロイト以降されておりますけれどもね。

少なくとも、我々が、気をつけないといけないことは、思考が妄想になってはいけないという所ですが、これからの研究の中では大事なところではないかな。よく救世主が来たなんてですね、そういう触れ込みですね、カルトにですね、それに騙されるということがあると思いますけれども、それは思考が、どうしても滑ったり、論理性が欠如したりすることで起こる。そういうことは防げる、知や情緒のマトリックスを押さえており、そういう事を網羅、分類、体系化していることが、分かっている訳ですけれどもね。その中で、神秘ということの気持ちを、一切否定することは無いんですけれども、科学的態度を失うことなくですね、社会的には悪くいうと共同幻想ということに陥ることも、しばしばあるということですね。

◇天照大御神様の四魂

ですから、特に、社会がそういう所に陥らないということの意味での、古神道ですけれども・・・神・君・臣・民・忌(忌というのは、全部清める)という階層になってですね。

それが、最初の神から君、天皇ですね。もちろん、その神事を立てるのは、白川の高等神事であるわけですけれども、そういう時に、宣命(せんみょう)というものが発せられる訳ですね。また、最後に、海に罪・穢・咎・祟を綺麗に流してくれる神様は、天照大御神様の荒魂、和魂、幸魂、奇魂ですね。天照大御神様の四魂を分けるということですね。瀬織津比咩神は荒魂ですね。あと、和魂は気吹土主神、幸魂は速開都比売神、奇魂は速佐須良比咩神とですね、天照大御神の四魂に白川ではしていたんですね。

我々が、そういうことなんだろうとして学んでいますけれども、それを実験祭祀学的に、そういうものを掴むということをしないとですね。やはりそれは、納得と確信に至らないということがあろうかと思いまして、そういうものを実験祭祀学として、やる分には、どうしても祝殿でのご修行が大切なものになりますのですね、今年は、なるべく門戸を開いていこうと。

◇カマド=神の戸

話が戻りますと、まさに、竈(かまど)というのはね、神の戸(かみのと)、神戸(かんべ)とか、呼び方が「マ行」でもって、子音が変化する、これは言語学的なものですけれども、そうしますとですね。釜(かま)、神(かみ)、噛む(かむ)(カムイはアイヌ語の神の呼び名)、亀(かめ)と、亀も神様の神事、亀卜(きぼく)をするものですけれども。「マ行」で変化していく。神の語源は調べると、ほとんど世界中の言語の事典を引くと、釜(かま、かーま)も神なんですね。世界的に、縄文期の同じ音の発生の名残りではないと思うんですけれども、それがどういうふうな所から出てきたか分かりませんけれども、基本的に、カマド(神の戸)。

ですから、人間も神を迎える、高濱清七郎先生の「草も木も人もなおさら真砂まで神の社と知る人ぞ神」というふうにですね。ちょうどその神様をお迎えする戸口というかですね。そういう意味で皮膚の働きを表現したんではないかと、竈の神で荒神ですね。最初に始まるのは天照大御神の荒魂をお祀りしますけれどもね。瀬織津姫神ということになるんですけれども、瀬織津姫神が天照大御神の荒魂ということであるわけですね。

◇初めに湧いてくる水

ですから、非常に強いというか、初めに湧いてくる水の働きというか、四魂が一つの宇宙創造と同じことなんだと、よく言っていますけれども。それが水の流れが白川の基本的な祭祀であるからですね。その所が、大事なところかなというふうに思うんですね。宇宙の最初から、天之御中主神から水の中の主で、それが水神、すべての神の始まりの神という所が、水であるというですね。

それが、物理学的にはよく分かりませんけれども、エーテルなのか、白川では、元の所が、布斗麻邇というか、布斗麻邇の流れが伊勢の五十音の五十鈴川になるという、それがイソノミヤであるということになりますけれども。その川、水が流れていくように、宇宙の創造も出来たのでははないかと、たぶんこれから証明されるときが、必ず来るんのではないかと思っています。それが、単なるH20ではなくてですね。三体が個体、液体、気体の常温に近いところの状態で、存在する物質は、水しか無い訳でありますから、それが、ご神体になるというのは、別に不思議な事ではないと思いますけれども。

そういう、天照大神の働きが、火であると同時に、そういう水の働きになって、そして、お清めをするというですね。天照大神に、すべてを帰依させるために、言っているわけではないんですけれども、そういう伝承というものが、白川にはあるということを、今日はお伝えしたいなとは思っていたんですけれどもね。

◇今日のお祓いで感じたこと

もう一つは、今日、お祓いをしていて感じたことは、神の言葉を受ける、大君はですね。皇后である場合や天皇直接である場合も色々ありましたけれどもね。それが、宣命というか、神事ですよね。一番最高峰の高等神事は、宣命ということなんですけれども。その宣命として、古代の1000年前のお祓いを上げていた時の事を思い出しますと、私がその時にいたわけではございませんけれども、神話でも中身をそのまま読むということを、心がけないと今の時代の文脈で読んでもわからない所が多々あると思うんですね。

その中で、この大祓そのものが、天皇あるいは皇后、神代になる方が、受ける時の神示の内容を、今日はありありと感じられたというかですね。我々が、国家の神事を立てるということも出来ますけれどもね。基本的には、天皇のお仕事、そういう働きの中にある内容が大祓を通じた神事ですね。あるのではないのかということですね。たぶん、大祓ではなく、大笑されるかもしれませんけれども、たぶん、これは間違ってないのではないかなと。諸先生方のですね、バラバラに言っていることを統合するとそういうことが見えてくる。要するに、明治の大嘗祭、明治4年以降の白川家の諸先生方の伝承を統合すると、そういうようなことが見えてくる。

◇明治4年の大嘗祭以降

実際、それの要するに、明治4年の大嘗祭以降、白川家の神道ではない、神道を世の中でもって、あるいは宮中でもってしなければいけない事情があったのですけれども。そうなった時に、たぶん白川家のそういう伝承が宙に浮いてしまったというかね。天皇ご自身あるいは、皇太子にそういう教えを残せないというかね。そういう高等神事は皇后や天皇陛下、皇太子、特に天皇陛下がされるわけですけれども、そういうところを必要ないといったらおかしいですけれども、そういうことを受け入れられない事情があったと思います。そして、それを白川は封印してしまったということがあったのではないのかと。

本来は、神祇官とか、神祇省ということでやろうとしたのでしょうけれども、そのところが例えば、明治天皇の后である昭憲皇太后に、坂本龍馬が昭憲皇太后に霊憑って一言あったということが言われていますけれども。神秘や本来、神ではない霊体の話しが神事というところのようになってしまったというところがあるのではないのかと。それが明治以降、宮中の混乱にも繋がっていくのではないのかなと。いわゆる、そういう高等神事ができないということで由々しきことになっていったのではないのかなと。今は神事さえも、なかなか受け入れがたいことでありますから、それも神秘ではないかと言われたら返す言葉もないですけれども・・・。

それも復活するには、神事のシステム化ということを図らないと、科学として見てもなかなか難しいようなところがあると。そういうためには、測定器が必要になるかもしれません。

◇宮中における神事の立て方

神事というのは、非常に複雑になっていまして、いわゆるシャーマンのような、文字や書物のないときの神事と、文字やそれを記録するという時になった頃の神事というのは違うんですね。これは文字に残すという前には、即、対応できるものは言葉であったから、言葉で神事があったときもあったと思いますけれども。書があり、文字があるということで、そういうことが発達して、その作法が白川には全てあるんですね。確かに明治になってからは、口からあったりとか、その方法は私も大学院の頃に、口を切るという神事も、来宮神社でですね、最近、文芸社から「皇学皇家之古代祭祀再現昭和之幽齋之記録」という本が出ましたよね。あれは、新村博鳳さんが審神者でやった神憑りでした。私も学生の頃、立ち会って研究してみたということもあるんですね。

いわゆる鎮魂帰神という方法でやるものが民間には残っていたんですね。それと全く違うものですね、宮中における神事の立て方というのはね。そのこともいずれですね・・・。白川の修行が進むと、大祓をあげて、ご修行というものもあるんですね。三種の祓いと大祓をあげてですね。そのこともしっかりと伝わっているので、これからはそういうことができるように、どんどんご修行をお願いしないといけないのではないのかなと思います。これは今年の大きな目標になろうかなと思います。

◇白川を科学にしていきたい

白川はそういう意味での言霊と鎮魂のもたらした元でございますから、しっかりと学び、そして、再生すると言いますか、原点に戻って、現代の哲学や論理学、科学、それから宗教からみても問題のないように解いていくということが必要なことではないのかなと思っています。そのところは更に追求して、明らかにしていきたいと思っています。神話知を現代の智恵にするということでの、ソフトウェアの開発も、システム学習法のところも、最初にそういう洗礼を受けた者としては、しっかりと完成したいと。白川という目に見えないものを目に見えるような形でお伝えするというところまで、学習法を科学にしていきたいということはずっと考えています。それで皆様方にご協力いただかないといけないというかね。

先程の竈の荒神様ではないですけれども、神というものを階層的なものとして、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神というものもありますが、あるいは、体に八万という神が存在しているとか、そういう神様もどういう位置づけなのかということも、しっかりと確定していけるのではないのかなと。

◇メビウスの宇宙の原理

その階層論を証明するには、その論理を機械に変えなければいけないということがあります。機械に変えて、また概念を証明し元に戻していくというかね。今までコンピューターというものを通じて、コンピューターの概念を人に戻して、思考に役立たせると。人工知能もそういうことですよね。人工知能ができたらできたで良いのですけれども、それを見てまた人間が意識進化するということが大事なことですね。

今、科学というものが限りなく離散して、細かく分裂して、境界の科学というものも沢山出ていますけれども、そういう確かに進化した学問から遅れた学問に恩恵が流れるのですけれども、1つの進化学ということとして、捉えるのは大事なのですけれども、少なくとも我々が考えているところは、元に循環して戻ってくるというかね。一回、バラバラになった学問がもう一度、メビウスのように元に帰ってこないと宇宙というものが、中今の中で捉えるということが永遠にできません。宇宙のドンドン広がっていくというだけの無限地獄に陥ってしまうということもよく言うのですけれども。そうならないような形で、一旦、次元の境界面に、記憶を記録して、そしてまた元に戻してくるというのが、メビウスの宇宙の原理ではないのかなと思います。

◇次元宇宙コンピューター

宇宙創造ということの始まりということで、天御中主という始まりの神様がいて、138億年とか、そういう雄大な時間で、宇宙が広がっていっているという、ドンドン広がっていますから、きりがないですけれども。そこで、次元というもので、戻してこないといけない。次元には各次元の記録が残っているということですね。

3次元境界面、4次元境界面、5次元境界面、全てに次元を変えるごとに記録が残って、11次元まで行って、そこからまた戻ってくるということを大宇宙と同時に、階層宇宙ですね、これを全体を取り仕切っている機械という概念が、そういう各階層の機械というものを捉える時に、それが次元宇宙コンピューターということになるんですね。機械として、それをお出しするということをしないとですね。今はだから、そういう概念を使って、ここまでいったら現代の科学の中では一番妥当なというか、理解しやすいかなということで、概念を機械の形にして、そして、戻してというか。

それがこの宇宙というものをメビウスでもって、それを2次元にする発想ということで、宇宙の始めの一歩手前までの概念機械を作ったらどうなるかということの思考実験で、布斗麻邇、布留部、鎮霊、鎮魂という階層知をどうしたらより良い形で理解していただけるかということで、必ずそういう階層的な概念を機械、装置にしてお出ししなければなかなか分かりづらいところですね。

◇秋葉原は進化のひとつの形態

人類の急速な進歩というのは、サイバネティクスからコンピューターになって、コンピューターからいよいよ人工知能ということで、人間の知能を超えるというところまでくるということで、それをまた使っていくのですけれども、コンピューターというものを利用して、その装置、機械によって、人間の知識や情、意と進んでいくということですね。

だから、日本というのは、そういう意味でオタクとか色々と言いますけれども、機械やそれはスマホにも、ドンドン機能が加わっていますけれども、生活や文化の進化形として、秋葉原の文化みたいなものができあがっているわけですね。そういうことに対応しようとしている、進化の1つの形態の仕方がフレキシビリティ(融通無碍)なわけですね。

我々はそういうものを否定しているのではなくて、挟み撃ちではないですが、神と感覚ですね、それで挟み撃ちするような形で文化というものを見るという見方が必要であって、いたずらに責めることはないんですね。

◇神の理の精神理学

荒神祭は、今年のまたお祭りとして加えていただこうと思っていいますが、斉藤さん達にお願いしたいです。荒神祭の歴史は古いんですね。健康学が環境学であって、環境学がまた自然であり、宇宙でありということ、そして、その心理学というのかね、神の理の精神理学ということで明治の頃は呼んでいましたけれども、そういうことにつながる、学びを今年は更に進化させていければなと。

特に白川の場合は、実験祭祀学として、皆様方にご協力いただければ非常にありがたいことかなと。一見、神秘的に見えて、全然そうではないということで、あるいは安全で行うことができれば、その賜によって貢献できるのではないのかなと思っています。

ありがとうございました。