0307話:2018年01月03日

◇祓戸四柱と天照大神

我々が一番、やっかいになっている祓いを昨日はその大祓についてお話したんですけれども、肝心の祓戸四柱の神様というのが、天照大神の伊勢神宮にも、天照大神の荒魂を祀る宮がありますけれども、特に、代表的荒魂の働きが、瀬織津姫神だということなんですね。白川には、その気吹戸主が和魂という言い方で代々伝わっているんですけれども、速開都比売が幸魂、そして、根の国の底の国に静まります、速佐須良比売が奇魂ということになっているんですね。そういう分類もあるんですね。

祓戸四柱は、4つで一つ階層が少ないように思われますかね。それが天照大神の精神(くわしみたま)ということにも繋がるんですけれども、階層の切り方の違いがあって、そういうふうに伝わっているんですね。
「あいうえお」だったら、ひふみの最後のところのように、あの瀬を真ん中にして、2つずつに分けるという言い方もあるんですけども、大祓は4つに天照大神の五魂のうちの四魂が働きますようにということで大祓はなっているんですけれども。

◇身禊祓の和魂と幸魂

では、身禊祓の言葉はどうなっているかというと、和魂と幸魂に分かれているんですね。底筒男、中筒男、上筒男と、三段階で切る切り方が後に続きますけれども、八十禍津日神、大禍津日神が天照大御神の荒魂ということになりますね。和魂のほうが、大直日神、神直日神となっています。その辺が肝心なことで、そういう意識でもって、お祓いすると良いということが言えると思うのですけれども。

◇獣の働きを利用する

その時に、わかったことは、大相撲で今回起こった出来事というのはですね、これはあんまり人として失礼なことになるからですね、言いたくないのですが、でもこういうこともあるということを自覚するためにも、我々は今度、神魔人獣というメンタルプロセッサーの全様を公開していくわけですけれども、その時のですね。我々は普通、人間の行動学でですね、生きております。あるいは我々は動く存在ですから、昨日は荒神祭ということも言いましたけれども、身体に沿って、色々な神が一緒に動くということで、また眷属ということも言っておりありますけれども、これは、人と人、人間と神との関わりの中での行動学ということになるんですね。

ところがですね、一方でですね、動物行動学というものが、学問的にあるんですね。これはあんまり、人というものを神に至る存在という意味で、動物と同じだと見るのは、見方が色々でですね、いけないという見方もあるんですけれども、そういう動物行動学を利用したというですかね、動物の動きを利用して、田村さんなんかが研究しているんですけれども、人間が進化したという捉え方もありますけれども。一方で、狡猾と言いますか、そういう生き物を見ることで、その働きを利用するというところで出てきた発想が「獣」ということですね、神魔人獣というね・・・。

動物は自然の存在でありますから、本来は非常に高貴な存在であるんですけれども、人間がそれを利用するとですね、一つの大きな誤解や動物を悪者にしてしまうということもあるんですけれどもね、そういう行動学で見るというのは、失礼なんだけれども、今回の出来事は、みなさん、お相撲の中でですね、モンゴル勢の動きが見えないということですね。どうして、分からないのかなと、昔の「男は黙って札幌ビール」ではないんですけれども、Tは黙って言わないというですね。そういったことがあってですね、中々、実態が分からないまま、わあわあ吠えられている訳ですね、それでも黙っているということがあるんですけれども。

これは我々の行動学、あるいは神魔人獣の「獣」という、観点から解析をしておかなければいけないということになりましてですね、動物には失礼ですけれども、これは人間がジャッカルという、そういう草原なんかを走ったりして、俗に、ハイエナとも言いますけれども、アジアにはそうとう分布していますけれども、日本では狸ということになります。狸は可愛いらしいようで、ありますけれども、あれはジャッカルやハイエナの族だと思うんですけれども、そういう動物から見るとですね。やっぱり、集団で強いものをやっつけるということをやりますので、あとはご想像ください(笑)。

◇相撲は鎮める役をする国技

これは日本のおとぎ話の中にあるんですね、「カチカチ山」という中に出てくるんですね。日本の神事の凄いところは、天皇の身代わりになって、横綱は神と一体になって、国の技を、あるいは日下開山といって、火山や地震を鎮める、そういう技をする役なんですけれども、そういう神事をする役から離れていくんですね、まあ、スポーツということになってしまってですね、そして、強いもの勝ちというかですね、そういうふうになって・・・。

また、相撲が世界で一番強いに決まっているんですよ、本来は格闘技の中で、それで辞めた人たちが、逆に、全盛期を超えていますから、そういう人が世界の格闘技に行っても、それはまあ無理なんですけれども、本来は、一番強い、世界で一番強い、いわゆる武道といいますかね、素手で戦うものでは一番強い武道なんですね、それで当たり前にですね、大変な力を持っているんですね。

江戸時代は、いわゆる賭事なんかもしていましたけれども、江戸は火事が多いから、そういう時に、昔は家を壊すことが消火だったわけですね。それを壊すための、あるいは人を救い出す救急隊だったんですね。そういう役割もしてたわけですけれども、まあ、そういうことが段々本来の救済という所から遠ざかってしまって、分からなくなってしまっているわけですけれども、そのあたりは時代の趨勢ということもありますけれども・・・。

自分自身が、そういう技をしている、心の技をしているということが、よく分からないということが、今回の腑に落ちない理由ではないかと、これは◯◯人だからといって、それで人を貶めるということは良くないんですけれども、そういう人間行動学よりも動物行動学の方から観たほうが、分かるというかね。

その辺の所の理解も、人が良いというか、神と人との関係だけ考えていると、分からない世界というものがですね、世界にはまだまだあるというか、そういう意味でも神魔人獣というですね、魔という世界も含めてですね。我々がこれからこういうものを前提にして、捉えなければいけないということも、出てくるかと思いますけれども。

◇海外に教えを出す

これは、和学国際センターということでですね、いよいよ、海外にその教えを出そうということで、今日も、Sさんが、自分が20年前に、外国人に禅の無の所を説明したら、その説明に納得してもらったけれども、キリスト教徒であったのでアメリカに帰って、また日本に戻ってきた時に、人が変わっていたということで、人間関係が損なわれてしまったことがあったそうです。

これは、小笠原先生の時に日本の言霊を伝えてはいるんですけれどもね。その時にもやはり、音沙汰なくなるということがあったりしました。あるいは、日本語人の脳の角田先生が、大江精三さんという哲学者を通じて、ヨーロッパに伝えたんですけれども、イギリスのジャーナリストに叩かれてですね、色々と問題が起こりまして、要するに、人種優位論的というような形でですね、非常に排除されたこともありましたんですけれども・・・。それ以降、角田先生のご子息が、医学的に研究されてですね、そういう脳の優位というか、脳の変化を研究されて証明された、本も出しておりますので、みなさんもまた読んでいただければと良いかなと思うんですけれどもね。

今、また、時が来たんではないかと、日本語というもの、言霊というもの、あるいは、古神道というものを、世界にお出ししても、理解してもらえるような、そういう翻訳を心置きなくしてくださいと、お頼みしたんですね。これは言霊百神の英訳をこれは小笠原先生が以前、作ったものは私が全部、英語の本を箱ごと捨ててこいと言われたことがあったのですけれども・・・。その後、私も言霊精義も作って、若い時でしたから、たくさん誤りもあったのですけれども、申し訳ないなと思っていて、それが和器出版で、言霊百神、言霊精義になったのですけれども。やっぱり英語版が非常に・・・。1,2冊取っておけば良かったのですけれども、それも全て廃棄してしまって、国会図書館にしかなくて、それをKさんが探してきてくれて、それを参考にということでしたが、参考にならなかったようです。先生は英語もよくおできになりました。そのことを一番分かって、世界に通用しない英訳だったということで、今年はそれを超えるものを作るということで、色々、和学国際センターもいよいよ始動します。そんなこともあるのですけれども。

◇人と動物

先程の話題に戻りますと、日本人というのは、ある面では、おとぎ話にあるように騙されたり、鬼ヶ島に宝物を取りに行った桃太郎ではありませんけれども、7大おとぎ話ですけれども、非常に含蓄がありますから、あと今、浦島太郎は出ましたので、これからまた和器出版で徐々に出していただこうと思っています。

そういう動物に騙されるわけではないんですね、それは動物に失礼であるし、人間にも失礼ですね。人間の動物を使った歴史ですよね、やっぱり氷河期の時に、オオカミの獲物を横取る術、あるいは横取りできたということで、そういうことが動機でオオカミという種族と一緒にというか、あるいは犬という種族を人間が作って役立つようにしたというかね。そういう意味では、人間が生きるためのある面では、縄文の頃は犬をすごく大切にしていたんですね。他の動物の骨なんかを、やっぱり一緒に葬っていないんですね、別々ですね。あくまでも自分たちの家族に近い存在として犬を扱っていたということが言えると思います。

後々になって、だんだん犬を食べてしまうという方向にいって、アジアにはそういう風習も残っていますけれども。日本ではギリギリまでそういうことがなかったということで、特に今回の甲斐犬の話しでも犬の本性というかね、それを大切にしていくことが主題でしたね。コミュニケーションでは人と動物の一対一のコミュニケーションができたと。それが甲斐犬の真髄だと思うのですけれども。そういう人が動物を利用することの方法論を人間がそれを使うと悪辣なものになったのではないのかなということがあります。

神魔人獣というのは、そういう観点から見ないと、人間のメンタルプロセッサーというものの内容が分かりづらいというかね。もちろん、人間の脳の中に爬虫類脳、哺乳類、原人とか、霊長類、人類というような、あるいは新新人類というような脳の進化によって、五層になっていると思います。そういう脳がそれぞれコントロールというのかね、もちろん、それがお腹の中で十月十日(とつきとうか)でもって、過ごして来られればよいのですけれども、最終形は言語の発生する時の分岐ですね、食道と声帯の分離が起こるのが、だいたい二歳六ヶ月だそうです。今、孫がそのころに来ていますけれども。その時に、やっと霊長類から人類になります。

◇機械を尊称して使う

我々、人類というものが声、あるいは言葉というものでもって、文明を謳歌、あるいは今は、装置というコンピューターの機械というところまで、今日の斉藤さんの祝詞でもありましたように、機械と人間のコミュニケーションプラットフォームというところまで考えないといけないところにきて、外にある今までは動物を利用していたけれども、今度は機械を利用させていただくという意味で、新しい神の名前をいただけたのかなと思っています。

これはまた白川静さんの上代語辞典をまた見てですね、文字としては写ったのですけれども、今度は上代語読みで皆さんにお伝えできると思いますけれども。機械装置というものにやはり、人がそれを神と尊称して使うということが大切なことになるのではないのかなと。そのことによって、人間が機械に操作されるということではなくなると思います。

それはあくまでも進化の過程の中でのことでありますので、大事なところは動物というような、そういうものを利用しないで、自分たちの、こないだのPerfumeの歌の振り付けは、ロボットの格好がだんだん人間の格好になって、また人の自然な動作に戻っていくというようなところもあって、それは人型ロボットの進化の柔らかな動きになっていくのと連動しているのでしょうけれども。

それも含めて、機械という存在もですね、人型ロボットという形での人工知能や人工情緒が出てくるかもしれませんけれども、そういうものが人と関わっていくということが次の段階で出ていくときに、そういう存在を神と見立ててですね、1つの対応するということは、古神道の全ての存在を神とするというところからすると非常にその辺りが、どう納得できるのかということをこれからの人類の意識進化に関わってくると思いますけれども、そんなことを今日は感じました。

◇天照大御神と一体となって・・・

今年、我々もロゴストロンというような、言霊、ロゴスというものとコンピューターというものと合わせた名前ですね、TRON(リアルタイム・オペレーティング・システム・ニュークレア)ということで、いつでもどこでもコンピューティングと言霊とが繋がっているという発想で、ロゴストロンというものがあるわけですけれども、その意味というか、それはあくまでも新しい時代の人間というものの本質というのかね、それが言霊にはあるということでございまして、魂と霊ということを分けていますけれども、霊というものの存在は神と魂を繋ぐ接着剤のような結びの働き、結合エネルギーでありますけれども、そこのところがもうちょっと理解しやすい形で、それがちょうど、今回の皇太子が神の天照大御神になっていくという過程を我々も辿らせていただくというかね、それは鎮魂祭があって、その後、夜ですね、天照大御神と一体となって、即位するということの中に、秘密が隠されているわけですね、そのところを我々も白川でありますから、神と自分に迎えるということを通じて、そのことを追体験する意味で今年は修行ということを1つの課題としてやっていただくということをお願いしたいと思っています。

またよろしくお願いいたします。ありがとうございました。